融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

あまりに美しく

2006年09月29日 | 気付いたこと築いたこと

敬愛するaruyom様から届いたばかりの
上野の彼岸花、旧奏楽堂、そして光。

光に向かってエネルギーを放射する、
赤の力。

息をのむ美しさに、
日本のあの湿度をも
吸い込んだような気持ちになる。

歌うこと

2006年09月28日 | 気付いたこと築いたこと
歌を歌うことは、文句なしにいいことだと思う。
だって、言葉に音楽を乗せて発するっていう、
このシンプルなこと、その良さったらない。

これをしたらば、気持ちはずっと遠くに遠くに飛ばせるというもの。


いやなに。翻訳のセンセイに連れられて、
クラスの皆さんとカラオケを楽しんだという
ただそういうことなのですけど。

地球の色の怖さ

2006年09月26日 | 気付いたこと築いたこと

シドニーはマンリーという海岸に行く。
高層ビルが立ち並ぶ市街から数分フェリーに乗るだけで
そこに広がる青い青い世界。

これは怖いよ。
すべてが奪われる感覚よ。
何も考えなくてよくなるよ。
上も下も広く広く青い世界に包まれると。

すれすれな感覚。ぎりぎりな感覚。
「なんでもどうでもよくなる」って
こういうことかと心底思った。

インドネシア出身、香港出身の
妹たちのようにかわいい彼女たちが一緒じゃなかったら、
私は地球に溶けてしまってたかもしれない。


一夜明けて今日、翻訳の教授との面談。
「こちらの生活はどうですか?」
と聞かれた瞬間、どうしたことか私は絶句した。

「空が青すぎて、海が青すぎて、
 地球に溶けそうです。
 それが怖いので、ここでの生活はいやです。」
なんて、とても答えられない。

「帰巣本能が強いので、帰りたいです。」
とかなんとか答えた気がする。

ナイーヴになれない。
空や海が青ければ青いほど、
大学周辺の緑の木々が緑であればあるほど、
私はどんどん怖くなる。
ナイーヴになんて、とてもなれない。

Australian Music Centre

2006年09月22日 | 音楽
念願だったAMCの会員になりました。

この機関は連邦政府(オーストラリア芸術委員会)とNSW州政府(Arts NSW)の支援を受け、オーストラリアの作曲家の研究・教育・普及に努めるまじめな機関だ。

なんと学生割引がきき、年間たったの30ドルで460人のオーストラリアの作曲家の12500に及ぶ作品のスコアやその他の出版物、5000点の音源などが利用可能となった。3週間の貸し出しも行っていて、うれしい限り。センター発刊の4種類の情報誌なども付いてくる。すごい。

場所は観光名所としても有名な白いオペラ・ハウスが望める巨大な橋ハーバー・ブリッジのふもと。ロックスと呼ばれる地域だ。大変に美しい。

とはいえセンター内は、落ち着いたアカデミックな雰囲気。私が日本で勤めていた某研究センターと雰囲気が限りなく近い。ほっとするような、緊張するような。受付の「研究者」然としたオネエサンが丁寧に私のつたない英語に付き合ってくれるので、欲しい情報はきちんと入手できそうだ。

さっそく初日にお借りしたのは2点のCD。(楽譜を含め8点ほど請求したが、貸し出し中だったり利用中だったり。予約を入れることができた。)

一つはユージン・グーセンス Eugene Goossensのピアノ曲全集。Antony Grayの演奏。
英国で教育を受け、指揮者・作曲家として活躍。オーストラリアではシドニー交響楽団の主席指揮者やコンセルヴァトワールで教鞭をとるなどして、オーストラリアの音楽文化向上に大きな貢献を果たした人物だ。オケ曲やオペラ作品を残す一方、組曲や小品からなるピアノ作品はどれもコンパクトなもの。作品28に「ドビュッシーへのオマージュ」という作品があるだけに、かなりフランスの影響色が見られる。オリエンタリズム的だし。バッハのブランデンブルク協奏曲第2番のアンダンテの編曲はロマンチックだったりする。「マイナーなピアノ曲」になってしまうのも仕方がないかなという雰囲気が全体に漂うけれど、楽譜があれば楽しめる感じだ。

