融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

メリケン娘がやってくる。

2007年01月31日 | 気付いたこと築いたこと
どうやら週末あたりに、我が家に新しいハウスメイトとしてアメリカからのお嬢さんが越してくるらしい。

ウェルカム!ネイティヴ・スピーカー!だ。
先日顔出しに彼女がやってきたときに、久々に聞くアメリカ英語に私は心踊り、そして耳も脳も元気になった。

がしかし、彼女はすぐにこの家から出て行くと私は懸念している。
おそらく、自分以外のハウスメイトが全員アジア人だなんて思わなかったんじゃなかろうか。今いる日本人、中国人、香港人の3人は、英語以外に何か共通の言葉を持っているのかと聞くので、「いや、英語だけだ」というとホッとしたように見えた。

そして「バーはどこにあるのか?パーティーはやってるか?ビーチ行ってるか?」などと聞いてきた。

こちらの生活態度を率直に伝えると、「オー・・・・ノー・・・」とつまらなそうに死んだ魚のような目になってしまった。かわいそうに。

それを受けて香港娘もあとから随分心配していた。「まさか・・・夜な夜なパーティーやって、どんちゃん騒ぎするつもりじゃ・・・やだわ~文化が違うわぁ~」などと顔を曇らせている。

確かに今いる3人の生活はとても穏やかで、私とて居心地よく機嫌よく暮らしている。みな勤勉だし、他人への気遣いのレベルはかなり高い。

「東洋人」とか「アジア文化」などという枠は、括弧に入れていたつもりだけれど、まともに生活のリズムがどうかなるかもという懸念が、やはりどこか「今までにない文化圏の人の文化を体験するのかもね」という気分とからんでくる。不思議だ。

とはいえ。アメリカのお嬢さんはまだ24歳だ。まだまだ遊びたい時期だよ、これからだよ。我が家の23歳エリート中国人が落ちつきすぎている感はある。
いずれにせよ、皆がある程度の最大公約数でもって、居心地よく合ってほしいしので、32歳のオネエサンは英語的パワー弱いけど、バランスとれるようにしたい。ちなみにアメリカ娘には「二十歳」と思われていたようなので、きちんと釘をさしておいた。がんばる、三十路パワー。

合唱団に入った。

2007年01月29日 | 音楽

地元の合唱団に入ってみました。MAQUARIE UNIVERSITY SINGERS 通称MUS。

今年で40周年を迎えるというこの団体、団員は長年ここで歌い続けてきたと思しきおじさま&おばさまたちだ。ある種の迫力がある。結構マジメな団体のようで、年間にさまざまな催しに参加したり、オーケストラと一緒に演奏会を催したりしている。かのオペラ・ハウスでの本番もあるらしい。。。

昨年からこの団体には目を付けていたのだが、自分の英語力や環境への適応力をまず考慮して、2学期目からのスタートと決めていた。折りしも本日が2007年の入団登録、最初のリハーサルだった。事前にメールを送って返事をもらい、待ちに待った初日を迎えた。参加団員は80人くらいいたと思われる。すごい。

40周年のイベントに向けて取り組むはブラームスのドイツ・レクイエム。いきなりの大曲だ。初回の練習の今日は、全員が初めてスコアを手にしたにもかかわらず、いきなりの合わせ。なんか無理矢理だったけど、でもそれなりに形になっていたから楽しくて笑ってしまった。4楽章あたりは、学生時代に合唱の授業で歌ったかもしれない・・・。ドイツ語の発音にはオージーの皆さんも苦労しているようで、ウムラウトの発音について次々と質問がでる。そのたびにドイツ系の移民と思われる団員が応え、歌詞を朗誦してくれる。意味がわからないからと、指揮者の先生がその場で翻訳をしてくれる。・・・当然英語の翻訳だから、私はおぼつかない。勉強が必要だ。こんなことなら日本から対訳CDを持ってくればよかったと後悔。

