融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

師匠不孝者

2006年11月30日 | 気付いたこと築いたこと
亡くなった師匠のことが、今朝なぜか急に思い出された。
年末の一時帰国の間、両親の住む田舎に戻ったら、
お線香をあげに行こう。

私は師匠不孝者だ。


生まれ故郷の北海道小樽市を去ったのは13歳。
「内地」のとある県に越してから、その地になじめず困惑した。
5歳から続けていたピアノを一時中断しなくてはならなくなったのはその頃。
音の世界に自分の将来はもうないと思いつつ、慣性の法則のように(愛しくない)借り物のピアノに向かっていた。そこから漏れ出る音を聞いた近くのお米屋さんが、師匠と私を結び付けてくれた。15歳のころ。

十代前半にあって、3年間の中断を埋めるように、レッスンが始まった。今所持している(大変に愛しい)ピアノを母と一緒に買いに行ったのもその頃だ。自宅でピアノが弾ける。そして、レッスンらしいレッスンを受ける。とてもうれしかった。今思えばしかし、師匠のレッスンは厳しくはないし、何かとりわけ新しい指導をされたわけでもなかった。ただそれでも「この人に付いていけば今は安心なのだ」と思わせる人だった。師匠はそのころ還暦を迎え、ロマンスグレーの髪に低音ボイス、そしていつもジーンズだった。バイクに乗ったり、スキーをしたり、おいしいものを食べるのが好き。遊ぶこと大好き。そんな師匠のことを、私はちょっとかっこいいと思っていて、こっそり「ダンディー」と呼んでいた。

そもそも人前で演奏することが苦手(大嫌い)な私に、舞台上でショパンのスケルルォ2番とか、バッハのパルティータ一番丸ごと全部とか、やらせたのはこの人だった。何度受けても通らなかったオーディションが、ダンディーの指導の元では通った。

教科としての英語が大好きだった私は、(ありがちだけれど)「アメリカに高校留学をしてみたいので、ピアノやめます」と、ある日ダンディーに話してみた。当時の私としては、それなりに将来設計なんかをして、よく考えた上での報告だったのに、あっさりダンディーに覆されてしまった。
「語学は手段としてやるべきものだ。目的にするもんじゃない。そんなに英語やりたいなら、英語で音楽やりなさい。国立しか行けないのなら、藝大の楽理科に行きなさい」
ガクリカってなんですかぁ~?という高2の春休み。とりあえず死ぬほど英語勉強せよと言われ、好きな英語と音楽をやればいいのね、という感じで受験を考えることにした。アメリカ留学よ、さようなら。

ダンディーは強い人で、県下の音楽業界を牛耳っていた。ダンディーの政治力に対する外部からの声が入ることもあって、私にはそれが閉塞的に映ったし、小さな県の権威主義的な体制がうっすら感じられると、「かわいがってもらっている」師匠に対し、密かな疑念も抱いたりしていた。とはいえ十代の弟子である私は、無邪気に師匠にひれ伏していればいいだけだったので、ある意味気が楽だったし、師匠に「可愛いがってもらっている」感覚もあった。十代の弟子の「可愛がられ方」なんて、なんの政治性とも無縁だから、ただ楽しかったし。

受験に向けて、ピアノだけのレッスンから、楽典や和声、聴音、新曲、作文・・・と、一時は全てを彼の元でやっていたから、週に3回くらい通うこともあった。終わると教室の下にあった焼き鳥屋さんに連れて行かれ、ときにはイタリアンを食べに行く日もあった。そういえば「すしは箸をつかうな、手で食べよ」と教わったのもこの人からだった。なぜかドライブに一緒に行き、ときどきファッションの話までした。ダンディーには愛娘がいて、彼女もピアノを教えていたから、ジェネレーション的には私は孫のように可愛がられていたのだった。

とはいえ。私は腹黒い。密かに、彼の指導だけでは聴音が伸び悩んでいること、作文が一向に書けるようにならないことから、聴音は別の先生に自ら移り、そして独自に動いて「藝大楽理科一直線」ともいえる私塾へのルートを見つけ出した。
そしてその後、私の東京上野での音楽生活が、結局10年以上になることになった。

