融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

終わりであり始まりである

2006年11月15日 | 気付いたこと築いたこと
同じ楽曲でも、スラーの付け方ひとつで、全くフレーズ感が変わったり、ある一つの音がそのフレーズの終わりであったり始まりであったりする。以前、校訂譜が異様に多いブルグミュラーの楽譜を並べて、一個一個、スラーのチェックをしたのは面白かった。ペータースや全音版によれば、《アラベスク》中間部の右手フレーズに、「終わりでもあり始まりでもある」A音が数回現れる・・・。

何を言いたいかというと、今日の私は、まるでそのA音のようだということ。先ほどようやく通訳の試験が終了した。今学期はこれで終了だ。「試験の結果」というものは、それはそれとして真摯に受け止めるつもりだ。だがそれとはねじれた感覚で、自分の中に、何か区切りの感覚と、そしてなお、「ここからだ」という感覚とがじわりじわりとやってくる。

7月末からコースが始まって、怒涛のような日々だった。当然ながら何もかもが「新鮮」「未知」そして「無知」の連続・・・。とりわけ今日試験があった通訳なんかは、産業、教育、経済、環境、司法、医療というジャンルに渡り、次々と耳を素通りする「それはなんですか?」レベルの話を「通訳せよ」と課せられ、半ギレ状態になったことすらあった。毎週、「次回は法制度をやりますから、専門用語をリサーチしてプレゼンの準備しといて下さい」とかいう恐ろしく漠然とした宿題を出され、当然ながら翌週また「その言葉はなんですか?」と口をあんぐり開けることになる。その連続。悲しいかな、「次回は音楽学やりますから、リサーチしてプレゼン」なんていう宿題は、ぜったいにぜったいにぜったいに出ないのだった(苦笑)。。。
今学期は、一通り様々なジャンルを、それこそ概観したに過ぎないのだが、このレベルでもう一周するくらいが、私にとっては丁度いいのだろうと感じる。実際、余裕の全くない私は、今日の試験でアガりまくって音声がしらじらしく耳から耳を通過。血の気が引くとはまさにあのこと、通訳で格闘というよりむしろ、血液循環もしくは意識を維持することとの格闘みたいな感じだった。あれはもう、ギャグ。

とにかく、そんな試験の経験、それを含めた外国生活最初の4ヶ月、全部をひっくるめて反芻すると、いろいろありすぎて、なんだか笑いが起こってくるし、「ああ一区切り、よくやった自分!」というのと、そして「いやはや、ここからだぁ」という思いが、綯い交ぜになってやってくる。

総括:ワケわからないながら、なんとか死なずに生きながらえました。
抱負:来学期は、少しはヒトらしく「学ぶ」の領域に入りたい。

さて、夏休みだ!
国会図書館や州立図書館でリサーチしたいことがる。ワンセメ中、こらえにこらえてきたのだった。そして大好きな翻訳の作業にも集中できる。音楽系記事翻訳のお仕事に取り組む予定。充実した3ヶ月になるといいな。日本にも帰るし。会いたい人たちに会えるのが、何よりも心のエネルギー。