融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

はぁ~やっぱり疲れるわ~・・・

2007年08月07日 | 授業・活動記録
本日は通訳の授業2回目。
2時間の授業は吹っ飛ぶように時間が過ぎていく。

まずは俗称サイトラから(Sight Translation)。
渡された書類に目を通して瞬時に口頭で翻訳していく訓練です。
本日のお題は教育制度について。
これが・・・。読んで内容がわかるのと、とっさに意味の通るクリアな日本語の形にしていくのでは随分な距離があるものです。
あわわわとしていると、先生に先に言われてしまうので必死。焦ってしまう。

続いてダイアロク通訳。
本日のお題は進路相談。
先生・・・テープの音声がひどすぎで、ごもごもしていてなんも聞こえないんですけど・・・なんてひそかにふてくされていたら、他のクラスメートの方がきちんと内容を取って通訳されているので、またまたあわわわと焦る。

パッセージ通訳は日→英。
オーストラリアにおける日本語教育の現状。
日本語だから、聞き取りに心配はなし!と構えていると、
テンポの早~い音声に、ノートテイキングが追いつかず、
やはりあわわわわわわでありました。

2時間でぐったり疲れ果てて、
帰ったらフテ寝ですよ、フテ寝。得意のフテ寝。

通訳者になろう!なんて野望を持つことにすらビビリまくり、
単なるMっ気を発揮して履修したこの科目。
とにかく地道に訓練することが、上達への道だと妄信して、
復讐、じゃなかった、復習に励みたいと思います。

ワン・バイ・ワンだね

2007年06月08日 | 授業・活動記録
本当に来週の木曜までに終わるんですか、という量の宿題をちびちびやっているのだけれど、まぁ一つずつ片付いていくんだな。

今日は長らく苦しんでいた「文化と言語」の学習日誌10週分をプリントアウトしてヤーッと提出してやった。質はともあれ、あ~スッキリした。

昨日今日と、めずらしくシドニーはどしゃ降りの雨。冬の入り口の寒さが身にしみますわ。

そんな中課題提出後はさっさとまた家に戻り、セコセコ作業に入るのだった。先日疲れで死んだ魚のようになっていた私の前で、「スケジュールをたてるのです!」と締め切りまでのTo Do リストを作り始めた友にならい、私も朝起きたら「今日のノルマ」をまず手帳で確認してから作業に入る。これはパニックを防ぐのに最適だね。計画には修正がガンガン入るんだけれども(苦笑)

ガッツリ引きこもって一日中作業していても、ときどきクラスメイト同士ネットで遠隔連携をはかりつつ作業できるのも、ちょっとうれしかったりする。我が家のハウスメイトの一人は全ての試験を終えてしまったし、もう一人も結構楽天的に過ごしているので、自分ひとり孤独な気持ちになりがちだけれど、遠隔連携で「やっぱり我がクラス人はがんばってるね」というのが測り合えると、単純にして心励まされる。

ああ。ひとつずつ。
ほんとに早く、全部終わんないかなぁ。

どこまで機械的になれるか。

2007年05月20日 | 授業・活動記録
今学期も残りあと一ヶ月を切っている。早いものだ。
追い込み時期だけに、エッセイなんかの課題が出る。

私の好きな授業の「文化と言語」のエッセイ課題で、ここ数週間苦しんでいる。
課題の内容は、下記の雑誌論文をまず読んで書きなさいというもの。

Joel Robbins. Ritual Communication and Linguistic Ideology: A Reading and Partial Reformulation of Rappaport's Theory of Ritual. (Current AnthroPology, vol.42-5, 2001)

パースやらオースティンやら、記号論とか言語学の基礎知識のある学生ならスススと読めるんだろうけど、言語学科の学生だけを対象にした授業の課題ならいざ知らず、それ以外(私みたいな通翻専攻とか)の人間には厳しいですよ・・・といった内容だ。
なかなか書き始めるところまでいかず、読んで理解に一苦労。。。

