横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

ベンチャー離島遠征報告              吉川 純

2008-03-31 23:48:48 | 地区からの連絡
 ベンチャー離島遠征のお手伝い?に神津島へ行ってきました。

出発前日から、だんだん声が出なくなり、3/28当日近くの内科へ行って
薬をもらって出発。

大桟橋から23:30出航、翌29の10:00に神津島着。
26に出発した、金井隊長、高橋副長の出迎えを受け、早速島内見学へ。
空港裏の千両池は、素晴らしい!!金井隊長思い出の「捕ったどー」
の場所だ。海の色といい、その形といい、断崖を降りていかないと
たどり着かないことといい、まさに秘宝(秘境)と言えよう。
 昼食は、港の「よっちゃーれセンター」で海の幸に舌鼓
高橋副長の注文した「ウツボの唐揚げ」は、なかなかの珍味・・・。
金井隊長の注文した「マトウダイの開き」は、大きくてビックリ。
私は、「アシタバそば」と「ミニぶっかけ丼」おいしくて、誰にもあげずに
平らげてしまいました。ごめんなさい。
午後からは、温泉わきを通って、赤まで足を伸ばしました。
飛び込み台があったり、木製の遊歩道があったりで、暖かければ
泳ぎたくなる場所です。「ニシ」(巻き貝)を拾って、夕食のアシタバ入り
の味噌汁の出汁に、天ぷらの材料に「椿の花」、「アブラ芽(タラの芽の仲間?)」をとって、
魚屋の「山長」に行きました。鰹か金目と思ったら、
マカジキをすすめられて、一人前500円の刺身を購入。(これが美味しいったら・・)スーパーで買い物をしてサイトへ、夕食は、恒例の天ぷらです。

ハイキングに出かけたスカウト達は、なぜか合流して、バスが来ないので、
観光協会に電話したら、村営バスを出してくれて、サイト横付け!!
島はこれだから良い!!何と運転手さんは、キャンプ場の宿直の方で、
これがまた、金井隊長の兄嫁の親戚だとか・・・。世の中狭い。

キャンプ場は、お風呂もあっていたれりつくせりです。

最終日は5時起床、朝食・撤収をして港へ、10:30出航。
この頃から雨が・・。運が良い!!船の中は爆睡!

大桟橋では、佐藤団委員長、松井さん、松井スカウト、管原さんの出迎えを
受けて思い出話に花が咲き、解散となりました。

あわてて書いたので、乱筆乱文をお許しください。






宇宙のことを調べたから話すよ         小山

2008-03-14 01:18:12 | 投稿

太陽系9番目となる未知の惑星が海王星の外側に存在する可能性が高いことを、神戸大のパトリック・S・リカフィカ研究員と向井正教授が、詳細な理論計算で世界で初めて突き止めた。 

そこでみんなは天文学の歴史を知っているだろうか?今夜は私の好きな天文史を話そう。                                             1600年代に初めてコペルニクスが天動説を唱えた。それまでは地動説だったのを。みんなはこの地動説って理解しているのだろうか?地球は動かないで地球の周りを太陽や惑星が回っているのだという理論だが、ギリシャやローマ時代から1600年になるまで、ずっと地球の外側にまん丸く、水、金、太陽、火、木、土、天王星、海王星、冥王星と並んでいるんだと考えられていただね。                    それを天体望遠鏡をも使わないで理論的にコペルニクスが天動説を唱えるのだから誰も信じないよね。彼は嘲笑の的になるのが嫌だったから‘天体の回転について’という本を亡くなる時に出版するように命令したらしい。彼がその本を目にしたのは死ぬそのときだったと言う。 

ちょうどその頃に生まれてきた赤ん坊がケプラーだった。有名な惑星運動ケプラーの法則の彼だ。惑星の並び方は楕円系であって、しかも惑星は太陽に近づくときのほうが離れてゆくときよりも速く進む事を発見する。太陽からの平均距離が短い惑星ほど軌道を速く移動することを突き止めるのだ。彼は敬虔なカトリック教徒だったから古代からのの地動説をねじまげることにかなりの抵抗があったといわれる。でも斬新な理論を証明したみせたのだ。彼は自分の唱える本について「私は本を書く。後世に読まれようがかまわない。読まれるまでに100年かかってもいい」と言ったそうだ。 

