ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

木村かをりと、オーケストラ・アンサンブル金沢による室内楽シリーズ

2010-02-21 | 音楽

 

                    

                    いよいよラ・フォル・ジュルネ金沢始まりました!

          ラ・フォル・ジュルネは1995年、フランスの港町ナントで誕生。アーティスティック

          ディレクターのルネ・マルタン氏が創出したのは、この世でもっとも驚きに満ちた

          クラシックの宝石箱!

          その勢いは、フランスから国外へ。2005年には東京、そして2008年には金沢に

          上陸!

          世界中から1,000人以上のアーティストが集い、朝から晩までコンサートを繰りひろげ、

          誰もが音楽を楽しめる音楽祭!お祭りです

          今年のLFJ金沢は、1810年台の4人の作曲家の特集!

          1809年に生まれたメンデルスゾーン・1810年のシューマン・ショパン、1811年のリストと

          と、ロマン主義時代の天才たちが駆け抜けた時代を追います。

                

          このラ・フォル・ジュルネで昨年のモーツアルトから、県内で演奏するピアニスト

          や学生・一般から応募しオーディションをしてピアノのコンサートをするという

          ’ピアノマラソン’が始まり、昨年は参加しなかったのですが、今年は生徒さんと

          2人でオーディションを受けたところ、2人とも合格し、生徒さんは3月27日、津幡で、

          私は5月2日のメインのコンサートに出演が決まったのです!

          これはまたⅠのブログで後日くわしく書きますね。

          さて、その石川県縦断コンサートの中でのスペシャルコンサート!

          ピアニスト木村かをりさんと、OEKのコンサートマスター、松井直先生とチェロの

          カンタさんによるショパンとラベルの演奏会。

        

                2010年2月17日(水)       

         石川県立音楽堂 邦楽ホール  ショパンの風 ~ ラヴェルの愛

             ショパン  ピアノ三重奏曲 ト短調 op.8

             ショパン  序奏と華麗なポロネーズ ハ長調  op.3

             ラヴェル  ヴァイオリンとピアノのためのソナタ

             ラヴェル  ピアノ三重奏曲

             〈アンコール) サティ Je te veux

         

                 

          ショパンは3人の熱演!松井先生とカンタさんの情熱的な音に、かをりさんの

          素晴らしいバランスのピアニズム。すばらしい!

          カンタさんとかをりさんの2曲目もよかったです。ポロネーズのリズムが、かをり

          さん、絶妙です。ホントに御上手な方です

          個人的に、ヴァイオリンソナタの中で、1番好きなラヴェルのソナタ。

          今から20年前のヤマハの講師時代、このラヴェルが好きで好きで、夕方の海には

          必ず持って行って1人できいていました。久しぶりにおききした松井先生のソロ、

          すばらしくて涙が出そうでした。1楽章の切ない旋律、大好きな2楽章、そして

          感動的な3楽章、どこも丁寧にラヴェルの音を作られていて、繊細な落ち着いた

          演奏。ヴァイオリンソナタのいろはから教えて下さった松井先生。また是非ソロの

          コンサートしてください!

          ピアノトリオもすばらしかった!3人のバランスも絶妙。

          非常に格調高い演奏会でした。

                  

          それにしても、木村かをりさん、いつものことながら、本当に左右のバランスの

          よい方です。あの大曲4曲連続のなかで、すべて曲を把握し、1曲1曲をすばらしく

          まとめていらっしゃって、さすがです!自分の音も、お二人の音もすべて完全にきいて

          いらして、バランスが完璧!本当にいい演奏でした。

          今から20年近く前に、松井先生の奥様の晃子先生と、ピアノデュオのリサイタルを

          させていただいたときに、ラフマニノフの組曲2番のレッスンを、木村さんにお願い

          したことがあったのです。

          そのとき、かをりさんは「ホントに私でいいの?」と控え目におっしゃって、

          1時間くらい、とてもやさしく丁寧に教えて下さいました。

          私は、もう夢心地・・・

                

          リサイタルも無事終わり、お礼のごあいさつに伺った、たしか金沢ニューグランド

         ホテルの ロビーで、まだすごくお元気だった岩城さんとかをりさん、晃子先生と4人で

         で楽しくお話しながら、やさしいいい時間が流れました。

         そのとき、私が、メシアンの大ファンだとお伝えしたら、そのリサイタルのちょうど1年前に

         亡くなったメシアンのお葬式のポートレートのコピーを、後日下さったのです!

