漱石先生「吾輩は猫である」を丸々一冊俳句で詠んじゃ
おうと思ったけど、止めました。
猫が嫌いなせいか、猫を描くのが下手なんです。
あんまり下手な猫を描いて、先生にご迷惑をかけるとい
けませんので。
えっ、
俳句の方がもっと下手くそであるですって!
あははは、冗談がきついですよ、先生
そういえば、漱石先生も俳句を作るのでしたね。
子は雀身は蛤のうきわかれ
某(それがし)は案山子にて候雀どの
春雨や柳の下を濡れて行く
叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉
これ先生の句でしょう? 明治の文豪も小説は上手
かったかも知れませんが、俳句は苦手のようですね。
上手いのか下手なのか、よくわからない俳句ですよ。
あれ、気分悪くしました?
やはり人には得て不得てがあるのでしょう。
多分、先生は俳句やツイッターような短い文章は不得意だと
思いますよ。
え? ツイッターとはなんであるかかですと? そうでした、
先生の生きていた明治の時代にはパソコンなんてなかったから、
ツイッターは知らないのですよね。
これを説明してたら長くなってしまうので次の機会にしましょう。
ご隠居さんが小唄をうなりだすと 飼い猫の三毛は近くの小川に
魚捕りに 飯炊きの婆さんは裏の林に栗拾いに行ってしまう。
ちょうど唄の切れ目に上野の鐘が眠そうに ゴーーンと一ッ鳴る。
ここまで書いて気がついた。
時を打つ鐘は子の刻の午前零時が九ッで 以下2時間ごとに八ッ
七ッ 六ッ 五ッ 四ッとなって正午がまた九ッ。
鐘が一ッなんてのはないのだ。
でもここは鐘が四ッでも九ッでもダメなのです。鐘が一ッでないと。
たまには間違えて 鐘つき人が一つしか打たなかった・・・
ってことにしておいて下さいな。
魚捕りに 飯炊きの婆さんは裏の林に栗拾いに行ってしまう。
ちょうど唄の切れ目に上野の鐘が眠そうに ゴーーンと一ッ鳴る。
ここまで書いて気がついた。
時を打つ鐘は子の刻の午前零時が九ッで 以下2時間ごとに八ッ
七ッ 六ッ 五ッ 四ッとなって正午がまた九ッ。
鐘が一ッなんてのはないのだ。
でもここは鐘が四ッでも九ッでもダメなのです。鐘が一ッでないと。
たまには間違えて 鐘つき人が一つしか打たなかった・・・
ってことにしておいて下さいな。
猫が苦手なせっしゃが、猫語がわかるはずがありません。
多分、話せたらこんな会話になるだろうなぁと、思っているだけ。
猫語がわかるのは、よくコメントをくださる、にゃんこさんと
tamakitiさんの2人です。
多分、話せたらこんな会話になるだろうなぁと、思っているだけ。
猫語がわかるのは、よくコメントをくださる、にゃんこさんと
tamakitiさんの2人です。


いよいよ切腹だ! 介錯人さんよ、上手くスパッ!とやってくれよ。
その前に へたうま俳人としては辞世の句を残さなきゃ!
最後の一句、これが以外と難しい。なにしろ後世に残る句なのだから。
やややや・・ 日が暮れてきたでござる
その前に へたうま俳人としては辞世の句を残さなきゃ!
最後の一句、これが以外と難しい。なにしろ後世に残る句なのだから。
やややや・・ 日が暮れてきたでござる
