融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

信玄餅祭り(今日中)

2007年06月29日 | 一時帰国生活

両親の住む山梨に来ています。
甲府といえば、信玄餅。
信玄餅といえば桔梗屋。
今日は桔梗屋のアウトレットがあるというので、
そこへお出かけ。

小さな袋に信玄餅をつめ放題で210円だそうな。
激安です。
ものすごい人気で開店前から行列が。

整理番号札をもらい、自分の番が来ていざ、袋につめ始める。
ほしい分だけ入れようと思っていたのに、
隣の袋詰めに燃えるオバちゃんが、甲州弁で
「餅ぁ縦に入れるだよ」とか指導してくれて、
後ろからどっかのオジちゃんからも、
「袋のびるからね」とか「楊枝は抜くだよ」とか
いろいろと指導が入った。
地元民のオジちゃんオバちゃんばかりの空間で、
私はちょっとモテていた。。。

お蔭様で、袋はパンパンに・・・
「上手に入ったジャン」とか、オバちゃんに褒められたけど、
つぶれてしまって微妙・・・しかも、こんなに大量(泣)
激安つめ放題だけに、賞味期限は「本日中」。
食べ切れませんよ、こんな。
冷凍庫で保管します。

まぁこういうのは、
こんなにいっぱい入った~♪とか言ってホクホク喜ぶのが
正しい遊び方なのだろうね。
あ、でももちろん、ゆっくり全部、おいしくいただきますよ。

通訳、ドはじめの一歩。

2007年06月25日 | 一時帰国生活
ロシア人のピアニストドミトリー・チェチェーリン氏の録音に立ち会い、通訳的なことをさせてもらう機会を得ました。

通訳とはいってもカッチリしたものではなくて、録音の際に技術サイドの人とチェチェーリンとの間のコミュニケーションを取り持つのが基本。「キューが出たら弾いてね」とか言う、簡単なお手伝いだと思っていたんです。相手も英語は第二言語だし、楽しくキラクに臨めばいいわ、と思っていたのですが、、、思いのほか、ホテルにお迎えに行く道中、キンチョーしている自分に気が付きました。

なんでこんなにナーヴァスになっているのか、どこにも緊張する要素なんてないのにおかしい!と自分を戒めれば戒めるほど、ますます緊張してオバカさんでした。でも。。。考えてみたら、これが授業のお外で「通訳」っぽいことをする初めての経験。会議通訳や商談などといった現場ではないにしろ、やっぱりとても緊張します。

でも、ご本人にお会いして、まずはお食事から・・・と時間を共にするうちに調子が良くなりました。トータル6時間半くらいにわたるアテンドでしたが、概ね、まぁなんとかなったかな、というところ。いろいろと予想外なこともありましたが。

しかし、こうした形でのデビュー戦(?)、面白くも「難しいな」と感じたところは多々。自分の立ち位置というか、自分がどう効果的に機能できるかということに瞬時に柔軟に対処していく能力みたいなのを、もっと養いたいと実感いたしました。。。

留学先のマッコーリー大学大学院通訳翻訳コースでは、オーストラリア国家資格認定のための試験対策をさせられるため、通訳の際に最も重要視すべきものとして中立性、正確性、客観性、守秘義務、、、といった「コード・オブ・エシックス」と呼ばれる国家通訳者の掟を暗記させられます。通訳者は透明人間になればなるほど、黒子になればなるほど優れた仕事をできるというわけで、英語を発するところの「私」が、なんらかの形で前に出ることなんざぁ、とんでもない。通訳者の発する" I "とは、クライアントが「私は」と言った場合の訳なのであって、通訳者はどこまでもその存在を消し続ける。それがプロってものなんだそうな。そうしたプログラムの中で環境、経済、医療、法律関係の逐語通訳を勉強するのは何かこうスリリングだし、また来学期そのさらに続きのクラスを取ってやれ、とたくらんでいます。


でも、今回私が得た機会というのは、こうした性質の「通訳」とは程遠いもの。お食事の際には「ギョーザ」が何かを説明をしたり、天真爛漫な芸術家さんが少しでも気分よく演奏してくれるような工夫もできるだけしたかった。実際チェチェーリンは、1テイク録音する毎に振り返って人の顔を見るので、微笑んだり、「今の演奏はちょっとアレだね」とかいうのを表情で会話したりすることも、機能のうちに含まれていたと思う。それが、帰国後日本で、私が生きて関わっていく世界での現実だと思ったし、こうした経験におけるひとつひとつの「気付き」こそ、なんかわからないけど、なんかの肥やしになっていくんだろうと感じた次第。