そこへ超有名なガリレオというコンパスを発明した数学者が出現する。彼は天体望遠鏡を持ってして‘星界の報告’という本に新しい恒星をいままでの10倍も発見し、しかも月の表面が地球と同じく陥没や隆起していることを唱えたのだ。         実は、それまでのコペルニクスやケプラーは、皮肉な事にメジャーな人間ではなかったために彼らの主張は、公にはされなかったのだ。                  が、一方のガリレオは敵対する人たちを「人間という名に値しない輩」だと決め付けたものだから教会や神学者の皆は彼に警告を与えるのだ。ところがこの警告の発した約20年後に‘天文対話’という3人の天文学に対する対話集を出版する。         3人の一人はガリレオ風で、二人目は専門家ではないが教養豊かな紳士、最後は信心深いが頭の悪い男だった。                                この本が出版されると、これまでの宇宙観を否定され、しかも公の場で罵倒されたことにカトリックの裁判所は激怒して、ついには有罪としてこの本は発禁となる。彼はフィレンチェの自宅で軟禁生活を送る。最後には視力さえ失ってしまう。  

さあそれから後に、どういう力で惑星や恒星が宙にうかんでいるのだろうかという疑問に答えをだしたのがアイザックニュートンだった。 ニュートンがすごいのは、23歳の大学生の頃にペストが流行ったために自宅へ帰省したたった一年半の間に新しい微積分法を発見し引力の計算式の基礎を見つけるのだ。

残念ながらすでに亡くなったが、とてもわかりやすい解説で出版物も超売れ子だったカールセーガンは、後に‘地球はつまらない惑星’と評するのだね。古代からずっと地球を中心に宇宙があると信じられてきたが、結果人間の数よりはるかに多くの銀河が散らばる宇宙の中の忘れられたような片隅に横たわる銀河に紛れ、太陽という‘平凡な恒星のまわりをめぐって’いるのだというのだね。

最後にヨーロッパでは17世紀にこれらの天文学理論が世の中の天と地をひっくりかえすほどの騒動になったのだが、日本は、古代から天照大神という天を中心に考えられてきたものだから、この太陽中心説はすんなりと受け入れられたのだ。

人は宇宙の中心でもなんでもなかったとわかっても悲しみを感じなかった。      むしろ詩人たちはこの発見を歓迎した。

最後にニュートンの墓碑銘として有名な詩(アレグザンダーポープ)を紹介します。

自然と自然の法則は闇に隠れていた

神が言われた‘ニュートンあれ’と 

すると  

すべてが光に照らされた                            


感性を磨くには好奇心から?                   小山

2008-03-13 22:38:29 | 投稿

12日の朝刊にノーベル賞期待の2氏と題して、一人は、神奈川科学技術アカデミー理事長の藤嶋昭(ふじしまあきら)氏が語っていた。藤島さんといえば環境の浄化技術の先駆者であり、光を当てると臭いや汚れが消えるという光触媒現象を見つけた方だ。

 この記事での藤島さんのエピソード。東大の赤門から入って自分の教室に行くまで、ずーと咲いているツツジが不思議でしょうがない。と、いうのもツツジの真ん中のところには例外なく赤い点々があるんです。10年以上も見てきてなんでだろうと思っていたらある時‘あれはミツバチが来てとまるための標識だ’と教えてもらったのです。ミツバチがとまるとちょうど受粉できる場所になってるっていうのです。エーッそうだったんだなあ。ツツジ一本でもそんな不思議があったんだ。 

私は、こんな話を聞くと、学者も作家も詩や歌の作詞家もそして芸術家も皆、驚くほどの観察の五感が鋭いんだなあと感心する。我々凡人も少しは見習って、まずは何にでも興味を持とうと言いきかせたい。


学園紛争って?               小山

2008-03-13 22:10:50 | 投稿

今度の日曜日、テアトル新宿で若松孝司監督の‘実録連合赤軍’の映画を観る予定だ。昔からこの人は、赤軍内部を知る人物として有名な人だったから、暴走した彼らをどうやって描き出すのか、とても興味がある。

 60年安保で全国の大学が揺れに揺れて、日米安全保障条約が、結局締結をみると急速に学生たちは静まり返った。ところが、いろんな場所でくすぶっていたのだ。  たとえば大阪では68年~69年には大阪府立高校で学校封鎖があった。私の知り合いの先生の母校で、府高連(ふこうれん)と名乗っていたのだが、一般市民からは‘親不幸連’と呼ばれたそうだ。

 さて私は九州の田舎の高校出だが、この火花が私の高校にも来たのです。   70年の私の高校入学式の日は、とんでもない一日だった。正門から壁まで赤ペンキや黒スプレーで落書きされ、入学式も大騒動の中、(在校生のアジ演説によって式の進行が妨害された)時間も短縮されてやっと終了する。                入学後は毎回大荒れの生徒集会。遠足、運動会、生徒会すべてがボイコットされて中止。時には偽の投票用紙をつかまされての生徒会選挙無効投票事件と次から次へと騒動の発生。そして勉強するでも部活するでもなく早々と帰宅する生徒たちが裏門わきで紛争運動に入れようとする上級生徒らとのいざこざ。

