融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

これがブッシュですか

2007年09月08日 | オーストラリア社会科見学
オーストラリア独特の自然散策、ブッシュ・ウォーキング。
私は初の体験、総勢6名で行って参りました。



ウワサには聞いていましたが、「ブッシュ」って、
確かに山道ほど深い感じではなく、
林ほどあっさりしてもなく、
茂みほどうっそうともしていない。
全体には背の低い森、みたいな感じでした。

朝は小雨がぱらついていたため、あちこちぬかるんでましたが、
気温はおそらく13度くらい、曇り空で、
歩くには丁度良く、質の良い酸素を吸って歩くような感じでした。



とはいえ、歩いているときはなかなかハード、
あっちこっちに怪我する要素は満載。
木の枝が容赦なく突き出ていたり、足元も根っこでゴツゴツ。
写真はある程度のポイントで取ったものなので、
いわゆる「これがブッシュ!!」みたいな雰囲気ではないかも・・・

途中、「こんなの越えられません!!」っていう感じの川も
お仲間の助けを得ながら渡ったし、
「こんなの登れません!!」っていう感じの岩も
ひっぱってもらいながら、よじのぼったりしました。

野性味たっぷりとはいえ、一応は「国立公園」。
入り口にはこんな看板がありました。



一番上のオレンジ色のサインは、なぜかクジャク。
野生のクジャクに注意せよ、ってことなんだろうか・・・?

今日のコースは6kmほどで、2時間くらい。
ハイキング程度のものでしたが、
運動不足の身体には結構こたえました。
でも、土を踏んで歩く感覚は独特で楽しいもの。
これにハマってしまう人の気持ちはわかります。

ゴールの先は、韓国人街のあるイースト・ウッド。
そこのお気に入りのMINTOというお店で皆で食事。
運動のあとのチヂミやプルコギ、そしてビールは最高でございました。
せっかく燃やした脂肪も、これで台無しか・・・ま、いっか。

APECついでに、「オーストラリア的」とは何かを考える!

2007年09月07日 | オーストラリア社会科見学
シドニーは本日、APECということで、休日扱い、授業もございませんでした。
ところでAPECと言えば、会談後にみんなで「伝統的な民族衣装を来て記念撮影」というのがありますけれど、オーストラリアは「伝統」なんてないですからね、それについては関係者の皆さん、「固く」口を閉ざしているそうですよ。「固く」なくてもいいと思うんだけどね。ビーチ・カルチャーだからとはいえ、さすがに「水着は否定」だそうで。

で、それに関するこんなニュース映像がありました。「際立った国民的衣装がないこの国では、いろいろな憶測が広がってます」とのこと。
ハワード首相、一つだけあげたヒントというのが、

「すっごくオーストラリア的。考えて、オーストラリアだよ」

って言ってますけど・・・。
わかりません、ごめんなさい。

映像の中ではコルクがぶら下がったバカっぽい帽子とか、ビーサンとか出てきますね。
いや、このコルクの帽子は、ちゃんとハエを追い払うという画期的な機能付き!オーストラリア、あったかくなってきたころは、ウソかと思うくらいハエがおおいですからね。女性は特に、化粧品の香りが呼ぶのか、みんな顔にハエくっつけて歩いたりしますから。ビーサンは、まさに必須アイテム!!ちょっとしたデートなんかでもビーサンで全然OKなんですよ、この国は。というわけで、確かにオーストラリアっぽい。

でもね。さすがにね。映像中でも「世界のリーダーたちがコルクハットっていうのは、想像し難い・・・」と言ってます。

また、映像中に出てくる景色はシドニーの街中だったり、ビーチだったり、結構よく見る景色です。映像途中インタビューに答えるアジア系の女性の英語は、コテコテのオージー・イングリッシュな感じに聞こえます。


で、映像の中では、「ブッシュ」を散策する人の格好が人気らしいです。

私は今までその「ブッシュ」なるものに出かけたことがないのですけれど、森でも林でも茂みでもないアウトバックらしいです。タイムリーにも、明日天気がよければ「ブッシュ・ウォーキング」なるものに行ってくる予定。どんな景色なのか、ちょっと楽しみです。。。

ついに食べました!

2007年06月15日 | オーストラリア社会科見学

シドニーの有名な白いオペラハウスの近くに、ロックスと呼ばれる地域があります。そこにある有名なパンケーキを、一時帰国前日に、お仲間と食べに行ってきました。

午前中めでたく今学期最後のエッセイを提出。その後大雨の中、待ちに待った素晴らしいパンケーキを前に・・・ついにこの日がきた!という感じです。

数時間後にはフライト。
充電開始!

