音信

小池純代の手帖から

雑談9

2021-07-17 | 雑談
  

『弘法大師 空海全集』題五巻「文鏡秘府論」(筑摩書房)
目次の前半。

  

目次後半。前半に続いて、西巻「論病」、北巻「論体属」の章。
「文筆眼心抄」は「文鏡秘府論」のダイジェスト版。

帯文に、
──千古の文芸理論の詳細な訳注成る!
  中国六朝から唐にかけての創作理論を体系的に編んだこの雄篇が、
  日本と中国の文芸史上に果たした貢献は実に偉大なものがある。


とある。「文鏡秘府論」は空海の著作というより編著。
かの国のかの時代の詩論、詩のお作法をまとめたもの。
訳注といえども漢字が圧倒的に多い。
わからないところは静かに伏せる。魅力のありそうなところは
背伸びして手を伸ばしてみる。そういう読み方が許される、
そのほかの読み方があるとは思えない、そういう本。

「和歌十体」とか「歌病」とか、きみたち一体どこから来たの、
という和歌の用語があって、ずっと疑問だった。
しかし、これで見当がつくかもしれない。
わからなかったとしても、これまで困らずに来たから無問題。それより
「天・地・東・南・西・北」の六つの巻で構成されていることに
まず、心うたれた。世界を立方体のサイコロのように捉えてもよいのだ。

小西甚一『文鏡秘府論考』「序説」に、

──「文鏡」とは、文自体の姿を照葉し、その是非巧拙を如実に
  観取せしめる鏡との義らしい。
──「秘府」は典籍を秘蔵する府庫のことである。
──要するに『文鏡秘府論』とは、詩文制作の鏡として多くの典籍を
  略抄した論の意と考へられる。


同じく『文鏡秘府論考』「第五章 秘府論研究の意義」で、

──秘府論が最初撰述されたときの在りかたにおいて永久的な価値を
  認めようとするのは、大師の真意を蔽ふ固執であり、千年といふ流
  れを無視する迷妄である。秘府論は、現在に生かされるときのみ、
  真にあるべき姿を照らし出す「文の鏡」であり「文の曼荼羅」であ
  り得よう。


本を捲ってみる、本のサイコロを転がしてあそんでみる、
それはいま現在に生きている人間にしかできないことだ。
並外れた浅学非才であっても、生きているということに於いて、
大切な人的資源であると自分で思わずして誰が思うだろう。





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