
[ なぐじんじゃ ]
小さな神社ですが、木々に取り囲まれたこんもりした空間に、苔むした敷地が良い感じに馴染み、しばしその境内を堪能させていただきました。神社の前は田圃が左右に広がり、そのすぐ向こうには奈具・奈具岡遺跡群のある丘陵が続くという、舟木地区へはいる谷間の地に鎮座しています。
谷間の山麓に鎮座します
【ご祭神・ご由緒】
ご祭神は、豊宇賀能売命。ご祭神と当社の由緒に関わるとされる話が、「丹後国風土記」逸文に載るという天羽衣伝説です。
あらすじは、゛昔、丹後国丹波郡比治山(現峰山町樽留の菱山)の山頂に泉があり、八人の天女が舞い降りて水浴をしていました。そこへ和奈佐と名のる老夫婦があらわれて一人の天女の羽衣を隠し、天に帰れなくなったその天女を養女にして十余年の間一緒に暮らしました。その天女は酒をつくって老夫婦を富ませましたが、10年以上経った頃に突如その家を追われてしまいます。荒塩の村などを流浪した末に船木の里奈具の村にたどり着き、「ナグしく成りぬ(心が安らかになりました)」と語って・・・・・
一方で、天女が舞い降りた方の地にあたり、この神を豊受大神として祀っているのが・・・・・・
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【中世以降歴史】
「弥栄町史」に載る歴史として、1443年にこの地は大洪水に見舞われて船木村は一時廃村となり、村民が外村・溝谷村に移った事に伴い奈具社も溝谷神社に・・・・・・
【境内】
【祭祀・神事】
当社の例祭は、「踊子」(「しかか踊」とも)と称する古風な神事芸能で、京都府指定無形文化財になっています。朝鮮半島から奈具の神に調貢を捧げた姿を今に伝えるものといいますが、・・・・・・
【鎮座地と奈具岡遺跡】
当社の南西方向、田圃を隔ててすぐの処で、竹野川中流域の丘陵斜面と谷部にかけて発掘されたのが、弥生時代中期中葉から後葉を中心とする集落と、弥生時代中期から後期の墓域から構成された奈具岡遺跡です。奈具遺跡、奈具谷遺跡、奈具墳墓群などなどの奈具・奈具岡遺跡群の中核遺跡で、その出土品は国の重要文化財になっています・・・・・・
【伝承】
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