きのうはカンガルー・デー

2007年04月13日 | オーストラリア社会科見学
まだ自宅にネットがつながらない。
ま、それはもういいとして。

日本からのパートナーとレンタカーをしてお出かけしてみた。

フェザーデールという小さな動物園へ。ここではコアラが触れるほか、カンガルーやワラビーたちがガンガンに放し飼いされていて、しかも人懐こい。大変にかわいくて、癒されまくった。小さい動物園なのに、一日いてもいいね、という気になる。


ねぇ・・・


ねぇってば。ちょとっ・・・


向き合って。


戦うのです。



やり場のない怒りはどうしたらいいですかっ?!

2007年02月13日 | オーストラリア社会科見学

我がハウスメイトの香港ガールちゃんは、最近熱心に大学のジムに通い、健康的な生活を送るためにがんばっている。学生だし贅沢はできないというので、香港のお母さんにお願いして、愛用していたスポーツシューズを実家から送ってもらった。

待ちに待ったシューズが到着し、意気揚々とジムに向かって歩き出した。そのとたん、なんとものの数分でシューズが破壊した。写真はその図。
よく見ると、まるでカッターでザックリ切り剥がされるようにして、底の部分が半分に割れてしまっている。普通に使用していたナイキのシューズが、こんなことになるなんて到底考えにくい。

彼女のこのシューズは実は到着前に、オーストラリア政府の検疫調査を受けている。

オーストラリアといえば、国外からの物品持込が非常に厳しくて有名で、あらゆる食料品、または植物や動物製品などは入国審査時に申請しなければならず、申請しなかったものがX線やらワンコの嗅覚などにより後で見つかると、日本円にして2万円くらいの罰金や、ひどいときは拘禁処罰までありうる。外国からの郵送物も同様に、中味が怪しまれた場合は、送り主らに許可なくガッツリ開けられてしまう。私はこれまでに3箱日本から郵送したが、そのうち1箱はやはり開けられた。輸送内容を詳細に書かなければいけないのだが、頭痛薬を梱包していたので医療品と明記したので、それはわかる気がする。あとのこり2箱は衣料品とか文房具と書いたが、それらは調査されなかった。送る際、スーパーでもらってきた食料品のダンボールは使えない。「オーストラリアだけはダメなんですよぉ・・・」と日本の郵便局で受けてもらえなかった。おかげでダンボールをホームセンターで買い、パッキングしなおすはめに。。。ちなみに、知り合いは家族からの小包を開けられ、中の手紙がビリビリッと破られていたことに憤っていた・・・

・・・というわけで、私たちは、どうしてもこの検疫を疑わないわけにはいかなかった。何か靴底にあるのではと疑い、ガバッと引き剥がして、あ、何にもなかった、と、適当にのりでちょっとハッつけました、みたいな。人のものをナンだとおもっているのかっ。いくらなんでも、勝手に、もう二度と使えなくしちゃうなんて、ひどすきるんじゃないの、オーストラリア!!!!????そこまでしなくても調査ができるようなシステムを、考案していただきたいものだ!!!

私は彼女に「これって、泣き寝入りするしかないの?」と聞いたが、「どうせ聞いたところで『知りませんよそんなこたぁ』とか言われるのがオチだから、私新しいの買うよ・・・」と戦闘意欲をすでになくしている。

私はしみじみ感じたね。私たちは弱者だと。外国人留学生なんて、ええ、所詮弱者ですよ。しかしだよ。この外国人留学生たちの支払う授業料のおかげもあって、数年前まで地元学生は無料だった大学という機関が大きくなってきたのも確かなのだ。

なんだかなぁ・・・

「安全」なゲイ・バー

2007年02月11日 | オーストラリア社会科見学
シドニーはアメリカのサンフランシスコと1位2位を争うほど、同性愛者の多い都市なんだそうだ。毎年2月の終わりには「マルディグラ」という、世界最大のゲイ・パレードもあって、世界中からゲイの皆さんが集合し、数十万人もの観光客であふれるらしい。同性愛者に対する差別は違法で、結婚制度こそ認められてはいないが、事実婚によって永住権も取れるし、社会・医療保障制度も異性愛カップルとのギャップを埋めるべく立法化される動きがある。

というわけでゲイの皆さんが生き生きとしている社会、それがシドニー。昨晩はそんな皆さんのコミュニティーである「ゲイ・バー」に足を踏み入れてみた。ハウスメイトの香港人の友人がレズビアンで、その彼女が自分の「彼女」を紹介したいし、みんなで楽しく遊びましょ、という設定だ。
夕食時に香港娘&メリケン娘の二人が「ゲイ・バーは安全だから、一緒に行こう、帰りは女の子5人で一緒にバスだし、絶対安全!」とかいう誘いに、若干私の好奇心もくすぐられたのだ。