先週の授業では講師が一通り、締め切り間近のこの課題について、さまざま説明を加えた。その授業後のことだ。おそらく重圧に耐え切れなくなったのだろう、一人のアジア人学生が講師の前で泣き出してしまった。「いやなにも泣かんでも…」という話ではあるが、私も相当ストレスフルだったので、普段まじめに落ち着いてがんばっている彼女の気持ちはよくわかった。アメリカ人の学生が肩を抱くようにして「私たちネイティブスピーカーにだってこの論文キツいから、これで落ち込まなくて大丈夫!こんなの天才か博士課程の人にしかわかんないわよ!」とか励ましながら、論文の要所要所を彼女に説明してあげていた。優しいアメリカ人もいるんだなぁ…しみじみ。

その夜だ。講師から全員宛にメールが入る。
箇条書きにエッセイ作成のポイントが丁寧に記されていて、こうしめくくられている。

"Try not to 'stress-out' over this paper.
Break it down into do-able components."

「この論文で、ストレスに負けないように。
『できる』形に落とし込んでください。」

"do-able compotents"
これだ。

私もこれまで漫然と苦痛だったのだけれど、一通り理解した(ことにしてその)後は、渾然一体と絡み合った頭の中の要素を箇条書き化して、エッセイが「書ける」形態にまで落とし込む。

これを書こう!1、2、3、・・・とやっていけば、あとは文章化するだけだ。そこまでいければあとはマシーン。文章製造マシーン。自分を機械化をできればできるほど、楽になるし、ノッてくる。機械に徹せれば徹するほど、感情的に高揚するんですねぇ、不思議だなぁ。

締め切りまであと二日というところで、ようやく今日からマシーンなれた。ここから先はライティング・ハイ。こっからは楽しい作業だ。そして、書き終わって、感無量。きっとそうだ、その瞬間を夢見てがんばるのだ。。。

日本でのどんな仕事でも、文章書くときはこの手順だ。「ハイ」と「感無量」の連続で、結局こういう作業から離れられなくなってる部分はある。いわゆる達成感というやつですか。この感覚、共有してくれる人は多いと思っておりますよ。

でも、考えてみたら、翻訳にはこの手順から得られる妙な「ハイ」感はないな。それはちょっとサミシイところかな、翻訳の。

頭の中にマップ。

2007年05月11日 | 授業・活動記録
今学期取っている授業の中で、最も熱い科目のひとつが、
「テクスト・アナリシス Text Analysis」だ。

文章もしくは対話の中で出会うテクストたち。
どんな言葉たちも、決して固定されたものではなく、
たえず「コンテクスト」すなわち「文脈」のなかで息づき、
ダイナミックにその姿を現す。

ある言語体系(と考えられるもの)の中にある、とある言の葉を
別の言語体系(と括ってみたとしてその中)において、
同義と考えられる言の葉、"equivalent"なものに置き換えていく作業が
翻訳の一端であるとするならば、
私たちにはその言の葉の呼吸をとらえようとする工夫がいる。
言葉を生きたものとして。

「テクスト・アナリシス」の授業で扱われる方法論は、イギリスの言語学者(シドニー大名誉教授)M.ハリディが提唱する選択体系機能言語学、または「機能文法」 (Functional Grammar)と呼ばれるものだ。機能文法ではテクストを有機的な統一体とみなし、それぞれの要素がいかに機能的に働いているのかを捕らえるものなので、チョムスキーの唱える人間が固有にかつ普遍的にもつ言語能力を前提とした生成文法(Generative Grammar)とは対照的な立場にある。
そしてまた当然、いわゆる「英文法」などで言われる主語・動詞・目的語・・・などとは異なった視点、異なったカテゴライズを用いてテクストを切り開いていく。具体的には、テクストに対して3つの方向、つまり観念構成的(ideational)、対人関係的(interpersonal)、テクスト形成的(textual)といった観点から光があてていく。
たとえば我々が「英語」という体系を学習する中で出会ってきたカテゴライズの「主語」というのは、テクスト形成的に見ればMacro Themeという要素かもしれないし、対人関係的に見ればspeakerもしくはaddresseeという要素になるかもしれない。
それぞれの視点からとらえると、それぞれの機能が見出される。それにより立体的な有機体としてのテクストのあり方に気づかされる。機能文法的な分析によって、言語体系の各要素が、決して静的なものとしてではなく、与えられたテクスト内、つまり現実のコンテクストのなかで生き生きとした有機的要素として「機能」する様をとらえることができるというわけだ。