もう一つはオーストラリアのピアニストM.K.ハーヴェイの2枚組み。この中に最近注目を集めているというカール・ヴァイン Carl Vineのピアノソナタ(1990)が収められているので借りた。初めて聴いたのだけれど、文句なしにかっこよい。堂々と調性的であるかと思えば点描的になったり、静謐になったり、激しいリズムに溢れたり。

1年半、授業の合間にやってきて、ピアノ曲を拾っていく(お世話になっているPTNAの仕事に繋げるべく)だけでもこのAMCを使い倒せそうもないですが、楽しいことになりそうです。

南の空の下で

2006年09月20日 | 気付いたこと築いたこと
痛みがいつも通奏低音のように
心の底に流れているのだとして
不意になにかで堰を切るように
それが顕在化してしまう折に、
明日また明日を覚悟して
私の抱える不自然さをも
凌駕できる力のような
しなやかな姿勢を
持とうと思う。
整えなおす。
そっと、
静かに。

「間」 それは面倒くさい場所

2006年09月15日 | 気付いたこと築いたこと
面倒くさいことを、ときになぜ人は選択するのだろうか。

私がかつて大学院で音楽を研究していたころ、
ある一人の日本人作曲家が、
「西洋音楽」という他者と
「日本人である」という出自の認識との
「間」に立たんとするスタンスで、
どこまでも苦しそうに(少なくとも私にはそう思えたのです)
作曲しているその姿に、
なぜかとても惹かれたのを覚えています。

「徹底した考え」とかいうと、
何かしら、よきもののように響きますけれど、
ラディカルなものの考え方というは
案外たやすいことかもしれないですし、
第一キケンでもあります。
疑う力がない、ってやつかもしれません。

一方で、
(シンプルな言葉でしか表現できないですが)
人は時に、
言葉や芸術や思想の「間」に立つことを恐れずに
敢えてそこに、ふんばろうとする願望が
働くのかもしれません。


学期の中休み前夜ということで、
東京から持ってきた映画「夜の大走査線」を見ました。

60年代南部のアメリカ。
偏見と差別の色濃いミシシッピ州の小さな町に
旅行中に偶然居合わせた北部のエリート黒人刑事が、
殺人事件に巻き込まれる。
白人頑固オヤジの地元警官と、
ぶつかり合いながらも共に事件解決へと奮闘する。

見終わったあと、疲労してしまいました(苦笑)。
人の感情の機微、そして緊張感が
なんとも丁寧に描かれた作品。


私たちが生きる場所のどこにも
実態としての「根源的」なところなんてないし、
実態としての「間」なんていうものもない。
どこに自分がフォーカスを当てて生きていくか、
生きていきたいと願うかといえば、
愛だ。間であるところの。
それには少しくらい、疲れてもいいから。

なんでわかるんだ?

2006年09月14日 | 気付いたこと築いたこと
ハウスクリーナーのおじさんに
Japaneseとバレた(?)その数十時間後、
携帯に一本の間違い電話が。

しきりに誰かを出せと言うので、
「違う番号におかけのようですよ」といったら、
"Oh, sorry,"そして最後になぜか、
"GOMENNASAI"と言い残して相手は切った。

なんでJapaneseとわかったんだ?
ちなみに私のアクセントは、
通訳の先生からアメリカ系だと
指摘されたばかりだが、
やっぱり母音の伸びがあるのかな。
Japanese-American English。
むー、不思議。

そういや昔、
「あなたの英語は中国人みたい」と言われたこともあったっけ。

まぁなんでもいいんですけど。