摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

最近の溝咋神社(みぞくい神社:茨木市五十鈴町)~大阪北部地震の傷がまだ癒えない、日本古代史のクロスロード~

2019年12月21日 | 高槻近郊・東摂津

 

だいぶ前に、茨木市の溝咋神社を、東出雲王国伝承と絡めて取り上げさせていただき、2017年の秋ごろ撮影した写真を掲載していましたが、その後、Netを何となく見ていると、2018年の震災後、様子が変わってきてるような感じで、11月のある日にまた参拝してきました。

 

 

主の拝殿は変わった様子はなさそうでしたが、両横の摂末社の社殿周りには立ち入り禁止のロープが張り巡らされ、鉄のつっかえ棒で痛々しく支えられているような様子が確認できました。この時は、境内をお掃除していた方にも少しお話を伺いましたので、その話も交えて記載します。

 

・拝殿左側の社殿。赤色のつっかえ棒が見えると思います

 

現在、神社の宮司さんは不在になっており、実質的に氏子さん達が運営を仕切っているそうです。震災から復興すべく寄付金も募っておられた様ですが、それだけでは不十分なのか、神社と安威川の間の土地を切り売りしてしまったのだとか。貴重な大木も切られてしまい、ボランティアのお二人は大変残念がっておられました。実は、氏子さん達は、あまりご祭神やご由緒に明るくないのだとか。氏子さんはほとんど地元の農業家の方々だそうです。

 

・拝殿右側の社殿。銀色のつっかえ棒がいくつも見えます  

 

その賄った資金をどうするのかというと、痛々しい摂末社ではなく、一見大丈夫そうな社務所の再建に使う事に決定したようで、お二人は大変不思議に感じておられました。真横に有る樹齢600年(!)の大銀杏の根っ子のおかげで傾かなかったのに、なぜ・・・というご意見でした。

 

 ・大銀杏と社務所

 

その時教えていただいたのが、結構有名な話かもしれませんが、現在の社殿は、1742年に地元の両替商の米屋平右衛門の分家、喜兵衛が寄進したもので、拝殿前の立派な木製灯篭の柱にその名前が刻まれているのを見せていただきました。この喜兵衛さんが副業でお酒を造り始め、それが「澤之鶴」として有名になり、今に至っているのです。凄く有名な会社が関係している事に驚きました。

 

 

社の作りの上質さの事や、神殿周りの樹木が見事に建物を避けて伸びてる事、境内社の木花開耶姫命社内の2体の随神が背中まで丁寧に製作されていることなど、いろいろと教えていただいた後、お二人と別れ、参道の方に向かい一の鳥居の前に行きましたが、そこでもまた変貌した風景に唖然としてしまいました。印象的だった巨大な楠木の枝がことごとく切られていたのです。前を知っているから、凄く寂しい感じになっていました。これは残念。住宅密集地だから、危険があったのでしょうか?

 

・寂しくなった一の鳥居

 

その後、安威川の堤防に上り、神社境内全体を眺めてみましたが、手前の切り売りされた敷地が、改めて殺伐と感じられました。一方、運営される側にしてみれば、お金がないからこうするしかない、となるのでしょうかね。こうして、神社の敷地は狭くなっていくものなのでしょうか。もっと有名で人気が有れば、こうはならないのかもしれませんが、おとぎめいた妙な記紀説話では、なぜこの地に玉櫛姫や踏鞴五十鈴姫がお祀りされているのか、よく分からないのでしょう。

 

・手前が売却された土地。住宅になるそう。右側の高い木が大銀杏

 

しかし、東出雲王国伝承の話を前提にすると、この溝咋の地は、東出雲王国の分家の人たちが葛城三輪・磯城の大和へ赴く足掛かりとした摂津三島地域を象徴する、日本古代史の聖地の一つであるとの理になると思います。摂津三島から奇日方命や踏鞴五十鈴姫が大和に向かい、大和をより本格的なクニにしていったとされる伝承は茨木市そして高槻市の古代史における重要度を増すもので、住民としては大切にしたい良いお話です。西方の東出雲王国と、南方の大和をつないだ中継地・・・「出雲と大和、そして摂津三島」と言いたいものです。(出雲人の高槻移住状況については、阿久刀神社の記事で思いをめぐらせてみました)。

 

さらにその後の九州東征勢力も相まみれて歴史はうねりますが、磐手杜神社神社の記事で書きました通り、北の丹後や東の尾張、さらにその先の東方へと強い繋がりを持っていったと、伝承は説明しています。東方へ逃れていった”蝦夷”たち、その始祖である”エビス”様も溝咋神社にはお祀りされています(明治時代にお祀りされたそうです)。

 

つまり、この溝咋の地も含む摂津三島は、古代有力氏族がダイナミックに動いた史実を見つめ続けた、日本古代史のクロスロードだった、と思いたいのです。

 


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 疣水・磯良(いぼみず・いそ... | トップ | 蹉跎神社(さだじんじゃ;枚... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (こまち)
2020-07-09 21:07:49
初めまして。
私も古代出雲に想いを馳せています。
切実に願わざる状況を人伝に聞き、こちらのページにたどり着きました。
私も何か足掛かりを掴みたく、近いうちに足を運びます。
このように記して下さり、有り難う御座います。
返信する

高槻近郊・東摂津」カテゴリの最新記事