融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

言語脳が不安定

2007年05月31日 | 気付いたこと築いたこと
実況中継しますと、
私の英語脳はひっじょ~に不安定で、
だいたいわかってきたことがあります。

いい感じで話したり聞き取ったりできるとき:
・ストレスがあまりなくリラックスしているとき
・気の合う友達と話しているとき
・興味のある話題のとき
・ここ一番!これは絶対伝えなきゃ!というとき

なんでだー?!というくらい話したり聞いたりできないとき:
・寝不足のとき
・目が疲れてるとき
・人と長い時間接触しなかったあと
・ストレスで煮詰まったとき

学期末でこれからが正念場、
だのに自分の状態は「できないとき」にばっちりハマっている。
こりゃやばい。あわわ。

徐々に安定枠が膨らんでいったらいいのだけれど。
勉強ばっかやってればイイってわけではないですな、言語の習得は。
終わったらまた一時帰国だ。
うんとリラックスしてやる。。。
学期ごとに膨らんでいけることを祈りつつ。

第一印象

2007年05月30日 | 気付いたこと築いたこと
人と人とが出会うとき、
互いに印象が良い方がいいに決まっているし、
気持ちよくその時間を過ごせたらいいに決まってる。

ただ、その接触時を過剰に重視するあまり、
ツジツマが合わなくなってんぞ~という人もある。
だから案外、というか、
実は結構な確率で、
「この人はよくわからん」という人が、
じわりじわりと素敵度を上げていくことって、あるみたい。


共鳴すること

2007年05月27日 | 音楽

課題をこなすばかりで、完全に、煮詰まった。
そこで、アパートの大学管理スタッフに電話をして、
彼らの部屋にあるかわいいピアノを貸してくれと頼んでみた。
快く迎えてくれて、小さくてかわいいKAWAIのピアノに触れた。

これだけ小さなピアノだと、
少し大曲を弾くと鳴らないし、揺れてしまうしで、
「もう食べられないよぉ」と言われているよう。かわいそくなった。
これこそブルグ向きのピアノ。実際小品だとしっくりして、
寂れ感ありつつ、いい味の音楽が作れる。
そのピアノにはそのピアノに合った音楽を。。。

一時間ほどサクッと弾かせてもらった今、
気分はまったく違っている。


うたうこと。

自分の波動を
どこか大きなところに向かって
放射していくこと。

演奏というものを、
波動を投げ込むツールとして考える。

その波動が誰かに伝わって、
一緒に共鳴できればなお良い。

管理人の一人(中国人の女の子)が共に揺れてくれた。
それは今の私の気分を作ってくれた。
心地よいこと。ありがとう。

買っちゃった!

2007年05月26日 | 愛するモノたち

セーターじゃないです。これ、湯たんぽです!
オーストラリアでの冬の定番グッズらしいです。
クラスのお仲間の情報に激しく魅了され、
出不精のくせに、こういうものの入手には勇んで出かけ、
本日購入してまいりました。

うわさのとおり、見た目は日本の水枕そっくり。
ホントにお湯入れていいの?という感じだったけど、
さっそく注ぎこんでみた。

こっ、これがっ!!!激しく素晴らしいっ!!

日本の湯たんぽと違って、やわらかいし、
抱っこしたり、お腹や腰なんかにあてたりできる。
寝るときだけじゃなくて、いつでも使える!
あったかくて、もう、ずっと抱っこしっぱなしになってしまいそうだ。

色もかわいいよ。
日本の水枕みたいにヨードチンキみたいなおっかない紅色とちがって、
パステル系の色がそろってました。
私はちょっと渋く薄いグレーをチョイス。
写真の首みたいなところからチョロっと出てるのが湯たんぽ本体の色。
ピンクのセーターのようなカバーと合わせてみました。

先に本体にセーターを着せてからお湯を入れるべきだね。
日本の感覚で、入れてからカバーしようとしたら
熱くてちょっと一苦労だった。


湯たんぽそのものは、薬局で$2.95。
カバーはBigWという量販店で$3.86。
700円以下でこんな幸せが手にできたなんて・・・ホクホク。

ただ・・・・激しく、、、
ゴムくさいっ!!

