ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

サグラダ・ファミリアは楽器だったのか Ⅰ

2006-08-27 | 建築

 

サグラダ・ファミリアとは

    スペインが生んだ天才建築家ガウディ(1852-1926)が生涯をかけて製作したサグラダ・ファミ

   リアの建設が始まったのが、1882年、ガウディの死後もガウディのその意志を引き継いで、建

   設は続けられていますが、いまだその完成の時を迎えていません。

   これは、ガウディの生誕150年である2002年に、テレビ朝日が企画した番組 「ガウディミステ

   リー サグラダ・ファミリアは楽器だったのか」をもとに、私なりにまとめたものです。

サグラダ・ファミリアの完成の姿

   このサグラダ・ファミリアは、1882年にビリャールがネオゴシック建築物として開始したプロジェ

      クトを、1883年にガウディが受け継ぎ、全生涯を傾けたんですね。

      ガウディは『巨大な石の聖書』として、『生命のあふれた森』としてこの大事業に命を吹き込み

       ました。

     ガウディは、設計図も書かずにアトリエで模型図をつくって、試行錯誤を繰り返しながら、事業

      をすすめました。

    でも、1915年のスペイン市民戦争で、その模型が失われ、後世に残された人間が、そのかけ

    らをつなぎ合わせて、ガウディの意志を受け継いでいます。

      2002年時点で8本ある柱は完成時に18本に、4本ずつ12本、それはキリストの12使徒を表

       し、それぞれの門に4人の福音者、中央にマリアの塔、そして170メートルのキリスト像が出来

       文字通り『巨大な石の聖書』が完成するという未来の姿です。

生誕の門

   ガウディが、生前みずからの手でほぼ完成させたのは、’生誕の門’のみです。

    サグラダ・ファミリアは日本語で’聖なる家族’キリストとその父ヨゼフ、母マリアの彫刻が中央

    におかれています。そしてその周りにキリストの生誕を表す彫刻群が散りばめられています。

    それで巨大な’石の聖書’といわれているのです。

受難の門

   今は影も形もない’受難の門’

    ガウディが亡くなったのは、1926年、教会にミサに向かう途中でした。、路面電車にひか

    れ、晩年身なりに気をつかわなかったため、貧民の為の病院に運ばれ、それで手当てが

    遅れたために、三日後に息を引き取ったと言われています。 

   そのとき、彼のポケットから受難の門のスケッチが出てきました。

   そのスケッチと模型のかけらをつなぎ合わせて、1952年に工事は始まりました。

   将来の礼拝堂である、その内部の柱は、驚くべきことに!木の形です。

   上のほうで枝分かれして、葉っぱのようになっています。

石の聖書 生命があふれる森

   内部は広く、森の中にいるような親密さがあります。

    光にあふれて、自然光が差し込んで来る。教会の従来のイメージからはほど遠い、自然の

    空間を創造したのですね。

    中央の廊下から祭壇に向かうと、そこは幅45メートル、奥行き90メートル、1万人の人が

    集まる巨大な空間が現れます。

    将来、教会を訪れる人は、この受難の門をくぐって、礼拝堂にはいっていくのですね。

    でも、この巨大な空間が、人のためにではなく、違う目的で創られたのではないか、という

    数々の点があります。

   そして、その謎を解く鍵が、ガウディの弟子の書いた本から見つかったのです!

次回はいよいよ、サグラダ・ファミリアが楽器だったのかという真理に迫ります!

お楽しみに!

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