横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

死ぬということ

2007-08-31 23:59:07 | 投稿

私の知り合いの男の子のお母さんが8月17日に自宅で亡くなった。家族葬だっただけにほとんど連絡が回らなかったらしい。

私は2日後、彼と近くのすし屋にいあた。数時間ともにしたが意外に元気だったんで安心した。いろんな事情で一人暮らしになった。「俺も中学2年の時、一人で別府の旅館で暮らしていたんだぞ!昔、話したろう?」と、いろんな話もした。店の中のテレビの画面に躍動する陸上選手の姿も話題になって、ある意味良かった。

彼が登校拒否した中学時代に二人で伊勢原の大山に登ったことがあった。もうすぐ頂上という急坂で白目むいて天を仰ぎ、もだえ苦しんでいる血の気のない、もやしのような子供を見た時、やばい!こりゃまずい!とあわてたほどだった。すし屋でそのことを言うと、彼は「当たり前だよ!昼間寝て真夜中ずっと起きてるから。普通寝ている時間に山登ったんだから。」と笑いながら話していた。

たいしたものだ!17歳でしっかりしている。大学にも行きたい!文系だね。歴史が好きなんだよと話してくれた。


ある15歳の少女

2007-08-31 23:29:47 | 投稿

2年前、中学2年生の時の社会見学に私の病院を選んだ中学生の中に右腕のない女子生徒がいた。私は事前に学校側からの説明を聞いていたので了解もしたし、むしろ心の中では歓迎していたのだ。だから私は何くわぬ顔で皆と同じ作業をやらせた。

そして最後に彼女に「私の埼玉の知り合いに片腕しかない獣医がいるんだ。ぜひあなたもきっと将来獣医になれるぞ!」と励ました。もちろん実は私は、彼女がガンに犯されて右腕を失ったことは知っていた。10代に多発する骨肉腫に間違いないだろうと思っていたので、どれほどの病気か、どれほど苦痛かも理解はしていた。でも女の子だけに、ことさら言葉が途絶えた。

今春、私は彼女に合いに卒業式に行ってきた。花束を持って在校生に見守られて歩く彼女に近づき、「おじさんのこと覚えている?君に会いたくて来たんだよ。社会見学の時、うちの病院を選んでありがとう。将来もうまくゆくことを祈ってるよ!」と声をかけたら、キョトンとしていた。

そして先日8月20日の夜に電話があり、今夜は彼女のお通夜だったらしいと。肩の力が抜けた。一瞬頭の中が白くなった。でもよくがんばったなあと感じた。本当に聡明で綺麗な目をしたしっかりとした女の子だった。天国で好きな動物たちに囲まれ、笑いの耐えない平和な生活を送るだろうと信じて祈っている。


甲子園の判官(はんがん)びいき  小山

2007-08-23 19:35:44 | 投稿

私が応援する高校は、小学校の頃から、僻地(へきち)の学校、公立高校、進学校、初出場または出場回数の少ない高校、優勝未経験県、注目されなかった高校と決めていた。

ところがだ、今回の佐賀北高校は、まさにそのとおりの高校だった。・優勝未経験の佐賀県の公立高(過去の公立高校の優勝校のうちで、初めての進学校)・すべて地元出身で誰一人リトル野球出身者がいない、・昨年は、地区予選1回戦敗退・再試合&延長を勝ち抜いて歴代ダントツ1位多くのイニングを経験した高校、・そしてドンデン返しの初優勝!!?? どんな神様がいたというのか?夢はあきらめないで!というすばらしい言葉を私たちに与えてくれたね。

はたして監督就任4年目の快挙らしいが、やっぱ指導者の差は大きいのかなと痛感したが、若者の成長はもっとすごい!

 遠い昔宮崎県の田舎の私の母校の場合もそうだった。毎年1回戦で敗退した高校が監督が交代した途端、2年目にいきなり秋の県の新人戦で初優勝し我々はびっくりした。しかも私の同級生だった。

後日談だが、実はその試合を私は授業をさぼって応援したのだが、そこにはなんと私の担任の先生までも他の用事を作って応援しており、私が「先生さぼりかあ?授業なしの理由ちがうぞお!正真正銘さぼりじゃあ!と言うと、担任は、私に「いやあ、お互いに応援せずにやってられないな!今日は優勝さすっぞお! いっしょに応援しようや!」と語った。

それからその母校が結局2年後に夏の甲子園に初出場を遂げたのだから、監督っていうのはすごい!同級生らのパワーに驚愕した。

さらに後日談。その試合での母校の応援団にびっくり。応援団が3人だけ。私は応援団の隣で担任と応援した。翌日、気づくと私は弓道部を退部して応援団に入部していた。(両親にも大反対され、結局2年も浪人生活を送ったが、この応援団が私の人間を太く、たくましく、今の独立心とパワーを育ててくれるのだから、人生って、わからない。)

若者の成長は 日々ごとに? いや、数時間で?いやいや絶えず、進化も新化も伸化も紳化も数秒ごとに変化していきます!  