使っていけばこのゴムくささは飛んでいってくれるだろうか。
ちょっと心配。でももう、手放せない。

部屋の模様替え。

2007年05月26日 | 日常生活

もともとおウチに居るのが好きなタチなのに、
お部屋がいい感じだと、ますます出られなくなる。

私の部屋は北東向き。
こちらは南半球ですからね、北向きだと明るくて暖かいのです。
今から冬なので、とてもいい感じ。
朝日から始まって、夕方までほぼ明るいのです。
その北東側の壁一面が、床から天井まで全部窓、
また別の一面が床から天井まで全部鏡(私がすっぽり入れそうな大きなクローゼットの扉になっている)ときているので、ずっと閉じこもっていても、引きこもり感はあまり感じずにすむ。

「居心地よく工夫する」するのは私の趣味のようなものなので、ちょこちょこベッドや机の位置を変えて遊んだりする。今は机を真ん中ら辺に、窓に向けておいてみた。ちょっと変だけど、意外と落ち着く。

最近では同居人とも互いの関係性がはっきりして落ち着いてきた。彼女たちは最近朝から晩まで外出がちなので、静かに一人暮らし状態の時間が増えてきたのもうれしい。やること多いし、家からなかなかでられないのもあるけど、どんどん出不精になってゆく。ぬくぬく。

パーセンテージの問題。

2007年05月25日 | 気付いたこと築いたこと
こちらの大学院で勉強するのが大変だなぁと感じるのは、
きっかりかっちり、単位を落とす落とさないの目安がハッキリしてること。

学期の始まりのときに、
取った授業の内容・目的・結果などがズバリ示されたアウトラインが渡されて、
そこに達するまでに課題が全部でいくつ、締め切り日はいつ、テーマは何とかが、ばっちり決められている。
で、それぞれの課題にズバリの%が出ている。

Assignment #1 20% Due Friday 23 March
Assignment #2 10% Due Friday 6 April
Assignment #3 15% Due...
Assignment #4 15% Due...
Assingmnet #5 40% Due...

みたいな。
パーセンテージが高い課題はそれなりに大変。

こういうふうに、パーセンテージがあらかじめ示されてしまうと、なんかもう「逃げられない」感と同時に、明確な分「がんばろうかな」と思えたり、はたまた「これは10%だから、ほどほどで・・・」とかいう調整を自ずとしてしまう。この辺の処理なんかは、学生本人の性格で違ってくるらしくて、クラスのお仲間でも「ゆるくやろうぜ」派と「がんばるのよ」派とがいたりして、その温度差にお互い笑ってしまったりする。(当然私は「ゆるい」派だ。。。)

日本の大学院時代は何やってたっけぇ?と思い出してみる。毎週のゼミは「自分の番」以外のときは基本的に人の発表を興味深く拝聴。あとはとなりの大学にもぐって、音楽学以外の刺激的な授業をこっそり享受。あの緩やかにして開かれた空気感は忘れがたく、そしてそれだからこそ自分に流れ入ってきた学問体系の基礎知識は、私にとって今でもかけがえのない礎だ。。。

感覚としてはこちらのお勉強生活のストレスは、中学高校時代の「中間・期末」みたいなノリに近い。高校生の頃みたいにガッツはないから、ゆる~くパーセンテージの計算で、それでそれなりに乗り切るしかない。

ちなみにこちらは授業料が年間いくら、というシステムではなく、一科目いくら、だ。だからもし落としてしまうと本当にショックなのだ。20万円とかがムダに吹っ飛んでしまう。落としちゃったから来学期ぃ~みたいなことにはできん。そこが一番イタイ。。。

逃げてばっかり。

2007年05月24日 | 気付いたこと築いたこと
私は持久力がありません。

一日に2コマ4時間以上授業に出てしまうと、
もうそのあと何にもできません。
その4時間で精魂尽き果ててしまう。

未だに授業の内容は集中していないと、
あっという間に「?」でいっぱいになってしまう。
先学期は、一度オチてしまうと、
もうノレませんさようなら、
という感じだった。
今学期はレクチャー系が多いけど、
また挽回!とか、ある程度いけるようになってきたかな。

それでも駄目だな。
今日は帰ってきてから家事なんかに逃げ込んだり、
寒くなってきたので暖房器具を愛でて遊んでいたりだ。
忙しければ忙しいほど、なんにもしたくなくなる。

とりあえず、朝晩本当に寒くなってきた。
血流も脳の回転も、鈍りぎみの今日この頃。。。どうする、学期末!

脱学生願望

2007年05月22日 | 気付いたこと築いたこと
誤解を招くような表現を敢えてしてしまいますが、
「学生なんて、ロクなもんじゃない」と思います。

まぁようするに、自分のこと。
はやく東京で仕事がしたいなぁ~と思うのであります。

留学までしてわざわざ学生にカムバックしておきながら、
こういう話をわざわざ書くのもどうかと思うのだけれど、
生きる張り合い、というか、
やっぱりそのぅ、
「微力ながら今私は社会に還元してるかも!」みたいな感覚は、
いつまでも「勉強」なんかしていたんじゃぁ、やっぱり得られない。
(※専門の「研究」は別です!)

