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Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

2014-05-20 06:16:41 | 参考-話題 (opinion)
パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

参考サイト:
 Self-Realization Fellowship 東京瞑想グループ: パラマハンサ ヨガナンダの生涯

パラマハンサ ヨガナンダの生涯

ヨガナンダ師は世界中の宗教の根源的な共通性を強調し、直接、個人的に神を経験するための誰にでも実践することのできる方法を教えました。さらに真剣に教えを学ぼうとする者に対しては、暗黒の時代に人々から忘れ去られ、彼の教えの系統に属する真理を得た大師の方々によって現代に再びよみがえった数千年の昔、インドに起源をもつ神聖な霊性の科学である魂を目覚めさせるクリヤ ヨーガの行法を伝授しました。

ヨガナンダ師の生涯を描いた「あるヨギの自叙伝」が1946年に出版され、その後も彼自身の手によって改訂を重ねました。長年にわたるベストセラーとして初版から引き続き出版を重ね、18の言語に翻訳されています。本書は現代における霊的な分野の古典として広く認められています。

1952年3月7日、パラマハンサ ヨガナンダは肉体の死に際して神を知る大師が意識的に肉体を離れるマハー サマディに入りました。彼の死は特異な現象によって人々の注目を集めました。フォレスト ローン墓地の遺体仮安置所の所長ハリー ロー氏は、SRF本部に、次のような遺体の検死報告を寄せています。「彼の肉体は死後20日に及んでもまったく分解の色が見えなかった….死体がこのように長い間、完全な状態を保持した例は、この遺体安置所が始まって以来、類例のないことである….ヨガナンダ師の遺体は明らかに、まれに見る不朽状態にあった。」

パラマハンサ ヨガナンダのマハー サマディ25周年を迎えるに当たって、彼の人類の霊的向上に対するたぐいまれなる貢献がインド政府によって公式に認められ、彼の名誉を讃えて記念切手が発行され、次のような賛辞が寄せられています。

“神への愛と人々への奉仕の理想の姿をパラマハンサ ヨガナンダの生涯において完全な形で見ることができます….彼は青少年時代を除いて、その生涯の大半を外国で過ごしたが、それでも、彼はやはりインドの偉大な聖者の一人に数えれるべき人物である。彼の遺業は、現在ますます発展をつづけており、世界各地で、魂の救いを求める人々に大きな指針を与えている。”

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このホームページはSRFに関する正しい情報を提供するために、東京瞑想グループがセンター・デパートメント(瞑想グループを統括する部署)の指導のもとに独自に制作したものです。SRF国際本部の意向を受けて制作したものではありません。そのため、表現に若干制限があります。あらかじめご了承下さい。


参考サイト:
 風のように: パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

 パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

 「人生の体験をあまりに真剣に受けとってはいけません。
とくに、その体験のために苦しんではなりません。
なぜなら、本当は、すべてはほんの夢にすぎないのですから・・・
もし状況が悪くて、耐え忍ばなければならないとしたら、 その状況をあなたの一部としないことです。
人生のあなたの役を演じなさい。
そして、 それが単なる役にすぎないということを忘れないでください。」

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 「このように自問してみてください。
まず、波の起伏をもたらしているものは何なのだろうかと。
それは風です。ひとりでに表面は穏やかになるのです。
同様に、心に錯覚をもたらす嵐が鎮まれば、作用と反作用の波も自然におさまるのです。

ですから、しなければならないことは、深い瞑想によって心の波を鎮めること、そして瞑想のなかで、エゴに偏った意識を排除することです。

ひとたび、自分が因果の原因になることをやめるならば、錯覚がもたらす波は、外側では起伏をつづけても、もはや影響を与えることはなくなるのです。

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 「曲がった脊椎は覚醒の敵です。瞑想においては、いつも脊椎を真っ直ぐに保ってください。 それは生命力が邪魔されることなく流れるようにするためです。 次に、眉間にあるキリスト意識の中枢に注意を集中してください。 そのポイントに深く集中すればするほど、ますます、あなたのエゴが超意識のなかに融けて消えていくのが分かります。」

