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会津の旅人宿 地域との交流・旅人との交流が盛んな【会津野】宿主ブログ

地域の話題、旅人のホットな話題、季節のおいしい食べ物の話題など、会津へ旅する人々への話題中心の宿主ブログです。

【会津野】書籍「勉強の哲学」

2018年01月19日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨年の暮れ頃、社会学者の宮台真司さんが「2017年に出版された優れた本」を勧めていました。

その中の1冊、「勉強の哲学」(千葉雅也著)を読んでみました。

 

宮台さんは、常々「言葉の受動機械」という言葉を使われます。私はこの言葉の意味を、イマイチ理解していなかったのですが、この本を読んでバッチリとわかりました。

「与えられた環境のノリの範囲内での言葉しか使わない」ということに近いことなのかなと思います。

この本は、「言葉」に焦点を当て、まず「この前提って本当なの?」という批判(アイロニー)を深めると環境中ではキモイ奴となり、居づらくなることを述べます。

次に、批判ではなく、ユーモアについてを述べます。例えば、みんなでアイスクリームを食べているとき、「これ、おいしいよね」に対し、「おいしい以外の発言って許されるの?」というような会話をユーモアとし、「おいしい」という無意味な前提から外に出て、話を拡張させていくものがユーモアであると説明します。

ユーモアを深めると、どんどん話が拡張してしまい、いずれ何の話かわからなくなってしまう。なので、それを有限化する必要が出てくる。

「勉強というのは、そういう風にやっていくもんだよ。」というのが、この本の中心です。

そのための技術論も、詳しく述べられています。

ただ世の中では、「空気を読む」や「忖度」のような、環境中に同調しなければならない圧力も多いですよね。そこから外に出ることが「勉強」なので、「勉強を恐れる人々」が多いのも確か。

著者は、環境中のことだけに同調する「何も知らないバカ」ではなく、勉強したうえで環境に戻りバカなことをいう「来たるべきバカ」になれと言う。これは、「言葉の受動機械」ではない生き方だ。

小学生の末娘の同級生に「お笑い芸人」になりたい子がいる。彼みたいな子は、環境が限定されないところで活躍を夢見る。だから、最低限のスキルとしてその場の環境を察知し、それに見合うユーモアを即座に表現しつつ、それを有限化して観客が理解できる笑いを提供する技術をみがく必要があるだろう。

「お笑い芸人」って、スゴイなというのが、読んではじめに浮かんだ感想でした。

今日も素晴らしい1日を過ごしましょう。

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【会津野】観光客の哲学

2018年01月17日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

かなり堅い本を読みました。

「観光客の哲学」(東浩紀著)です。

この本は、観光客のことを書いているものではなく、現代社会のナショナリズムとグローバリズムの両方にまたがる私達の立ち位置はどういう状態のものなのか、を哲学的に深堀りし、観光客にたとえているものです。

ひとつの材料として、「二次創作」というものが出てきます。二次創作は、漫画や小説などの一次的コンテンツを読んだ読者が、新たな創造を付加して創りだすもの。著者の東浩紀は、過去に「福島第一原発観光地化計画」という本を出しています。私も読みましたが、この計画は訪れた方々が、次なる考えを起こすこと、すなわち二次創作を促すような計画が中心となっています。

それに対し、「はじめての福島学」(開沼博著)という本があります。

福島出身の著者が、二次創作する前に、一次的なものである福島の事実を知れということがその内容になっています。

東浩紀氏は、「観光学の哲学」の中で、この視点の違いを詳細に述べています。

事実を知り、次なる二次創作のための材料となりうるものを構築するのが、現代の観光商品なのではないかと思わされる内容です。

どちらが正しいというのではなく、両方の考え方を知らないといけないなと感じました。

「観光学の哲学」の後半では、家族観やドストエフスキーの小説に関する考察なども収められています。

トストエフスキーは、「罪と罰」しか読んだことがありませんが、「カラマーゾフの兄弟」や他の書籍も、読んでみたくなりました。というのも、ドストエフスキーが小説を書いていた時代のロシアと、現代の世界がとても良く似ていて、そこに登場する人物の考え方が変化する様子は、現代の人々がどのように物事を考えたら良いかと暗示してくれるようです。