         2枚のポートレートは私の宝物になり、額に飾って、20年間、私のレッスン室の

         守り神!として、私や生徒さんたちを見守って下さってます

         岩城さんの何冊かの著書も、私の愛読書で、その中にも、メシアンのご自宅を訪問

         された様子がつづられています。

         またオーストラリアで、メシアンの前で「トゥーランガリア」を指揮された様子も生き生きと

         描かれており、印象的です。

         昨年のOEKNの定期のスタートの時に、ロビーでかをりさんとお話ができて、

         ポートレートのこともおぼえていらして、20年ぶりの話題に、かをりさんもうれしそうな

         表情をされていました

         ラ・フォル・ジュルネのスタートに、本当にいいコンサートがきけて幸せでした

 

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オーケストラアンサンブル白山市定期公演

2010-02-15 | 音楽

      

                       

                   2010年2月14日(日)       

         松任文化会館

             ベートーヴェン エグモント序曲

                       交響曲第9番ニ短調「合唱付」

           年末に聖響さんの第9をきいたばっかりなのに!この日は、ずっと以前から

           大変お世話になっているアルトの串田先生と、4年前、神戸でモーツァルトの

           オペラのお仕事でご一緒したテノールの松岡さんがソロ、ということで、楽しみに

           していってきました。

           年末は、フィルハーモニーシリーズだったので、客席左側の1番前でしたが、

           今回は中央でききたかったので、補助席を設けての満席の会場でしたが、早め

           にいったので、前列2番目中央席できけました 

           この日もコントラバスが、客席から見て左側にドーンと並び、今野さんがチューニング

           していらっしゃって・・・

           韓国の方たちも加わって、チョロも数も増強?いつもの聖響さんの古典的配置で、

           弦が左側、トランペット、トロンボーンが右側、ホルンが左側という位置。

           「エグモント」いい演奏でした。

           聖響さんの第9は、著書にもあるとおり、本当に変わっていますが、

           年末にきいて、非常に面白いと思い、今回は中央できけて大正解でした。

           年末よりも、弦がさらに厚くなっており、特にチョロの響きがすごかった。

           カンタさんの音が、一層おおらかに響いています。

           木管もさらに引き締まった感じ。特によかったのがホルン。

           この日は、プレコンサートで、カンタさんと、韓国のヴァイオリンの方と、ヴィオラの

           方、あとスイス?のホルンの方4人でのホルンの4重奏で、カンタさんも初めての曲

           とおっしゃっていましたが、全部唇で音程を作るフレンチホルンを目の前で きけて

           大満足。

           第9でも、ホルンの方、大活躍で、3楽章は立って演奏され、きかせどころも

           バッチリ!いい音ですね。フレンチホルン!

           聖響さんの目指している第9の音にぴったりだったのでは?

                         第9は、学生時代、その頃は毎年、わが国立音大の声楽科のメンバーが

           年末の第9N響公演に必ず共演で、私たち教育科は、学内オケ一緒にやって

           いて、

           私はソプラノだったので、合唱をした経験からも大好きなのです。

                         この日は合唱は白山市第九特別合唱団の皆さんで、知り合いもいたし、

           頑張ってましたね。

                 