 運悪く2年次に生徒会議長になった私は、彼ら運動家のかっこうの標的にされた。(当時、生徒会は議長副議長のたった二人だけだった)毎日帰宅途中で彼らに襲われ詰めより議長辞退から生徒会開催ボイコットへの要求へと吊るし上げられた。  

 有名な浅間山荘事件の中継中、授業中でありながら私は一人職員室に呼ばれ、生徒指導の先生らに今後のことで議論というか、時にはテレビの画面を指差し‘我々教師は彼らをこんな事件を起こす卑劣な人間にしたくないんだ!議長の君は絶対に学校側に付くべきなんだ!’と説得工作にかかる。窓からみえる向かいの校舎の踊り場でズラリ紛争に夢中な上級生たちが私の方をにらめつけている状況を一人、体を硬直させながらおどおどしていた自分の姿を思い出す。これらの経験がおよそ35年以上の人生の思い出場面のワースト1で宿る後日談となるのだ。 

皮肉なことにあの上級生らの内、過激だった3人が、ここ横浜国立大学に入学した。田舎の母校創立始まって以来の珍事だった。それもそうだろう、なんで九州から横浜国立大学めざすの?わずかの学園紛争の火の粉みたいなものに触れたかったのだろうか? 昨年、東京での高校同窓会にこの3人は医者や弁護士になっていると聞いた。3人とも国大を中退して他大へ行ったらしい。 今振り返ると、彼らの言わんとする中には合点がいくところもあったと思うが、結局、当時を振り返って大きな問題にならなくて良かったと教師らが語るところをみるにつけて‘おらが町の小さなできごとだった’と回想するほどで良かったと感じる。 

若さというのは、それだけで想像絶するほどのパワーの源になることが多い。でもそのパワーは、おおむねあまりにも無謀な衝動と強引なティーラー(舵取り)によって自分の希望するスピードや方向にコントロールできないことが多い。自分だけが夢想家になって言葉だけが走り、頭でっかちとなっていく嫌いがある。やはり誰か一人でも大人の意見を取り混ぜることが必要だと思う。 何でも相談できる他人の大人を持つべきだ。そういう点でBS活動でのコミュニケーションは誰も持たない特権だと思う。


神奈川県の日本史必修               小山

2008-03-08 12:10:32 | 投稿

神奈川県高校指導の中で日本史を必修とすると報道された。今の世情を考えると若者が自国のことを知らな過ぎると言われるが、我々の高校時代から同じ風潮があった。すでに30年以上もたっている。かたや英会話の教育は無。日本語教育も無。今度は社会?                                                私の持論は、基本は国語だと思う。英語を話せないで、欧米ですばらしい日本人と言われている有名人は数限りないほどいる。過去に新渡戸稲造も内村鑑三も、そして日野原先生も、皆はじめは英語でのコミュニケーションをとれなかった。がやがて一言二言話せるようになってから急速に親交は深まった。なぜ?彼らが基本的に深く国語を知っていて自論を駆使してかれらに日本を伝えようとする能力があったからだろう。それに欧米人が感動したからに他ならない。それはそうだ。英語が話せても今の欧米人から‘三島由紀夫は知っているか?金閣寺を読んでどう思ったか?多神教の仏教をどう感じるか?’などと質問されて答えられるだろうか?会話の手段が糸電話であろう、インターネットであろう、手紙であろうとも結局会話の中身であって手段ではない。

さてそこで日本史だ。日本史は日本語や日本のことを学ぶ上で歴史である。信長が戦っているときがあったのだと説明してもそれが世界のどんな時代に位置するかをしならなければ信長研究で終わる。                             年号暗記しても、信長が(信長秀吉家康の年齢差はちょうどうちのダンゴ3兄弟や高橋家のダンゴ3兄弟のような年齢差だよね。)、戦った時代にスペインではフェリペ王がいて(フィリピンという国名の由来)今映画で話題のエリザベートがいて、イギリスがスペイン艦隊を破ったからこそ世界におけるスペインからイギリスへと時代が変わって行く。                                            ルターなどの宗教改革が起きたからカトリック教会のあせりからザビエルなどを東方へ派遣させた。あれがプロテスタント教が日本に上陸していたなら、きっと大きな歴史感が変わったのでは?などと世界の中の日本を知る事が世界の人々と対等に話ができるだと知る。