外へ外へ向かって音楽を勉強することで、私は小さな県に渦巻く音楽界の政治性からぐんぐん逃れることができると感じていたし、東京で目からウロコが何枚も剥がれ落ちた。そして空気感として「私のいるべき場所はここです」と思ったりも。

なので、「可愛がってくれた」師匠のことを折に触れて思い出しても、時に彼の周辺からの不自然な便りや、学閥的な話なんかが流れてくることもあったりして、自ずと距離をとり続けてしまった。師匠ダンディーと弟子の私の間には、おじいちゃんと孫みたいな関係が成立していたけれど、大学を出て大人になってから県に関わったらば、きっとロクなことにならないと感じさせる何かがあったのだ。

なので、年々距離を置いていった。

2年くらい前に、突然ダンディーの音楽教室から発表会のプログラムが届いた。娘さんの挨拶文があって、ダンディーの後継ぎとなって今後もがんばります、みたいなことが書いてあった。「故」という文字を見て、頭が真っ白になり、声が出なかった。取り返しの付かないことをしたような気持ちになった。

亡くなったという知らせはないまま、それから幾らか時を経てから突然発表会のプログラムを送ってこられたご遺族の行動は、私をただただ謝りたい気持ちで一杯にさせたのだった。冷静にならぬうちに、何年もかけていなかった番号に電話をして、娘さんに何度も何度も何度も泣きながら謝り続けてしまった。「最後まであなたのことは気にかけていたのよ」と聞いて、また殴られるような思いをした。


人と人との距離というものについて、よく考える。昔から。
だけど私は失敗ばかり。
大切な人を、純粋に、その事象だけで、大切にしていくことは、どこまで可能なんだろう。


来月の一時帰国中に、本当に何年ぶりかに田舎で数日を送る。
電話をかけて、お線香をあげたいと言ったら、ご遺族はあまりいい気持ちはしないだろう。私が彼らの立場だったらやっぱり「何を今さら」と思うかもしれない。
それでも。

今ある私を今ここに、最初の道標を示してくれたその人に、今こそ心からありがとうと言えるかもしれない。「少しずつですけれど、英語で音楽やっています」と報告できるかもしれない。
勇気を出して、まずは電話だ。帰国してからのやりたいことが、一つ増えた。

頭痛のたね

2006年11月30日 | 気付いたこと築いたこと
必ずといってもいいほど、頭痛がおこる。
そう、それは、シドニーバスにのってシティに繰り出したあと。

シドニー一番の交通網といえばバスなのだが、これが最高に乗り心地が悪い。ベンツなんだけどね一応みんな。新しいし車内は清潔。がしかし、極めて客に優しくないつくり。ほぼ垂直の背もたれに、ほとんどクッションのきいていないシート。その上、運転は全般的に荒く、ときどきバスなのに信じられないくらい飛ばしてる。たえず振動がしてるし、昨日なんは急ブレーキで振り落とされそうになった。

私の家からシティまでは小一時間ほどかかるのだが、降りた後いつも頭痛がひどい。飲食厳禁だから飲み物飲めないし、軽く脱水症状起こしてる気もする。なんてこった。ここのところ立て続けにシティに行ったら、帰ってきてからがひどい。板橋区小茂根からバスで新宿まで行くと小一時間かかったものだが、その時の疲労度と比べものにならない。

サービス業はやっぱり日本だね。行き過ぎてることもあるけどね。
とか、普通に痛感する今日この頃であります。

コレクター魂

2006年11月27日 | 音楽

19世紀のとある作曲家の楽譜を、本日入手いたしました。
ドイツ生まれ、パリ活躍の彼の小さな小さな作品群は、
いまやいたるところに散っては姿を消しつつある・・・

そんな中、なぜかシドニーの出版社が彼の作品のファクシミリ版を2点復刻。
今日はその資料をNSW州立図書館に訪れ、手に入れてきました。

作品を求めてドイツもパリも行ったけど入手できなかったものが、
ここシドニーで入手できるとは・・・なんとも、ご縁を感じます。


NSW州立図書館は、門構えこそ立派ですが、中の司書たちはやっぱりオーストラリア人。とても気さく。パリの国立図書館では、たった一日(というより数時間の利用)のためでも、面接めいたものをさせられ、顔写真まで撮られ、お金も取られ、利用する側もある種の緊張感があった。それは日本の大きな図書館を利用するときも同じ。スタッフの慇懃無礼な態度につきあって、やっと資料を閲覧させていただくのである。

