ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

ストラヴィンスキー

2010-04-22 | 音楽

 

            

      ストラヴィンスキー(1882~1971)は、1882年6月17日、ペテルブルグ(現在のレニング

      ラード)に生まれ、1971年4月6日ニューヨークで没したロシアを代表する作曲家。

      初期の3作品『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られている。

      井上さんが、ストラヴィンスキーの交響曲ハ調と、火の鳥を6月にサントリーホール

      で日フィルと演奏されるので、早い時期にチケットをとっておいたら、

      何と金沢でOEKと交響曲ハ調!ということがわかり楽しみにしていた。

      ストラヴィンスキーは、24歳で最初の結婚をし、56歳で2度目の結婚をしているが、

      交響曲ハ調は、この56歳の再婚の年に完成している。  

      上の絵はキュービズムの画家、アルベール・グレーズの作《ストラヴィンスキー》   

                  

      これは「火の鳥」の衣装デザイン。

      私はストラヴィンスキーは大好きだが、そんなに詳しくないし、スコアもまだ買っていない。

      しっかりハ調のCDもきけぬまま、

      本番にいった。

      すごかった!井上さん、曲をどこも熟知していらして、ものすごく緻密な指揮。

      解釈がすごく繊細で、でもどこも音楽がまっすぐで、すばらしかった。

      いい音でした。バランスもすごく良かったと思うし、OEKのいいレパートリーになるのでは

      ないでしょうか。隣りで友人もそう申しておりました。

                        

      私は、自分の弾いているソロや、伴奏の曲のCDは、すぐ影響をうけてしまうため、最初のころ

      少しだけきいて、後は全然聴きません。

      ホロヴィッツやリヒテルなど往年の大ピアニストの映像は大好きでよくみます。

      コンクールにいったら、ほとんどの人が、自分の順番まで、

      iPoneで曲をきいていました。私は前の人の演奏がすごいなあと感心して

      いるだけで、そんなことはできません・・・

      でもオケの曲や、別の楽器の曲は、フレージングなどすごく参考になるのでよく聴きます。

      井上さんは、とても感情表現が豊かで繊細な音楽性の方で、たとえばモーツァルトやハイドン

      を指揮なさってるときも、’ああここはこういう音楽なんだなあ’と新しく知ることがすごく多くて、

      本当に勉強になります。

      この日のストラヴィンスキーもそうでした。あまり演奏されることのない交響曲ハ調を、

      すばらしく統一して、事細かに、音楽を作っていらっしゃいました。

      今度の日フィルも楽しみです!

      OEKでも再演も是非!お願いします(べリオのシンフォ二アもいつか・・・)

              

              中央がストラヴィンスキー。   

      第1次大戦を予言させるような、大混乱を巻き起こし、その激しい破壊力と野蛮なエネルギー

      を爆発させた音楽事件・・・それが「春の祭典」の初演だった。

      1913年5月29日、パリのシャンゼリゼ劇場でのことだ。序奏の1小節目がなるやいなや、

      たちまち起こる客席からの嘲笑、入り乱れる野次で賛成派と反対派が入り乱れ、

      劇場は騒然となった。

      でもこの状況は、プロコフィエフの伝記にも同じような記述があったし、新しいものが

      出現したとき、ベートーヴェンの第9だって、みんなそうだ。初演に立ち会った人々は、

      混乱し当惑する。

      ストラヴィンスキーは相当準備をして、ハルサイを書いた。彼の前に突然現れた

      幻影がもとになっていたので、彼はしばらくの間、どうやって楽譜に書き表したらいいか

      わからなかった。

              

              座っているのがマチス。

      彼はピアノを使って作曲するのが習慣だったが、先生のリムスキー=コルサコフに

      それが正しいかどうかきいている。「君の場合は使えばいいだろう」といわれたらしい。

      天才の伝記をよんでいると、いつも面白い記述にぶつかるが、パガニーニは(ヴァイオリン

      しか弾けない身体になってしまった)という文が強烈だったし、

      この ストラヴィンスキーのには(気がつくとお金が全くなくなっていた)とある。

      そう天才はいつもそうだ(笑)

             私が、音楽家や画家の伝記を読むのが好きなのは、

      そこに、1番いい音、いい色を捜し求めて苦悩する芸術家の姿に、

      何度も出会えるからだ。

      与えられた1つのことを、命を削って、求める姿に感動する。

      ストラヴィンスキーはロシア革命を経た後、全ての財産を失って難民となり、

      パリで亡命生活を送っていた。

      その後彼は89歳まで生き、その才能を余すところなく発揮してこの世を去った。

      《創作の才能は、決してそれだけが単独で私たちに与えられているものではない。

      むしろこの才能は、ものごとを深く観察する能力と必ず緊密に結びついている。

      真の創作家は、彼をとりまくごく簡単なつまらない事柄の中にも、常に何か注目に

      値するものを見つけるのだ。》大好きなストラヴィンスキーの言葉。

      ただ1つの、自分の中のいい音だけを捜し求めた真の芸術家の言葉だ。

        