マーズフィールド(ド田舎)からバスにのりシティへ。週末のシティはやっぱりそれなりに、飲んで愉快になっちゃった皆さんが多い。でも、、東京の新宿・渋谷・池袋などの雰囲気と比べたら、全く持って平和そのもの。若者たちもヘンにたむろったり暴れたりはしていない。

「ゲイ・バー」とか言ったって、そんな看板があるわけでもないし、見た目は普通のバーだ。中に入れば普通にお酒を買って、あとは踊ります、みたいな。

待ち合わせに登場したレズビアンの彼女は、身長180センチくらいはありそうな大きな方で、漂う包容力というか、温かみとハツラツさにあふれる人。私と同じ大学で心理学を勉強中とのこと。おぉ~魅力的な人だなぁ・・・とちょっと見とれた。「心理学?私の心、見透かされそう」とか言っみたら、ドでかい笑顔を向けてくれた。私のような小さい東洋人(身長150センチ)の一挙手一投足がなんかハマるらしく、「かわいいわねぇ」みたいな笑顔が絶えなかった。・・・多分、私の方がずっと年上なんだけど(苦笑)。

そこへ登場するは彼女の「彼女」。これまたブロンドで細身のキレイなお嬢さん。彼女らは「何年ぶりの再会ですか?」というくらい、「オォ~~っ!!」ギユ~~~~~~っと熱いハグを展開していた。す、すごおい。(実は一緒に住んでる二人)
見れば周囲でも、男性同士の愛情表現がそこいらにちらほらと。踊りながらだったりなので、意外と爽やか(笑)。とにかくみんな幸せそう。男性性から解放された自由な笑顔たちがそこにはありましたよ。

しかし、この晩の、私にとってのクライマックスは、彼ら彼女らのハグでもダンスでもなく、香港娘のたくましさであった。
日ごろは、ただただ妹のようにかわいくて、しょうもないことで悩んでいたり、恥ずかしがりやだったりする子供っぽい娘だ。この日もスイス人の友人から半ば強制的に若干露出度のある服に着替えさせられ(といってもただのキャミソール)「やりすぎだわ~」とか恥らっていた。ところがだ。いざとなるとめちゃめちゃ芯が強い。
踊っていたら知らない男性が私に近寄った。すると!彼女はその男に「あんたなによ!近寄んな!」と言わんばかりにガッと私の両手をとって、「レズビアンな二人」を演じてくれた。すごぉい。東京にいる私の許婚(いいなずけ)を「お兄ちゃん(←ちゃんと日本語で特訓した)」と呼んで慕ってくれているだけに、「安全」を確保するのが彼女のミッションだと感じていたのだろう。なんせその時の彼女力強さといったらなかった。いやはや、頼もしかった。

飲茶帰りにワンコと遭遇。

2007年02月10日 | オーストラリア社会科見学

多民族国家で暮らすことの利点の一つは、比較的安く本格的な味の各国料理が食べられるということだろう。

今日は香港娘につれられて、彼女のお国の味「飲茶」を堪能した。自宅があるマーズフィールド(ド田舎)からバスで10分も行くと、イースト・ウッドという韓国街&中華街ドッキングエリアが存在する。アジアの味が欲しくなったらここへ来ることにしている。

新しく同居をはじめたアメリカ娘も初体験の飲茶。彼女は中華料理というと何かグロテスクで恐ろしいものという印象を持ってたようだが、一掃されたらしい。「家族に『私、中華料理食べれるの!』って報告する」と言っていて、なんかカワイかった。

ちなみにアーターモンという駅付近には、こじんまりとした「日本人街」も存在する。日本食(というか居酒屋料理だったけど)は普通においしくいただけた。「ふるほんや」という古本屋は結構品揃えがあって驚く。

写真は料理と無関係だけど、飲茶帰りに遭遇したワンコ。犬に触るの久しぶり。手荷物にはアジアンスーパーで買った大事な大事な「冷凍チヂミ」が入っています。

ビーサン談義

2007年02月03日 | オーストラリア社会科見学

オージーの日常を象徴する風物詩・・・それはビーサンだ。
嗚呼!ついに私も入手してしまった!!
実は・・・「これだけは手を出すまい」と思っていたのだった。

人によっては自らの怠惰な部分が花開くことを危惧して、テレビを部屋に置かないとか、コタツを置かないとか、そういうのがあると思うけれど、私の場合はこの「ビーサン in オーストラリア」であったのだ。。。だって、なにしろラフすぎるし、あんなペッタンコで「ペタペタ」音鳴らしながら、ほとんど自分の足をむき出しにしてパブリックな、そして時にオフィシャルな場をどこでも歩いてしまうことに違和感があったのだ。

