融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

にわかには信じがたい話~アパート退去勧告事件その1

2007年02月28日 | 気付いたこと築いたこと
今日大学の授業からもどると、
ハウスメイトが「悪いニュースがあるから、まず落ち着いて座って」と言う。
何かとおもったら、なんと、大学を通して年間契約したはずのこのアパートから、あと一ヶ月以内に出て行けという連絡が入ったそうなのだ。新学期も始まったばかりで、どの部屋もいっぱいのこの時期に、にわかには信じがたい話だ!!

年末までお金もすでに払い込んでいる。問題は契約書的なものを探したが、見当たらない。明日、とにかくハウスメイト4名全員と大学側とで話し合いがもたれる。我が家の無敵なメリケンちゃんの出番がやってきた。がんばれ!メリケン!!
私も一応、「精神的苦痛」とかのリーガル用語を調べて行こうとはおもってますけど。でも、この国、最終的には泣き寝入ることになるのが目に見えてはいる。

あと一ヶ月以内に部屋を探して引越しなんて。
眩暈がしている・・・

青空の下で歌う。

2007年02月27日 | 音楽

新学期が始まったばかりの大学の雰囲気というのは独特だ。
あちらこちらでサークル等の勧誘で華やいでいる。

今日は私が1ヶ月前から所属している合唱団Macquarie University Singersもそうした宣伝活動を行った。若者が極めて少ないこの合唱団・・・メンバーは大学職員やOBの年配者が多く、キャンパス内では微妙な雰囲気を漂わせる団体だったに違いない(笑)

通常は100名くらいの大所帯だが、今日は平日とあって、出てこられたメンバーは20名くらい。中世のヨーロッパ世俗歌曲や謎のアフリカ(と思われる)歌曲など、たくさんのレパートリー。昨晩のリハーサルで初めて見た楽譜もあったけれど、下記の作品を楽しく歌うことができた。

Thoinot Arbeau :Belle qui tiens ma vie
John Dowland: Come again, sweet love
Anonym: Dona Nobis Pacem
Anonym: Gaudeamus Igitur
attr.Henry VII: Pastime
Thomas Ford: Since first I saw your face
?アフリカ?: Singabahambayo
Anonym: Pase el agoa

モーツァルトのAve Verum Corpusもレパートリーにあったのに、周りが騒がしすぎてかき消されてしまうということで、突如廃止に。いつも歌うたびに泣きそうになるくらい好きなので残念だ。かつて楽理科受験塾の故中内詢子先生が「あれ以上美しい音楽はない」と珍しく熱く強調していたのも思い出される曲だけに。。。

ところで。こちらに来てから英語力の悩みは尽きないのだけれど、特に最近、この合唱団のおじちゃん、おばちゃんたちが、何やら親切に話しかけてきてくれるときに、これぞオーストラリアの英語ですか?!?!という感じで、何がなんだかさっぱりわからなくて困る。とりあえず、自分の息子が日本にいる、とか、日本にいたことがある、とか、日本日本とうれしそうに言ってきてくれることが多いので、「そうですか~」とニコニコしてごまかしている。笑うだけで、寡黙なメンバー。でも、音とりなら、まかしてくれ。

「夏休み」最後のイヴェント

2007年02月24日 | 気付いたこと築いたこと

実に11月半ばから続いていた長い長い「夏休み」。
その締めくくりに通翻クラスのみなさんと、
ブロンテビーチでバーベキュー大会をした。

来週からはじまる新学期は、
先学期と違って各々選択する授業や仕事などに
広がりが出そうな第2セメスター。
みなさん、がんばりましょうね。

あ~それにしても、たった一日で日に焼けたなぁ・・・
やっぱりオーストラリアの日差しって、すごいや。

(写真提供はコアラブログのあっちゃん)

小さな工夫をあきらめないこと

2007年02月23日 | 気付いたこと築いたこと
四ヶ月にいっぺん、くらいの割合で、
「心の底から何もする気が起こらない日」
というのがあるんだが、今日はそれだった。

ひとつだけしたことといえば、
夜、思いつきで電球を買いに行ったことだ。
もう半年以上も、シドニーのこの部屋が暗いと思っていた。
60ワットから100ワットにしてみた。