今日も、門構えから、その時の緊張感をもって入館した。だが、概観からはほど遠く、司書さんたちのムードはまるで、区民図書館。「初めてです・・・」と恐る恐る近づくも「ようこそきたね!」とまで言ってくれる。う~ん。こういうとき、オーストラリアを感じるねぇ。

結局、「特悦」扱いだった資料にもかかわらず、そしてコピーライトがかなり微妙だったにも関わらず、司書さんとゆっくりやりとりしていたら、「いいわよ、コピーして」みたいな感じにしてくれた。若干オマケ感が漂っていたので本当に感謝だ。この資料、決して悪用しません。サンキュー、オーストラリア!

今日はAMCでもいくつかの楽譜を入手。そしてMalcom Williamsonという作曲家のピアノ全集の音源を取りおきした。これも買って帰ります。すごくいい曲です♪

近くて遠い楽譜店

2006年11月26日 | 気付いたこと築いたこと
シドニーに楽譜店を発見した。
Carlingford Music Centre

しかしここが異様に近くて異様に遠い。
シドニー謎の交通網。意外なところが結ばれていない。
私の住むMARSFIELD最寄駅Eppingから、
この楽譜店の目の前の駅Carlingfordまでは、
バスにしろ電車にしろ、
ズバリ、池袋から地下鉄丸の内線を使って新宿に行くようなものだ。
しかももっとタチわるいのは、
乗り換え2回、本数少なし、速度のろし。
「ちょっと覗きたい」程度では、発狂しそうに遠いのだ。近いのに。

しかし、だ。一時帰国まであと一週間。
仕事と趣味の両面で、手土産に楽譜を持って帰りたい。手ぶらでなんて帰れない。シティにあるAMCと州立図書館に借りて返して二日は使う。
あ~なんということだ、MARSFIELDの田舎具合。
鳥の鳴き声がイラつくぜ。

単純なこと~心とからだ

2006年11月26日 | 気付いたこと築いたこと
ジムという場所に2回目のお出かけ。今日はインストラクターの予約を入れて、マシーンの使い方なども教えてもらった。

「どのくらいくるのか」と問われ、「週一です」といかにもヤル気のない返事をしたのだが、32歳、東洋人にしては生白く、身体150cm、、どう見てもインドア人丸出しの私に、ジムのお兄ちゃんはそれなり~のメニューを作ってくれたのだった。

とはいえ、なんでも私にとっては初めての体験。ウォーキングのマシーンでひたすら歩いたりするだけで、これが結構楽しいし、「効いてる」感もある。
「ハムスターが飽きずに何時間もミルの上走ってて楽しそうなのは、こういうわけか」とか、数年前に他界した我がペットの「ゴン太くん」のことなどをボンヤリ思い出した。ゴン太くんたちは、きっと、「動きたい!!」っていう衝動があるんだろう。もう動かずにはいられない。彼らにとっては、それが生きている証。

当然人間にとってだって、生きてるということは、やっぱり身体的に動くこと。動くだけでなぜか楽しい、というのは生きてる以上、やっぱりありうることで、頭脳プレイ的なことに専念しすぎて動く楽しみを怠るのは不自然だ。
とか、動きながらも相変わらず、ネチネチ考えていた。

そして非常に単純なことに、ジムに行って帰ってくるだけで、やっぱり「機嫌がいい」自分に気付く。こんな単純な工夫でバランスが作れるのなら、いつでもできるだけ機嫌よくいたいものだ。

目標は、サラサラの汗をかける人になること。あまりのインドア生活で、なかなか汗がかけない身体になっている。週一じゃ無理かなぁ。

しかも来週からしばらく日本です。冬だし、年末年始だし、オージー兄ちゃんの運動メニューの効果なんてあっという間に吹き飛ぶはずだ。でもいいのです。日本では各種会合が予想され、「おなかを抱えるほど笑う」という運動が待っているのです。ああ楽しみだ。

シドニーに楽譜屋さんがないって、どういうこと???