           この本は、聖響さんがベートーヴェンにかける想いを、交響曲1曲ずつ、

           非常に詳しく書いてある本で、特に当時の演奏スタイルにこだわる聖響さんの

           ものすごいこだわりが、全編にわたり書かれており、非常に興味深い本です。

           これは随分前に購入し、昨年6月に6番、7番の定期の時と、年末第9の時、

           両方とも、本にサインしていただきましたが、

              1回目→本を見られて、完全にうしろにひかれたご様子

              2回目→「出た~本や~」「2回目や~」という完璧関西弁アクセント

                   で、盛り上がってくださり、うれしい限りでございました

           今回も持参しましたが、会場が違って、サイン会もなし。仕方ないですね。

           県立音楽堂と違って、この舞台は、完全にDED状態の音で、しかもノン・

           ノン・ビブラート奏法で、ますますかっちりした音でしたが、OEKの演奏も

           年末より引き締まっており、すごくいい演奏でした。

           同じ交響曲を、違う場所できくのもすごくよいですね。

           聖響さん、ラ・フォル・ジュルネも楽しみにしてお待ちしております

           さて、アルトの串田淑子先生は、ヤマハの講師時代から随分お世話になっていて、

           もう大好きな先生。リサイタルもお互い行き来しており、随分前ですが、

           東京で皇太子様のおききになったコンサート、モーツアルトの「魔笛」に

           ご出演の時も、上京してきいていたのでした。

           よかったです、この日も。コンサート後、パーティーの前にお茶もご一緒できて、

           いろいろお話できてうれしかったです

              

           さて、テノールの松岡重親さんですが、2006年に神戸でモーツァルトの

          オペラ「バスティアンとバスティエンヌ」で共演して以来でした。

          これはベルギーに住む友人、ソプラノの正木さんからの依頼で、彼女の演出、

          脚色で実現した公演だったのですが、コンサート形式の出演、12年ぶりで、

          しかも1回の公演が3時間近く、ピアノの私だけ出ずっぱりの2回公演という超

          ハードな本番だったのでした。

                         

     

          メンバーは、関西二期会の方々に元宝塚の方お2人も加わって、メヌエットなどの踊り

          や、パフォーマンスもふんだんの大変華やかな舞台でした。

          その時以来の再会で、パーティーの前にお話も出来、またこれからの展開も

          ありそうで、本当にこういうとき、音楽をしていてよかったなあと思います。

          今週は、この日を先頭に、4回も演奏会があります!

          1日ピアノをずっと弾けて、夜はコンサート、という1番うれしいスケジュール

          来週はOEKの定期もあり、12月同様、いつも金沢駅前にでかけるという日々です   

          ね(笑)

 

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新・ショパン考 2  ジョルジュ・サンド ②

2010-02-13 | 音楽

 

             

        そもそも、サンドが男装を始めたのはいつからなのだろうか。

       サンドの最初の男装は、この著書によると、4歳の時になっている。当時、一家は、

       父モーリスのスペイン戦線で、かつて「従軍」の経験のある母とともに、一緒にマド

       リードの戦地の前線で生活していた。そのころ、子供服というものは全くなく、当時は

       少女でさえ、胸を大きくあけ、コルセットで胴をしめつけ、ハイヒールをはいていた。

       将軍への謁見のとき、母ソフィがサンドにナポレオン軍の華やかな軍服を着せて、

       将軍の前に立たせた。当時の男の子に抱く母親のあこがれの感情からだったらしい。

                        

      1810年から20年にかけて流行した第一帝政時代の女性のモード、エンパイア・

      スタイルは、革命期の簡素でゆるやかなシュミーズ・ドレスから徐々に装飾性が加わり、

      スカートは高いウエストから裾にかけてほっそりとひろがっていた。跳んだりはねたり、

      何かをとびこえるなんて出来ない。

      そして、フランス革命後19世紀の半ばになると、足首まで届く長いスカートは、たっぷり

      とフレアーがはいり、袖はふくらみ、つば広の帽子をかぶる。

      サンドは乗馬がすごく好きだった。夫と不仲になっているときも、乗馬が彼女を救って

      くれた。

                        

      自立を求めて、2人の子供と生活を始めたサンドは、ロマン主義の波が高まり、

      音楽・文学・美術・演劇の文化的息吹が熱くみなぎり、民衆の自由主義が 目覚めた

       パリの真っ只中にいた。しかし、物価は高く、生活費も少なく、そこで、ソフィに相談した

      結果、衣料費を安くするために男装を勧められるのである。

      サンドの男装は、こうした背景で生まれたのだ!