急に「自分の時間が帰ってきた」ような感じがした。
さっさと換えればよかった。

余裕と隙と不真面目と

2007年02月22日 | 気付いたこと築いたこと
長い長い夏休みが明けて、
来週から2学期目が始まる。

自分への期待値設定をば。

出来るだけ人生の時間に隙を作ることを許して、
そこになだらかに流れ込んでくるものを、
受けとめんとする姿勢で。

ここにいることの全てが
それによって豊かになるように。

コレ不真面目ノ美学成也。

とかげ一家は今日も元気。

2007年02月19日 | 日常生活

シドニー郊外にある我が家のお庭には、
とかげ一家が静かに暮らしている。

最初発見したときはド肝を抜かれ、
「こんなとこで暮らしてられるか(泣)!」と思ったが、
毎日姿を見かけるようになると
家族構成がわかるようになってきて(そんな気がする)、
(お父さんは全長40cmくらい、お母さんは30cmくらい、
 息子さんは15cmくらい)
ちょっとかわいくも思えたり、
長く見かけないと心配になったりもする。


そんな一家が、ここ数日、
富にわれわれ人間界に接近してきている!!!

昨日はなんとお母さんが、
大胆不敵にも人間の網戸にガッツリよじ登っていた。

そして今朝は、息子さんが、
キッチンの窓辺から、こちらの様子を伺っていた。
(写真はその息子さん。
 カメラを向ける前は、両手を窓に当て覗いていた!
 カメラに気付いて、逃げの体勢に入ったところ)

一家に一体何がおこったのだろう。

でも、彼らはキホン臆病なので、ちょっとこちらが接近すれば
「ひゃ~~~っ!!」と大慌てで走り去ってしまうのだけれど。

中国の「お正月」だそうです。

2007年02月18日 | 気付いたこと築いたこと

中国は本日がお正月だそうです。

昨晩はニュー・イヤー・イヴということで、我が家の上海ガールとそのお友達が本気料理をこしらえてくれて(写真はその一部)、皆でお祝いした。中国人が本気だすと、すごい。日ごろから食に対する関心が高く、彼女はジャンクなものを口にしない。それだけに、「本気料理」は大変においしくヘルシーだった。お肉は鳥やポークでどれもやわらかく煮込んである、スープや野菜が満点の料理。5人でお腹いっぱい食べきれないくらいのご馳走大会となり、そして私は多いに酔った。

ところで、中国の正月というのは太陰暦に基づいている。
これは一ヶ月を29.53039日と計算する。一年は354日または355日となるので、中国の正月は太陽暦上の日付からは毎年ズレるしくみだ。
太陽暦では一年は365.24219日であるから、次第に生じる差を埋めるべく、4年に一度の「うるう年」に2月29日を置いて「一年」の長さを調整する。
それでは太陰暦ではどうなのか。「うるう年」みたいなのがあるのかどうか、疑問に思って香港ガールと上海ガールに聞いてみた。(ちなみに、この質問のためにはじめて「うるう年」を英語でなんていうか、辞書をひいた。答え:leap year)

なんと二人の答えは別々だった!

香港ガールが言うには年によって「2月が2回ある」という。すごい。一日どころか、まるまる一ヶ月ダブらすなんて、大胆だ。でもその周期がどうなってるのかは「知らない」そうだ。数年まえにあった、とか言っている。

一方、上海ガールによれば、年によって「7月が2回ある」そうだ。そして去年はその年だったらしい。「はっきり覚えてる。だって、7月7日は中国のバレンタイン・デーで、私たちは2回もお祝いしなくちゃイケなかったんだもの」と軽くノロケつつ教えてくれた。へぇ~七夕が「バレンタイン」ねぇ・・・。いずれにせよ、彼女もこの2回の7月というのが何年ごとにやってくるのかは知らないそうだ。毎年カレンダーを買ってきて、「あっ今年は7月2回だ!」ってなことらしい・・・。不思議だ。

彼女たちの使っているカレンダーは独特で、通常の太陽暦の下に漢字で太陰暦が記されている。日本のカレンダーに現行の六曜の仏滅とか友引とかがあるように。日常生活では太陽暦に従っているので、月ダブリ年がいつになるのかは「どうでもいい」そうです。その割にはお月様がどうこう言って、よくご馳走食べてます、中国人。奥が深い・・・。

