横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

一人旅  小山

2006-07-31 23:54:26 | 投稿

大学2年の夏休みに念願のアメリカ旅行へ出かけた。1976年、建国200年周年の記念すべき年だった。

最初に到着したシスコで一泊、帰りのロスで一泊つきハワイ一泊という約一ヶ月間の生協のプランに賭けた。生協という学生にとってもっとも信頼できる身近な会社のプランであったし、現地集合、現地解散という一風変わったツアーが気に入ったからだ。

この単純なツアーの値段が、当時26万円もかかったし、一ドル300円の時代だったが、一ヶ月間のフリーバスチケットと12万円が私の財産だった。

とにかく毎日の宿泊するホテルを見つけることが、毎日の日課だったという緊張の旅でもあった。

シスコから午前0時にバスは出発。デンバーまで36時間かかった。途中、バスの変更に気づかずにあわててバス会社社員に送ってもらい、やっとバスに追いついた。陽気なアメリカ人に拍手で迎えられると思ったが、とんでもなく無視された。バスに乗るのは、自家用車を持たない低所得者なのか有色人種ばっかりだったのも影響したのだろう。

南へ下ったメキシコ国境の町エルパソでは、私の不注意で宿泊場所が見つからず、迷っているところを日系2世のメキシカンのおばさんに居酒屋で食事をご馳走してもらったうえに、ホテルを手配してもtらった。彼女が「ここに幸あれ」の歌を披露した時には、メキシカンらのお客がみな手拍子をしてくれた。

ロスのチャイナタウンでは、一泊3ドル、一週間で18ドルという貧民街のホテルに泊まるが、チェックアウト時に鍵を返還してくれたら2ドル返金するという説明にたじろぎながらも、結局安価な宿泊地を選んだ。ベッドはきしみ、壁はカビとシミだらjけ。コケだらけのシャワールームに身を硬直させたものだ。

ロスで、皆と再会した時は、涙がこみ上げたが、日本への帰途の機内では、あと一ヶ月ぐらい旅したかったと感じたのだから、おもしろい。若さというパワーはものすごい。一瞬、一瞬、心が変化していくのですね。

通行人相手に撮った写真が唯一自分の姿の移った写真だっただけに、余裕のない米国の旅だったことを物語っている。

さあ、今度の旅物語は、君たちの番です。

 

 


心勝り

2006-07-26 01:18:45 | 投稿

心勝り(こころまさり)とは、見かけより心がしっかりしていることです。

洋服というものが、定着してから100年ほどしか経ていないこの日本では、やっぱり洋服を着こなすという文化が未熟なのだと思う。

だから、私も皆も時々ブランド品を身に着けると誇らしげに歩く。安心理論だからね。誰からもダサいとは言わせないのだと思う。ブランド品をはずせば、何も挑戦できないし、オリジナル服は、とても常識的ではないから。

一方、心の形は、どうだろう?

ブランドの心は持ってますか?オリジナルな心を持ってますか?

他人に負けない強い心を持ってますか?

集団の中でも自分を貫いてますか?

 だんだん、周囲の人間と同じ風潮に合わせようと思う若者も大人もこのごろ多くなってきたように思えます。

龍馬の言葉にも、「丸くとも、ひとかどあれや人心」とあります。

気骨のあるとこ見せんといかんぜよ、とでも、龍馬は高知弁で言い放しているのでしょうね。


エンデュアランス号漂流その2

2006-07-24 23:02:30 | 地区からの連絡

九州の各地に大雨が降った。たったの3~5日間で、関東の一年分の降雨量らしい。

地球が危ないと叫ばれてから、随分たった。

60年代の初めに アメリカのレイチェルカーソンという女性が「沈黙の春」という本で、農薬の危険性を唱えたが、それからというもの環境問題を含めた地球の将来がまじめに語られるようになった。

 これからどうなってゆくのだろうか?

2025年ごろには確実に気温が今より1~2度上昇することで、今の異常気象が、より激しくなってくるといわれている。2050年となると、予想できない気象と言われている。

 先日「エンデュアランス号漂流」という本(新潮文庫)を紹介した。

昨日、本屋で新たな文庫本を発見。今月発売の光文社の知恵の森文庫。これは、写真が主体となっていて、おもしろい。

 何度でも語ろう!第一次世界大戦に突入した1904年にイギリスを出発。南極犬ぞりで横断する計画が、氷海の中に。船は沈没。

17ヶ月間の漂流生活を経て全員無事に生還するという、100年前の何もなかった時代の勇敢な男達の実話。

 ほぼ毎日遭遇するトラブルの中で、明日を夢見ながら、凍傷人まで出てくる現実。

犬ぞりの犬たちまでが食料として。アザラシやら、皇帝ペンギンを食べてゆく毎日。

地球の中の宇宙と書いた日記。

無事に生還したものの、第一次世界大戦で戦死するものもいた。隊長のシャクルトンは生還後6年後、皮肉にも、再度南極一周の旅の途中で心臓麻痺で47歳で急死する。

初めて南極点まで到達して帰還したアムンゼンや到達したものの帰還途中で全員死亡したスコット隊のほうが、有名だが、失敗したこのエンデュアランス号のアーネスト、シャクルトン隊長の話のほうが、私は強く感動を覚えた。

ぜひ、スカウトたちに読んでいただきたい!ぜひ親父の方にも読んでもらいたい!ぜひたくさんお方に読んでいただきたい!

