2017年3月5日(日) オフの日

2017-03-05 20:44:08 | 日記
今日もオフ。連休だった。

なんだか疲れがどっと出てくる感じで、身体も痛いし冴えない一日だった。
ホームセンターとかスーパーとかに買い物に出たが、大してお金は使わず。

その代わりに
日曜日ということで、みんな景気良くお金を使っているのか観察していたが、
景気が良いとはとても思えなかった。

小売りは結構やばいんじゃない?


☆ ☆ ☆

さて、今日気になった記事は「東洋経済オンライン」より。
デービッド・アトキンソン氏の記事。
日本の一人当たりGDPは30位に後退。
サービス業の生産性はG7で最低とのこと。

日本人よりも外国人の方が日本のことを真剣に考えてくれている。
そんな感じがした。

何度でも言うけど、日本はメディアが腐り切ってしまっているから、
こういうことを真剣に考える機運が高まらないんじゃないか、と思う。

個人的には政治や行政の生産性のどうしようもない低さもなんとかしてもらいたいけどね。



日本のサービス業は「1人あたり」でG7最低だ
ITに合わせて「働き方」を変える努力を


日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。

著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。



彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済をむしばむ「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』は、発売1カ月で4万部のベストセラーとなっている。その中から、最も大きな課題を抱える業界のひとつである、「日本のサービス業」について解説してもらった。

■海外との生産性ギャップの92%は「サービス業」

2015年には世界第27位だった日本の「1人あたりGDP」。IMFが最近発表した2016年のデータによりますと、さらに下がって第30位に落ち込んでしまいました。

日本は、潜在能力は高いにもかかわらず、毎年順位が下がっています。同時に貧困化が進み、社会福祉の支出が膨らみ、国の借金も増える一方です。もはや「生産性を上げたからといって幸せになるとは限らない」などと、のんきなことを言っていられる状況ではなくなりました。生産性向上は、日本にとって喫緊の課題です。

そんな日本の生産性の低さを語るうえで、外すことのできないテーマ、それが「サービス業」の生産性です。

サービス業における1人あたり総生産を見ると、G7の平均が3万8193.3ドルであるのに対して、日本は2万5987.6ドル。これはG7諸国の中でも最下位で、イタリアにも劣っています(2015年、米国中央情報局データより、人口は直近)。




日本の1人あたりGDPは3万6434ドルですが、先進国上位15カ国の平均は4万7117ドルでした。その差額1万0683ドルのうち、9824ドル(92%)は、サービス業で説明がつきます。経済における比重が高くなっているのに生産性が非常に低いサービス業は、1990年以降の日本と海外の生産性のギャップ拡大に、最も大きな影響を与えているのです。

■日本のサービス業は「良いものを安く」売っているのか

日本は、問題を指摘されると、反射的にその指摘を否定したり、問題自体を正当化したりする傾向が強いように感じます。指摘の本質を検証して、問題があるのであればそれを直すという建設的な動きには、なかなかなりません。

生産性に関しても、同じ傾向が認められます。私が「日本はサービス業の生産性が低い」と指摘すると、必ずと言っていいほど「日本人は長い時間、まじめに働き、すばらしいサービスを提供している。一見、生産性が低く見えるのは、サービスに応じた対価をもらっていない、もしくは求めていないだけだ」と反論されます。

各論としては、そういう業界や会社もあるのかもしれません。しかし、この問題は「総論」で考える必要があります。500兆円の経済、1億2700万人の人口を抱える日本において、すべてのサービスが海外より優れており、対価をもらっていないだけというのは、どう考えても無理のある仮説です。

たとえば、ひとつの例として観光業を考えてみましょう。寺院や城址などの文化財は、主要な観光資源です。前著『国宝消滅』で日本と海外の主要な文化財の入館料を比較したのですが、海外の平均が1891円だったのに対し、日本の平均は593円でした。

海外の文化財は日本の数倍の修理予算を使って、より良い保存状態を保っています。解説や展示もずっと充実していますし、飲食施設を併設するなど、入館料の分だけサービスを向上させています。日本の文化財の「観光資源としてのポテンシャル」が海外に見劣りしているとは思いませんが、サービスでは明らかに劣っています。ですから、入場料の違いを「対価をもらっていないだけ」と説明するのは、やはり無理があります。改善されつつありますが、国立公園の活用も不十分で、体験コースもまったく足りていません。

もちろん、これらの文化財や国立公園で働く日本人も、「まじめに働いている」のだと思います。私が申し上げたいのは、まじめに働いているかどうかよりも、今の需要に応えられていない部分、おカネにならない仕事を優先したり、おカネになる仕事をやらなかったりしている部分があるのではないかということです。対価を取っていないだけというのは、やはり言い過ぎでしょう。

人口ボーナスがあって経済が順調に成長している昭和のころなら、それでもよかったのかもしれません。しかし、社会福祉や貧困の問題が大きくなり続けている現状を考えれば、すでに悠々自適な仕事をしていられる時代ではないと思います。

「良い物を安く売るのが日本の美徳だ」と言うのであれば、その「美徳」の結果、子供の6人に1人が貧困に陥っている状況をどう説明するのでしょうか。医療・福祉制度が破綻し、人の命にかかわる手術ができなくなって、助かる人も助からないという未来も絵空事ではありません。人の命を危険にさらす「美徳」など、本当に必要なのでしょうか。私には、とてもそうは思えません。

このようなことを論じていると、「日本のサービス業は、昔から顧客を第一に考え、手軽な値段で質を追究してきた。生産性の低さはその結果であり、日本の文化・美徳に根ざしている」と主張される方がいますが、それは正しくありません。