しかし久々の合唱で非常に楽しかった。声を出すことはすばらしい。学生の頃に聖歌隊に所属していたが、そのときはソプラノだった。今はアルトにしてみたのだが、音をとるのが難しく、それがまた面白い。毎週の練習には出来るだけ参加したい。そして何しろ、ここにきて初めて地元オージーの皆さんと、少なからず触れ合えることが何よりの楽しみだ。

こらえきれず入手

2007年01月29日 | 日常生活

外国で貯金を崩しながらの生活となると、どんなささいなものでも「お買い物」をしてしまうと、罪悪感やら、買ったことへの理由付けなどで頭の中が忙しい。
けれど結局かって後悔しないこと、これが大切だ。
今日は小さなCDラジオを買ってしまった。フランクが乗っかってるやつね。
今やCDもラジオもパソコンで聞けるから十分、なんて思っていたが甘かった。まずドライバつなげてPC立ち上げ、スピーカーつないで、iTunes立ち上げて・・・なんてやってると、朝や寝る前にちょっと聞くってことをしなくなる。
しかし、だ。この「ちょっと聞き」が案外、私のミュージック・ライフ(なぜか英語で言いたい)には欠かせないらしい。ストレスたまっちゃうし、なんせ音楽の摂取量が俄然減ってしまう。
これはいかん!!
ということで1週間近く悩み、下見もしてようやく本日購入。
これが。なんと。ああ。
いいねぇ。部屋にいることが俄然居心地よくなった。
なにかが違う。全然違う。
ニュースも気楽に聞けるし、やっぱり単純な機械って、すばらしい(涙)

ちなみにこちらのFM、ABC Classicはいい。余計な解説が少ないし、ほとんど有線状態だ。しかもほぼ24時間じゃないのか。曲目はウェブでいつでも確認できる。本日はプーランクの協奏曲に感動したよ。本当は最後のエルガーの1番がメルボルン響で一番聴いてみたいのに、最終曲だ。とても起きてられないわ。おやすみなさい。

「オーストラリア的」ということについて

2007年01月27日 | オーストラリア社会科見学

昨日のオーストラリア・デイ Australia Day を通常「建国記念日」と翻訳しているようだが、それには違和感を感じる。連邦国家が樹立したその日ではないからだ。とはいっても、ダーリング・ハーバーで国旗を振りながら国歌を歌い幸せそうな人々を見るにつけても、やはり国家としてのまとまり、繋がり感を意識させずにはいないイべントになっている。
私の知るアジアからの若い留学生諸君、ナイーヴにもお祭り気分で国旗を1ドルで購入して風になびかせていた。近い将来に彼女たちだって移民としてこの国の"diversity"(人種や宗教などの「多様性」:オーストラリアという国を語る上でのキーワードの一つだ)を形作る一員になるかもしれないのだから、あながちナイーヴでもないのか、なんて思ったりもした。

にこやかに国旗を振っている群集を目にすれば、浮かぶ言葉はかの「愛国心」。だがこの言葉には容易に軍事的な色も付加されかねないから注意が必要だ。

「オーストラリア・デイにおいて、我々が本当に祝っているのものとは何なのか?」

このような問いで始まる本日の新聞記事(Sydney Morning Herald)は、写真のような挿絵のとなりにある。オーストラリア領土における日本侵略を「忘れてはならぬ」と伝えている記事の隣だ。

挿絵記事では、1942年1月23日に日本がオーストラリア領ラバウルRabaulを侵略し、それがオーストラリアが外国からの受けた初めての侵略であること、そしてオーストラリア本土に対し第二次大戦を急速に近づけた侵略であったことを伝えている。近年ではオーストラリアでもこの事実は風化寸前であるという。この事例については、少なくとも私が受けた義務教育、高校教育での「世界史」の授業に登場した記憶はない。昨今では取り上げられることはあるのだろうか。

この侵略により、一般市民も含む1050人の捕虜を乗せた船が日本へ向かった。1942年7月1日、この船が南シナ海を航行中、捕虜が乗っているという情報を得ていなかった連合国軍が、この日本船を撃沈させるという惨事となる。「もっとも非道なことは、この事実は日本がその後降伏するまで(3年半)明らかにされなかったことだ」とこの記事は主張する。さらに記事は、生き残ったオーストラリア兵が日本兵から受けた残虐行為の描写へと続く・・・。


