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音信

小池純代の手帖から

雑談17

2021-08-27 | 雑談
つんどく山で捜し物をしていると、枯れた葉っぱか熟れた実のように
本が落ちてくることがある。

喩えではなく、ほんとうに足元に落っこちてくる。
捨て身で存在を示しているのかもしれない。
なにかのご縁だと思って手にとってみる。

今回、落ちてきたのは岩波文庫の青帯『碧巌録』上巻。
我がつんどく山のなかでも古株で、最高峰のひとつだ。
つんどく山には最高峰がいくつもある。

   

開いてみたものの、読みにくい。
北宋初期の雪竇(せっちょう)が数々の禅録から選んだ公案に賛を付けた編著に対して、
北宋晩期の圓悟(えんご)が解説・論評・短評といった各種のコメントをかぶせた編著。
雪竇の文の句間に圓悟が〔 〕で割り込んでツッコミを入れていたりしてそわそわする。
つまり読みにくい。

声優さんに声色を各種使って読み分けてくれると
おもしろいのかもしれないし、
頭注や脚注やフォントの大小やフキダシなどで
レイアウトを工夫してくれれば、
意外とすっきり読めるのかもしれないが、そうなってはいない。
つまりわたしには読みにくい。

溝口雄三先生の「解題」に、
「調和と反調和の機妙と緊張がかもしだされているかにみえる」
とある。
つまり読みにくいと思ってよいのだろう。

溝口先生は、「解題」で次の本を紹介してくれている。
もともとはこの本が『碧巌録』の土台なのだ。


   
  入矢義高・梶谷宗忍・柳田聖山『雪竇頌古』(筑摩書房1981年)


つまみ読みしただけだが、いくつかの公案に滑稽な魅力を感じた。
稲垣足穂の『一千一秒物語』とか、不条理コントの類いに近いようだ。

禅僧たちはこんな言葉の贈答をして心底愉快に
修行していたのではないかとも思われた。
彼らは大いにたのしむべく、けっして笑わなかったのではなかろうか。
知らないけれど。




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雑談16

2021-08-14 | 雑談

『赤光』に「赤光」が、まるまる初句で出てくるのは次の二首。

 赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥けかり野は涯ならん
 *赤光:しやくくわう 棺:くわん 遥:はる 涯:はて

 赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきゆめごころかな
 *赤光:しやくくわう       

初版『赤光』の跋文に「赤光」の説明がある。

 本書の「赤光」という名は仏説阿弥陀経から採ったのである。彼の
 経典には「池中蓮華大如車輪青色青光赤色赤光白色白光微妙香潔」
 というところがある。


幼児期、遊び仲間の雛法師(子どもの僧侶)が、
「しゃくしき、しゃっこう、びゃくしき、びゃっこう」
と遊びながら暗誦しているのを聞き覚えたのが最初なのだそうで、
「シャッコウ」が「赤い光」なのを知ったのは上京後、
『新刻訓点浄土三部妙典』を手に入れてからのこと。

まず耳から「シャッコウ」、そして文字の「赤光」、
それから極楽浄土の「赤い光」の色とイメージと意味。
この順で茂吉の胸中に赤光は入っていったのだろう。

 白き華しろくかがやき赤き華あかき光を放ちゐるところ
   華:はな       「地獄極楽図」『赤光』

地獄極楽の極楽部門の「あかき光」は、存外深いところで
茂吉の「赤」と「光」を支えていたのではなかろうか。

「赤光のなか~」の二首はあまり脚光を浴びていないようだ。
茂吉自身、自選歌集『朝の螢』に選んでいない。

でも、現世での赤い夕光であると同時に、極楽浄土の赤い光でも
あるのだろうから、も少しありがたく思ってもよさそうな。

野辺の送りの棺の極楽行きへの確信と祈り、とか、
当時はまだ刊行されていないけれども『梁塵秘抄』の、

 「仏は常にいませどもうつつならぬぞあはれなる
 人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたまふ」


にも通じる、ひっそりしたフラジリティとか、
「はるけかり・はてならん」、「ほそき・かほそき」といった、
着くか着かぬかぐらいの音の反復、とか。

茂吉の持つ歌謡性の脆弱さ、そのよろしさを賞味したくなりはすまいか。

 

新潮文庫の『赤光』の表紙。
お洒落な「のど赤きつばくらめ」の画。



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雑談15

2021-08-12 | 雑談

北杜夫『幽霊』に、主人公の「ぼく」が蛾を殺す場面がある。
「少女にもなりきらない年齢の姉」が病臥する部屋を出て、
裏庭のミズキの幹に卵をうみつけている蛾を見つける。