     今、全国で公開中の映画《シャネル&ストラヴィンスキー》

     芸術を求める二人は、たちまち恋に落ち、互いを刺激し、高め合い、心を解放し、

     悲しみさえも活力に変えていく。

     その恋は、二人の中に眠っていた新たな創造力を次々と開花させていったのだ。

     『女性そのものを感じる香りを創りたい』と、初めて香水創りに魂を注ぐシャネル。

            シャネルNo.5にまつわるラヴストーリー。

     《春の祭典》再演に命を賭けるストラヴィンスキー。秘められた恋の思わぬ行方は―?

     絶対!観たい!と思っていたのに、自分なりにあまりに忙しかったので、金沢の公開は

     いけなかった。悲しくて悲しくて・・・でも!

     来週、豊橋で仕事なんです。シラベタラ何と静岡で観れるじゃないか!

     こんなときは本当に空に向かって感謝したくなる

     このあいだ、のだめちゃんも公開2日目に娘と観れたし、

     映画づいててうれしい!

     ということで、去年秋のマーラーに続き、今年はストラヴィンスキーです。

     井上さん、また大きなギフトを金沢の皆さんにありがとうございます


 

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第9回北陸新人登竜門コンサート

2010-04-22 | 音楽

 

             

             2010年4月18日(日)

         石川県立音楽堂 
 
           1・ストラヴィンスキー 交響曲ハ調 
           2・ラーション ホルン・コンチェルティーノ 
           3・マスカー二 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より
                            ’ママの知るとおり’
             マスネ 歌劇「ウェルテル」より’手紙の歌’
             サン=サーンス 歌劇「サムソンとデリラ」より
                            ’あなたの声に心は開く
           4・トマジ アルト・サクソフォンと管弦楽のための協奏曲 
 
          毎年、4月に行われる北陸地方の新人登竜門コンサート。
    
         まず、ホルンの笠間芙美さん、現在フィンランドに留学中の方。
 
         コンサートが始まる前、入口付近で、私のお産のときに本当にお世話になった
 
         主治医の先生とバッタリ!笠間さん、先生の姪っ子さんだそうです!
 
         大好きな先生にお会いできたのもうれしかったし、彼女の繊細な音、大変よかった
 
         です。公演後、ご本人ともお話できました。ますますがんばってください!
 
            
 
         今回の登竜門、審査の行われた夜、国立の石川県同調会のもうおひとかたの副会長
 
         堺先生からのメールで、先輩の延命さんが合格したことを知り、すぐ会長の村先生
 
         とも連絡をとり、夜中に3人で喜びをわかちあいました!
 
         数日後、代表で私が延命さんに連絡をとり、この日を楽しみにしていました。
 
         国立の記念コンサートで、ピアニストの小原孝さんをお呼びした時、延命さんが
 
         小原さんとお友達で、実行委員会で大変お世話になり、いろいろお話も出来て、大好き
 
         な先輩です。
 
         お父様は、OEKの設立当時からずっとお力をつくされた方で、団員さんとの楽しい
 
         交流の事もきいていました。
 
         延命さんのお声をきいたのは,私たちは初めてでしたが、すごく綺麗!ソプラノに近い
 
         です。音楽的にもすばらしくて、本当に堂々と歌っていらして、十八番で、何度も
 
         舞台を踏んでいらっしゃったプログラムなのだと思い込んでいたら、
 
         楽屋でおききしたら、大学院時代にやっていらっしゃった曲で、すごく努力して準備された
 
         とおっしゃっていました。感動です!
 
       
 
         最近、わが愛する母校の偉大な先輩方の演奏を目のあたりにし、
 
         音楽にかける情熱、ひたむきさに心うたれます。
 
         同大学だけでなく、もちろん周りの方々は皆そうです。
 
         世の中は大変なことになっていますが、音楽を仕事にする私たちは、皆さんの前で
 
         いかにその情熱と音楽の力を、理解していただけるか、ただそれだけで、
 
         想像を絶する努力をし、孤独と戦い、でも前向きに日々過ごしています。
 
         私は音楽を表現するお仕事に戻れて良かった。
 
         私の周りの音楽を愛する方たちは、皆、ものすごく忙しく、でも前向きで、しかも若い!
 