先日の記事から 

2007-08-21 11:02:51 | 投稿

最近の若者対象のアンケートの結果から‘車は移動手段’と答えた人が44%と最も多く、‘車をデートの必需品’と答えた人は1%だった。

さらに記事は、「バンドブームは去った!アマチュアバンドであふれている」、「車とバンド、かってそれらは若者のファッションであったし、周辺に必ず女の子がいた。」

「「平成男子図鑑」には、                                   男子同士での買い者好き、                                 家族や地元を好む、                                     何でも一通りチェックするがこだわらない、                        恋愛にがっつかない、                                    総じて今の男子は優しくて素直、男女の仲がカジュアルになっており、若者にとって恋愛が最大のいイベントではない、                              90年頃の若者のデート先が高級フレンチだったが、今は焼き肉食べ放題店や回転寿司になった。                                          これは恋愛が本音でOKになり、男の子もかっこつける必要がなくなった。」とあった。  

どうもこの記事の流れは、現代の男の子の覇気のなさを強調し嘆いている印象を持つ。ええかっこしいというスタイルが経済効果を生み、本音の付き合いじゃあ、社会貢献しない?これってほんとに真剣な若者論?どうもこの国は経済効果に関心行きすぎ!(車買わないかわりに化粧品にお金使ってますから残念!)

今の若者は我々の時代と違って、異性でなくても先輩や先生や社会にたいしても自由な発想と意思を持っていると思う。我々が不満を持つ若者の‘あいさつ’にしても、‘あいさつ’を強調すれば、封建的な側面を持ち、自由な意見交換が妨げられる。孔子の言う礼節を重んじながらの意見交換はむずかしい天秤だと感じる。

あいさつができて意見を思い切り言って、卑屈にならず素直であり、目標を持って社会や周囲に責任をまっとうする若者像へのあこがれはあこがれとして、我々もまた自分たちの若者時代にできなかったことを可能とする今の若者には、おおいに賛辞を拍手を支援をするべきだと思う。

若者よ!夢を持ってプライドを捨てるな!おおいに回転寿司でデートしなさい!小山


団キャンプの危機!

2007-08-20 21:19:15 | 活動の報告

平成19年夏の団キャンプが終わった。

私と吉川副長の他に2日目から五十嵐スカウトが参加した。VS隊の菅原スカウトといっしょにセレモニーの司会進行から営火のエールマスターまでさまざまな仕事をやってのけた。

本当にありがとう。                                        君たちがいなかったら、団キャンプではなくなっていただろうと思います。

昔を知る方々は、27団の大規模な団キャンプを思い出すだろう。でも現実は現実だから、今のスカウト陣で精一杯やればいいと思う。

しかしVS隊、RS隊に属しているスカウトたちが誰一人参加しなくなる団キャンプは異常である。我々指導者も含めておおいに遺憾な状態である。

上進式や団キャンプにこそ、魂こめて参加するべきではなかろうか?休み返上、仕事削ってくる指導者の魂っていうやつの根拠ってわかってくれないだろうか?小さなスカウトたちの前で躍動し、整列し、はつらつとした若者の姿こそ、後世に残す遺物ではないだろうか?

9月30日は上進式である。これも不参加するのだろうかRS隊諸君!!


