横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

離島遠征

2008-02-28 16:27:06 | 活動の予定

各位殿寒中お見舞い申しあげます。また離島遠征の時期が来ました。今年は神津島を予定しています。

日程       3月26日(水)~3月30日(日)

工程       3月26日PM22:00竹芝桟橋発

          3月27日AM10:00神津島着  

          3月30日AM10:30神津島発 

          3月30日PM18:20横浜大桟橋着以上の工程で、実行いたします。

参加希望者は3月15日までに金井まで参加日及び帰省日を記載の上連絡をお願い致します。VS隊長  金井 


母べえ                   小山

2008-02-17 11:33:41 | 投稿

映画「母べえ」を観てきました。昭和の本当に存在した家庭の話です。         末っ子の子供(野上照子:1927年生まれ)が「父へのレクイエム」という題で書いた本を映画にしたものだそうです。

ストーリーは、戦時中、父親が思想犯で入獄している間、 2人の姉妹をかかえて励ましあってくらす母(吉永小百合)の子の姿を描いていきます。

投獄されている主人のことで、警察が母べえ(吉永小百合)に              「ご主人に転向させてみないかい?」と諭したり、                      母(吉永小百合)の父親で広島の県警の所長も                       「あんな思想犯のだんなと別れろ!別れなければ勘当だ!」と迫ったりするのだが、 母べえは、いつも「お断りします。」「勘当されてもいいです。」と言って主人の帰りを待っている。

強くて愛情いっぱいの昭和初期の母親の姿が感動的でした。でも戦争は、人も心も自然もすべて減退、消失させてゆく最悪のできごとですね。


人生と社会の基本は労働者                  小山

2008-02-17 11:03:25 | 投稿

今年は、「蟹工船」を書いた小林多喜二の没後75年にあたると先日の朝刊にあった。

小林はプロレタリア文学の代表的な作家で社会の教科書にも紹介されている有名な作家だ。プロレタリア文学自体が労働者のための文学だけに、一般の人たちはあまり関心なく、しかも苦痛の叫び声に興味をそそられる人もいないので、マイナーな文学になっている。ここらがアメリカと違う。

スタインベックが書いた「怒りの葡萄」は、大ベストセラーになって歌や映画や演劇に、そして政治にも影響を与えた。民主主義の歴史の差なんだろう。多喜二は思想犯にて連行され、「母べえ」のお父さんのように獄中死するわけだが、自ら乗り込んだ蟹工船の実態のルポが小説になったようなもので、何も政治批判していたわけではなかったのだが、時代が悪かった。ただしいつの時代に生きていても主張する人は変わらない。きっと今も生きていたら、また労働者や圧力をかけられている人々の側にたってルポするのだろう。

働いている人がいて社会があるのだから、いつの世でも働いている人を中心に、そして大切にしてもらいたいものだ。


映画「陰日向に咲く」               小山

2008-02-07 19:52:05 | 投稿

先日、映画「陰日向に咲く」を見てきて、V6の岡田君のファンになりました。       私に似て短足ですが、私に似ないイケメンでした。                      内容はというと、やや浪速節調のストーリーでしたが、演出家:劇団一人の特色出てて 結果、おもしろかったです。

 黄色いパラソルが監督の演出でなく、劇団一人のアイディアだったら、 こりゃすごい!と感じましたが、本を読むと出てこないんで当たり前ですが、やはり監督の演出でした。画面を通過する黄色のパラソルが、我々の脳裏に余韻を与えます。黄色って子供が一番好きな色だそうで、実は子供が集まって来てほしいので私の職場も黄色を多く使っているのです。

この黄色のパラソルを見て、白黒映画「シンドラーのリスト」の中の真っ赤なバラを連想してしまいました。映画を見終わって時間が経っても、このパラソルやバラが網膜にライトの残像のようにちかちかと点滅する。

表ではないような社会というより、浮かばれない、どうしようもないやるせなさみたいなものを表現しようとしたのかな?劇団ひとりも同じ境遇にいたことは事実だろう。なんかでも弱い人やさびしい人にスポットライトを当てている映像や本なんかを見るとついほっとする。

公園で寝泊りするホームレスのおじさんは、大ほら吹き男の役だったけど、脳の研究の本を読むと、私たち人間は記憶の大半を表現しようと言葉に出そうとすると、そのほとんどがあいまいで事実無根な話しばかりだそうだ。もちろん、記憶も目で捉えた映像もすべてあいまいだからこそ、毎日めくるめくる異なる天候や場所や人に対応できるのであって、600万画素の映像やロボットのような記憶を備えていたら、生きては行けぬだろうと研究者は説明する。

人生を長く歩むほど、こんな映画ほど余韻が残るようだ。