上述の「本当に祝っているのものとは何なのか?」という問いで始まる記事では、1996年の国会演説の中でポリーヌ・ハンソン氏が行った演説を取り上げている。そこでは、国内における対立機軸について触れられる。オーストラリアにおける「主流派」つまり上層階級で「本当のオーストラリア人 real Australians」と、「マイノリティ」つまり下層階級で「オーストラリア人でない人々 un-Australians」だ。
約10年前から、"diversity"の国オーストラリアにおいても、オーストラリア的/非オーストラリア的という二項対立が憂慮されていたというわけだ。

演説部はこう結ばれている。
「『主流派』という考え方こそが、『オーストラリアの常態』という概念を形成してきたのでしょうが、これは別の人々にとっては『非オーストラリア的』なものであり、それが問題となるのです。」

記事は続いて、二次対戦中のプロパガンダの話に及ぶ。1941年カーティン政権は「戦争の道具としての憎しみ」キャンペーンと展開する。1942年、その対象は日本に向けられた。「我々は常に日本軍を恨んできた。今こそ彼らを打ち砕くとき。」

フレーザー元首相は今日、このプロパガンダに対し厳しい批判を寄せている。「オーストラリア市民が、自らの使命に目覚め立ち上がる前に、人為的に憎しみでに満たされるのを必要するだろうか?それほど市民であるということの精神を欠いていると思われるだろうか?」

市民としての精神、愛国心、オーストラリア的であること、これらを強く意識しようとすればするほど、それらが実は実態のない幻想、虚構でしかないという思考に行き着く恐れがある。それを避けるために国家の戦略として、または主流派の戦略として、必要となるのは対立軸である。保身はかならず敵対と対となる。実態のないものを追い求めることは、絶えずそうした危険性に晒されている。

生きた空気感として、肌身に感じるは「フレンドリー」な人々。オーストラリアでのこの日々が、きっとまだまだ奥深いものを見せてくれたらいい。

オーストラリア社会科見学~花火とマナー編

2007年01月27日 | オーストラリア社会科見学
花火はきれいだったけれど、さしずめディズニー・シーくらいのレベル。20分くらいで終わってしまった。
私と先輩は「まぁ楽しかったけど、この程度の花火でこんなに沢山の人手?」と花火終了後に驚いてしまった。

でもとにかく、すばらしいのは人々のマナー。ひどい混雑にもかかわらず、どこに整備員はいなくとも、きちんとみんな、静かに帰ります。あれだけのお祭りムードにも関わらず、泥酔している人はいないし、ケンカだって起こらないし、祭り時だけ現れる謎のヤンキー集団の皆さんみたいなのもいない。

すばらしい。

これだけあらゆる人種が集っている場所なのに、このあまりにナチュラルな安全ムードはすごい。所詮みんな移民ですからね、仲良くやっていきましょうね、力をあわせて愛する国家みたいなのを作りましょうね、ってなことだけではこうはいかないよな。

安直かもしれないが、このマナーのよさと安全性の理由のひとつには、この国で働く人々に課せられているストレスの少なさがあるのではと想像される。とにかく定時でさっと帰る!みたいなムードが、お店なんかにも見られる。
以前、間違った値段で売られたクレームをつけようと、アクセサリー店に行ったとき、「閉店だから明日来い」とかなり感じ悪く追い出された。時刻は6時1分。閉店時刻から1分でも過ぎていたら、もう絶対に受け付けないこの潔さ。腹は立ったが関心もした。

そうやって仕事と自分の時間をきちんと独立させられるから、サービス業としていかがかと思う部分はあれど、日々機嫌よくマナーのいい国民性へとつながるのなら、そっちのほうがよっぽど経済的かとも思われる。