よきコミュニケーターでありたいとか、よきブースターでありたいとかを「目標です!」みたいに掲げてしまうと、その瞬間からちょっと胡散臭くなる。ただ、人と人と人と共にあって、巻き込み巻き込まれながら、「なんかいいものできました」的アウトカムが得られたら、それでなんかもうサイコーだなと思う。

なので、私の昨日の体験はマッコーリーのシホ先生的には「通訳じゃありません」ということでしょうが、私はあえて今回の体験を自分の通訳ドはじめの一歩と捉えたいと思っています。

メリケンおじさん

2007年06月23日 | 気付いたこと築いたこと

西武線沿線にある小さなケイジャン料理のお店に
なんとなく行ってみたところ、
オーナーのアメリカ人のおじちゃん(70歳)が
なんの躊躇もなくいきなりフッツーに英語だったので、
急に留学先に戻ったかのような、奇妙な感触を受けた。

で、フッツーに英語でカバンを預かってくれて
フッツーに英語で注文を聞いてくる。
料理を食べてる間も、
どこまでも躊躇なくフッツーに英語で、
「どう?わしの料理」みたいな感じで聞いてくる。
しまいには、
フッツーに英語で環境問題や成人病の話をし始めてくれて、
いやはやびっくり、である。
なんのレッスンに来たんでしょうか、状態である。
ていうか、なんであんなに日本語しゃべらないんでしょうか(笑)
あまりに自然で、ちょっと面白かったです。

「英会話○○」みたいなお店だったら、
いきなり英語でもわかるんですけどね。
店の外のメニューとかはちゃんと日本語なのに。
ドアを開けたら、そこは異国・・・って(汗)

でもまぁ近くにこんなお店があってよかったかも!
と喜んだのも束の間、
12月に閉店なのだそうだ。
嗚呼、残念である。本当に。
30年間も日本でお店をやってきたそうだ。
リタイヤ後はお孫さんと過ごしたり、日本中を旅するのだそうな。

東京はどこにどんなお店があるかわからないからいいね。
また、どこかでこんな素敵なお店に出会えたらいいな。

で、帰り道。
なぜか、中野区なのに、家の前にタヌキがいました。
環八を越えて来たのかね。
だから東京は不思議だよね。

本日はこれ。

2007年06月21日 | 一時帰国生活

宮城県のお酒、「愛宕の桜」でございます。
見た目のフェミニンな印象よりは、
香りも味もしっかり付いていて、
「こりゃうまいっ!」という感じでございます。
あまりお見かけできない「裏」のものらしいのです。

ドコドコとゆく。

2007年06月19日 | 一時帰国生活

バイクで奥多摩の温泉まで行って来ました。
私は運転はできないので、後ろの席です。
写真のバイクは近頃彼が入手したもので、
ドコドコドコとゆっくり走り安定していて
なんか、後ろで顔が笑ってしまう感じであります。

以前、レーサーみたいなバイクで、
シュンッと走るようなのに乗せてもらったときは、
家の近く一周とかだったのに、生死がかかってる感じで焦った。
もうやだ、乗りたくない、と思った。

それに比べると、このアメリカ製のバイクは、
ものすごくでかいのに揺れ感とかが自転車っぽくて、
夜の都内なんかを走ると、
あははははは、と爽やかに笑いたくなるのだった。

今ちょっと、
スヌーピーのヘルメットに憧れている。

しばらくは廃人、そして英語夢のこと。

2007年06月19日 | 一時帰国生活
東京に到着して今日で5日目。
今こちらの気候がいいせいか、
前回年末の真冬一時帰国のときよりは、
ずっとラクだ。

真夏の国から真冬の国への移動は本当につらかった。
冬の入り口から夏の入り口への移動なら、
さほどのギャップがない。

とはいえ。

なんだか疲れちゃっており、日中は結構身体がだるく、
昼寝ばっかりしている。
帰国前日まで課題提出に明け暮れたあとなので、
まぁ一週間くらいは、呆けた日々を送ったとて、
バチはあたるまい、と自分に言い訳しつつ。。。

だがしかし。

おそろしいことに、
帰国三日目くらいまでは、
夢の中でテキアナ課題をやっていた!
夢の中で「この問題文の意味がわかんないんだよね~。これってexperiential的にみればActorでinterpersonal的に見ればsupeaker-plusじゃん」とかやっている。しかも結構な悪夢っぽい感じ。

昨日あたりから課題の夢は見なくなったけど、
急に一日にほとんど英語を話さない状況になったせいか、
夢の中でしきりに(相変わらずヘタクソながら)英語で何か
人と会話をしようとしたり、文章を書こうとしている夢を見る。
そしてこれも、悪夢っぽい。