とても深く現代を哲学的に考えている書籍だなと感じました。

今日も素晴らしい1日を過ごしましょう。

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【会津野】十三日市の様子

2018年01月13日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

会津でのお正月は、風物詩として「会津の初市」という催しがあります。

最初は、1384年に会津若松市ではじまった「簗田市」というものが起源です。それが会津各地に広がり、いまでは、1月7日から17日にかけて、多くの地で「初市」が開かれています。

昨年は、精力的に各地の初市の様子を見てきました。ただ、十三日市の「野沢(西会津)」と「猪苗代」が吹雪で行かれなかったので、今年はこの2つにリベンジ。今年は、とても良いお天気の中、見てくることが出来ました。

昨年の様子は、以下のエントリーをご覧くださいませ。

【会津野】十日市の様子

【会津野】十二日市の様子

【会津野】会津の初市 周辺部の巻

【会津野】小田付初市

それでは、野沢からリポートしましょう。

電気屋さんの倉庫に市神様が祀られていました。野沢にある熊野神社の宮司様がいらっしゃったので、お祀りしている神様を尋ねたものの、残念ながらわかりませんでした。

野沢では、あまり初市の意義が継承されていないようです。

市そのものは、野沢駅前通りの片側に、十数件の出店が並びます。起き上がり小法師と風車を売る店が数件ありました。

猪苗代に場所を移すと、こちらはとてもにぎやか。

道の両側に並ぶ出店を覗く人々であふれています。出店も80近くありました。

こちらが、市神様を祀る祭壇。ここには、諏訪神社の宮司さんがいらっしゃり、やはり祀っている市神様のことを尋ねてみました。

諏訪神社そのものと土津神社が祀っている神様のお話しは伺えたものの、市神様については、わからないとのこと。住吉大神と春日大神ではないですか?と訊いてみても、商売繁盛を願うような神を猪苗代で祀る話は聞いたことがないとのお話し。

野沢も、猪苗代も、会津若松の簗田市で祀り現在に至る住吉大神と春日大神の2神が関係している様子は、これっぽっちもありませんでした。

さてさて、私の住む高田では、阿弥陀如来と薬師如来を祀り、仏式で初市を行っていたものをお奉行様から禁止され、市神に2神に祀るようになったのに、もともと2神を祀っていたであろうことは、どうでもよくなってしまったようです。(現在は、高田でも市神様のことが、うやむやになっています)

簗田市で始まった俵引きは、いまでも高田と坂下に残っています。ただ、初市に2神を祀り、いまだに俵引きも行っているのは、坂下だけとなってしまいました。

坂下の「俵引き&初市」はこれからも大事にするべきだし、高田においては、1700年代に出されたお奉行様による禁止をそろそろ破っても大丈夫だろうから、仏式での初市、そして、今も続く俵引きでのお正月行事を続けたいものです。

ところで先日、「初詣」の起源をラジオ番組で聴きました。初詣とは、明治18年に始まったもので、川崎大師にお詣りに行くことを鉄道会社が促しはじまったとのこと。なんと、商業的な行事だったのです。

それまでの日本人は、お正月は家にいて、幸福をもたらす歳神様(としがみさま)を家に迎い入れる風習でした。

そのために、年末に大掃除をし、おせち料理を作ってお迎えをしていたのです。

会津の初市は、市街地に住む武士や商人たちと農村部に住む農民たちが、お正月の挨拶を「市」の場でいっぺんに行ってしまうのが、その起源です。後に、せっかくなので縁起物を売ろうという商業的な意義がついてきたものです。

