に行ってきました。美術館前に着いたのは、1:30頃。
ところが、門の所で聞こえる不吉な台詞
「本日、大変混みあっているため、ただいま、整理券を配布しております。」
なんですと!?
整理券を受け取ると 15:00~
ガーン!
後、1時間以上も待つのかよ!
という事で、一路、浅草へ。
仲見世通りを通って、お店を見てまわる。
色々と面白そうなものもあったが、19時まで開いてる店が多いようなので、
結局、買わずに帰ってくる。
絵を見てから、また来よう。(これが失敗の元)
美術館に戻って、入り口に列ぶと、後ろからオジサンが話しかけてきた
オジサン「15時を5分程過ぎてるけど、大丈夫ですよね?」
俺 「大丈夫じゃ無いですか?チケット持ってるんだし、入場拒否されるいわれは無いですよ。」
オジサン「そうですよね。大きい顔して、入って行きましょう!」
俺 「いや、顔は小さい方が良いんですよ。」
オジサン「‥‥‥」
聞くところによると、このオジサン、美術館の後援会員らしく、チケットレス(恐らく、会員証か何か)で、入場するとの事。なるほど、そういう人も見に来たりするんだねぇ。格言う俺は、友人から譲り受けたチケットでもって、入場です。
Y氏、ありがとう!
さて入場。
北斎と言えば、木版画。でも意外と、肉筆による絵画作品も、
多く残しています。
中でも「来燕帰雁図」「扇面散図」「富士越龍図」は、感涙ものだった。
500点以上もの作品の展示を見て美術館を出たのは、18:00過ぎ!
凄い。人混みの中を3時間くらい見てたって事だ。
そりゃ途中、疲れて眠くもなるわ(^^;
いや、ほんと、途中疲れ過ぎて、膝から崩れそうになったし!(笑)
という事で、浅草での買い物も、この時点で断念。
帰途につきましたとさ、ちゃんちゃん。
最後に、もう少しだけ北斎について。
俺も北斎については、ほとんど忘れていたのだけど、
北斎という名前は、一時期使ったペンネームみたいなもの(「号」と言う)で、
90歳で亡くなるまでの間に、北斎は30回程も号を換えている。
そして、死ぬまで、ひたすら多くの作品を残し、その数、
数万点とも言われています。
特に版画は、一つの版から、同じ作品が複数できるため、
現存している数が多く、今でも北斎の作品の多くを楽しめる、
というわけです。
しかし、それだけ号を変えていて、何故、
北斎の名が、後世に親しまれたのか?
何故だろう?
作品について
北斎は、平面的な浮世絵に、西洋の絵画の技術、
遠近法などを、巧みに取り入れた人でもあり、
ある意味、日本の絵画の世界に革命を起こした人でもあったんですね。
小説の挿絵なんかも書いていて、馬琴の作品の挿絵もしていたようです。
今で言う漫画も、多く書き残しています。
非常に簡素な線で書き上げられた、楽しげな絵には、
飾るところが、一切ありません。
そんなところに、北斎という人の一面を、垣間見る事が出来たような気がしました。
葛飾北斎について
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/040814.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E
ところが、門の所で聞こえる不吉な台詞
「本日、大変混みあっているため、ただいま、整理券を配布しております。」
なんですと!?
整理券を受け取ると 15:00~
ガーン!
後、1時間以上も待つのかよ!
という事で、一路、浅草へ。
仲見世通りを通って、お店を見てまわる。
色々と面白そうなものもあったが、19時まで開いてる店が多いようなので、
結局、買わずに帰ってくる。
絵を見てから、また来よう。(これが失敗の元)
美術館に戻って、入り口に列ぶと、後ろからオジサンが話しかけてきた
オジサン「15時を5分程過ぎてるけど、大丈夫ですよね?」
俺 「大丈夫じゃ無いですか?チケット持ってるんだし、入場拒否されるいわれは無いですよ。」
オジサン「そうですよね。大きい顔して、入って行きましょう!」
俺 「いや、顔は小さい方が良いんですよ。」
オジサン「‥‥‥」
聞くところによると、このオジサン、美術館の後援会員らしく、チケットレス(恐らく、会員証か何か)で、入場するとの事。なるほど、そういう人も見に来たりするんだねぇ。格言う俺は、友人から譲り受けたチケットでもって、入場です。
Y氏、ありがとう!
さて入場。
北斎と言えば、木版画。でも意外と、肉筆による絵画作品も、
多く残しています。
中でも「来燕帰雁図」「扇面散図」「富士越龍図」は、感涙ものだった。
500点以上もの作品の展示を見て美術館を出たのは、18:00過ぎ!
凄い。人混みの中を3時間くらい見てたって事だ。
そりゃ途中、疲れて眠くもなるわ(^^;
いや、ほんと、途中疲れ過ぎて、膝から崩れそうになったし!(笑)
という事で、浅草での買い物も、この時点で断念。
帰途につきましたとさ、ちゃんちゃん。
最後に、もう少しだけ北斎について。
俺も北斎については、ほとんど忘れていたのだけど、
北斎という名前は、一時期使ったペンネームみたいなもの(「号」と言う)で、
90歳で亡くなるまでの間に、北斎は30回程も号を換えている。
そして、死ぬまで、ひたすら多くの作品を残し、その数、
数万点とも言われています。
特に版画は、一つの版から、同じ作品が複数できるため、
現存している数が多く、今でも北斎の作品の多くを楽しめる、
というわけです。
しかし、それだけ号を変えていて、何故、
北斎の名が、後世に親しまれたのか?
何故だろう?
作品について
北斎は、平面的な浮世絵に、西洋の絵画の技術、
遠近法などを、巧みに取り入れた人でもあり、
ある意味、日本の絵画の世界に革命を起こした人でもあったんですね。
小説の挿絵なんかも書いていて、馬琴の作品の挿絵もしていたようです。
今で言う漫画も、多く書き残しています。
非常に簡素な線で書き上げられた、楽しげな絵には、
飾るところが、一切ありません。
そんなところに、北斎という人の一面を、垣間見る事が出来たような気がしました。
葛飾北斎について
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/040814.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E