ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

番外編  オペラについて

2007-01-31 | 音楽

 

          

        ここで、ちょっとブレイクして・・・オペラのお話。

        昨年、冬季オリンピックのフィギアスケートで、荒川静香選手が、

        金メダルを取ってすごく話題になった曲。

        プッチーニの『トゥーランドット』の中の「誰も寝てはならぬ」

        先日、メトロポリタン歌劇場の『トゥーランドット』のDVDを購入して、

        毎日観ていましたが、王子カラフ役のドミンゴ、すばらしいです!

        しびれます!

        ストーリーはプッチーニにUPしましたが、リューの死ぬ場面での

        逸話は、強烈ですね。

 

        オペラは、もちろん、生でその劇場の息使いを感じる魅力は、それは

        もうすばらしいのですが、その前に原語の意味もわかると、なお  

        いっそう楽しめますよ。   

        映像に残ったものは、キャストの細かい表情もよくわかるし、演出

        のすみずみまで堪能できます。

        自宅に、ちょっと年代が前のものになりますが、すばらしいキャスト

        と演出のシリーズがありますので、ビデオのものは順にDVDに移して

        貸し出ししたいと思います。

        教室の生徒さん達、またお近くの方でご希望がありましたら、是非

        このオペラシリーズ、お楽しみ下さい!

        解説も全部ついています。

   それに加えて、自宅にある何百枚(?)のCD、数えたことがないのでわか

   りませんが、近々リストをつくって、レッスン室に置く予定ですので、ご希望 

   のものを、貸出票で1週間お貸しします。

   音楽関係の本も、ものすごい数ですけど、保護者の皆様が読めるように、

   リスト作成しますね!  

        

  上は、ヴェルディ『アイーダ』のポスター、下はプッチーニ『トゥーランドット』

  のヴォーカル・スコアの表紙

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音楽家のお墓  Vol.12  プッチーニ

2007-01-28 | 音楽

          

   

    長崎を舞台に、純情可憐な日本女性の悲哀を描いたオペラ『蝶々夫人』の作曲

  家、また去年、オリンピックのフィギアスケートの曲で、話題になった『トゥーラン

  ドット』、ほかにも『マノン・レスコー』、『ラ・ボエーム』、『トスカ』など華々しい成功

  でその名声を不動のものにしたプッチーニは、1858年、イタリア、トスカーナの

  ルッカで生まれました。

            

    プッチーニの家系は、代々音楽家で、幼少の頃はあまり才能を発揮す

    ることがなかったのですが、18歳のときに、ピサでヴェルディの『アイーダ』

    を観て、尊敬するヴェルディのようにオペラ作曲家になろうと決心します。

    25歳のときに書いた『マノン・レスコー』で成功してから、3部作『ラ・ボエー

    ム』(1896)、『トスカ』(1900)、『蝶々夫人』(1904)の成功で、イタリアオペ

    ラ界での地位を確立しました。

    『蝶々夫人』では、異国的な雰囲気を描くのに、日本の旋律も使って、日

    本を舞台にした魅力の舞台をみごとに表現しました。

    ニューヨークに妻とともにわたった彼は、活気に満ちた都市の生活に驚嘆

    し、新奇な新しいものが大好きで、モーターボートや自動車を購入して、自

    動車狂の一面も見せています。

    (『蝶々夫人』の作曲中にも、大事故をおこしましたが、車椅子で作曲を続

    け、完成させました!)