会津で最も初詣客が多く集まる伊佐須美神社の門前にある高田で、なぜ初市が仏式で行われていたのかという謎は、お正月だからと言って神社に初詣でする習慣そのものがなかったというのが、その大きな理由。お寺の多い高田にたくさんいた修行僧たちは、初市で風呂を沸かし対価を得ることだけが許され、1700年代までの高田初市は、湯けむりが立ち上る初市であった。

風呂入りながら、高田の地酒や漬け物などを野外で楽しむことが復活したら、全国から沢山の人が来そうですよね。

インスタ映えするような箱蒸しでも考えてみましょうかね。

皆が二次創作するであろう箱蒸しの先は何だろう?

世界の果てまでイッテQの宮川大輔さんに来ていただいて、箱蒸し我慢大会なんてどうだろう?

お正月から、あれこれ妄想している宿主です。

今日も素晴らしい1日を過ごしましょう。

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【会津野】「インスタ映え」を考えてみる

2018年01月08日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨年(2017年)の流行語大賞は、「インスタ映え」という言葉でした。

私も流行に乗り遅れないようにと、昨年秋、インスタグラムのアカウントを作成し、どんなものなのか試してみました。

まず特徴としてとらえたのは、「写真」を必ず投稿しなければならないこと。これは、他のSNSにない特徴ですね。

ただ、写真と言っても、スマホで普段の姿をパチリと撮ったものから、丁寧に加工し傑作の1枚をアップロードするものと、ユーザによりさまざまな画像が上がっています。

偶然にも普段撮りの画像が、たくさんの方から承認され、「いいね」がたくさんつくこともあるけれど、たいていは懇切丁寧に作りこんだ画像が承認されることが多いようだ。

アップロードした画像を分別して、ユーザ個人個人の趣味志向に合わせた画像提供ができる人工知能のような機能はまだサポートされていない。だれど、それを補うために、文字を使ったハッシュタグが多用されている。

24時間で消えてしまう「ストーリーズ」というものもあるけれど、この機能の意味については、まだわからないまま。

インスタグラムって、こんな感じかなと思います。

さて、「インスタ映え」ですが、ここには2つの意味がありそう。

1つは、上に書いた「承認」がたくさん受けられそうな画像を作ること。

そしてもうひとつは、ユーザの投稿一覧で表示される画像群に統一性を持った画像が並ぶこと。

画像一覧の全体で1つのメッセージを現している人も結構いるのには、びっくりしました。

こういう感じでインスタグラムを理解したのですが、私にとりインスタグラムって本当に必要なのだろうか?と考えるようになりました。

普段、私はこのブログを書くように、「文字」で自分の考えを表現することが多い。それを「写真」という形で表現するのは、昔からとても苦手なこと。ついでに言うと、「絵」も、苦手。どちらも、あまり、やりたいと思わない。

世の中、人工知能に向かって様々なものが開発されていますが、現在のフェーズは、「文字」と「音声の文字化」を、だいぶコンピュータが理解するようになってきたというところだろうか。

ところが、「画像」や「図」の意味するところは、なかなか人工知能が理解することができない。

インスタグラムの流行は、この部分を、ヒトとして大事にしたいということの現れなのか、それとも、文字や音声から自分の頭でイメージ化することを避ける人が多くなったということのか、私にはわからない。ただ、前者のような考え方はあまり聴かれないし、ラジオからテレビへ、文字の説明よりも動画という動きを見ていると、後者の考えを持つヒトも多くなってきたのだろう。

いまのところ、人工知能を味方に付けて暮らしていくために、人工知能をコントロールするのは、やはり「文字」に軍配が上がる気がする。

2045年に人工知能がヒトを超えると言われる「シンギュライティ」。2018年を迎えたいま、あと27年後に迫ってきた。シンギュラリティを迎えたとき、人々のコミュニケーションから言葉を廃して、画像中心のコミュニケーションになることはあまり私には想像できないし、写真で直感的な理解ばかりをする生き方をしていては、人工知能に使われてしまうような気がする。