こうした方法論を入手することで(もちろん1学期の授業ではこの学問の序の口もいいところだが)、翻訳者の立場である我々は、ある言語体系と別の言語体系を橋渡そうとする際の、極端に言えば一対一の「直訳」といったような落とし穴に陥ることなく、機能対機能として現実の生きた言葉を扱う感覚を少しでも身につけられるのかもしれない。

私の大学で教鞭を取るのはハリディとの共著のあるクリスチャン・マティセン氏。毎回の講義では、専門用語のオンパレードで眩暈がするし、毎週「何を学んだか、何を自分なりに応用できると考えられるか」を文章にまとめて提出しなくてはいけないこともあって、かなり手ごたえのある科目だ。

ただし、分析過程においては時折「これってすごく恣意的なんじゃ・・・」と感じてしまうことも確かだ。でも、それを言い出せば、こうした科学のあり方そのものが恣意的といえば恣意的なので、どっかであきらめて、楽しむことを優先するようにしている。どこかで役に立てばいいな、くらいで。

この授業に出会って最初に思い出したのが、日本の大学で音楽学を学んでいたときのことだ。音楽は演奏したり鑑賞したりで、それでよいのだという、ごくごく一般的な解釈はさておき、18~19世紀の西洋音楽を支配した機能和声という一大組織による音楽を、本当に私たちが解釈しようとするならば(演奏の観点であれ、享受の場合であれ)、きわめて構造的に有機的に組織されたその体系を把握することなくしては成し得ないというのが前提だった。

言語においても、翻訳という実践作業に入るにあたり(音楽でいうなら演奏かな)、いわゆる理論的なベースをうまく利用していくことは、アマチュアとプロとを画する部分になるんじゃないかと思う。

講義のほかに演習クラスは、日本人講師Ayako Ochi先生が我々の担任だ。先日彼女とゆっくり話す機会を得ることができた。「頭の中にマップを設けること。criteria(基準・尺度)をいくつか持つこと。」彼女が示してくれる方向性、その有効性は、言葉の海に果てしなく見出される潜在的(potential)なものと実証的(instance)なものとの間の「傾向」を掴む判断力と言えようか。
ご自身でジャズも演奏されるというOchi先生は、いわゆるジャズの「即興演奏」が実はおそろしくシステマティックな方法論に裏づけされたものであることを体得されている。

実践重視な授業が多いこの大学のコースの中で、こうした学問的傾向の強いクラスはやはり刺激的だし、Ochi先生のような理論と実践の間の立ち位置を、学生と共に模索される方と出会えたことは、とても幸せなことだ。

幸せ、だからといって、学生としてデキがいいかというと、
そうでもないから困るんだけどね。。

翻訳修行、そのズレ感がたまらなく、おかしい!

2007年03月22日 | 授業・活動記録
Maquarie University, Master of Translation & Interpreting.