しばらく脳をリラックスさせないと、
次のステップにググッと伸びない気はするのだけど。
脳も意外と慣性の法則に従いたいんだなぁ。

ティカのこと。

2007年06月16日 | 気付いたこと築いたこと
我が家のメリケン娘スーサン(仮名)がどんどん落ち着いて、成長し始めたことの裏には、どうやら最近仲良ししているインドネシア青年ティカ(仮名)の影響があるようだ。

彼らは学期末の試験勉強を一緒にやりはじめ急接近。仲良く二人でリビングのテーブルで猛烈に勉強をし始めた。大学から遠くに住む彼は、我が家のソファーで夜を明かすことも何日かあり、朝ごはんは作るし、皿洗いもやるはで、なかなか気のきく良い子である。「良い子」というのは、彼はどうも見た目が「男の子」といった感じで、丸顔にイノセントな笑顔輝くかわいい25歳なのだ。微妙ながら私とバスルームをシェアし始めた。まぁかなり気を使ってきれいに使うから許す。(バスマットで床を掃除されてしまったのには閉口したが、「きれいにしたよ!」とキラキラお目目で言われたら、何も言えなかった。どうでもいい雑巾タオルを渡したら、「ありがとう!」とまたキラキラお返事をされた。)

そんな弟的空気を満点漂わす彼が、「おぬし、やるな」と思わせる発言をスーサンにしているのが分かった。

スーサンは激しくグチが多く、それが以前私たちが抱えていたトラブルの原因でもあった。
私との関係が改善しつつある中、昨日、つい彼女のグチを聞いてしまっていた。なんでも、美容院に出かけたのだが、「オーストラリア人じゃないから、美容師から失礼な態度をされた!」と怒りまくっていたのである。「あらひどいねぇ」なんて、私は右から左に流していたのだが、彼女の興奮は止まらない。そんな折、くりくりお目目のティカが、彼女に突然、

"Stop complaining."

と静かに言い放った。
「文句は止めなよ」と。

スーサンは、「あっ」という感じで黙りこくった。するとティカが慰めるようにハグ。おお。こういう訓練がここのところ、この二人の間で積まれていたのか。スーサンは以前に比べめっきりグチの数が減っていた。私に対してもとても礼儀正しくなったし、何しろ笑顔が多くなった。本人の努力もあるけれど、いい友を得たのだ。よかったね、スーサン。

昨晩は私の一時帰国前の晩餐、ティカの作ったお国料理のナシゴレンをいただいた。激しくウマかった。サンキュウ、ティカ。

夜中の1時過ぎ、朝市のバスで空港に向かう準備をする私にスーサンがノックしてきた。「明日、何時?早いんだよね?」「うん、はやいよ、みんな寝てるうちに出ちゃうからね。」そんな話をしていたらコロンビア人エルサ(仮名)も走ってきた(かわいい)。3人でハグハグ。

議論したり、誰かが泣いたり、口もきかない間柄にまでなった私たちの関係だったけれど、学期末は気持ちよくみんなで迎えることができた。それぞれの努力や工夫、周りの人たちの支え、いろんなからくりに感謝。

今学期は大学の授業なんかよりも、家がらみで起こったさまざまな問題が、今となってはいい修行だった。
さて来学期はどうなることやら。
ただいまフライト中。あと1時間あまりで日本に着陸する。
日本の湯にでも浸かって、ゆっくりあれこれ妄想しよう。

ついに食べました!

2007年06月15日 | オーストラリア社会科見学

シドニーの有名な白いオペラハウスの近くに、ロックスと呼ばれる地域があります。そこにある有名なパンケーキを、一時帰国前日に、お仲間と食べに行ってきました。

午前中めでたく今学期最後のエッセイを提出。その後大雨の中、待ちに待った素晴らしいパンケーキを前に・・・ついにこの日がきた!という感じです。

数時間後にはフライト。
充電開始!

血色回復までの道のり

2007年06月12日 | 気付いたこと築いたこと
以前、とある人物から、
シドニーで会ったときも
私が日本に一時帰国したときも
「顔が変わっていた」と言われた。
違う場所で違うことをして生きると、
やっぱりそんなものなんですかね。
ようは血色がわるかったんだと思うんですよ。

我がクラスメイトの中でも
もっともゴージャスな娘さんの試験対策は
「全身マッサージ」。
確かに血色がよろしいようで。

今日はこれから日英の翻訳の試験です。
それが終わったらコンピューティングのエッセイに集中して、
晴れて一時帰国です!

あと一息。