ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

音楽家のお墓 Ⅵ  シューマン 

2006-11-20 | 音楽

            

       1800年を過ぎる頃には、ヨーロッパでは、封建的な考えと、新しい

       民主的な考えが、いろいろなところで、激しくぶつかり合い、世の中は

       大変な不安におちいっていましたが、イギリスからフランス、そしてド

       イツへと、どんどんと自由を叫ぶ声が高まり、それはもう誰にもかき消

       すことは、できなくなっていました。

       こんな時期に、ライプツィッヒを中心に、中部ドイツを活躍の舞台とした

       2人の大作曲家いました。それは、1809年に生まれたメンデルスゾーン

       と、翌1810年に生まれたシューマンです。

       メンデルスゾーンの音楽は、絵の様に色彩豊かに描かれ、シューマン

       の音楽は、詩人がまるで、歌っているかのように、かかれました。

 

       この写真は、1977年に私が、ドイツ、ボンを訪れた際、実際に撮って

       きた写真です。

 

       デュッセルドルフで、創作活動において、最後の輝きを放ったシュー

       マンは、若い頃から悩まされた精神疾患が、悪化し、44歳のときに、

       錯乱し、ライン川にかかっているデュッセルドルフの橋から身を投げ、

       生涯の最後の2年半は、ボン郊外の精神病院で過ごし、1856年7月

       29日、46歳でこの世を去りました。

       このお墓は、ボンのアルター墓地にありますが、現在のお墓は、後年

       に建て替えられたものです。作者は、当時の有名な彫刻家アードルフ・

       ドンドルフ。

       愛妻クララは、世界的女流ピアニストとして長く活躍したあと、1896年5月

       20日にフランクフルトで没しますが、生前に遺言して、この亡き夫のそば

       に眠ることになったのです。

       

       シューマンとクララのことに関しては、’ピアノと海と花との生活’の

       6月6日、ドイツ特集で書いていますので、興味のある方は、そちらも

       どうぞ!

       ピアノと海と花との生活はこちらです。