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 「人生は多くの浮き沈みをもたらします。そうした外側の波と一緒に気持ちを浮き沈みさせるなら、霊的進歩の礎となる内側の静寂を手に入れることはできません。ですから、感情的な反応をしないよう注意し、好き嫌いの感情を越える必要があります。
 人生で従うべき方法は、また人生で多くの試練の波をうまく航海する方法は、どんな時も、心に平和と喜びをたたえていることなのです。

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参考サイト:
 人間の永遠の探求 - パラマハンサ・ヨガナンダ講話集から
 祈りの力: 人間の永遠の探求

そうしたらこう祈りなさい

主よ、これは私に必要なことです。
私はそのためには何でも喜んでします。
どうかこの願いが成就するために、
私が正しく考え、正しく行動するようお導きください。
私はあなたから頂いた理性と、意志と、行動とが、
正しい方向に働くようお導きください



これが私(パラマハンサ・ヨガナンダ)の
いつも実行してきた祈り方です。

今では、何かの計画について神に尋ねるとすぐに、
その計画を実行すべきか否か、
またどんな手順で進めるべきか、などの答えが
返ってきます。

祈りを実用的手段として真剣に考えなさい。

そして、祈りの目的に深く精神を集中しなさい。

仕事を探すときも、契約にサインするときも、
そのほか重要なことをするときはいつも、
この神の力のことを考えなさい。

そして、それを考え続けなさい。

睡眠時間を割いてでも祈りなさい。

瞑想の重要性: 人間の永遠の探求

私が答めたいのは、あなたがたのしている事ではなく、
していないことです。

あなたがたは、神のために割く時間などない、と思っているかもしれませんが、
もし神が、忙しくてあなたがたの面倒を見る時間はない、と言われたらどうなると思いますか?

あなたの心を、感覚や習慣の妄想から取り戻しなさい。
いつまでもだまされていてはなりません。
私は、この世のどんなものよりもすばらしい国のあることをあなたがたに知ってもらいたいのです。

昼も夜もあなたを喜びに酔わせ、感覚的誘惑には見向きもしなくなるほどの幸福があることを知ってもらいたいのです。

ですから、そのために体と心を訓練し、感覚を制御することを学びなさい。

そして神を見つけなさい。

 私はよく、この肉体は電話の交換機で、五官はその端末の電話機のようなものだと言います。
私は、それらを通してこの世界と接触していますが、
この世界から離れたいときは、五官電話のスイッチを切って神の至福の中に引っ越します。

天の父は、子供であるあなたがたがこれ以上苦しむのを望んではおられません。
あなたは今、感覚の惑わしによる迷妄の中に住んでいますが、今こそその迷妄を克服して、神こそが人生にとって真に必要不可欠なものであることを認識すべきです。
あなたを束縛している誤った先入観や、日常の慣性的習慣や悪習を打ち破りなさい。

私は、人を咎めようとは思いませんが、ただ神に対する無関心と不信仰だけは別です。瞑想の技法を用いれば、神は、知ることができるのです。

ひとたび神を知れば、神はあなたの中で英知となって働き、至福となってときめき、あなたは今までになかったほど生き生きとし、成功するでしょう。

 私も、かつてはあなたがたと同様、真理と幸福を地上に求めてさまよいました。
しかし、そこで喜びを約束してくれたものは、どれも結局、失望をもたらしただけでした。
そこで私は、それを神に求めることにしたのです。
あなたがたも、自分の内なる神性を発見して、自分で神の国をかち取りなさい。


参考サイト:
 まんだらや密教研究所- 密教曼陀羅 密教上級 ヒンドゥー教と密教
 パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ

パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ

すべての時間を消え去りゆくもののために費やして、何の役に立つのでしょう?