2006年11月25日 | 音楽
便利な世の中です。世界中どこにいたって、世界中の好きな楽譜が買えます。インターネット使えば。でもですよ、小売店に直接足を運ぶ良さはやっぱりあります。売れ筋のものや、業界が力を入れて売り出したいと思っているものは平積みになっていたりするし、そのジャンルの、そこでの活気具合がわかるというもの。

というわけで、シドニーの楽譜屋さんに行って、直接いろいろ見てみたいと思ったのですけど・・・朝からインターネットでリサーチするも、これが全然ヒットしない。全くない。ダメ。玉砕。まじでないのか?シドニー音楽院の学生は、いったいどこで楽譜を買っているのか???みなネットか?!なぞだ。ネット以外の店舗をネットで見つけられず憤慨している私がおかしいのか?!?
おちつけ。
今度、AMCのスタッフさんにでも尋ねてみようと思います。。。

でも、リサーチしていたら、悔しいかなシドニーではないけれど、気になる楽譜屋さんは発見しました。

Fine Music
ここは、ファックスやメールで注文ができるけど、店舗がメルボルンに。サイトのセンスもすごくいいし、こういうところはホントは行ってみたい。

Kay's Music Australia
店舗はないらしいが、古書がそろっているらしい。バグパイプとかの楽譜も買える。買わないけど。ピアノの楽譜は"Solo"のところに、謎なものが多い・・・。

Educational Esteem
子供向の音楽教材専門のお店。ページのセンスがなんともかわいらしい。コアラとカンガルーとウォンバットが合奏してるあたり、こんなところでAUSを意識させようとしている。カワイイからいいけど。子供用に特化してるところが、新鮮。

「良し悪し」の問題では全くなくって、わたしの個人的な感覚では本も楽譜も実際お店で手にとることは好きです。だからお店も、小売店舗とネットと、両方あったりする環境がサイコーです。手触りや香り、空気感みたいなものは、やっぱり購買意欲をそそってくれるしね。小売店の存在は、それはそれで充実し続けてほしいと願います。

脳みそフル回転

2006年11月24日 | 気付いたこと築いたこと
翻訳している時って、脳みそフル回転だ。
自分で文章を書いているときもそうだけど、
翻訳のときの回転、というか脳みそ使用領域というのは、
ある意味もっともっと拡張しているような気すらする。

まだまだ修行の修行中だけに。かな?
2時間くらいやると、もうぐったり、へろへろだ。
でも、そんなのが、ここのところ、幸せなんだけれど。

この人たちの本気具合。そしてヘンな曲発見。

2006年11月23日 | 音楽
オーストラリアの作曲家、過去25年間、292人による1271曲のピアノ・ソロ作品に限りました、というニッチだけど立派なカタログが手に入った。2006年10月版。作曲者情報、演奏時間、形式、難易度、特徴、出版、音源情報などが掲載されている。製作者はDr Jeanell Carrigan。もし日本でこれだけのもの作るとなったら、科研費でもとって数年かけなきゃ無理だろうな、とか思うシロモノ。もともとは数年前の彼女の博士論文の一部として収集した情報からスタートしたもので、ここにAMCが全面協力をしてまとめているらしい。第4版。これ、買ったら60ドルもするらしいのだけど、AMCに「日本にオーストラリア作品を紹介したい」と持ちかけたことがきっかけとなって(正式にはPTNAを通じて公開しようと思っています)、General ManagerのJohn Davis氏が今回のカタログも気前よく送ってきてくれた。すばらしい、AMC。本気だね、AMC。

書誌情報:
Carrigan, Jeanell. Australian Solo Piano Works of the last twenty-five years; Fourth Edition. Sydney: Australian Music Centre. 2006.