うーん。インスタグラムというものは、なんとなく理解したけれど、これはヤバイのではないのかと思ってきた。

こんな思いが大きくなってきて、近頃、意味のないブログのトップ画像をつけることも、必要性を感じなくなってきた。

もう、文章を補助するために画像をアップロードする以外のことをやめようと思う。

「インスタ映え」による承認よりも、文章による読者のイメージ化ができたときの承認の方が、ボクにとっては嬉しいことだ。

「文字・写真問題」は、マイノリティ路線でいくことに決めた。

今日も素晴らしい1日を過ごしましょう。

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【会津野】Amazon マーケットプレイス(古本)の話

2018年01月06日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨年、古本屋を開業するための「古物商」の資格を取得しました。

ネット上には、「高価買い入れ」「ダンボールで発送するだけ」と言った、古本屋にとっての商品仕入れのホームページが数多く存在します。

古本屋は、店頭で販売するだけでなく、Amazonのマーケットプレイスに出品し、販売するところも数多く存在しています。

このやり方、一体いくらのコストがかかるのかを考えてみました。

Amazonには、大口出品者としての契約と、小口出品者としての契約があります。大口出品者は、品出しの量による優遇がありますので、その内容は公開されていません。ですので、小口出品で考えてみます。

書籍に限って話しをしますと、販売額は「商品価格+送料」で、商品価格は出品者が自由に定めることができます。

送料は、国内送料として一般的なものとして、257円として話を進めましょう。

例えば、商品価格を1円とした場合(A)、ユーザは1円+257円=258円という販売価格になります。商品価格が1,000円の場合(B)は、同様に1,257円です。

Amazonが手数料として取る分は、3つのものがあります。

1.基本成約料(一律に100円)

2.カテゴリー成約料(一律に80円)

3.商品と送料を足した額にかかる販売手数料(15%)

さて、コストを合計してみましょう。

(A)の場合は、(100+80+38)+消費税(8%)=235円となり、出品者の手取りは、258-235=23円になります。

(B)の場合は、(100+80+188)+消費税(8%)=397円となり、出品者の手取りは、1,257-397=860円になります。

商品が成約した場合、出品者は送料を負担して送る必要があります。

このコストを257円とした場合で損益分岐点を計算すると、商品価格が280円となります。

手数料=(100+80+80)+消費税(8%)=280円

なんと、280円以下で売ると、赤字になってしまいます。

実際にマーケットプレイスの価格帯を見ると、あまり人気のない本は50円から100円程度の額で商品がすらっと並んでいます。

これは、大口出品者の送料が自由に設定できるようになったことから、350円程度の送料が多くなり、商品販売価格として50円をのせ400円程度の販売額を最低とし、なんとか140円程度の送料コストを捻出していることになります。

こんな薄利多売がまかり通っているのが実情です。

書籍販売のパイオニアとして、流通を制したAmazonがガンガン稼いでいることが浮き彫りになりましたが、こんなことでは、年間に300万部以上を売る超王手古本屋でも、お客さんからの買い入れ送料コストや品物代を負担したら、残るものはごくわずか。そこから人件費も捻出しなくてはならないので、Amazonマーケットプレイスを用いた古本屋のビジネスモデルは、最早破綻が近いかも知れません。

これを克服するには、Amazonから離れたところでの市場形成をするしかありませんね。

ブックオフオンラインは、自社システムを構築し、Amazonが取っていく利益を自社内で残すことを実現しました。

中小の古本屋は、共同販売市場システムを構築しなければならないのだろうと思います。

ただ、それを作っても、Amazonが手数料の値下げ攻勢を始めるでしょうから、これからも戦いが続くのは確か。

まずは、コツコツと自社販売システムを作り、それにのって来る同業者を増やす試みをするのが現実的だろうか。

お正月から、そんなことを考えています。

今日も素晴らしい1日を過ごしましょう。

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