凍りついた南極が半分の大きさになった時に、地球の人類は半分も存在するだろうか?

それどころか流氷だけでも、なくなった時には、壊滅状態になるだろう。

 最後にやっぱこれからは、スイミング教室にダイビングライセンスですね。ああ、良かった!私はダイビングのライセンス持ってるから!


上野君と再会!

2006-07-21 18:40:44 | 隊からの連絡

今日、上野君が職場に来院した。

かわいい愛娘の猫の不妊手術のために来たのだが、ビーバー隊の頃の顔と変わっていなかった。

彼に関する記憶は、強烈に残っている。とにかく頭の回転が速かった。大人の会話にも、平然とこなしてゆく。段取りを長々と懇切丁寧に説明してゆくと、簡単に「わかった!わかってるよ。!」と言って、皆に伝達してゆくのだ。

彼は、中学時代から絵に興味を持っていて、これからイラストの分野を勉強しようとしているそうだ。彼が彼らしいオリジナリティを出せば、必ず、世間をびっくりさせるほどのパワーを見せてくれるだろう。

なお、彼は、五十嵐、小山と同じ世代でした。両ゆうき君!見てるかい!

中上さん、上野久しぶりに会ったよ!


スカウトとして

2006-07-19 22:22:14 | 投稿

各隊からの夏キャンプの計画を含めた支援要請が、各スカウトあてに来てるだろうが、まず大切なことは参加不参加を含めた意思表示と返答では、なかろうか?

 最初から、不参加であり、休隊であり、活動停止宣言をすることは、正式な外的意思表示をするという点で、りっぱだと思うがどうだろう?


エンデュアランス号漂流

2006-07-19 22:14:21 | 投稿

連休中、大阪へ行ってきた。

何十年ぶりに道頓堀を訪ねたが、今も昔もにぎやかさはいっしょ。フグ料理をいただき、十分に楽しんだ。

さて、前回の広島への旅は、海辺のカフカ少年が巻き起こす三次元の旅だったが、今度の大阪の旅は、南極探検に挑む壮絶な旅だった。 

今回は、新潮文庫の「エンデュアランス号漂流」を読んだ。 

1914年、第一次世界大戦の勃発時にサーアーネスト、シャクルトンら乗組員28名が、南極横断をめざして出発する。

が、しかし船は流氷で閉ざされ沈没、

酷寒(零下20度ぐらい)、

食料不足(あざらし、ペンギンらを見つけては食料の肉とランプ用油とする)

疲労(氷上テント生活、ボートでの移動)

病気(凍傷、床づれ、)

不安(地球にいながら別世界での孤独、太陽が昇らない暗黒の毎日)

様々な危機(ありとあらゆる、予想のつかない危機)を乗り越えて史上最悪の漂流は17ヶ月に及び、しかも全員が無事に生還するという本当にあった話。 

全員が生還することがわかっているのに、はらはらドキドキ。映画、新作のポセイドンも先日見たが、月とすっぽん。

しかも他の文庫と違って、この新潮文庫には、記録された写真が掲載されており、その超人間たちの勇敢さとすさまじい形相に驚く。 ぜひ読んでもらいたい。だまされたと思って読む本だよ。


一人暮らし

2006-07-15 07:15:29 | 投稿

今朝は6時出発、2日間の大阪セミナーの予定だったが、昨夜重篤なM.シュナウザーの急性呼吸障害の症例が入ったためI.C.U.室へ入れて看病することになった。かなり改善したので、スタッフにバトンタッチして、9時ごろに出発しようと今7時の段階で予定しているが。

 大阪は、宮崎の高校を卒業して浪人生活を2年もすごした場所。正式に初めて一人暮らしをしたのも、この土地だった。(中学2年の3学期は、大分県別府市の素泊まり旅館にひとりで泊まって椎間板ヘルニヤの療養をしたことがあったが。)

 それから大学へ行って、約2年後ぐらいか、結局一人暮らしを始めて4年後かな、ある日の電話から、“お父さんから親父、お母さんからお袋”と呼び方が変わった。

 今にして思えば、親離れをしたのは、この言葉からだったと記憶している。親父やお袋と言っては、両親を知り合いの大人として理解できたのだろう。

その後、時々、父親の言葉から私に向かって敬語が出たのも、親にとっての子離れだったのかもしれない。


「グリンバー会議」って

2006-07-14 22:13:27 | 投稿
「グリンバー」って?            
                 吉川 純

「グリンバー」=班長・次長章のバーの色がグリーンですね。
私がBSだった頃、27団BS隊の班長次長会議(グリンバー会議)は、毎月第一土曜でした。天王町駅からほどない「保土青:ほどせい(保土ヶ谷青少年会館)」の会議室をかりて
会議をしました。会議の後受付で、30円?払って、インスタントラーメン(サッポロ一番)を買い、喫茶コーナーの厨房でラーメンを作ってみんなで食べた思い出があります。各班の情報交換と、隊集会の計画など、ラーメンが楽しみで、相模原から遠路良く通ったものだと思います。
「保土青」では、団バザーを開いたとき綿あめコーナー担当で、髪の毛が綿あめでコーティングされてしまったのも懐かしい思い出です。今から30数年前の思い出です。