カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

歩いていて感じること

2013-12-23 | エッセイ

時代が進むと技術力も進み、巨大な構造体を幾層にも積み重ねることが楽にできるようになる。その脆弱さが露呈するのはやはり巨大な地震などが起きたときくらいだから、ほとんどそれは現れてこない。街を歩くと橋、道路、デッキなどなどが上の階に大きくかかり、歩いているとそれを見上げる格好になることが頻繁にあって、要するに道路などの腹の部分が見られるのである。下から…。構造がむき出しで、私はそういったものも嫌いではないのだが、しかし、ほとんどそこがデザインされてはいないことを感じたことがあった。もうずっとずっと昔のことである。その時傍らにいる知り合いなどと、もう少しこういったところも気を配ってもいいのではないかという話をした覚えがある。塗装位してもいいのではとか、いやいやそこは打ち放しでデザインしてみてはといった話だった。そういう話をしつつその下をくぐって歩いた。





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冬の、ある風景  dec2013

2013-12-23 | エッセイ

 

多摩センター駅前の一風景。今のこの国の主要な駅の前はペデストリアンデッキが設けられていることが多い。2層の上のスペースが歩行者のためであり、下の地上階が、車やバスなど駅へアクセスする交通のためのものとなっている。どちらかというと機能的な対応だ。ここもその例にもれず、同じような考え方に基づいている。このスタイルは、もうお馴染みとなり古いタイプのものと言えるかもしれない。ただ、新しいものはなかなか見つからない。実際問題、そのように動線を分離すると、かなり整理される問題があって結局そうなっている。これは地上階のどちらかというと、コンクリートがむき出しになった、あまり、デザインはされていない部分の景色である。しかし、ここへも有名ホテルのエントランスは必要ということから開かれている。メインのエントランスは当然のように上の階の、イルミネーションで綺麗に飾られたデッキの部分に大きく取られてある。そこは人々が歩き、賑わい、この時期は綺麗なイルミネーションで女性の歓声もあがる場所だ。対照的に、その下のこの階は、静かというか寂しげでもあり、物体という言い方にふさわしいコンクリートとアスファルトが夜の闇の暗さも手伝って、ざらっとした肌触りとして感じられるのだ。寒さが増して感じられるのだった。これは、今では地方都市などにも、よく見られる情景となっている。



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