延喜式神名帳の紀伊国の筆頭に、「国前神社」「国懸神社」と2社として記載され、天岩戸伝説にも名が出てくる由緒ある神社です。今は同一境内に社殿が並び建っていて、実際には常に1社のように並称され、「ニチゼン神宮」とか、場所から「名草宮」などと呼ばれています。
・一の鳥居
この神社に関する最古の記録としては、「日本書紀」天武天皇朱鳥元年、686年に、国懸神に奉幣したと有 . . . 本文を読む
今城塚古代歴史館の今年の春季特別展「継体大王と紀氏」に触発されて、"紀伊国"和歌山の神社にお参りしてきました。まずは、特に皇室ゆかりの竈山神社です。
【ご由緒、ご祭神】
いわゆる神武東征における孔舎衙坂での長髄彦との戦いで、神武帝の兄、彦五瀬命が流れ矢に当たって負傷し、南方に進路を変更した後、雄水門で崩御、この竈山に葬られたという記紀神話が広く知られています。その陵墓の傍らに鎮 . . . 本文を読む
(続く2の後編で、弥生時代に画期があったという、この神社の本来の信仰のことに思いをめぐらせてみました)
天照大神高座神社の南、直線距離にして700m程しか離れていない位置で、こちらも山の中腹の絶景を望める地に鎮座する神社です。南北朝の初期に、楠木正成に従ったこの地の恩智左近が城を造ったとき、城から神社を見下ろしたのでは神のご加護が得られないとして、今のお旅所「天王の森」にあったのを、現在地に遷座 . . . 本文を読む
現在は茨木市で「桜通り」として有名な5kmにもおよぶ細長い緑地公園の一角に、寄り添うように鎮座する堂々「延喜式」式内社です。道路を伴うこの曲がりくねった公園は、元々茨木川下流だった地で、度重なる決壊を防ぐために田中町のあたりで安威川へ合流されたため廃川となりました。当社も近いところでは明治40年の洪水で社殿が流失しており、現在のものは大正6年に竣成したものです。古代には大阪湾の海が . . . 本文を読む