ま、そんなのもまた、ひとつモチベーションに変えるか。
それでよしとしよう。

どこまで機械的になれるか。

2007年05月20日 | 授業・活動記録
今学期も残りあと一ヶ月を切っている。早いものだ。
追い込み時期だけに、エッセイなんかの課題が出る。

私の好きな授業の「文化と言語」のエッセイ課題で、ここ数週間苦しんでいる。
課題の内容は、下記の雑誌論文をまず読んで書きなさいというもの。

Joel Robbins. Ritual Communication and Linguistic Ideology: A Reading and Partial Reformulation of Rappaport's Theory of Ritual. (Current AnthroPology, vol.42-5, 2001)

パースやらオースティンやら、記号論とか言語学の基礎知識のある学生ならスススと読めるんだろうけど、言語学科の学生だけを対象にした授業の課題ならいざ知らず、それ以外(私みたいな通翻専攻とか)の人間には厳しいですよ・・・といった内容だ。
なかなか書き始めるところまでいかず、読んで理解に一苦労。。。

先週の授業では講師が一通り、締め切り間近のこの課題について、さまざま説明を加えた。その授業後のことだ。おそらく重圧に耐え切れなくなったのだろう、一人のアジア人学生が講師の前で泣き出してしまった。「いやなにも泣かんでも…」という話ではあるが、私も相当ストレスフルだったので、普段まじめに落ち着いてがんばっている彼女の気持ちはよくわかった。アメリカ人の学生が肩を抱くようにして「私たちネイティブスピーカーにだってこの論文キツいから、これで落ち込まなくて大丈夫!こんなの天才か博士課程の人にしかわかんないわよ!」とか励ましながら、論文の要所要所を彼女に説明してあげていた。優しいアメリカ人もいるんだなぁ…しみじみ。

その夜だ。講師から全員宛にメールが入る。
箇条書きにエッセイ作成のポイントが丁寧に記されていて、こうしめくくられている。

"Try not to 'stress-out' over this paper.
Break it down into do-able components."

「この論文で、ストレスに負けないように。
『できる』形に落とし込んでください。」

"do-able compotents"
これだ。

私もこれまで漫然と苦痛だったのだけれど、一通り理解した(ことにしてその)後は、渾然一体と絡み合った頭の中の要素を箇条書き化して、エッセイが「書ける」形態にまで落とし込む。

これを書こう!1、2、3、・・・とやっていけば、あとは文章化するだけだ。そこまでいければあとはマシーン。文章製造マシーン。自分を機械化をできればできるほど、楽になるし、ノッてくる。機械に徹せれば徹するほど、感情的に高揚するんですねぇ、不思議だなぁ。

締め切りまであと二日というところで、ようやく今日からマシーンなれた。ここから先はライティング・ハイ。こっからは楽しい作業だ。そして、書き終わって、感無量。きっとそうだ、その瞬間を夢見てがんばるのだ。。。

日本でのどんな仕事でも、文章書くときはこの手順だ。「ハイ」と「感無量」の連続で、結局こういう作業から離れられなくなってる部分はある。いわゆる達成感というやつですか。この感覚、共有してくれる人は多いと思っておりますよ。

でも、考えてみたら、翻訳にはこの手順から得られる妙な「ハイ」感はないな。それはちょっとサミシイところかな、翻訳の。

ノイズ除去機能

2007年05月18日 | 気付いたこと築いたこと
以前、音楽学会の仕事がらみで困った横槍を入れられて、
凹んだりイチイチ憤ったりして疲れていたら、
当時委員でいらした東大のW先生から、
「雑音は排除していいからね」
といったアドヴァイスをいただいたことがあって、
なんだか胸がすくような思いをしたことを思い出した。
あの先生は本当にお優しい。。。。お元気ですかねぇ。。。

実際仕事上のクレームなどはメールで来ることが多いから、
そこから実際音なんてしないので、当然これはメタファーです。

で、実は昨今もまた雑音で大変に苦しんでいるんだけれども、
これはそういうメタファーの意味じゃなくて、
本当の雑音だ。

同居人の声が異様にでかい。
家で落ち着いて勉強したいとき、リビングからの声が聞こえて
大変に困っている。

そこで、、、最近の工夫。私の強い見方は「耳栓」だ!
大分昔に日本で買ったやつだけれど、
なかなかのすぐれもの。
マシュマロみたいにやわらかいのだけど、
まずそれを指でつぶして、耳に入れる。
しばらくすると、そのマシュマロがじわ~っと耳の中で広がり、
自分の耳の形にフィットして、外部からの騒音をカットしてくれる。

でも。。。同居人の声はすごいパワーだ。
たまにマシュマロくんを通りぬけて私の鼓膜に到達する。
日本で数年前にこれを買いたくて死ぬほど迷っていたのだが、さっさと買ってもってきておけばよかったなぁと心底思う。失敗した~・・・

心的な雑音にせよ、物理的な雑音にせよ、
除去していくのって本当に難しい。

多分、いま一番の課題は、そこ。