こういった評論では、評者が定義を示すことが一番で、
それが無ければただの趣味本でしかありません。
読んでいくと井上良夫の「ミステリ(とくに本格)とは何か」ということが
はっきり浮き上がってきます。
「探偵小説の奇抜な殺人法などというものは、傑れたプロットの前には、大した興味を生んで来ない…」(P71 「エンジェル家の殺人」)
「読者をして仮想犯人を作らせていく」上の工夫を…(P154 「黄色い部屋の謎」)
「読者の疑惑を或る人物に向けさせるべくヒント、手掛かりを、それとなし(原文傍点あり)(P232)
「犯人の姦計にひっかかって、誤った予想を抱いたまま終末の意外へ引き入れられて行く、という面白み…」(P343 「船富家の惨劇」)
ところで、井上と江戸川乱歩とは手紙のやりとりで探偵小説について論争をした、という話があったそうで、
その書簡論争がどこかで読めないかと探したら、
講談社文庫の江戸川乱歩推理文庫64巻「書簡対談座談」に一部が掲載されていました。
※この全集刊行当時、チープな装丁と天野喜孝の組み合わせにすごくギモンを持ったものでした
「カーには欠点はあるものの、探偵小説の面白みを心得ていると感服」(井上書簡 「To Wake The Dead」)
お、なんかうれしい。
書簡論争はE・C・ベントリー「トレント最後の事件」を間において、
激しく論を戦わせ、探偵小説の本質を衝くような文が散見されて興味深い。
まだこの時点で乱歩は作者のスタンスを捨てきっておらず、
井上は評論家および読者(それもマニアクラス)の立場から、
たがいに相手の論旨の隙を狙う、巨人と俊英のガチ対決ですね。
井上の書くことがすべて正論、というわけでもないのは、
乱歩との書簡論争で井上もやり込められているところから分かります。
それが無ければただの趣味本でしかありません。
読んでいくと井上良夫の「ミステリ(とくに本格)とは何か」ということが
はっきり浮き上がってきます。
「探偵小説の奇抜な殺人法などというものは、傑れたプロットの前には、大した興味を生んで来ない…」(P71 「エンジェル家の殺人」)
「読者をして仮想犯人を作らせていく」上の工夫を…(P154 「黄色い部屋の謎」)
「読者の疑惑を或る人物に向けさせるべくヒント、手掛かりを、それとなし(原文傍点あり)(P232)
「犯人の姦計にひっかかって、誤った予想を抱いたまま終末の意外へ引き入れられて行く、という面白み…」(P343 「船富家の惨劇」)
ところで、井上と江戸川乱歩とは手紙のやりとりで探偵小説について論争をした、という話があったそうで、
その書簡論争がどこかで読めないかと探したら、
講談社文庫の江戸川乱歩推理文庫64巻「書簡対談座談」に一部が掲載されていました。
※この全集刊行当時、チープな装丁と天野喜孝の組み合わせにすごくギモンを持ったものでした
「カーには欠点はあるものの、探偵小説の面白みを心得ていると感服」(井上書簡 「To Wake The Dead」)
お、なんかうれしい。
書簡論争はE・C・ベントリー「トレント最後の事件」を間において、
激しく論を戦わせ、探偵小説の本質を衝くような文が散見されて興味深い。
まだこの時点で乱歩は作者のスタンスを捨てきっておらず、
井上は評論家および読者(それもマニアクラス)の立場から、
たがいに相手の論旨の隙を狙う、巨人と俊英のガチ対決ですね。
井上の書くことがすべて正論、というわけでもないのは、
乱歩との書簡論争で井上もやり込められているところから分かります。
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