         延命さんも大変謙虚な方です。それにユニークでいつも笑いが絶えない。
 
         是非、また金沢で歌ってください
 
       
 
          最後はアルトサックスの角口さん。富山の方ですね。
 
         ここのところ、北陸でサックスの方すごいですね。何度もOEKと共演されてる
 
         作田聖美さんも本当にお上手だし、この間2月、金沢アートホールで洗足の4年生
 
         (その時)の津田征吾さんの演奏ものすごく繊細ですばらしかった。
 
         異常に音にうるさい私の友人が3度連ちゃんで’ブラボー’だったので
 
         かなりの音楽性の方です。
 
         角口さんも、テクニックもすごいし、音楽がどっしりとまとまっている。
 
         自然に楽そうに演奏していて、すばらしい。この曲いいですね。
 
         井上さんの指揮もますますのってきて、オケのバランス最高でした。いい音!
 
         本当に素晴らしい登竜門でした。
 
 
 
 
         
 
 

新・ショパン考 4  ショパンの手紙 1

2010-04-06 | 音楽

 

                              

                      ショパンの初恋の女性、コンスタンチア・グラドコフスカ。

          19歳になったショパンにその年齢にふさわしく恋人ができた。

          ~これはぼくにとっておそらく不幸なことだろうが、ぼくにはすでに理想の

           女性があるのだ。まだ直接話したことはないが、6か月も前からぼくは心

           の中で彼女へつかえてきた。彼女への想い  その夢にかられてぼくの協奏曲

           のアダージョが書かれたのだ。今朝はまた、彼女への霊感から小さなワルツを

           作曲した。それを君に送る・・・このことは君以外だれもしらないのだ~

          これはワルシャワ時代の親友ティトゥスに書いた手紙。

          このショパンの理想へのあこがれを託した「ピアノ協奏曲 へ短調」の第2楽章

          ラルゲット、「ワルツ 変ニ長調」はショパンの初恋の名残である。

          下の写真は、ショパン 3月号に載っていた美しいノアンのサンドの部屋。                      

        

           ショパンが祖国ポーランドをあとにして、パリへ向かうあいだ、

         1831年9月8日、ワルシャワがロシアに陥落の知らせを受けてシュトゥットガルト

         で書いた手記。

         ~ぼくはここではなんの役にも立たない。しかも空しく手をこまねいているだけなのだ。

          ぼくは時々 うなったり、苦悶したり、絶望をピアノにたたきつけたりするだけだ。

          神よ!この時代の人間どもを、一人残らず地の中にのみこませたまえ!我々に

          援助の手をさしのべないフランスの上に、重い罰を与えたまえ!~

            乱れた筆致で書かれたショパンの慟哭の声。

                  

           ショパンがパリに出てから、ドイツの温泉地で懐かしい父母と再会し、

          パリへの帰途の途中ドレスデンにたちよった。

          ポーランドにいたころ親しく付き合っていたウォジンスキ伯一家を訪ね、

          その妹のマリアと恋におちてしまった。

          ショパンの人生の中で、このマリアへの想いが、唯一真実の恋だったといわれる。

                  

          別れの時、ショパンはマリアのために「ワルツ ロ短調」(別れのワルツ)を弾き

          マリアは一輪の薔薇をショパンにささげた。

          マリアから贈られた何通かの手紙と、その薔薇が一つの包みにおさめられ、

          ポーランド語で《わが悲しみ》と記してある。

          これだけでも芸術作品のよう。美しい!

         

          ショパンが初めてサンドに会った時は、印象がよくなかった。

          でも、ショパンの心が傾いて行った時に書かれたショパンの日記。

          ~三度あの人と会った。ピアノをひいている間、目の中まで深く見つめるのだ。

            私の目の中にあの人の目が、暗く不可思議な目が何を囁くのか。

            燃えた瞳が私を包んだ・・・私たちの周りの花。私の心は奪われてしまった。

            それからニ回会った・・・・彼女は私を愛している・・・オーローラ、何と美しい

            名か!~

           音楽がきこえてきそうな文章。情熱的。

           マリアとの関係がこわれて、サンドとの急速な展開があったころ。

             

           手紙は大切。現代のメールでは、本当の気持ちが伝えられない気がする。

           私は、美術館へ絵を見にいったら、気に入った絵のはがきを何枚も買ってくる。

           いただきもののお礼に、カードのお礼に、一言気持ちを送りたくて、

           はがきを書く。

           大切な人には手紙。季節にあった便せんとか探すのが大好き。

           アムステルダムの街角の文房具屋さんで見つけたレターセット、美しかった。

           シエナで買った日記帳、トスカーナの独特の紙の表紙。

           少しずつ書いてるので、15年以上も使っている。

           ショパンの手紙、もう少し、書きたいので次回また。

           それに加えて、今度は大好きなシューマンのことも書きたいし、

           女性遍歴を並べたら1冊の本でも足りないリスト、意外な死因のシューベルト、

           殺人までおかしたパガニーニ・・・とかきたいことが次々あります

           少しずつかいていこう

 

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