事実として、日本と他の先進国の間で「サービス業の生産性」に開きが生まれたのは、1995年以降のことです。日本の生産性の伸びが停滞する一方、諸外国では生産性の大幅な改善が見られました。そのかなりの部分はサービス業におけるもので、それにはITの活用が関係しています。対価うんぬんより、この点が問題の本質です。

ニューヨーク連邦準備銀行の分析によりますと、1995年からアメリカなどの先進国の生産性が向上している最大の要因は、IT、通信業界の発達だと結論づけています。そのITが最も活用されている業種が、実はサービス業です。1995年以降、ほかの先進国の生産性が大きく向上して、日本の生産性が置いていかれている理由のひとつは、日本のサービス業がITを十分に活用できていないからという結論が導き出されています。

ニューヨーク連銀の報告書には、次の文書が記載されています。

“To successfully leverage IT investments, for example, firms must typically make large complementary investments in areas such as business organization, workplace practices, human capital, and intangible capital.”

簡単に意訳しますと、「IT投資の効果を引き出すには、企業が組織のあり方、仕事のやり方を変更し、人材その他にも投資する必要がある」ということです。ニューヨーク連銀は、それを1995年以前の、ITの効果が予想されるほど出なかった時代の分析から得られた教訓としています。

これを日本のサービス業に当てはめると、非常にしっくりときます。日本のサービス業はITの導入に際して、組織のあり方や仕事のやり方、人材などにそれほど大きな変更は加えてきませんでした。これが、日本のサービス業の生産性が低い最大の理由のひとつだと考えられるのです。

■銀行はなぜ3時に窓口を閉めるのか?

わかりやすい例を1つだけ挙げておきましょう。日本の銀行の多くは、なぜかいまだに3時に窓口を閉めてしまいます。これは、銀行がまだそろばんと手書きの帳簿を使っていた時代の慣習の名残です。3時に窓口を閉めて、お札、小切手、小銭を手作業で確認して、帳簿に書いて計算、数字を合わせると、だいたい5時くらいになります。つまり、アナログ時代に、行員たちが5時に終業するための決まりなのです。調べてみたところ、これは明治時代に、海外から輸入されたルールであることがわかりました。

しかし、今はどうでしょう。ATMもあるので窓口の取引は減り、お札や小銭を数える機械もあります。帳簿は手書きではなくシステムが開発され、計算は機械がやってくれます。3時に窓口を閉める理由はないはずです。

さらに驚くのは、ATMを使った振り込みも3時までで締め切って、その後の振り込みは翌日扱いになるということです。システムを使った振り込みですので、支店の営業時間に合わせる意味がわかりません。あまりに気になったので全国銀行協会に尋ねてみたのですが、やはり理由はないそうです。ただ単に昔の名残が、検証されないまま続いているのです。

これは、皆が結婚し、男性は仕事、女性は専業主婦という時代だからこそ許容されていた仕組みでしょう。これなら、奥さんがいつでも銀行に行けるので、問題はありませんでした。

しかし、今はそんな時代ではありません。男性も女性も外で働くことが多くなりましたので、結局、昼休みに銀行窓口の長蛇の列に並ばざるをえないのです。このような光景を見るにつけ、多くの人の生産性が犠牲になっていると感じます。

くだらない例だと思われるでしょうか。しかし、こういった例はたくさんあります。「塵(ちり)も積もれば山となる」のことわざのとおり、日本の生産性を下げる要因は、社会全体に蔓延しているのです。

さらに、Uberが認可されない、駅の券売機でクレジットカードを使えないことが多い、オンラインで予約できないレストランがまだまだあるなど、さまざまな面で日本は取り残されている感じがします。

■生産性向上には「大きな変化」が不可欠

ITとは関係ないですが、同じ現象は農業にも起きています。戦後、農業の機械化が進みました。機械化すると、普通の国では農家の数が減り、法人化され、農地は統合され、1人あたりの平均耕地面積は上がります。

しかし、ご存じのとおり日本ではそうなりませんでした。日本の平均耕地面積は、米国などを除いた他の先進国のおよそ30分の1です。つまり、日本の農業における機械化は、ひたすら農作業を楽にしただけだったのです。生産性を上げるためには、機械化に伴って農地を集約するなどの「抜本的改革」が必要なのです。

このような指摘をすると、また「地形」うんぬんの正当化が聞こえてきそうです。スペースの関係でそれを議論することはできませんが、地形だけでこの問題がすべて説明できるとは、到底思えません。

人口に占める農家の比率が相対的に高いにもかかわらず、輸出は少なく、食料自給率も低いという日本の農業の現状を正当化するのは、極めて難しいのではないでしょうか。

どんな業種でも、ITを導入して生産性を上げるためには、大きな変化は避けられません。場合によっては、ITの犠牲になってしまう人も出てくるでしょう。今の日本は、どちらかといえば変化に対する反対が多い国ですので、結局はIT導入によって生産性を上げることができていないのだと思います。皮肉なことに、人が足りないのに、ITを活用して同じ仕事にかかわる人を減らすことができないので、移民を増やそうという不思議な議論まで展開されています。

生産性を向上させるためには、組織や仕事のやり方を抜本的に変える必要があります。当然「痛み」を伴うケースもあるでしょうが、もはや躊躇していられる状況ではありません。逆に、それさえできれば、日本人の潜在能力を考えれば劇的な生産性向上が期待できます。イタリアでもスペインでもできることを、日本でできないはずはありません。要は「やるか、やらないか」、それだけなのです。