ピアノへのアクセス

2007年02月16日 | 音楽
翻訳を勉強している学生の身、今、ピアノは持っていない。
合唱団アルト仲間のおばちゃんが前回の練習時に「あなたピアノ弾けないんじゃ、さぞお辛いでしょう。ここの部屋のピアノが借りられないかどうか、交渉してあげるわ!」と言って下さって、おかげで管理係の電話番号を入手でき、本日予約を入れることができた。

ちなみにこういう手はずの電話をかけるときだって、私はいちいちキンチョーする。「留学生です、合唱団員です、ピアノ弾きたいです、こんな私ですけど○○号室予約できますか」という説明だって、ちゃんと練習してから電話。とくに電話だと、相手が何言ってるかわからなくなることが多いので、なにしろキンチョーするのだ。

キンチョーを経てのピアノ室ゲット!そんな具合ですから心踊り具合もヒトシオだ。



というわけで、心踊らせてピアノを弾く図。

ちなみに、ピアノはカワイでした。カワイといえば、前に翻訳のオーストラリア人の先生がご自宅のピアノを貸してくださったときも、カワイのアップライトだった。シドニーではカワイの受容が多いのかな?

ともあれカワイのピアノは私にとって、国内外のメーカー問わず、最も相性のいいピアノだ。ヨーロッパメーカーのピアノの音はキラキラしすぎちゃって、ちょっと照れくさくなる。でもカワイの音は、縦にポローンと優しく伸びる感じで、とくにpp、ppp、つまり弱い音が本当に温かい音が出せるの。大好きだ。



聴衆つき。ジムに行く前に「演奏ききたい」と来てくれたメリケンちゃん(スポーツ・バージョン)
(写真撮影:香港ガール)

今年没後100年のグリーグのソナタ、ショパンのノクターン、それからオーストラリアの作曲家ロス・エドワーズの「5つの小さなピアノ曲」(大変にジャポニスムな音のする曲です)、同じくオーストラリアの作曲家ピーター・スカルソープの「ジリール Djilile」(発音がよくわからない。アボリジニの民謡をテーマにしたという曲)、そしてブルグミュラー「なぐさめ」、武満徹「雨の樹素描」、末吉保雄「土の歌・風の声」などなど・・・を弾きました。

久しぶりに脳みその別の回路を使った感じがする、演奏はやっぱりいい。何しろ音を聴く。聴いて判断して指先に指令を送る。楽譜を読む。読んで受け取ったメッセージもまた、指先に指令として送る。この回路が、なんとも気持ちのいい疲労感へのつながる。

「いつでもひける」という状況はもちろんいいが、ストイックにこらえて一気に引きまくる、というのもいい。何しろこうして今後もシドニーでのピアノへのアクセスを得ることができそうなのはうれしい。もっとこちらの作曲家の作品を入手してこよう。

シュール短文と乾燥肌と

2007年02月15日 | 気付いたこと築いたこと

昨今では辞書と言えば紙媒体ではない。電子辞書だ。
ここシドニーM大学の通翻学生も、98%以上は電子辞書を使っているんじゃないかな。日本人学生は100%だ。単語の発音をしてくれるものも多く、音声の質も最近では悪くない。

そんな辞書の元になるような作業バイトをした。

日本語電子辞書作成のために音声データの収集をしている会社があって、1時間だけのお手伝い。
私のタスクは、コンピューター上に次々と現れる短文を読み上げること。30代女性関東地方出身という、ある種の「アクセント」を前提とした音声データになるという。

どんどん読み上げる短文には何の脈絡もない。
ひたすらマジメに音読しなくてはならない。
例えばこんな文を、2秒感覚で次々と発音していく。

「おいしそう」
「今朝鼻血がでました」
「加藤芳雄 203号室」
「入れ歯がこわれました」
「ターザンのように生きるのが夢なんだ」
「やや固めの半熟卵」
「わたしもよ」

これ、もはやシュールですよ・・・・。

笑いをこらえるのに必死。ときどきこらえきれず、NG。何回か撮り直しをさせてもらったりもした。

しかし1時間で200文のシュール体験を楽しんでご褒美はなんと$30!すばらしい!!臨時収入で購入したのが、写真の「ボディ・バター オリーブの香り」
こちらは乾燥しますから、気がつくと身体がコナコナに・・・。
冬場からずっとこの香りに憧れていたけれど$26もするので我慢してた。
もうこれが本当にいい香り。日本で買うともうちょっと高い。
ようやっと手にして、今ものすごく幸せ。

