1800年を過ぎる頃には、ヨーロッパでは、封建的な考えと、新しい
民主的な考えが、いろいろなところで、激しくぶつかり合い、世の中は
大変な不安におちいっていましたが、イギリスからフランス、そしてド
イツへと、どんどんと自由を叫ぶ声が高まり、それはもう誰にもかき消
すことは、できなくなっていました。
こんな時期に、ライプツィッヒを中心に、中部ドイツを活躍の舞台とした
2人の大作曲家いました。それは、1809年に生まれたメンデルスゾーン
と、翌1810年に生まれたシューマンです。
メンデルスゾーンの音楽は、絵の様に色彩豊かに描かれ、シューマン
の音楽は、詩人がまるで、歌っているかのように、かかれました。
この写真は、1977年に私が、ドイツ、ボンを訪れた際、実際に撮って
きた写真です。
デュッセルドルフで、創作活動において、最後の輝きを放ったシュー
マンは、若い頃から悩まされた精神疾患が、悪化し、44歳のときに、
錯乱し、ライン川にかかっているデュッセルドルフの橋から身を投げ、
生涯の最後の2年半は、ボン郊外の精神病院で過ごし、1856年7月
29日、46歳でこの世を去りました。
このお墓は、ボンのアルター墓地にありますが、現在のお墓は、後年
に建て替えられたものです。作者は、当時の有名な彫刻家アードルフ・
ドンドルフ。
愛妻クララは、世界的女流ピアニストとして長く活躍したあと、1896年5月
20日にフランクフルトで没しますが、生前に遺言して、この亡き夫のそば
に眠ることになったのです。
シューマンとクララのことに関しては、’ピアノと海と花との生活’の
6月6日、ドイツ特集で書いていますので、興味のある方は、そちらも
どうぞ!
ピアノと海と花との生活はこちらです。