人生とはまさにドラマであり、幻影に過ぎないという真実を教えるための教訓劇なのです。

愚者は、その劇を真実でいつまでも続くものだと思い、悲しい場面で泣き、幸せな場面が長続きしないと歎き、
さらには、その劇が最後には終わってしまうと悲しみます。

苦悩とはそうした霊的盲目への戒めなのです。

しかし賢者は、そのドラマを観て、それがまったくの「まやかし」であることを知っているので、
内なる自我の中に永遠の喜びを探求します。


生命とはその扱いを知らないものには、恐ろしい機械装置のようなものです。
遅かれ早かれその人自身を灰にしてしまうのですから。

神を見つける


神を見つける人はいつも最善の努力をする人であり、
『静かな場所さえあれば冥想できるのですが・・』と言い訳をする人ではありません。

先延ばしばかりする人は、決して神に到達することはできません。
しかし、もし自分自身に『いまこの瞬間から、深い冥想に入ります。』と言うなら、
すぐにでもその場所に至ることが出来るのです。

人が本当に眠いときどこででも眠れませんか?
神を愛するものにとっても同じです。

どこであれ、駅や市場の中でさえ冥想できるのです。

冥想の勧め


冥想をするのに、冥想の成果にこだわってはなりません。
むしろ神を喜ばすために冥想しなさい。

もし良い結果を求めてすれば、その結果がやってこないとき落胆することになります。

バガバット・ギータの中で、クリシュナは「成果を期待しない行為」を勧めています。
冥想もまたそのような気持ちで、取り組まれるべきです。

成果への執着のない冥想に取り組みなさい。

冥想で目指すもの


冥想で目指すものは、考えるという行為を超越することです。

何かを考えている限り普通の意識レベルに留まります。

夢を見るときはあなたは潜在意識下に入ります。
つまりそれはアストラル体がより意識されている状態です。

意識がさらにもっと深く超意識へと入っていけば、あなたは脊椎を柱として、
無上の喜びの中心にいるのに気付きます。

その至福の中で、あなたはコーザル体、即ち自分の魂の中にいることに気付くのです。

 パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ・2

パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ・2

罪とは無知

第一章



「罪とはなんですか?」 弟子が尋ねました。

罪とは間違いのことです。それは無知から生じます。」とヨガナンダは答えました。

「無知とはなんですか?間違いとはなんですか?」

「無知とは魂の真実に対する意識が欠落していることであり、そのために夢に過ぎない幻想と魂の真実を取り違えることです。

 間違いとは、そうした誤った認識にもとづいてなされる行為のすべてです。」

「罪とは、神の戒律を破ることではないのですか?」と弟子が聞きました。

「いいえ、そうではありません。でも、なぜ神はこうした戒律を人間に授けたのだろうと考えてみてください。

 それは気まぐれで作られたのではありません。

 もし人が、罪を神の戒律を破ることだと考えるなら、神の怒りと厳しい裁きという思考が引き起こされます。

 しかし、神は私たち自身なのです。私たちは神の子なのです。

 なぜ神が私たちを裁かなければならないのでしょう?

 いや、実際には、私たちを裁いているのは、自分のなした何かを許しがたいと思う、自分自身なのです。

 もし罪とは、私たちの間違い、あるいは誤った認識だと理解するなら、その間違いが修正可能なのは明らかです。


とヨガナンダは答えました。

そして、彼は師、ユクテスワについて語りました。

「師、ユクテスワは『過去は忘れなさい、過ぎ去った人生はすべての人にとって、薄汚れて、多くの恥辱に満ちています。

 人間の行為はしっかりとした錨で神とつながれるまでは、決して頼れるものではありません。

 しかし、もしあなたが、いま霊的な努力をしているのなら、将来に起きることはすべて良くなっていきます。
』」
とよく言っていたものです。

注記:
 錨:(碇、いかり、アンカー、Anchor)
 頼れる:たよれる

第9章


「決して自分の欠点に焦点をあわせ続けてはなりません。

 そのかわりに、自分のしてきた善きこと、世界中にある善きことの記憶を呼び起こしてください。

 生まれながらに持つ完全さに、自信を持ってください。


 そうすればあなたはきっと、神の子としての永遠の本性を思い出すことに夢中になるでしょう。」



 カバラ生命の樹(ユダヤ教)と聖なる科学(ヒンドゥー教)