 やがてぼくは臆病な手つきで蛾を地面にはらいおとし、
 ちからをこめて下駄で踏みにじってしまった。黄いろい
 汁が白い腹を汚し、そのうえを泥土が汚した。蛾の形が
 すっかりなくなってしまうと、ぼくはようやく安堵した
 ような気になった。
  とにかく、それから半日とたたないうちに、姉が死ん
 でいったのは事実である。(*ルビ略)
                北杜夫『幽霊』第二章


作中、「姉」の死以前に「父」が東北の辺鄙な町で病死し、
出奔したとされている「母」がおそらく亡くなっている。
さまざまな「死」への意識が幼少期の「ぼく」に去来するなか、
産卵中の蛾を殺す場面。

『幽霊』もそうだが、『赤光』にも「死」が頻出する。
『赤光』初版の巻頭「悲報来」では、伊藤左千夫の訃報を受けて
茂吉は夜道をひた走る。(その際、飛ぶ蛍を手で殺している)。
左千夫の死を皮切りに、受け持っていた患者の死は一再ならず、
「母」の死、目をかけていた「おくに」の死、正岡子規の十周忌、
夭折した「堀内卓」。

北杜夫『青年茂吉「赤光」「あらたま」時代』によると、筆者は、
父・茂吉の歌によって文学への目を開かされ、『赤光』『あらたま』の
歌を大学ノートにびっしり筆写した、という。
筆写によって転写されるものは文字や情報だけではないだろう。

  

なお、この本に「ゴオガンの自画像見れば」の一首への
筆者自身による解説、鑑賞は見つからない。




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雑談14

2021-08-09 | 雑談
  ゴオガンの自畫像みればみちのくに山蠶殺ししその日おもほゆ
                  山蠶:やまこ

ゴオガンの自画像を引き金にした「その日」の追憶、
もしくは「その日」の湧出。そのインデックスとしての「山蚕」。
この一首は追想空間のオブジェ化なのではないか、
というひとつの見方を記しておく。

O母音の連打にも触れておく。
一、二句の濁音の雪崩が「みちのく」以後、澄んだ音になってゆく。
「その日」の「そ」のS音でちょっとほっとするところがある。
しかし、「そ」を導き出すのが「殺しし」のS音のペアなのだ。

さらにもう少し。
「ころし」と「そのひ」が同じOOI母音。
「ころし・し・そのひ」と「し」を要に扇が右端と左端に
開いてゆくところも微妙にして絶妙な音の景色。

虫殺しについて少し。

「山蚕」が幼虫なのか成虫なのかは不明。
単数なのか複数なのかも不明。

いたぶった結果、死に至らしめたのか、
飼ってみようと持ち帰ったものの餌やりに失敗したのか、
うっかり踏み潰したのか。
一人だったのか、仲間とだったのか。

強烈な体験の記憶として残っているのか、
日常的な経験の記憶のひとつなのか、それも不明。

茂吉の随筆に蚯蚓を踏み潰した記述がある。
かいつまんで言うとこういうことだ。

 初冬の或る日、友だちと信濃の温泉に行った。
 林間の小道で、蚯蚓が日向と日陰の間で迷っていた。
 日差しが強いから、湿気のある日陰に入ればいいのに、
 と三十分ほど茂吉は念じながら眺めていた。
 蚯蚓は輾転反側、右往左往してようやく日陰に入ったと
 思ったところが、日向に出てしまった。
 「いまいましい畜生だ」と言って靴で踏み潰した、

「蚯蚓は僕にはひとごとではなかっただろう」と続くのには
驚いた。茂吉は蚯蚓が安住の場を見つけるまでわがことのように
応援していたのだろう、三十分も。
で、進路、もしくは退路を誤った蚯蚓を踏み潰したのだ。