AMCは出版譜やCDも多いけど、教育的な事業にも力を入れている。このカタログの製作者であるCarriganが演奏している《Piano Games》というCDは、とくにピアノ学習者のために集められた小さな作品の数々が収められている。もちろん、全ての曲がオーストラリア産。こっちのビッグネームであるロス・エドワーズの作品なども入っているのだけど、ロスをしのぐほどの(と私には思える)際立った(ヘンな)曲がありました。

アンドリュー・フォード作曲
《8羽のオーストラリアの鳥、20世紀の音楽を発見》

これ、タイトルもおかしいけど、個々の曲のタイトルになると、もっとおかしい。

1. エミューがアルバン・ベルクを真似る
2. オーストラリアヅルがバルトークのように振舞う
3. コトドリがリゲティに恋をした
4. オウムがアルヴォ・ペルトのために羽づくろい
5. ワライカワセミがジョン・ケージを想う
6. モモイロインコがぽかんとグラスを見つめる
7. ツカツクリがスカルソープに降参
8. ありふれたマイナがメシアンのものまね

なんかもう・・・・きちゃってる。スカルソープ(豪作曲家)をそこに混ぜますか、しかも降参ですか、みたいな。
で、曲はというと。ちゃんと、それっぽいんですよ。笑えます。
ぺルトのなんか、いい感じです。ああ、そうそう。ペルトってそうよね~みたいな。ケージは、あ、はいはい、プリペアドっぽくね~、グラスは、あ、左手いっぱい繰り返すのね~、みたいな。メシアンが一番やっぱり鳥っぽいですよ。いや・・しかし、怖いもの知らずな・・・って感じはします。

そして先のカタログでこの曲の解説を見てみると、なんでも「これらの作曲家の
特徴的な音使いが見事に提示されており、現代音楽の音や技術に興味をもつ子供たちのための、優れた教材」ということになっている。あ、そうですか。笑っていてはいけないのでした。本気なのです。ええ、そうですとも。優れた教材なのです。

ところで、ツカツクリが降参したピーター・スカルソープですけど、ピアノ曲《Dijile》という作品、これはとても美しい。アボリジニのメロディーを元にしているとのこと。楽譜を入手したいと考えています。

YOGAというものを・・・

2006年11月20日 | 気付いたこと築いたこと
大学付属のジムに出かけて行き、
そこでYOGAというものを生まれて初めてやってみた。

YOGAのクラスまで少し時間があったので、おそるおそるジム内にある肉体改造マシーンみたいなやつにも触ってみた。こんなのも初めてだ。身長150cmなので、大概のマシーンは「身体に合ってないな~」という感じだったけど、まぁ触る程度は面白かった。

さて、YOGAのクラス。
20年前のエルトン・ジョンみたいな、ピアスのよく似合う男の先生。
(当たり前だけど)英語だし、時々よくわからないので、先生を見ていないと付いていけない。挙動不審。それでもポーズを決めれば、結構深く呼吸ができる。

ヨガのヘンなポーズって、リラックスすればするほど保てるのねぇ。メンタル的に緊張しちゃうと、すぐに崩れちゃう。落ち着いて、ゆるめて、集中。これだ。
エルトンの「ex.....in....」のささやきに合わせて、空気を循環させるのだ。

「そのまま後ろに足を投げ出して~おどろいたことに~保てます~非日常です~」(エルトン発言、直訳版)と、言われたとおりにやっていると、あら不思議。普段じゃ保てないヘンテコな姿勢でいられるのです。
「あなたたちは、このまま2時間保てますよ~ の~・ぷろぶれぇ~む」とか言ってたけど、さすがにそれはないだろう、と思った。

というわけで、筋という筋を伸ばせた気はする。が、怖いのは明日だ。さんざん運動不足だったし、全身痛いんじゃなかろうか。すでに、足の腿のあたりが痛い。

だけど、ずーっと机に向かうことで、自分の身体に対する罪悪感みたいなものは、これで解消だ。今度は脂肪燃焼系のクラスにも参加してみようと思う。

身体を動かして、お昼寝したい気分ですが、ここはストイックに、仕事します。

青空に“xmas”って。

2006年11月19日 | 気付いたこと築いたこと
近所の庶民的なホテルのテラスで珈琲を飲んでたら、
椰子の木の映える高い青空に、
飛行機雲で“xmas”って描かれてた。
丸っこい文字で、飛行機はちょうど
“s”の最後の曲線を描いてるところだった。

空青いし夏だけど、クリスマスだからね!!って、
オーストラリアから念を押されてるのかと思った。

なんか、かわいい。