ただしこちらでは、大学内大学周辺どこを見回してもビーサンビーサンビーサン・・・・そして短パンにヨレヨレのTシャツ・・・とか。およそアカデミズムの欠片も見当たらないこのムードに、某先輩と私はどんよりしたものだった。しかし、そんな先輩が帰国の暁に、「オーストラリアでコレ買った!!っていうもの何かありましたか?」とお聞きしたら、「ビーサン」とのこと。なんかわかるなぁ、とは思った。

実は日本に一時帰国したときに、家の中での履物としてスリッパを買って帰ったのだけれど、季節的には冬物だった。夏のこちらで使用していたが、我慢ならなくなっていた。

そこにハウスメイトの香港娘が、こちらで調達したと思しき真っ白なビーサンで颯爽と登場した。ちょっとうらやましくなって、「あ、いいね」といったら「これいいのよ~このブランドならけっこうクッション厚いし長持ちするし。とてもハイクヲリティ~」とか言っている。

私のなかで「ビーサン」と「ハイクオリティー」というのが結びついたことがなかったので、驚いた。だってビーサンなんてどうせ五、六百円のもんなんでしょ?しょせんチープじゃないかと・・・。そこで聞いてみた。「いくらすんの?」
「20ドルから30ドルくらい。」
「!!!!」

なかなかいいお値段ではないか。

そこで私は目覚めたのであった。気になる。ええ、気になりますとも。ハイクオリティーなビーサン、履いてみたいじゃない。

その夜彼女と一緒に、そのブランドのビーサンを買いにでかけた。ブルー、オレンジ、ピンク、グリーン、きれいな色のが並んでる。センスのいい香港娘は私に黒を勧めてくれた。他にも「限定(!)」でゴールドとシルバーとかもあって、ちょっとそれは値段が高かったりする。あや~・・・・いくつも欲しくなるよ。

とりあえず、写真の赤いのを入手。2000円弱だ。
もともと私は挿し色の赤っていうのが好きなのだ。

これが実にいい。家の中とか、お庭とかでしか履いてないけど、確かに「地面直!」みたいなペラい感触はない。第一涼しいし、ベタベタ気持ち悪い感覚もない。これなら履いている本人も、あまりチープな気持ちにならないで済む。外反母趾とかほど遠いし、足にもいいかもしれないな。もっと早く入手していればよかったよ・・・。

これまで「やだわ~」なんて思っていたオージー・ビーサンユーザーの皆さんゴメンなさい。確かにコレ、いいです。

「オーストラリア的」ということについて

2007年01月27日 | オーストラリア社会科見学

昨日のオーストラリア・デイ Australia Day を通常「建国記念日」と翻訳しているようだが、それには違和感を感じる。連邦国家が樹立したその日ではないからだ。とはいっても、ダーリング・ハーバーで国旗を振りながら国歌を歌い幸せそうな人々を見るにつけても、やはり国家としてのまとまり、繋がり感を意識させずにはいないイべントになっている。
私の知るアジアからの若い留学生諸君、ナイーヴにもお祭り気分で国旗を1ドルで購入して風になびかせていた。近い将来に彼女たちだって移民としてこの国の"diversity"(人種や宗教などの「多様性」:オーストラリアという国を語る上でのキーワードの一つだ)を形作る一員になるかもしれないのだから、あながちナイーヴでもないのか、なんて思ったりもした。

にこやかに国旗を振っている群集を目にすれば、浮かぶ言葉はかの「愛国心」。だがこの言葉には容易に軍事的な色も付加されかねないから注意が必要だ。

「オーストラリア・デイにおいて、我々が本当に祝っているのものとは何なのか?」

このような問いで始まる本日の新聞記事(Sydney Morning Herald)は、写真のような挿絵のとなりにある。オーストラリア領土における日本侵略を「忘れてはならぬ」と伝えている記事の隣だ。

挿絵記事では、1942年1月23日に日本がオーストラリア領ラバウルRabaulを侵略し、それがオーストラリアが外国からの受けた初めての侵略であること、そしてオーストラリア本土に対し第二次大戦を急速に近づけた侵略であったことを伝えている。近年ではオーストラリアでもこの事実は風化寸前であるという。この事例については、少なくとも私が受けた義務教育、高校教育での「世界史」の授業に登場した記憶はない。昨今では取り上げられることはあるのだろうか。