『念珠集』「続山峡小記」より。「山蚕」と同じ昭和三年の発表。
次男の北杜夫は昭和二年生まれだから、このときの茂吉は
もうたいがいいい大人なのであった。





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雑談13

2021-08-05 | 雑談

「山蚕」について茂吉自身が書いていた。以下抜粋。

 今では養蚕の術が驚くべき程発達したから、結句、山蚕のことなどは余り
 云わぬようになった。併し以前には熱心に山蚕を養うことを称道した人も
 あり、地方によっては普通の養蚕の片手間に養った。
   †
 結局、山蚕の養方は普通の養蚕ほどに発育せずにしまった。野生のものは、
 人工を以て思う勝手な結果に至らしめることはむずかしいと見える。
   †
 僕は小学校のかえりに春も追々深くなってゆく林中に寝ころんで、ひとり
 絵かきの修行にでも出掛けようか、それとも宝泉寺の徒弟になってしまお
 うか。或はここの新道のところで百姓をしながら山蚕でも飼おうか。そん
 なことを思って時を過ごすことが多かった。僕の寝ている林中には、もう
 山蚕は余程大きくなって幾つも動いているのが見えた。
   †
 山蚕の写象は妙に僕を親しくさせ、また妙に僕を沈鬱にさせる。年はすで
 に初老を過ぎ、山蚕を見ざること十数年であるのに、その写象は殆ど幻覚
 にひとしいような現実性を以て、僕の眉間にあらわれてくるのはどういう
 わけであるかと思うことがある。
    (斎藤茂吉「山蚕」『念珠集』初出昭和三年「文藝春秋」二月号)


  

野生の蚕を養殖するのは難しかったらしく、山蚕のために
蚕部屋どころか蚕森とか蚕園のようなものを設えなくては
ならないようだ。現在はどうなのか知らない。
茂吉にとって「山蚕」とは日常親しんでいたものでもあり、
記憶に浮上する別格の表象でもあり得る存在だったことは
想像できる。

ここでようやく思い出した。茂吉の次男、宗吉は昆虫少年
だった。宗吉、即ち北杜夫の『幽霊─或る幼年と青春の物語』
も思い出した。
冒頭から早速、「蚕」が出てきた。

  人はなぜ追憶を語るのだろうか。
  どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。
 その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見え
 る。──だが、あのおぼろな昔に人の個々とにしのびこみ、そっと爪痕を
 残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけ
 ているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだ
 ろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、
 なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕
 が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたべてみるよ
 うなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。
                      (北杜夫『幽霊』第一章)

   爪痕:つめあと 事柄:ことがら 反芻:はんすう 咀嚼:そしゃく


反芻する蚕はほかにも登場する。

  わけもなく葉に穴をあけている蚕が、ときおり不安げに首をもたげてみ
 る。それは人間の言葉で彼らの意味とはちがうにしても、人は生涯に何度
 か、それに似た時間をもつもののようだ。ある季節、高原の大気が異常に
 澄みわたってくるように、そんなときわれわれの感覚は非常に敏感に、過
 去と現在のかげのなかから、自らの存在の意味を探りだすまでに高められ
 るだろう。今までさりげなく見すごしてきた物のすがたが変様し、実はこ
 のうえなく貴重な、かりそめに過ぎ去ってゆくものでないことが感じとれ
 る。                   (北杜夫『幽霊』第二章)

                
  ゴオガンの自畫像みればみちのくに山蠶殺ししその日おもほゆ
                     山蠶:やまこ

  

杜夫の文章と茂吉の歌を並べてみると、どうも「その日おもほゆ」が
ずいぶんつややかに見えてくる。

文芸にもお家芸というものがあるのだろうか。
親子二代の至芸を見る思いがする。


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雑談12

2021-08-04 | 雑談
ひきつづき斎藤茂吉『赤光』からゴオガンの一首。

ゴオガンの自畫像みればみちのくに山蠶殺ししその日おもほゆ
                山蠶:やまこ

▼「帽子をかぶった自画像」
  
        ▲「死霊が見ている」

自画像の背景右上を占める絵画はゴーガンの自作画「死霊が見ている」。
うつ伏せの裸婦はタヒチでの若い妻。足元に死霊らしき者の黒い影。
夜、ゴーガンが帰宅したとき、妻は死霊の存在に恐怖し怯えていた
というエピソードが知られている。

この「自画像」を見、背景の自作画のエピソードも
茂吉が周知していたことを前提に、
山蚕の幼虫の形状と裸婦の姿態のイメージの類似、
また、見るものと見られるものとの関係線の交差と連鎖から、
三浦氏は次の推論を導き出す。

 「自画像」→「殺した日」という連想からは、茂吉が、ゴーガンの
 「不安」「怯え」という要素を敏感に察知しているように思われる     
 (三浦彩子「ゴオガン探索ー茂吉が見たのは、どの自画像か?」)


茂吉の二面性。鬼のように凄まじい怒りと、その反面、おそろしく細く
弱々しい神経。両極端の振れ幅にも思いの及ぶ指摘と思う。

 人類の文化的産物について、ある程度の知識を有していることは、
 現代の読者としての基本的資格である。読者は作品を理解する
 ための知識を獲得しておく義務があるのだ。
 実際的に言うと、この歌を読んで、ゴオガンの自画像を見たことが
 なかったと心づいた読者は、写真版でなりと、それを一見する労を
 とるべきだというのがほんとうである。(玉城徹『茂吉の方法』)


