横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

亘理町に行ってきました。                     吉川  純

2013-06-09 23:02:39 | 活動の報告
6/7の夜横浜を出発、KSVNのボランティアバスで宮城県亘理郡山元町へ。
6/8早朝に到着し、許可を受けた橋元さんの案内で、中浜小学校(最近閉校した)へ。(地震後、津波が来るので高台への避難は間に合わないと判断、2階建て校舎の屋上へ迎えに来た保護者共々避難し、90数人全員が助かった。鍵がかかっていて、直接は見られないが、グーグルマップで見ても、屋上はとても狭い。屋上への階段は、資料室から鉄製の狭いものが一つだけ。)校舎は海岸に近く、津波は、2階の軒下まで到達。校内の時計は、3時18分で止まったまま。体育館、プールは取り壊されたものの、校舎の保存が決定されています。

続いて、ボランティアセンターに立ち寄ってから、畑の異物除去のお手伝いをするために移動して作業開始。深さ30cm位に掘り下げ、その土を篩(ふるい)にかけて、瓦や石、ガラスや金属、プラスチックなどをより分けます。一緒に行ったMスカウトは、私よりしっかり活動していました。
一日作業して、10m×40mの作業が終わりました。人の協力のすごさを改めて感じました。

帰りのバス内で、みんなで振り返りを行い、復興への思いを強くしました。
予定より早く、横浜には22:00前に到着しました。神田交通さんに感謝。
6/14気仙沼便に空きがあるようなので、申し込んでみようかな?と考える隊長でした。

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2 コメント

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山元町 (小山康次郎)
2013-06-11 11:45:31
東北でのボランティア活動中の吉川副長、いつもご苦労様です。私も何回か東北を訪問しましたが、ここ山元町にも行きました。この浜辺と平行に走る道に立って360度回転しながら、ゆっくりと深呼吸してみました。恐ろしいぐらい、静かな空間でしたし、どこからも人の呼吸感に触れるものはありませんでした。さらに不思議に虫たちの動く気配も感じませんでした。以前読んだ原爆投下後の広島に立った米軍のカメラマンの日記に「人も鳥も虫も何もなかった、音ひとつなかった町」と書かれた本を思いあ出しました。浜辺近くに高く積まれていた瓦礫の山がまるで新しい津波に対する壁になっている様でしたが、今はないようですね。でも写真で見る限り、あまり変化はないようですね。復興にいらだちを覚える人の気持ちを平和にするためには相当の時間がかかるのでしょうか。苦悩を分かち合う努力をわずかですが友人たちと進行形です。
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同感です (吉川 純)
2013-06-12 12:24:36
ご無沙汰しています。ようやくスカウトを連れて、被災地へ入ることができました。
今年、3月と5月に広島に行く機会がありました。震災直後から思っていたことですが、原爆投下直後によく似た風景です。
水田には、水が入り、田植えが終わっているところもありましたが、荒れ地はそのままです。海岸沿いには、かなり高い防潮堤(土の山)が築かれ始めています。ダンプが往復していました。週末には、気仙沼の予定です。
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