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人生とは、個々の要素が全体との関係性において、相互に影響を与え合う体系なのだ。(一即一切重重無尽:華厳)

メンタル体(阿頼耶識)を改造していくことにより、コーザル体(菴摩羅識)に参入することを、光輝の体験(ゾハール)と呼んでいる。
この体験をカバラでは、火花が散ると表現している。

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自我は単なる思い付きや潜在意識の個人的願望を、直感という言葉を利用して、真理であるかのように正当化したがる。
そのような自我の罠に陥らないために、論理的に考えるようにしなければならない。
真の直感は、厳格な論理的思考の上に築かれる。

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真の直感を磨くには、真理を見出そうとするよりも、まずは虚偽を消すことだ。
そうすれば真理だけが残る。


我々は虚偽と幻想の中に生きている。
現在に生きていない者は、過去や未来という幻想の中に生きている。

真理や幸福は、今この瞬間の中にある。

明日は幸福になれるだろうと期待する限り、幸福にはなれない。
現在が不幸であろうとなかろうと関係はない。

不幸とは、他との比較によって、自分が勝手に決め付けている幻想だ。

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真実への旅:ファウスト博士の教え(斉藤啓一著)より抜粋

Amazon.co.jp: 真実への旅: 斉藤 啓一:

商品の説明
内容紹介
アメリカ・カリフォルニアに滞在していた私に、占い師は告げた。
「生きてこの国を出ることはできない……」。
絶望と恐怖の淵に突き落とされた私に、偶然出会った少女・エミリーはいう。
運命から逃れ、自由に生きる道を説いている謎の人物がいる。
その名は、「ファウスト博士」――。
「人は幻想に操られ、眠りながら生きている。
現実と信じ込んでいる幻想から目覚めないと、本当の幸せを手に入れることはできない」。
そう語る博士が主宰する「修行ツアー」に参加した私を待っていた数々の体験とは――?
本当の幸せをつかむ覚醒のプログラムを紹介しながら進む、実践のためのスピリチュアル冒険小説。


 聖なる科学(スワミ・スリ・ユクテスワ)

スワミ・スリ・ユクテスワ

解脱とは真の自己意識に復帰することである。

それが果たされるまでは、人は何回でも生まれ変わって、不満足と苦悩を経験しなければならない。


   ~~~~不満足と苦悩の意味を考えることで、そこから抜け出ることができる。



<人はなぜ苦しまなければならないか?>


人は自分の肉体を自己と誤認し、真の自己の中にある真の満足を見失っている間は、本心の願望は決して満たされず、不満としていつまでも残る。

そしてそれを満足させるために、彼は、何度も肉体という衣装をまとって人生という舞台に登場してくるのである。

マーヤ(幻想)の支配下にある限り、生死に伴う苦悩から逃れることはできない。


   ~~~~世の中には、私とそれ以外(世界)という二つのものがある。
         ところが、それ以外を見るための眼鏡(世界観:認識)を変えると、まったく違うものが見えてくる。
         だから、すべては鏡に映る幻想のようなものなのだ。


「聖なる科学」:
 この本は、スワミ・スリ・ユクテスワが永遠の生存者ババジ・ナガラジから頼まれて書いた本です。
ババジ - 24wf Wiki - ウィキア
 「クリヤー・ババジ・ナガラジ」「マハー・アヴァター・ババジ」「シヴァ・ババ」「マハムニ・ババジ」とも呼ばれる) 
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