ありがたいことに茂吉の時代よりもさらに精密な画像を簡単に目にできる。
あらためて「自画像」を眺めると、最も鮮烈な「赤」は「死霊が見ている」の
枕かなにかの赤色であることに気づく。赤のみならずシーツの白も鮮明で、
裸婦が羽化しそこねた蚕のようにも見える。
さらに寝台の上を鳥なのか蝶なのか精霊なのか、なにか白い、
羽根のあるものが二、三、飛んでいることにも気づく。
この連中は何なのだろう。

ところで、「山蚕殺しし」の「山蚕」は幼虫だったのだろうか。
成虫だったのだろうか。あるいは蛹だったのだろうか。
「山蚕」はいわゆる「お蚕さん」とは違う野生の蚕で、
あの白いまま生涯を終わる養蚕用の蚕とはかなり違うものらしい。

わたしはどこへ行くのだろうか。



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雑談11

2021-08-04 | 雑談
三人の茂吉の一首。

ゴオガンの自畫像みればみちのくに山蠶殺ししその日おもほゆ
              山蠶:やまこ

斎藤茂吉『赤光』「折に觸れて」(大正元年)の一首。
「山蠶」は新字では「山蚕」。比べてみると別の生きものに見えるが、失礼して
以下、すべて新字表記で進めます。引用は主に次の三冊から。

    TK:塚本邦雄『茂吉秀歌『赤光』百首』
    TT:玉城徹『茂吉の方法』
    OT:岡井隆『斎藤茂吉ー人と作品』


TK:私はこの「ゴオガンの自画像みれば」を、『赤光』の白眉とするのみでなく、
  近代短歌の秀作の第一に数へたいくらゐに思ふ。


とてつもない高評価のこの歌、平たく言うと、

OT:「ゴオガンの自画像」はおそらく画集かなにかを見ているのだと思います。
   それとじぶんの郷里の東北で野生の蚕をみつけて殺したその日のことが
   思われるというのを繋げている。


こういう歌です。

OT:「ゴオガンの自画像」とみちのくでやま蚕を殺した追想とはなんの関係も
   なさそうです。けれども、


けれども、
「タヒチへ流れていった伝説付のゴーガンという画家」「原色の世界」と、
山蚕を殺すような「子供の殺戮本能」とは、
「直接の関係はないのだけれども、なにか強烈な原色というもので結びつけられる」
と続きます。
ほかのお二方は、「自画像」と「山蚕殺し」を繋げるものとして、

TK:幼児、少年の虫類虐殺は、その本性に根ざしたもので、長じて後も、
   時として一種の戦慄として蘇る。
   ゴーギャン肖像と山蚕殺戮を繋ぐ透明な線は人間の業(ごふ)であり、
   作者は「その日」の「その」に、宿命的な悪行の創まりを暗示してゐるのでは
   あるまいか。


TT:ゴオガンの自画像と、「みちのくに山蚕殺しし」思い出を結びつけるものは、
   けっきょく、ある悪霊(デーモン)的なものだと言ってよかろう。


三者三様ながら、
「強烈な原色」「人間の業」「悪霊(デーモン)」と、なかなかおどろおどろしい
どこか根源的なものが揃いました。

ゴーガンの自画像は何枚もあるそうですが、
三浦彩子氏の探求(「短歌」2003年4月号「ゴオガン探索ー茂吉が見たのは、どの自画像か?」)
によると、この帽子をかぶった自画像が相当有力なようです。


    

自画像の背景にある絵画は重要なエピソードを担っていると言うことです。
さて、どんな?



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雑談10

2021-07-22 | 雑談
『文鏡秘府論』「地巻」に「六志(りくし)」がある。
詩で志を詠ずる六種類の方法のこと。
『文筆式』から引用したもので空海のアイデアではないそうだ。

   