生活スタイルの多様性~はじめに個ありき

2007年02月14日 | 気付いたこと築いたこと
我が家にメリケン娘が越してきて一週間以上が経過した。
ここ数日、けっこう大変だった。

メリケンちゃんはキホンいつも自室にはおらずリビングでテレビを見まくっている。困るのは、そのテレビ鑑賞に他のハウスメイトを誘ってみたり、用もないのに他人のドアをノックしてみたり、宿題をしている人の邪魔をしたりする。たのんでないのに、みんなの分も料理(缶詰パスタ)作ったとかいって、無理矢理リビングに引き出そうとかする。

実際「ちょっと付き合ってみるか」と一緒に座ってみても、ぼぉ~っとテレビを見るだけで、私にとって興味深いトピックを話すわけでもなんでもない。せいぜいお若い娘さんの恋愛話ってとこだ。興味深いやりとりができるなら、私はいくらでも時間を惜しまない。だが他人の恋愛なんて、そんなこたぁどーでもいい。基本的には私は私の納得する使い方でしか自分の時間を使いたくない。頼むから自己満足のために他者の時間を奪おうとしないで欲しい。。。

私以外のハウスメイト香港ガール、上海ガールも疲弊している。うちひとりが、「用がなくとも、特定の誰かでなくても、とにかく人といたいっていうのは、西洋文化なんじゃない?別のアパートで西洋人ばっかりがただただ集ってるの知ってるよ。」とか言い出した。

私は「文化の違い」という、たまに便利だけど結構胡散臭い考え方は避けるようにしている。だが一方で、そういう傾向もあるなかなぁとちょっと気になった。ちょうどシェアという暮らし方についてブログ記事を書いた「あっちゃん」に、そのところどう思う?と聞いてみた。彼女はアメリカでの生活経験もあるし。彼女のお返事は以下。

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たしかに、欧米人は日本人よりも、リビングに集ってワインを飲んだりするのが好きっていう傾向はあるかもしれない。もともと、社交っていう文化があるからさ。日本人って、飲みに行くのも食事に行くのも、もとからの仲間(職場とか学校とか)の親睦を深めるっていう感じでしょ。でも、アメリカとかだと、知らない人と出会って交流するっていうのが社交なんだよね。

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「社交」というものの捉え方に違いがある、という彼女の指摘のはとても面白い。彼女の言う「知らない人と出会って交流する社交」という言葉で、私の頭に思い浮かんだのは19世紀のパリのカフェ文化。そこでは芸術家が集い、活発な交流が行われていた。それが時代の潮流を動かすほどの活発な集いの場であったことは言うまでもない。しかしそれはやはり一人一人の芸術家の際立った個性があってこそ。芸術家は基本的に人と一緒のことができないサガの人たちですからねぇ・・・・

「最初が肝心」とばかりに、毅然とした態度をキープする私のことを、メリケンちゃんは「アノ人は社交性がないのか?」とか言っているらしい。誰でもいいから人と一緒にいることを社交性というのなら、確かに私は社交的ではない。しかし思うに、本当の意味での社交性というは、個人主義の上に初めてなりたつものだろう。個人主義者は他人に何かを強要したりはしない。いつでも一緒に~・・・とかはしない。それでも互いにタイミングや目的なんかが一致すれば、それこそ楽しく盛り上がる。お互いの話を聞いたり、お互いにいいように動く。ただただ一緒にそこにいる、寂しいからくっついている、なんていうのはハウスメイトとの関係としては私はごめんだ。いや、どんな関係でもごめんだけど。

とりわけ、今かけがえのない外国生活を送る中、そこら辺はやっぱり肝に命じておきたい。ここらへんも、はげしくアグリー。

あ、しかし。我が家のメリケンちゃんは、決して悪い子ではないのだ。ずるいこととかは絶対出来ないタイプだろうし、ただただ普通にナイーヴなのだ。憎めないところがまた、コマってしまうところではあるんだけれど・・・。