音信

小池純代の手帖から

雑談14

2021-08-09 | 雑談
  ゴオガンの自畫像みればみちのくに山蠶殺ししその日おもほゆ
                  山蠶:やまこ

ゴオガンの自画像を引き金にした「その日」の追憶、
もしくは「その日」の湧出。そのインデックスとしての「山蚕」。
この一首は追想空間のオブジェ化なのではないか、
というひとつの見方を記しておく。

O母音の連打にも触れておく。
一、二句の濁音の雪崩が「みちのく」以後、澄んだ音になってゆく。
「その日」の「そ」のS音でちょっとほっとするところがある。
しかし、「そ」を導き出すのが「殺しし」のS音のペアなのだ。

さらにもう少し。
「ころし」と「そのひ」が同じOOI母音。
「ころし・し・そのひ」と「し」を要に扇が右端と左端に
開いてゆくところも微妙にして絶妙な音の景色。

虫殺しについて少し。

「山蚕」が幼虫なのか成虫なのかは不明。
単数なのか複数なのかも不明。

いたぶった結果、死に至らしめたのか、
飼ってみようと持ち帰ったものの餌やりに失敗したのか、
うっかり踏み潰したのか。
一人だったのか、仲間とだったのか。

強烈な体験の記憶として残っているのか、
日常的な経験の記憶のひとつなのか、それも不明。

茂吉の随筆に蚯蚓を踏み潰した記述がある。
かいつまんで言うとこういうことだ。

 初冬の或る日、友だちと信濃の温泉に行った。
 林間の小道で、蚯蚓が日向と日陰の間で迷っていた。
 日差しが強いから、湿気のある日陰に入ればいいのに、
 と三十分ほど茂吉は念じながら眺めていた。
 蚯蚓は輾転反側、右往左往してようやく日陰に入ったと
 思ったところが、日向に出てしまった。
 「いまいましい畜生だ」と言って靴で踏み潰した、

「蚯蚓は僕にはひとごとではなかっただろう」と続くのには
驚いた。茂吉は蚯蚓が安住の場を見つけるまでわがことのように
応援していたのだろう、三十分も。
で、進路、もしくは退路を誤った蚯蚓を踏み潰したのだ。

『念珠集』「続山峡小記」より。「山蚕」と同じ昭和三年の発表。
次男の北杜夫は昭和二年生まれだから、このときの茂吉は
もうたいがいいい大人なのであった。






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