『弘法大師 空海全集』第五巻 筑摩書房 興膳宏訳注
〔注〕より

直言志:ちょくげんし
 対象とする事物を、そのまままっ直ぐに詠ずる方法。
 六義の「賦」に類似する。

比附志:ひふし
 事物を譬喩に用いて身上を描く描写法。
 六義の「比」に類似する。

寄懐志:きかいし
 「寄懐」は、懐(おも)いを寄せること。
 ある事物にことよせて思いを表出し、一篇の主題とする詠法。
 六義の「興」に類似する。

起賦志:きふし
 いにしえの事跡を典故に用いた表現。

貶毀志:へんきし
 「貶毀」は、けなしそしること。
 一般的には高い価値を認められる対象について、否定的な判断
 を下し、自らの独自性を主張する方法をいう。

讃誉志:さんよし
 「讃誉」は、ほめたたえること。「貶毀志」とは逆に、通常は
 低く見られているものの中に高い価値を見出す論法をいう。



 §

備忘のためのメモ。

「直言志」は、いまで言う直叙であろうか。

「比附志」は部分的譬喩、「寄懐志」は詩全体が譬喩、
というのが小西甚一先生の『文鏡秘府論考』での見立て。

「起賦志」は本歌取りも含まれるのではないか。
「貶毀志」はノリツッコミに近いか。俳諧っぽい。
「讃誉志」はほぼ挨拶ではなかろうか。
というのはわたしの愚考。
しかしながら、現代からのバイアスをかけて眺めてみると、
中国産の分類なのに、日本の上代から近世にかけての
詩歌史の推移のように見えなくもない。
子供の知恵の発達とか、会話の上達への道のりとかの
見立てもできるだろうか。

その方法だけが用いられた一種類に分類できる一首を
事例として挙げるのはとても難しい。言葉を組み合わせる以上、
なにかとなにかの雑種になるのは避けられないのだから。
雑種だから、このように分類の軸を差し込みたくなるの
かもしれない。




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雑談9

2021-07-17 | 雑談
  

『弘法大師 空海全集』題五巻「文鏡秘府論」(筑摩書房)
目次の前半。

  

目次後半。前半に続いて、西巻「論病」、北巻「論体属」の章。
「文筆眼心抄」は「文鏡秘府論」のダイジェスト版。

帯文に、
──千古の文芸理論の詳細な訳注成る!
  中国六朝から唐にかけての創作理論を体系的に編んだこの雄篇が、
  日本と中国の文芸史上に果たした貢献は実に偉大なものがある。


とある。「文鏡秘府論」は空海の著作というより編著。
かの国のかの時代の詩論、詩のお作法をまとめたもの。
訳注といえども漢字が圧倒的に多い。
わからないところは静かに伏せる。魅力のありそうなところは
背伸びして手を伸ばしてみる。そういう読み方が許される、
そのほかの読み方があるとは思えない、そういう本。

「和歌十体」とか「歌病」とか、きみたち一体どこから来たの、
という和歌の用語があって、ずっと疑問だった。
しかし、これで見当がつくかもしれない。
わからなかったとしても、これまで困らずに来たから無問題。それより
「天・地・東・南・西・北」の六つの巻で構成されていることに
まず、心うたれた。世界を立方体のサイコロのように捉えてもよいのだ。

小西甚一『文鏡秘府論考』「序説」に、

──「文鏡」とは、文自体の姿を照葉し、その是非巧拙を如実に
  観取せしめる鏡との義らしい。
──「秘府」は典籍を秘蔵する府庫のことである。
──要するに『文鏡秘府論』とは、詩文制作の鏡として多くの典籍を
  略抄した論の意と考へられる。


同じく『文鏡秘府論考』「第五章 秘府論研究の意義」で、

──秘府論が最初撰述されたときの在りかたにおいて永久的な価値を
  認めようとするのは、大師の真意を蔽ふ固執であり、千年といふ流
  れを無視する迷妄である。秘府論は、現在に生かされるときのみ、
  真にあるべき姿を照らし出す「文の鏡」であり「文の曼荼羅」であ
  り得よう。


本を捲ってみる、本のサイコロを転がしてあそんでみる、
それはいま現在に生きている人間にしかできないことだ。
並外れた浅学非才であっても、生きているということに於いて、
大切な人的資源であると自分で思わずして誰が思うだろう。




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雑談8

2021-07-10 | 雑談
三人の茂吉。

              †

従来の、茂吉自身の「写生」の説に随順し、ひいては弟子、一門の徒と
してひたすら讃仰する「解説」も一つのタイプではあるが、これは一応
さておき、私は別の角度から茂吉の歌を照射し、その秘密に肉薄したか
つた。それはそのまま、短歌を含めた日本の詩歌のあるべき姿を求め探
ることであり、滅びてはならぬ美の典型を記念する道にも繋がらう。

              †

わたしは、もっぱら、斎藤茂吉が、その短歌において用いた方法のみを、
考察の対象にすることを心がけた。あるいは、次のように言った方が正
確かもしれない、茂吉の作品を通して「短歌の方法」を探求しようとし
たのだと。だから、わたしは作家としての茂吉を、ここでは、いささか
も主題として扱かう気持はもたなかった。わたしが観察しようとするの
は、歌人茂吉ではなく、純粋に作品のみである。