なんせ、今学期の授業が面白い。
住んでる所に何かと落ち着かない事態が多いだけに、これは救いだ。
今学期私が取っている授業は以下。

1.Translation Practice
 翻訳 (日英、英日)
2.Text analysis & translation
 テキスト分析と翻訳
3.Computing & translation
  コンピューター技術と翻訳
4.Languages & Culture in Contact
  言語と文化

一応、コースの本丸となるのが1。
2~3はそれぞれ講義と演習からなっています。

今日はこの中でも1の日→英語の授業について書いてみます。
先生はMr. Yusuke Asoです。漢字表記がわからずすみません、先生。
この先生、相当厳しいから胃薬持参せよ、
という恐ろしい噂話が充満してたのですが、
授業が始まってみたら、内容の素晴らしさに驚愕いたしました。

学期が始まる前はターゲット言語が英語なのに、
先生が日本人?!?というところに
多少のギモンは感じていたのですが、
いざ彼の授業を聞いてみたら、むしろそれが良かった!と思いました。
前学期はオーストラリア人の先生でしたが、
翻訳に赤を入れられても、それがどうしてなのか、
結局思考を深く掘り下げていかれなかったのです。
でも、Aso先生の授業では、日本人の言語感覚として、
そこになぜ躓いてしまうのか、
そしてそれにはどう対処していくべきかを、
明確な方法論を提示して授業してくれるのです。
まさに、目からウロコの日々。

そして授業中には笑いをこらえることができません。
先生の解説を聞くと、自分の作った英文が、
いかに本来の意味からズレているかわかり、
私の英文からは「こういう意味になってしまうのだ」というのを知らされると、
それが滑稽すぎて笑いがおこるのです。

例えば今週の授業では、課題は日本のお役所が作成した「丹沢山地、ツキノワグマ出没に注意せよ」というような内容の文書。
この中の「クマの出没状況」という箇所。
つくりがちな英語というのが、

“bear's appearance”

ところがこれだと、
人々が待望していたところへクマが登場し「出ました!クマです!」とアピールして去っていく・・・みたいな印象を与えるんだそうです。

だから正しくは、日本語の解釈をまず「クマの目撃情報」と読み直し、“sighting”を使って処理するのが適切とのこと。

また「クマを興奮させず・・・」と来れば、「学校でならった英語」的にはつい動詞“Don't excite bears...”などと処理しがちですが、実際にはexciteは何かこうクマを擬人化して「ワクワクさせちゃう」みたいなニュアンスになるそうなので、動詞は“provoke”を使うことが適切だそうで。

すべては、悪しき「直訳」もしくは「和英辞書依存」によって生じるミステイク。
Aso先生の方法論では、まず日本語の意図するところを広辞苑などを使って読み込み、次にあたるべき辞書はあくまで英英。和英を使うと相当な確率で「爆笑モノ」の英文ができてしまう、ということなのだ。

先生の授業に出てから、英文を作るときにいちいち英英辞書をひかなきゃ気がすまない、みたいな感覚がついてきた。もちろん何を書くにも相当時間がかかる。でも、これを越えないことには、爆笑されない英文までたどり着けないリスクがあるのだ。時間はかかる。果てしなく。たいへんな努力も必要だ。でも、これがまたいいのだ。楽しい。

日本の英語関連の書籍で、「あなたの英語、ネイティブにはこう聞こえてます」みたいな本があって、大爆笑しながら読んだことがあった。例えば教科書では丁寧な言い方として習う“May I ~?”という表現は、ちっちゃい子供がお母さんになにかをネダる言い方なんだとか。もちろんいかなる表現も文脈、場面によるだろうが、「学校ではこう習った」という英語が引き起こすズレは、ときに大爆笑のみならず、誤解やヘタをすると大変なすれ違いを引き起こしたりする。

日本語がもつ、ロジカル面でのゆるやかさに、しばし気付かされる。ニ言語間を行き来することは、笑ったり、苦しめられたり、発見して高揚したり、何しろ忙しいことである。しかし、絶えず文脈という海の中でダイナミックに泳ぎ続ける翻訳というこの作業、鍛えるに値する面白さだ。

まだまだ・・・笑ってばかりいてはいけませんが。。。



そこは聞かないでください

2006年10月07日 | 授業・活動記録
日本に一時帰国することになりました。
40度にまでなるという夏のシドニー(部屋に冷房なし)を脱出し、
やはり正月は日本で迎えます。