本栖湖スポーツ広場の天気 

2007-08-17 17:03:08 | 投稿

団キャンプのあった本栖湖スポーツ広場は、竜ヶ岳という山のふもとにあったのだが、とても不思議なエリアだった。

本栖湖全体は、真っ黒に日焼けした色とりどりのウインドサーファーで混雑しており、まさに完全な夏モードなのだが、このスポーツ広場というと、毎日、どんな天候であれ午後になると本栖湖の湖面からの風とともに山頂付近には雲が生まれ、しだいにキャンプ場を覆い隠し、霧雨と涼風をもたらして、時には長袖が必要になるほど寒くなってくるのだ。まさか今日はと思っているとまさかまさかと今日もまた大きな雲が覆ってくるのだ。

太古の昔から毎日‘竜ヶ岳と雲と霧雨’の関係は続いていたのだろうが不思議な関係だ。今度は秋にお邪魔してみようか?冬だったらどうなるのだろうか?論文のテーマにでも童話のタイトルにでもなるかしらんとも思っている。 小山


自転車で本栖湖挑戦その2

2007-08-17 16:48:57 | 投稿

 バスには須走コースで登る富士山登山グループがおおぜい乗っていた。多くの外人たちも含まれ、かなりの乗客が須走口で降りた。(8月14日小山真一郎は友人らと、午前9時この須走コースからスタートして7時間かけて山頂にたどりついたそうだ。)

 中には楽器ケースを抱えた二人の中年外人女性が大きな声で会話していた。どうやら初めての日本訪問らしいが、どこで降りるのかを話し合ってるらしい。私は第6感を働かせて「フロム イタリー?」と聞くと、「イエス」と返ってきた。

なにやら山中湖近くに住むイタリア人の自宅に行って時間あれば信州に行って演奏したいと話して?いたが本当はどうだか?イタリーなまりの英語にがどれだけ理解したものやら。

 彼女らを案内するため、私は山中湖村役場の停留所から観光地忍野八海(おしのはっかい)の忍野の停留所に変更して降りた。別れしなに二人に向かって両手を広げ派手なジェスチャーで「コンテパルティロ~スナビぺルナーリケイヨロソ、ノノアピュー~」と歌いながらチゃオと叫んだものだから二人は大きな目で、お互いの顔を見合わせながらびっくりしながら大笑いしていた。

きっと黒ごみ袋とガムテープを懸命にはがしている奇怪なヒゲ親父がまさかアンドレアボチェリのヒット曲をこの異国で妙なめちゃくちゃイタリア語とともに歌い上げるものだからおおいに楽しんだ?ようだ。私は私で(アンノンスカウト)のような少年の気持ちでいたのだが。

 さて山中湖から河口湖までは、のらりくらりのコースだったが、車が飛ばしていくので、精神的に緊張しっぱなしだった。バスを降りたのが5時すぎだったので再出発してまもなく暗くなってきた時には、あせりと疲労が出始めてきた。歩道を走ると長く突き出した枝葉が顔面を直撃してくる。

車の通過しない時間帯は樹海の中からいろんな音が聞こえてきた。今でこそ解説すれば枝の落ちたような音、実がはじけるような音、セミの鳴き声、水が流れる音などだったのだろうが、暗闇から突然に耳にする音の集団は、私の体温を瞬時に低下させたし、緊張した両肘に無駄な力が加わり軽い疼痛すら感じた。

 精進湖近くに来た時、突然に目の前に白いシャツを来たおじさんが歩いてきた。「なんだこいつ!?」びっくりして車道にジャンプしかねないほど体をよじってよけながら側を通り過ぎた。確かに靴音を聞いた。足もあった。歩いていた。森林からの音とともに寒気が増して固まった状態で下り坂を駆けぬいた。河口湖からは早かったなあ。恐怖のおかげだった。

 だがサイクリング最後の交差点、本栖湖入り口を左折して、ようやく落ち着きを取り戻したと思ったら、いくどもいくどもスポーツ広場が見えて来ない。「ありゃ!何で?何で?」とつぶやきながら下見に2回来てんのにこの有様かあ!?ほんとにどうしようもない男だあと嘆きながら15分ぐらい探しまくった。ようやく本栖湖キャンプ場を見た時は、さすがに安堵した。

 スポーツ広場の玄関で、佐藤団委員長ら肝だめしメンバーを会った時は、ほっとしたのだが、またも「無茶するねえ!」と言われた。

 翌日、岡村副長からジュースをもらってぎくっとした。ゲゲゲの鬼太郎シリーズで、「妖怪の冷や汗」と書いてあった。


くま新聞、はまっこ新聞廃止

2007-08-16 18:25:58 | 地区からの連絡

 「くまキャンプ新聞」と「はまっこ82号」を >地区ホームページに掲載しましたのでお知らせします。 

 印刷用のパスワードは >

くまキャンプ   「 kuma2007 」半角

 はまっこ82号が 「 hamakko82 」半角です 

本年からはまっこ(紙ベース)は廃止されていますので >各団、必要に応じて印刷してご利用下さい。