              †

遠からずして、オールドファンは死にたえるだろうし、直接の弟子も居
なくなるだろう。茂吉によって短歌開眼する若ものも減じてゆくだろう。
すると、研究屋たちが、ぞろぞろとのさばることになろう。
わたしは、そのときにも通ずるような、茂吉の作品の読み方の基礎的な
条件づくりをしたいと思っている。いわば、クールな眼で茂吉をよみ、
なおかつ、茂吉から、相応の糧を得る方策についておもいめぐらしてい
るのだ。そのためには伝記的事実にたよる解釈を最小限におさえて置い
て、作品そのものを、くりかえしよみ、作品と作品をつないでいる内的
連関のいくつかをさぐりあてることが必要である。

              ‡


引用の出典は上から、

塚本邦雄『茂吉秀歌 『赤光』百首』
「跋──茂吉啓明」(原文は正字表記)
  



玉城徹『茂吉の方法』
「茂吉の方法」後記
  



岡井隆『茂吉の歌 私記』
第六章「『赤光』の太陽をめぐって」
  


                







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雑談7

2021-07-09 | 雑談
  
『玉城徹作品集』



  歌によつて悲しみを撥ふ『樛木』 *撥:はら

夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし




  
『汝窯』



  世 界

    世界よ世界よ世界よ世界よ
    そしてその顔はまじめで
    雲は夕空に          S・ベケット

夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし









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雑談6

2021-07-08 | 雑談
『汝窯』「おくがき」にある「東西の巨匠からの引用」とは
次のようなもの。たとえば「世界」の章はベケットから。

  


陶 磁
 あらゆる芸術のなかでわたくしの知る限りもっと
 も危険率が多くて不確実な、したがってもっとも
 品格の高いものは「火炎」の神の援けをかりる諸
 芸術であろう。       P・ヴァレリー

鳥と魚
 空をとぶ魚とは自然の悪夢なのである。
              G・バシュラール


 鏡は自分の前におかれたものと同じ色彩に変るも
 のだ。      レオナルド・ダ・ヴィンチ


 「夢」は一つの第二の人生である。われわれを不
 可見の世界から隔てているこれらの象牙か又は角
 の扉を、私は戦慄を覚えずには潜れなかった。
               G・ネルヴァル

れおなるど
 可愛想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに
 苦心するのか。  レオナルド・ダ・ヴィンチ

詩人たち                
 人間世界は、神々の共有器官である。詩は、われ
 われ人間をおなじく神々をも結びあわす。
                ノヴァーリス
 *詩:ポエジー

新 春
 歳開けて倏ち五日
 吾が生 行くゆく帰休せんとす
 之を念へば中懐を動がし
 辰に及んで茲の游を為す        陶淵明
 *歳開:としあ 倏:たちま 五日:いつか
  念:おも 動:ゆる
  辰:とき 茲:こ 游:いう


天 使
 斯く神其人を逐出しエデンの国の東にケルピムと
 自から旋転る焔の剣を置きて生命の樹の途を保守
 りたもう              創世記
 *旋転:まわ 剣:つるぎ 保守:まも


 結局顔の問題は距離にある。顔は、ある距離を隔
 てて見たり見られたりする。又顔は、ある環境の
 中で、顔付きを作り誘導する中枢の機械の上に現
 われる。          P・ヴァレリー

獣 類
 一体彼ら、駱駝を眺めたこともないのか、その見
 事な出来ばえを。         コーラン
 馬がないのは、何か本質的なものが欠けているこ
 とを意味する。芸術は馬とともにあるものなのだ。
              ヘンリー・ミラー

幼 孩   *えうがい
 幼い子供が揺籠で眠っている、ぼくが薄い垂れ布
 を掲げて長いあいだ見いり、手でそっと蠅を追っ
 てやる。         W・ホイットマン

哲 人
 哲学者──それは絶えず異常な事柄を体験し、見
 聞し、猜疑し、希望し、夢想する人間である。彼
 は自分自身の思想によって、外からも、上や下か
 らも、彼に特有な事件や電撃によっての如く打た
 れる。            F・ニーチェ
 *彼に:傍点あり

春 寒
 十日 春寒 門を出でず
 知らざりき 江柳の已に村に揺がんとは  蘇東坡
 *已:すで 揺:ゆる

物 語
 かかる世の故事ならでは、げに何をか紛るること
 なきつれづれをなぐさめまし。    紫式部
 *故事:ふるごと

女 性
 今を盛りと咲きほこる花の姿も打萎れ、
 黄ばんで、枯れる 時節はやがて来るだろう
            フランソワ・ヴィヨン
 永遠に女性なるもの
 我等を引きて往かしむ        ゲーテ

桜 花
 花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞく
 るしかりける             西行

