音信

小池純代の手帖から

雑談13

2021-08-05 | 雑談

「山蚕」について茂吉自身が書いていた。以下抜粋。

 今では養蚕の術が驚くべき程発達したから、結句、山蚕のことなどは余り
 云わぬようになった。併し以前には熱心に山蚕を養うことを称道した人も
 あり、地方によっては普通の養蚕の片手間に養った。
   †
 結局、山蚕の養方は普通の養蚕ほどに発育せずにしまった。野生のものは、
 人工を以て思う勝手な結果に至らしめることはむずかしいと見える。
   †
 僕は小学校のかえりに春も追々深くなってゆく林中に寝ころんで、ひとり
 絵かきの修行にでも出掛けようか、それとも宝泉寺の徒弟になってしまお
 うか。或はここの新道のところで百姓をしながら山蚕でも飼おうか。そん
 なことを思って時を過ごすことが多かった。僕の寝ている林中には、もう
 山蚕は余程大きくなって幾つも動いているのが見えた。
   †
 山蚕の写象は妙に僕を親しくさせ、また妙に僕を沈鬱にさせる。年はすで
 に初老を過ぎ、山蚕を見ざること十数年であるのに、その写象は殆ど幻覚
 にひとしいような現実性を以て、僕の眉間にあらわれてくるのはどういう
 わけであるかと思うことがある。
    (斎藤茂吉「山蚕」『念珠集』初出昭和三年「文藝春秋」二月号)


  

野生の蚕を養殖するのは難しかったらしく、山蚕のために
蚕部屋どころか蚕森とか蚕園のようなものを設えなくては
ならないようだ。現在はどうなのか知らない。
茂吉にとって「山蚕」とは日常親しんでいたものでもあり、
記憶に浮上する別格の表象でもあり得る存在だったことは
想像できる。

ここでようやく思い出した。茂吉の次男、宗吉は昆虫少年
だった。宗吉、即ち北杜夫の『幽霊─或る幼年と青春の物語』
も思い出した。
冒頭から早速、「蚕」が出てきた。

  人はなぜ追憶を語るのだろうか。
  どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。
 その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見え
 る。──だが、あのおぼろな昔に人の個々とにしのびこみ、そっと爪痕を
 残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけ
 ているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだ
 ろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、
 なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕
 が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたべてみるよ
 うなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。
                      (北杜夫『幽霊』第一章)

   爪痕:つめあと 事柄:ことがら 反芻:はんすう 咀嚼:そしゃく


反芻する蚕はほかにも登場する。

  わけもなく葉に穴をあけている蚕が、ときおり不安げに首をもたげてみ
 る。それは人間の言葉で彼らの意味とはちがうにしても、人は生涯に何度
 か、それに似た時間をもつもののようだ。ある季節、高原の大気が異常に
 澄みわたってくるように、そんなときわれわれの感覚は非常に敏感に、過
 去と現在のかげのなかから、自らの存在の意味を探りだすまでに高められ
 るだろう。今までさりげなく見すごしてきた物のすがたが変様し、実はこ
 のうえなく貴重な、かりそめに過ぎ去ってゆくものでないことが感じとれ
 る。                   (北杜夫『幽霊』第二章)

                
  ゴオガンの自畫像みればみちのくに山蠶殺ししその日おもほゆ
                     山蠶:やまこ

  

杜夫の文章と茂吉の歌を並べてみると、どうも「その日おもほゆ」が
ずいぶんつややかに見えてくる。

文芸にもお家芸というものがあるのだろうか。
親子二代の至芸を見る思いがする。



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