大学2年の夏休みに念願のアメリカ旅行へ出かけた。1976年、建国200年周年の記念すべき年だった。
最初に到着したシスコで一泊、帰りのロスで一泊つきハワイ一泊という約一ヶ月間の生協のプランに賭けた。生協という学生にとってもっとも信頼できる身近な会社のプランであったし、現地集合、現地解散という一風変わったツアーが気に入ったからだ。
この単純なツアーの値段が、当時26万円もかかったし、一ドル300円の時代だったが、一ヶ月間のフリーバスチケットと12万円が私の財産だった。
とにかく毎日の宿泊するホテルを見つけることが、毎日の日課だったという緊張の旅でもあった。
シスコから午前0時にバスは出発。デンバーまで36時間かかった。途中、バスの変更に気づかずにあわててバス会社社員に送ってもらい、やっとバスに追いついた。陽気なアメリカ人に拍手で迎えられると思ったが、とんでもなく無視された。バスに乗るのは、自家用車を持たない低所得者なのか有色人種ばっかりだったのも影響したのだろう。
南へ下ったメキシコ国境の町エルパソでは、私の不注意で宿泊場所が見つからず、迷っているところを日系2世のメキシカンのおばさんに居酒屋で食事をご馳走してもらったうえに、ホテルを手配してもtらった。彼女が「ここに幸あれ」の歌を披露した時には、メキシカンらのお客がみな手拍子をしてくれた。
ロスのチャイナタウンでは、一泊3ドル、一週間で18ドルという貧民街のホテルに泊まるが、チェックアウト時に鍵を返還してくれたら2ドル返金するという説明にたじろぎながらも、結局安価な宿泊地を選んだ。ベッドはきしみ、壁はカビとシミだらjけ。コケだらけのシャワールームに身を硬直させたものだ。
ロスで、皆と再会した時は、涙がこみ上げたが、日本への帰途の機内では、あと一ヶ月ぐらい旅したかったと感じたのだから、おもしろい。若さというパワーはものすごい。一瞬、一瞬、心が変化していくのですね。
通行人相手に撮った写真が唯一自分の姿の移った写真だっただけに、余裕のない米国の旅だったことを物語っている。
さあ、今度の旅物語は、君たちの番です。