死 者
 みどりごがいつしか母の乳房を離れて生い育って
 ゆくように
 死者たちもしずかに地上のありかたをは な れゆ
 く。            R・M・リルケ

仲 春
 仲春時雨に遭い
 始雷 東隅に発す
 衆蟄 各おの潜かに駭き
 草木 縦横に舒ぶ          陶淵明
 *遭:あ 潜:ひそ 舒:の

世 界
 世界よ世界よ世界よ世界よ
 そしてその顔はまじめで
 雲は夕空に          S・ベケット

青 春
 汝は、そも、葉なりや、花なりや、幹なりや、
 おお、楽の音につれて、揺れる肉体よ、おお、き
 らめく眼くばせよ、
 我等いかにして、踊りと踊子とのけじめを悟りえ
 ようぞ。         W・B・イェイツ

夜 空
 高きもの 夜よ、そのときおまえが私を知ったの
 はおまえには恥辱ではなかった。おまえの息吹は
 私にかかった。遠方の厳粛なものに割り当てられ
 たおまえの微笑が、私の中へとはいって来 た の
 だ。            R・M・リルケ


 生命を会得づつものは誰でも花を愛し花の清浄無
 垢な愛撫を愛する   オーギュスト・ロダン

秋 興
 我は覚ゆ秋興の逸なるを、
 誰か云ふ秋興悲しと。
 山は落日を将ゐ去り、
 水は晴空と与に宜し。         李白


 畏怖は人間の最上の部分だ
 世がどのようにこの感情を評価しようとも
 彼の心は深く動いて、巨怪なるものを感じる
                   ゲーテ
樹 木
 南に樛木あり
 葛藟これを荒ふ
 楽しき君子
 福履これをおほひにす         詩経   
 *葛藟:かつるい 荒:おほ

形 態
 デッサンは形ではない。デッサンとは物の形の見
 方である。              ドガ

暴 力
 権力の極端な形態は、全員が一人に敵対するもの
 であり、暴力の極端な形態は一人が全員を敵とす
 るものである。後者は道具なしには実行で き な
 い。          ハンナ・アーレント


 地球上唯一の昔ながらにして、最古のもの、
 その触れるすべては崩壊。
 その置き去るすべては新。  P・ヴァレリー

山川人物
 夫れ画は心に従ふものなり。山川人物の秀錯、鳥
 獣草木の性情、池榭楼台の矩度、未だ深く其の理
 に入り、曲に其の態を尽す能はざれば、終に未だ
 一画の洪規を得ざるなり。       石涛
 *夫:そ 曲:つぶさ 終:つひ

昆 虫
 これほど音楽に感動しているのに、それでもやっ
 ぱり彼は一匹の虫にすぎないのか。
                 F・カフカ
自画像
 独り生きるには、獣か神でなくてはな ら ぬ──
 とアリストテレスが言う。第三の場合が足 り な
 い、人は両者でなくてはならぬ──つまり哲学者
 で……            F・ニーチェ
 *哲学者:傍点あり
 
劫 罰
 わがいたれる処には一切の光黙し、その鳴ること
 たとえば異なる風に攻められ波たちさわぐ海の如
 し                 ダンテ
 *黙:もだ

玄 冬
 日月 肯へて遅からず
 四時 相ひ催迫す
 寒風 枯条を払ひ
 落葉 長陌を掩ふ          陶淵明
 *肯:あ 四時:しいじ


複数かぞえられる「巨匠」を挙げてみる。

国別では、
フランス7名、ドイツ語圏6名、中国4名、
イタリア2名、アメリカ2名、イギリス1名。
日本からは西行、紫式部の2名。

個人では、
ヴァレリー、陶淵明が各3回、
ダ・ヴィンチ、ニーチェ、リルケ、ゲーテが各2回。

女子は、
紫式部とアーレントの2名。

出典のみは、
「創世記」「詩経」「コーラン」。

なお、
「獣類」の章は「コーラン」とシラーの二本立て。
「女性」の章も二本立てでヴィヨンとゲーテ。
どういうことでしょう。





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雑談5

2021-07-07 | 雑談


  

上の日焼けが斎藤茂吉自選歌集『朝の螢』の目次のほぼ全部。
なお装幀は石井鶴三。
下の色白が玉城徹自選歌集『汝窯』の目次の一部。

『汝窯』の目次の全容は以下のとおり。

 目 次

陶磁
鳥と魚


れおなるど
詩人たち
新春
天使

獣類
幼孩(えうがい)
哲人
春寒
物語
女性
桜花
死者
仲春
世界
青春
夜空

秋興

樹木
形態
暴力

山川人物
昆虫
自画像
劫罰
玄冬

  解説 村永大和
  玉城徹略年譜
  おくがき

    装幀・加藤 陽


アイテムの列挙だけでもずいぶん多くが語られていることが
わかる。いろいろあそべる語群だと思う。
各項目をお題にして題詠にいそしむもよし、
式目にして寅彦や東洋城が試みたような変則連句にいどむもよし。