ちなみに花火のあがる直前、始めてオーストラリア国歌を聞いた。
微妙によく動いて覚えやすいとはいえないメロディーだけれど、歌詞の明るさは、象徴的か。

オーストラリア社会科見学~ファスト・フード編

2007年01月27日 | オーストラリア社会科見学
昨晩の花火大会、お祭り騒ぎの大混雑の中、なんとか夕食をとろうと、近くのファスト・フードに並んだ。チキン・フィレサンド中心のなんとかいうその店舗(日本では見たことないファイスト・フード)の前で、気が遠くなるほど待たされた。すでにレジで代金は支払ってあるため、あとは渡された自分の番号が呼ばれるのを待つしかない・・・。

むせ返るような人々の熱気の中、10分、20分と経過していくうちに、すでに私たちよりも前から待たされている人々の目は、餓死寸前をとおりこして死んだ魚の目のようになっていた。


店内では10人くらいの店員が、汗だくになりながら右往左往していて、そこはまるで戦場と化していた。「がんばってるんだね」とは思ったものの、でも、なんか様子がおかしい。

よくよくカウンターの向こうを観察してみた。

すると、一人の店員が、一組の客のために、ポテトを揚げていたかと思えば、バーガーを袋に詰めていたり、内容確認したりしている。つまり、全く流れ作業が確立されておらず、指令系統も秩序もへったくれもなく、作業効率ってものが全く破綻しているではないか!こらーっ!!

右往左往するわけだ。狭い店内は大混乱。番号も無秩序に呼ばれているし、一体これではいつになったら私は食事にありつけるかわからない。

そこでパニック寸前の店員をひとり捕まえて「ちょっと、これ用意まだ?」と聞いてみた。すると驚いたことに「あっ!今やります!」とすぐその場で用意してくれて手渡された!えええええっ!?!?!?!私と先輩は顔を見合わせてしまった。

整理券の意味まで破綻していた・・・。なんということだ。

30分近くはかかったが、ともかく食事を入手できたので、あとは機嫌よく食べる。

気付くと、すぐとなりのマクドナルドでも大勢の人だかり。さすがに世界のマクドナルド、領収と商品受け渡しを一組ごとに行っているようで、私たちのような不公平なシステムにはなっていないようだった。注文を受けた店員が、ほぼ数歩の圏内にある全ての商品を袋詰めして手渡していく。なんという美しい流れ作業・・・

ところが・・・マックを買っていた人が「いやぁ30分もかかっちゃったよ」とか言っていた。人気の差はあったかもしれないけれど、結局待ち時間一緒なんじゃん(苦笑)。まぁ私たちはヘタしたらもっと待っていたわけで、公平マックはさすがにえらい。

ともあれ、そのなんとかいうお店のチキンサンドとポテトは、私の味覚ではマックよりもおいしかった。

オージー・ライダー

2007年01月27日 | オーストラリア社会科見学
オージーのライダーたちは猛暑でも革つなぎでがんばっている人が多い。
でも、1000ccくらいありそうな大きなバイクに、Tシャツ半ズボンでまたがっている人がいた。バスから見えて「さすがに危ないだろう」と思っていたら、しばらくしてそのバイクがピューンと一気に追い越していった。あれは軽く150キロくらい出てたっぽい。一般道なんですけど・・・。あっと言う間に見えなくなって、思わず吹き出してしまった。

宝石箱のように

2007年01月26日 | 気付いたこと築いたこと
仲良くしていただいた同コースの先輩の方が、無事コースを終えられて日本に帰られるということで、最後にシティでお会いしました。

半年間、私と同じアパートの別棟に住まれていた彼女とは、毎週日曜の夕方に小さなティーパーティーを開き、心癒されるひと時を過ごさせていただきました。来学期からは寂しくなるけれど、これも順番。一足早く日本で、翻訳の世界に新たな第一歩を踏み出されることを心からお祈りしています。

建国記念日のシティは沢山の人だかり。最後に一つ思い出を共有できたよように思います・・・。



シティの中心部に位置するシンボル的な建物QVBの中には女王様がいた!キラキラ光ってとてもきれい。



ダーリングハーバー。こんな人の多いダーリングハーバーは始めて見ましたよ。みんな明るいうちから花火を見ようと集まっています。




夜は8時過ぎまで明るいので、花火が上がったのは9時過ぎ。小さな花火大会でしたが、光の見え方がキラキラしていて、ダーリングハーバー一帯がまるで宝石箱になったかのようでした。花火の写真はやっぱりうまく撮れませんでしたが・・・



こちらは以前撮影した平日の静かなダーリングハーバー。夜のシドニーで最も好きな場所です。横浜の「みなとみらい」って、ちょっとこのあたり意識してないかね?

