
現在は茨木市で「桜通り」として有名な5kmにもおよぶ細長い緑地公園の一角に、寄り添うように鎮座する堂々「延喜式」式内社です。道路を伴うこの曲がりくねった公園は、元々茨木川下流だった地で、度重なる決壊を防ぐために田中町のあたりで安威川へ合流されたため廃川となりました。当社も近いところでは明治40年の洪水で社殿が流失しており、現在のものは大正6年に竣成したものです。古代には大阪湾の海がいりこみ淀川沿いの低湿地だったようです。なお、藤原鎌足が乙巳の変の前に一時隠居したという「三島別業」が、この沢良宜あたりだったとの説があります。
「延喜式」神名帳の吉田家本は゛サワラキノ゛、金剛寺本では゛サワラミノ゛、さらに「特選神名牒」では゛サワラゲノ゛とよまれています。中世になっても、この地域の荘園は興福寺領であり、「佐和良宜庄」とか「澤良宜庄」または「佐波羅木庄」の用字で記され、゛サワラギ゛゛サハラギ゛とよむのであろう、と「式内社調査報告」で生澤英太郎氏が書かれています。
・境内。公園の一部のようになっていて、散歩やジョギングする人がよくお参りされていました
本居宣長が「古事記伝」で、このサワラギについて・・・・・・
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創建の年代は分からないようです。平安時代は東寺も荘園を佐和良木村に持っていましたが、文献によるとこの地域は主として摂関家(藤原氏嫡流)領であり鎌倉時代からは・・・・・・
ご祭神は「古事記」でも有名な加具土命。意味は゛火のかがやく神゛とされますが、生澤氏は板橋倫行氏の異説で、「日本書紀」の一書の石凝姑による天の羽鞴(ハブキ)作りの神話により、加具土は゛鹿子つち゛で鞴(フイゴ)の神との説も紹介されていました。東奈良遺跡では・・・・・・
なお、ご祭神については古来より他説もあり、「神名帳考証」では・・・・・・
・佐奈部神社入口鳥居
東奈良から500m東側に、佐奈部神社があります。由緒はほとんど分からなくなっているようですが、茨木市によると佐奈部は・・・・・・
また東出雲伝承は、早良臣と同祖だという平群氏から河内王朝の・・・・・・
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