「おくがき」は一頁にたったの八行。第一歌集、第二歌集の、
 「両集の組織をできるだけ破壊しようと努めた。」とある。
さらに、

 各章のはじめに、東西の巨匠からの引用を置いたのは、
 それらの言葉をもって、わたしの作品を飾ろうとした
 わけではない。それらは、わたしが解体のために用い
 た鑪であり、工作具であった。


巨匠たちの箴言や詩句の引用を装飾ではなく、
解体の工具として用いたとのこと。
「鑪」は「ふいご」や「たたら」と読む。製錬炉を指すらしい。
工事の準備を製錬炉から始めるとはたいへんなことだ。





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雑談4

2021-07-07 | 雑談
雑談に至る前のほとんどメモ。

玉城徹『汝窯』は自選歌集。1975(昭和50)年に刊行。
第一歌集『馬の首』1964(昭和37刊)、
第二歌集『樛木』1972(昭和47刊)から選んでいる。
大正13(1924)年生まれだから五十代前半の刊行。

大正14(1925)年は斎藤茂吉の自選歌集『朝の螢』が出版された年。
第一歌集『赤光』、第二歌集『あらたま』の二冊を中心に
1906(明治39)~1917(大正6)まで11年間の作品から選んだ。
四十代前半の刊行。

判型も同じ四六判で装丁に山の絵が使われているところなど
共通点がいくつかあって興味深い。

  

自選歌集ということで比較してみると、
塚本邦雄『寵歌』は第十五歌集と第十六歌集の間、六十代後半の刊行。
岡井隆『蒼穹の蜜』は第十三歌集と第十四歌集の間、六十代前半。

『寵歌』は編年体。一首ずつ作品番号を振ってどの歌集のどの章のそれか
一目瞭然なうえに索引もついている。塚本邦雄年代記とでも言おうか、
前期中期のミニ辞典というぐらいに親切な編集。

『蒼穹の蜜』は幼少期から壮年期にかけての著者影が各章の口絵に
挿まれていて一見、自伝歌集であるかのように見えるが、
構成は編集を効かせている。そう見せておいてこう見せない、
表裏比興のひとつの在り方など思う。

『汝窯』は、第一歌集、第二歌集の「組織をできるだけ破壊しようと
努めた」と「おくがき」にあるとおり「解体」して構成されている。
そこは茂吉のプチ『赤光』とプチ『あらたま』をつなげたような
『朝の螢』とは大いに異なる。







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雑談3

2021-06-30 | 雑談
ジャコメッティといえばこの詩の「青銅の彫像」が
『エクリ』でのにべもない応答よりも連想がしやすい
のではないか。


  BLUE
  
 いま
 去っていく秋の
 ブルーの風
 の
 なかに
 いて
  
 ジャコメッティの
 青銅の彫像
 の
 ように  
  
 孤独
 の
 憂愁
 の
 直線
 の
 ブルーの長い影
 を曳き  
  
 白とブルー
 の
 縞
 にみちた
 海
 のブルー
 を
 見ている人の
 細い背中
 も 
 ブルーである
        (北園克衛『BLUE』)



『BLUE』は1979年刊行の遺稿詩集。

こんなことをしたら形象詩の美が台無しだが、
一連を一行にしてしまうと、


 いま去っていく秋のブルーの風のなかにいて

 ジャコメッティの青銅の彫像のように  
 孤独の憂愁の直線のブルーの長い影を曳き  

 白とブルーの縞にみちた海のブルーを
 見ている人の細い背中もブルーである


777を基調に、555的な連打を差し挟んでの長歌、
あるいは長歌よりもっと昔の「うた」のかたち、とも
言えなかろうか。

「ブルーを見ている人」ならぬ『花を視る人』のなかに
こんな一節があった。

 「九句か十一句か、そのくらいの短い長歌を、体験として
 かさねることは、もっと試みられていい。すくなくとも、
 ‘二首’の短歌に分散してしまう内容を、一首の長歌によって、
 より充実した表しかたをすることは可能であろう。」
             岡井隆「短い長歌へのあこがれ」


1981年の時評から。
『BLUE』への言及ではないことをお断りしておくが、
根っこでどこがどうつながっているのかは、
知らないし見えない。


『エクリ』書影もブルーである。




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