NHK出版のジェイムズ C.デイヴィス著 ‘人間ものがたり’や中央公論新書から出版されている‘マコニールの世界史’は、全国の高校にも置いてほしいすばらしい世界史だ。欧米人が書いた世界史には、日本の記述が本当に微々たるものだが、欧米人が捉える世界史から見た日本史という研究をもっともっとやってほしい。地理分類や時代分類ではなく、もっと項目をほりさげて宗教という項目だけの世界史日本史の研究とか、切り口が変わればすばらしいものがみえてくるだろう。

いいくにって1192年だっけなんて学問が何になるのだろうか?と万人hが考えてる。

 


コメントに注意!              小山

2008-03-08 10:39:53 | 投稿

最近、このブログにも友人のブログにもいかがわしいコメントが侵入してきている。メールもしかりである。さまざまな方面から侵入してくる不審者に対しては、厳重な警戒が必要である事は言うまでもない。

過去のベストセラーでありながら現代でも売れているだろう土井健郎の「甘えの構造」では、赤ん坊の時から守られている日本人の姿そのものが甘えそのものと教示した。我々は再認識したもののの、何を比較しても欧米人とは異なる狭い世界を作っている日本社会は現代も変わらない。交通の往来を遮断する島国であったらそれも良かったろうに、インターネットの世界は島国が何の防御理由にはならないのだ。被害にあって初めて理解することかもしれないが各自未然に防いでほしいものだという啓発も甘えにすぎない。

私の場合、高校出てから一人で生活してきたものだから、当然一人で取捨選択してきた。そのメリットは、こうして一人で業を起こすパワーとして成果をもたらしたと理解するが、それにしても例をあげればきりがないほど莫大な社会勉強に伴う無駄なお金を払ってきた。

アパートの不動産との見解の相違から、また今の職場に移転するときの不動産屋の強引な取引によって意味のないお金をその都度、何十万円も払った。現在の自宅の名義に関しての勘違いから書類書き換えに何十万円も払った。大学卒業前の国家試験勉強中に起きた石油ストーブ不燃焼騒動でススで汚れた部屋のクリーニングで敷金オーバーした清掃費用を10万円ほど払った。お金のない若い時代から無駄な生命保険の掛け金もおおいに払った。私が死んでも誰も損しない時代から自分に死亡保険金をかけるほど無駄なものはない。

これら以外の社会勉強もおおいに払ったが、個人的な馬鹿さも手伝ってこの方面については黙秘とする。今の若い人に多くの社会勉強での損失について伝えたいとも考えるが、聞く耳をもっているかどうかはわからない。そのうち損して勉強するしかないものかとも感じる。それが身から出た生きた勉強なのだから。


国連大学の見学

2008-03-07 09:36:55 | 団からの連絡

中上BS隊長からの連絡日本UNHCR 協会のホームページにて http://www.japanforunhcr.org/event/event08.html#event08 ピースフォーラムの情報を得ましたので皆さんにお知らせいたします。

2008年3月23日(日)                                    <東京都>「若者が発信! 平和への活動~「ピース・フォーラム」~」            ガールスカウト日本連盟、ボーイスカウト日本連盟、日本UNHCR協会は、2007年5月に、「世界難民の日」にちなんだ難民支援事業に関する共同声明を発表しました。このたび、難民についての理解を広め、平和を社会に呼びかけるため、フォーラムを開催することになりました。

場所 : UNハウス(国連大学ビル) 3階 ウ・タント国際会議場(東京メトロ表参道駅下車徒歩3分、JR渋谷駅下車徒歩8分)

テーマ : 「だれでもできる平和への活動 ~難民支援を通じて考える~」時間 : 13:00~16:45(受付 12:20~)

定員 : 300名参加 : 無料(高校生以上の方はどなたでも)

主催 : ガールスカウト日本連盟、ボーイスカウト日本連盟共催 : 日本UNHCR協会、UNHCR駐日事務所申込方法 : こちらをご覧の上、お申込みください。

 内容 : ◇オープニング ・UNHCR駐日事務所 滝澤三郎代表

 講演 :◇活動事例報告 ・UNHCRユースチームの活動紹介 ・ガールスカウト日本連盟 ピースパックプロジェクトII 第3回派遣団帰国報告 ・ボーイスカウト日本連盟の国際協力活動

◇パネルディスカッション ・国際協力の最前線で活躍するガールスカウト・ボーイスカウト出身者によるパネルディスカッション

◇平和への活動に向けて ボーイスカウト・ガールスカウトの平和に関する協働事業「ギフト・フォー・ピース プロジェクト」報告とミニワークショップ