          

          自動車に乗るプッチーニ

             失敗と成功を重ね、第1次世界大戦を経て神経症におちいりながらも

      『トゥーランドット』に着手したのは、62歳の時。

      オペラ作曲家として、作品数はヴェルディの26曲、ロッシーニ36曲に

      比べて、プッチーニはわずか10曲。それは、彼が題材にきわめて慎重

      で、台本作家の選定にも極めて力をそそいだからです。

      大昔の中国を舞台に、残忍な王女トゥーランドットの冷たい心が、真の

      愛を知ってとける、という伝説は、かなり古くからヨーロッパに伝えられ

      ていたのですが、この作品にプッチーニは命を捧げました。

      しかし咽頭ガンにおかされていた彼は、そこに心臓麻痺も加わり、

      1924年、ブリュッセルの病院で,66歳静かに息をひきとります。

      『トゥーランドット』の第3幕のリューの死の場面の前で、プッチーニが筆を

      おいたことから、後に未完の部分はアルファーノの手で完成をみて、そ

      の初演の夜、指揮をした友人だったトスカニーニは、指揮棒を置き

      「ここで、この部分で彼は最後の仕事を終えました」と客席に向かって、

      述べたそうです。トスカニーニの栄光ある生涯を通じて、公衆の前で発言

      した最初で最後の言葉だったそうです。

      

      写真は、プッチーニの住み慣れたトレ・デル・ラーゴの家の1室にある

      プッチーニ夫妻と息子の霊廟。

 

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音楽家のお墓  Vol.11 ヴェルディ

2007-01-08 | 音楽

 

     

        イタリアオペラの巨匠、ヴェルディが生まれたのは、今から約

        200年も前の1813年10月10日、イタリアミラノの南、ブッセートの

        近郊、レ・ロンコーレという小さな町でした。

        ヴェルデイが生まれた5ヶ月前に、アルプスを越えたドイツのライプ

        ツィヒで、リヒャルト・ワーグナーが生まれていた。やがてこの2人が

        同じ音楽劇の分野で、しかも全く別の方法で活躍するとは!

        ヴェルデイは19歳でミラノに出てきて、23歳のときに最初の結婚を

        しますが、その妻が4年後に死去、そのあと当時の花形ソプラノ歌手、

        ジュゼッピーナと再婚し、失意の底から、次々に名曲を産み出して

        いきます。

        29歳、『ナブッコ』、34歳『マクベス』、40歳『トロヴァトーレ』『椿姫』

        この『椿姫』は、初演に失敗し、2年後再演して大成功を収めています。

        48歳の時には、イタリアの国会議員にもなっています。

        そして58歳に初演された『アイーダ』は、スエズ運河の開通を記念

        して、エジプトのカイロに大劇場が建てられたこけらおとしの際の

        新作でした。これで、オペラ作家として、不動の地位を確立し、60歳も

        過ぎ、オペラの意欲をなくしたかのときに、30歳年下のアルギト・ボー

        イトという若い作曲家と知り合い、2人の天才によってシェークスピア

        の原作の『オテロ』が74歳のときに初演。

        美しく、情熱的な見事な生涯を終えたのは、1901年1月27日、享年

        87歳。オペラの世紀といわれた19世紀と共に、巨匠ヴェルデイは、

        生命の火を消したのでした。

        写真は、ミラノのヴォナロッティ広場に建つヴェルデイの像と’音楽家

        憩いの家’

       晩年のヴェルデイは、不遇な老音楽家のための養老機関を設立しよう

       と努力して、その意志でできた建物と、その霊廟には、ヴェルデイとその

       妻ジュゼッピーナの遺骸も葬られている。

                

                         

                         これはパリにある〈椿姫〉の墓。

           ヴェルデイの最高の人気作《椿姫》は、デュマ・フィスの

           小説が基ですが、そのモデルは、マリー・デュプレシスという

           実在の女性でした。彼女は7人の百万長者のパトロンをもち、

           毎夜椿の花を手にして、モンマルトルの劇場に姿を見せていま

           した。若いデュマは彼女に魅せられ、やがて2人は愛の生活

           に入ります・・・

           小説「椿姫」は、そのマリーが23歳で死んだあと、デュマが涙と

           共に筆をとった実話小説でした。

           マリー・デュプレシスのお墓は、パリのペール・ラシューズ墓地に

           あって、その箱型のギリシア風の墓標には、薄幸な彼女に

           ふさわしく、スミレに紅い椿をあしらった飾りが添えられています。

 

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