建国記念日・・・

2007年01月26日 | 気付いたこと築いたこと
以前、留学中のコースの先輩から聞いた話で、留学中に一時帰国をしたほとんどの人は、その後シドニーに戻ってきてから「やる気を取り戻す」までに時間がかかっている、というのがあった。

今私は、そんな方々の気持ちが、少しだけわかるような気がしている・・・。

それで、その理由を少し考えてみている。

「やっぱ日本がサイコーなんだもん」とかなんとか、そういうのはまぁいいとしよう。原因はきっと、突き詰めて考えれば、オーストラリアという地で肌身に感じる「緊張感のなさ」にあるんじゃなかろうか、という気がしてきた。
日本から来て滞在し始めたばかりの時は、外国ですから普通に緊張感というのは生まれ、持続する。しかしそれが一端帰国して、すでにもうある程度見知っているオーストラリアという外国に戻るとき、一度途切れた緊張感が再燃しない。しずらい環境なのだ。

わかりやすい例で言えば・・・最近近所のスーパーや、大学の中でも、なんとビーサンすら履くのを止めてしまった裸足オージーを数名目撃。そしてどいつもこいつも「そりゃパジャマか?!」と言いたくなるような短パンにランニング姿・・・男女問わず・・・。こらーっ!!

当然のことながら、この新しい国には「文化の香り」のようなものがない。「古くから伝わる・・・」とか「この国に伝統的な・・・」とかいう言い回しはここでは通用しない。帰国中、私の日本酒の師匠に連れて行ってもらった銀座の割烹料理屋さんで、おいしい和食をこしらえて下さるご主人から「あの国には文化がないでしょ」と指摘されてしまったときには、「ええそうでございます」とあっさり答えておくしかなかった。日本酒にほろ酔いながらでは「それでは『文化』とは何でしょう?」とか言ってみたり、「日差しや海はキレイです」とか言う力も萎えるってもんだ。

ベルシーの著作などを読むにつけても、「文化」というくくり方そのものを安直に行ってはならないと思うのだけれども、でもいいか悪いかは別としても、どう考えたって空気感みたいなのはやっぱりある。自然環境や動植物が観光産業の売りポイントであるオーストラリア。人間的な営みの叡智を感じさせる、この地に特異的な何かは、簡単には見出すことが難しい。

でもね、だからこそ、悪あがき(?)をしたくなる部分もあります。翻訳学生のフリをしながら、じゃなかった、翻訳のお勉強をする一方で、なんとか音楽創作の現場を通して見えてくるものは見てみたいと思っております。時間はあまりない。急がねば。

今日はこちらの建国記念日だ。「建国」といったって、1788年の同日、イギリスが流刑囚を送り込む植民地として決定した日ということなのだけれども。それからゴールドラッシュの混乱を経て1901年に独立した連邦国家設立し、今日までの道のりの中には白豪主義とか多文化主義とかいろいろ急がしかった国ではありますけれども。
まぁ今夜は普通に花火とかでお祭りっぽくなって、楽しいらしいです。

本日の栄養源

2007年01月25日 | 日常生活

このブログは日本に離れている私の愛しき人々にあてて、「私は今こんなんである」というのを密かに発信する場所でもあるからして、カテゴリ「日常生活」なるものを作ってみたです。なんでもない日常のワンシーンをくっつけます。

で、今日のご飯です。手のこんだことはしません。
青いのは、なぞに茎がひょろ長いブロッコリーの一種。よくわかんないけど、おいしい。それとアスパラのミックス・ソティ。なかなかグー。
お肉はこちらでは主に鶏食べてます。じゃがいももイケますよ。モルトヴィネガーで食べます。