ですが、日本の皆様よ、
どうぞ聞かないでください、
「オーストラリアにいっぱい友達できたでしょ?」ってことだけは。

先に答えます。
できません。
0人です。

この問題は多くのこちらの留学生が悩むところらしい。
周りはみんな留学生。
だから英語でしか意思疎通のとれない友達はできても、
彼らもみんな留学生。
つまりは英語を母国語としない人たちだ。

「こまったねぇ」と日本人のクラスメイトや先輩とよく話している。
ネイティヴスピーカーと友達になれるほど、
我々にはチャンスもなければチャンスをつくる時間もない。
もちろん人によっては努力やチャンスに恵まれ、
それができている学生もいようが、やはり十分でない場合が多い。

新しく我が家に(うちは学生寮だがアパートというより一軒家)日本人のハウスメイトが越してきた。コースは英語教育とのことだが、やはり悩みは一緒。ネイティブとはおろか、「英語で話す機会」そのものが実は圧倒的に足りてないという。欲を言えばネイティブと。しかしそんなこともいっていられない。まずは「話す時間」そのものを増やさねば。

そこで私は考えた。

今日から彼女と"Daily report"として毎日英語で語り合う時間を確保することにしたのだ。日本人同士で英語を話す気恥ずかしさが懸念されたが、そこは思い切って投げ出す。するとどうだろう。日本人同士でレベルもほぼ等しいが、これがリラックスや協力体制につながって、なかなかいい感じで頭がはたらくし、勉強になる。ネイティブと接触してワケわかんなくなって凹んで帰る、みたいな経験も大事かもしれないが(これなら何回か経験あり、今日も旅行代理店でのやりとりで凹んだ)、こうやってお互いに発話のペースを尊重したり、表現をさがしたりするのは、今の私にとってはなかなかに楽しい。

この後で香港人ハウスメイトと英語で会話したときは、なぜかこれまでになくうまく会話がはずんだ。うん。いい感じだ。

今学期は授業をこなすのでいっぱいいっぱい。来学期はうまく工夫して、もうすこしオージーさんたちと知り合うキッカケを作りをしたいものだ。
一歩また一歩。がんばろう。

コースの醍醐味(2)

2006年09月14日 | 授業・活動記録
そんなわけで、気持ちの上では「うれしいお休み」気分であるが、
とはいえ、この休み期間中にしかこなせないような課題が与えられている。
つまり正確に言えば休みではないということだ(苦笑)

クラスメートの言葉を借りるなら、
「巡礼のように」
裁判所を巡るのだ。

法廷通訳の現場を知るべく、
家庭・地方・最高裁判所などに通いまくる。
これはすごい経験だ。
大学を離れ、オーストラリアの社会的システムをのぞくことができるこうした活動こそ、本コースの醍醐味かもしれない。

休みを手前に本日は、私の第一回目の巡礼。
いきなり「最高裁判所」に行ってしまった。
ここではこざっぱりとした判決部分を見学するに留まってしまったが、ハシゴして覗いた地方裁判所では麻薬ディーラーの裁判を見ることができた。

弁護士が、「○○氏の何時何分の携帯履歴によると・・・」みたいにして陪審員に訴えかける。おお。映画のようだ。私のリスニング力では、思わず字幕を探したが見当たらない(あたりまえだ)。拾える単語を拾って、なんとか場の空気もろとも勉強するという作業。

思いのほか疲れた。
裁判所にはある種の「念」があるんだろうか。緊張感から肩がこった。

今後、このほかにも、
地域活動通訳の現場として、病院等の巡礼も待ち受けている。

オーストラリアよ、勉強さしてくれてありがとう。

コースの醍醐味(1)

2006年09月14日 | 授業・活動記録
通訳・翻訳をこちらで勉強し始めて早2ヶ月。
この週末から2週間は、「学期中間休暇」と称する休みに入る。
(日本のG大関係者の皆さん、
 例の「登校禁止期間」と折りしも同じ季節ですわ)