      1番上の絵が、当時男装したサンドだが、パリの音楽会、演劇、カフェ、などあらゆるサロン

      に男装し、歩き回り、あらゆるものを吸収しようとした。

      そして作家として頭角を現すと、彼女の周りには、キラ星のごとく才能を持った天才達

      があふれるように集まってくるのだ。

                

     作家ジュール・サンドー、バルザック、詩人アルフレッド・ド・ミュッセ(彼はまた重要な存在)、

     作家スタンダール、詩人ハイネ、画家ドラクロア、音楽家リスト、ベルリオーズ、

     まだまだ女優、弁護士、哲学家、政治家、ありとあらゆる才能が、彼女の元に集まった。

       そしてショパンも彼女の人生において、非常に大きな存在になるのだ。

     ショパンが初めてサンドに会った時、ショパンはサンドの印象が悪く「本当に女なのか」

     といったらしい。

     でも2人の仲は、パリのサロンの間でも周知の事実となり、2人の子供とともに、

     ショパンとサンドは、ショパンの結核の療養のため、スペインのマヨルカ島へ渡り、

     そしてそこで数々の名曲が生まれるのである。

     有名なエピソードは、一家が住居としていた僧院から、サンドと子どもたちが買い物に出かけ、

     そのあと大雨が降り、随分遅くなって3人が帰宅すると、ショパンは泣きながら、雨のしずく

     を見て、名曲「雨だれ」を作曲していたという実話。

     実際、マロルカ島でも、フランスのノアンでも、サンドは実に献身的にショパンに尽くしていた。

     病状が悪化したので、マヨルカを離れ、ノアンの館で生活を経て、そのあと別離し、ショパン

     は生きる気力もなくなり、 39歳の短い生涯を終えるのだ。

     (写真はショパンが他界する数ヶ月前に撮影)

     結局、サンドは30歳前から40代にさしかかる10年以上を、ミュッセとショパンという稀有

     な才能に恵まれた男性を愛し、彼女自身も極限まで傷ついた。

                                            

                                   上の写真はサンドのノアンの’青の寝室’

     ショパンとサンドの愛は、サンドがショパンを支える母性的な役割を果たすことが、

     前提で、それができなくなったとき、愛も破局を迎えるのである。

     芸術・文学の創造に自らをおいていたサンドの存在のもとで、貴族的でわがままな、現実

     の生活ではまるで子供のような2人の恋人、ミュッセとショパンは、張り詰めた愛の日々の

     中、多くのすぐれた作品をこの世に残していったのだ。

     私は、サンドという女性は、最も女らしい女だったと思う。彼女の愛の対象となった男性は

     すべて彼女より年下で、一流のデザイナー、献身的な看護婦、異色の作家というさまざまな

     顔を持った彼女が、母性的な愛で彼らを包んだのだ。

     ショパンとサンドが別れた時、2人の親友だった画家ドラクロアは激怒し、この冒頭のショパン

     の絵と、最後のこのサンドの絵は同じキャンパスに描かれていたのに、彼自身が2つに

     引き裂いてしまった。

                

     現在、この2つの絵は別々の美術館で保管されているわけだが、ショパンとサンドの

     運命を考える時、その時代と愛の激流の中、2人の炎のような人生が浮かび上がって

     くる。

           2人が別れ、ショパンが他界したのち、サンドはノアンでの演劇の上映など芸術的な

     生活をしながら、パリへコンサートや演劇など積極的に通い、革命の社会派運動に大きな

     役割を果たし、自らの作品も数多く発表し、72歳の生涯を閉じた。

 

     次回は、ショパンとサンドの住んだノアンの館がふんだんに描かれている映画をご紹介。

     これはショパンってこんな感じだったんだろうなあと思える貴重な映画です。

     お楽しみに

 

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新・ショパン考 1  ジョルジュ・サンド ①

2010-02-09 | 音楽

 

                          

                     今年は、ショパン生誕200年記念の年。金沢でもラ・フォル・ジュルネを前にして、

        非常に盛り上がっています。私も、5月に演奏できることになり、ますますショパンへの

        想いが強くなっている今日この頃・・・

        このショパンの年に、全く無計画に、思いつくまま、《新・ショパン考》として書いていこうと

        思います。

        第1回目は 『ジョルジュ・サンド』 ショパンの恋人、男装の女流作家ということは、

        知っていても、なかなかその生涯は知られていないのではないでしょうか。

               