この侵略により、一般市民も含む1050人の捕虜を乗せた船が日本へ向かった。1942年7月1日、この船が南シナ海を航行中、捕虜が乗っているという情報を得ていなかった連合国軍が、この日本船を撃沈させるという惨事となる。「もっとも非道なことは、この事実は日本がその後降伏するまで(3年半)明らかにされなかったことだ」とこの記事は主張する。さらに記事は、生き残ったオーストラリア兵が日本兵から受けた残虐行為の描写へと続く・・・。


上述の「本当に祝っているのものとは何なのか?」という問いで始まる記事では、1996年の国会演説の中でポリーヌ・ハンソン氏が行った演説を取り上げている。そこでは、国内における対立機軸について触れられる。オーストラリアにおける「主流派」つまり上層階級で「本当のオーストラリア人 real Australians」と、「マイノリティ」つまり下層階級で「オーストラリア人でない人々 un-Australians」だ。
約10年前から、"diversity"の国オーストラリアにおいても、オーストラリア的/非オーストラリア的という二項対立が憂慮されていたというわけだ。

演説部はこう結ばれている。
「『主流派』という考え方こそが、『オーストラリアの常態』という概念を形成してきたのでしょうが、これは別の人々にとっては『非オーストラリア的』なものであり、それが問題となるのです。」

記事は続いて、二次対戦中のプロパガンダの話に及ぶ。1941年カーティン政権は「戦争の道具としての憎しみ」キャンペーンと展開する。1942年、その対象は日本に向けられた。「我々は常に日本軍を恨んできた。今こそ彼らを打ち砕くとき。」

フレーザー元首相は今日、このプロパガンダに対し厳しい批判を寄せている。「オーストラリア市民が、自らの使命に目覚め立ち上がる前に、人為的に憎しみでに満たされるのを必要するだろうか?それほど市民であるということの精神を欠いていると思われるだろうか?」

市民としての精神、愛国心、オーストラリア的であること、これらを強く意識しようとすればするほど、それらが実は実態のない幻想、虚構でしかないという思考に行き着く恐れがある。それを避けるために国家の戦略として、または主流派の戦略として、必要となるのは対立軸である。保身はかならず敵対と対となる。実態のないものを追い求めることは、絶えずそうした危険性に晒されている。

生きた空気感として、肌身に感じるは「フレンドリー」な人々。オーストラリアでのこの日々が、きっとまだまだ奥深いものを見せてくれたらいい。

オーストラリア社会科見学~花火とマナー編

2007年01月27日 | オーストラリア社会科見学
花火はきれいだったけれど、さしずめディズニー・シーくらいのレベル。20分くらいで終わってしまった。
私と先輩は「まぁ楽しかったけど、この程度の花火でこんなに沢山の人手?」と花火終了後に驚いてしまった。

でもとにかく、すばらしいのは人々のマナー。ひどい混雑にもかかわらず、どこに整備員はいなくとも、きちんとみんな、静かに帰ります。あれだけのお祭りムードにも関わらず、泥酔している人はいないし、ケンカだって起こらないし、祭り時だけ現れる謎のヤンキー集団の皆さんみたいなのもいない。

すばらしい。

これだけあらゆる人種が集っている場所なのに、このあまりにナチュラルな安全ムードはすごい。所詮みんな移民ですからね、仲良くやっていきましょうね、力をあわせて愛する国家みたいなのを作りましょうね、ってなことだけではこうはいかないよな。

安直かもしれないが、このマナーのよさと安全性の理由のひとつには、この国で働く人々に課せられているストレスの少なさがあるのではと想像される。とにかく定時でさっと帰る!みたいなムードが、お店なんかにも見られる。
以前、間違った値段で売られたクレームをつけようと、アクセサリー店に行ったとき、「閉店だから明日来い」とかなり感じ悪く追い出された。時刻は6時1分。閉店時刻から1分でも過ぎていたら、もう絶対に受け付けないこの潔さ。腹は立ったが関心もした。

そうやって仕事と自分の時間をきちんと独立させられるから、サービス業としていかがかと思う部分はあれど、日々機嫌よくマナーのいい国民性へとつながるのなら、そっちのほうがよっぽど経済的かとも思われる。

ちなみに花火のあがる直前、始めてオーストラリア国歌を聞いた。
微妙によく動いて覚えやすいとはいえないメロディーだけれど、歌詞の明るさは、象徴的か。