入学直後に、この休みの存在を知ったときは、
「高い授業料払ってんのに、こんなとこで休んじゃって、
 ぼったくりなのか?!」
と思っていたが、
いやいやなんの、これはあってしかるべき休みであることが判明。

これまで海外生活経験のない人間にとって、
通訳・翻訳の本コースから毎週課される膨大な宿題は、
正直、拷問に近かった(苦笑)。
確認や定着させるための作業なんて、
とてもじゃないけど時間がとれなかった。

そんなわけで、ここで2週間もらえることは、
「ありがたや~~!!」の気分である。
もちろん復習に燃える!などというマジメな理由ばかりでなく、
「ここいらで息ぬかせてよぉ」
というギリギリのラインでもある。

ひと学期まるまるなんて、とてもじゃないけど
走り抜けられたもんじゃない。

リセットするためのいい時間にしたい。

とはいえ、やっぱり様々な活動は課せられているが。
(2)に続く・・・

環境問題のこと

2006年09月05日 | 授業・活動記録
本日の通訳授業では、環境問題にかんするプレゼンテーションを用意してくることが課題でした。
私のプレゼンに対して、クラスメートの皆さんが美しく逐次通訳をしてくれました。ここに私のスクリプトをあげておくことに致します。

The greenhouse effect

The world has been warming strongly since the early 1970s. It is said that the most serious cause of this is to increase the greenhouse effect. The greenhouse effect, however, is originally one of the most essential natural phenomena that enable all living things to live on the earth. Because of this effect the sun’s radiation is kept on the earth as heat. Without the greenhouse effect, the temperature of the earth would go down to 18 degrees below zero.

The greenhouse effect is arisen by the greenhouse gas. The most significant three greenhouse gases are water vapour, carbon dioxide and methane. If there are too much greenhouse gases, a lot of heat is trapped close on the Earth’s surface, causing the atmosphere to heat up.

Today human activities emit large amount of carbon dioxide. That leads global worming. The average of global temperatures increase around 0.5 degrees C in the last 100 years. We are at risk such as dry out soils, rainfall shortage, rising sea level. According to the report from the IPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change), if greenhouse gas emissions were held at current levels, the temperature increase could be two degrees Celsius by 2100.

In consideration of this serious situation, in the United States, California Governor, Arnold Schwarzenegger was set to sign a historic bill to cap greenhouse gas emissions. California is the world's ninth-largest emitter of greenhouse gases. The bill requires industries such as oil refineries, chemical manufacturers, to return to 1990 levels by 2020 - roughly a 25 percent cut compared to business as usual. The bill is not specific about how to achieve it, but it says regulators may adopt a trading scheme so that plants having trouble cutting emissions could buy emissions credits from plants that have made the cuts.

一週間中のお楽しみ

2006年08月31日 | 授業・活動記録
(明らかに)ゲイの先生がいます。ブルースっていいます。
今、彼の授業がいちばんのお気に入り。

“Public Speaking”という授業。
聴衆を前にして、いかに効果的に発話するか、
そのスキルを磨く。

感情表現豊かなブルース。
一語一語へのエネルギーのかけ方が尋常じゃない。
まるで劇団の基礎訓練みたい。

とくに“caution”とか、
ちょっと「危険!」みたいな語を発するときの
彼の表情がいい。チャーミング。

ブルースはよく汗をかく。
汗をかいては、自ら濡れたシャツを指摘している。
くっ、かわいい。

大学から最初に手渡される「学生便利帖」みたいなやつに、
保険やビザやその他重要な情報とならんで、
“Sexuality”の項目がある。
Queerの集いの案内だとか、
最近バイやレズビアン、ゲイだと気付いた場合の連絡所とか
そんなのがきちんと載っていて、
正直、日本の大学では考えられないので驚いた。
そいえばシドニーでは、
秋にゲイの人たちの大きなお祭りがあるんだっけ。

なんだかわらかないけど、
元気なブルースの授業のおかげで、
一週間のコンツメ作業が報われる気分になる。
ありがとう・・・ブルース。