           この本を手にとったのはもう何年前だろうか。随分前だったと思う。

        これは、嵐のような歴史の中で、まさに炎のごとく熱く生きた1人の女性、ジョ

        ルジュ・サンド(1804年~1876年)の伝記である。

        物語は、私の大好きなフランス革命時のフランスから始まる。バスティーユ襲撃から

        ヴェルサイユに女性が「パンを!小麦粉を!」と行進し、1793年1月20日、ルイ16世が、

        10月16日、マリー・アントワネットが、断頭台の露と消え、ジャコバン党の党員が台頭

        する革命のさなか、それぞれの人生を必死でいきていた2人の女性、それが、のちの

        ジョルジュ・サンドの祖母となる、貴族出身のマリ=オロール・ド・サクスと、母となる

        貧しい平民の出のアントワネット=ソフィ=ヴィクトワール・ドラボルドである。

               

         マリは、オーストリア継承戦争の軍人を父に持つ貴族の出身で、その誇りを

        高く持ち、どんなときにも身だしなみを整え、華やかに化粧をし、乱れた髪を家族

        の目にさらすことはなかった。一方、ソフィはパリの貧しい小鳥屋に生まれ、おしゃれ

        には気をくばったものの、結婚後も家庭の中では、飾らず、素顔のまま家事をこまごまと

        する女性だった。マリの息子、モーリスがそのようなソフィを愛したのは、彼女といる

        ことで心が休まったからである。     

          共通していたことは、マリは、オペラのプリマを演じるほど豊かな声の持ち主で、

        モーリスも仕事のほかに、オーケストラの一員としてヴァイオリンを弾いていて、

        名器として知られるクレモナ製を愛用し、のちにサンドがショパンの恋人として、

        彼の作曲の大きな力となったのは、このような家庭環境が大いに影響している。

        軍人のモーリスとソフィは、イタリア戦線のさなか知り合い、愛し合い、マリの反対を

        押し切って結婚した。そしてオロール(後のサンド これはペン・ネーム)が生まれる。

        しかし、父モーリスが落馬が原因で急死し、マリとソフィが同居するようになると、

        2人の確執が激しくなり、結局祖母のマリとオロールが、フランス中部のノアンの館に

        住み、ソフィはオロールをおいて、パリへ去ってしまった。       

                   

        多感な少女オロールは、両親のいない寂しさの中、祖母マリのあたたかい愛情に

       包まれて、大きく成長する。まず彼女はすさまじい読書家だった。幼少の頃から、

       哲学書、文学書を読みあさり、特筆すべきことは、19世紀の10年代から20年代にかけて

       男性と同等の教育を受けた女性がほとんど皆無だった時代、、ジョルジュ・サンドは、

       その教育を受けたまれな女性だったという点である。

       彼女はラテン語・フランス語・ギリシア語・土地管理法・数学・植物学・動物学・薬学・

       医学(解剖学)など、男性のエリート達が学ぶ教養を、少女時代に家庭教師によって

       身につけされていた!

                

       そして思春期にはいり、オロールは修道院にはいり、16歳で卒業する。彼女は恋も

       するのだが、大好きな祖母マリが他界し、18歳の秋、27歳の退役軍人のカジミルと

       結婚。パリとノアンでの生活を始める。しかし、妻としての夫に従う生活は、オロールに

       とって非常に苦痛になり、狩ばかりに熱中する夫との間の確執は強まり、彼女は

       長男モーリスと長女ソランジュを産み、二児の母になるのだが、苦悩の末、モーリスと

       は破局。

       2人の子供を連れてパリに移ったオロールは、以前から書いていた文学で、身を立てる

       ことを決意。作家ジュルジュ・サンドが誕生するのだ!

       ここから、激動の時代に突入。あのキラ星のごとく、才能にあふれた天才達が、皆、

       彼女の元に集まり、サンドは数々の恋愛を経て、ショパンもまた彼女の魅力にとりつ

       かれ、数々の名曲が生まれ、大きく時代は動いていく。続きはまた次回。

             

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