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2015.8.30 『北日高岳』(751m)

 

 土曜日の『ペンケヌーシ岳』下山で行方不明になりかけたHiromiだが、事件はそれだけでは済まなかった。
下山後しきりに体を掻いているので「どうした?」と問うと、「ジンマシンが出てきました」。
それは大変と、救急病院にて受診すべく、帰途につくことを提案したが、「大丈夫です、じきに治ります」。



どうやらジンマシンには慣れているらしい。
聞けば、幼少の頃から度々同様の症状が表れ、自然に治まっていたとのこと。
原因を知るべく検査を受けたものの、はっきり分からずに終わったようだ。



それではということで、平取温泉で汗を流し、『リビラ山』に向かった。
この山は私にとって未踏である。もちろんHiromiも。



 Hiromiが持参した最新の「北海道夏山ガイド」を頼りに「ヌモトル林道」へ。
ところがこの林道はしばらく全く人の手が入っておらず、荒れ放題だ。
車で草をかき分けて走る状態だ。



ガイドブックでは「林道ゲートから1.6kmで広い駐車場」とあるが、実際には3.6km入ったところに、それらしき広場があった。
なんとも気持ちの悪い環境ではあったが、翌朝登ることにした。
ところが、そこまで走っていく間にHiromiのジンマシンが悪化した。



「いつもはこんなにひどくならないです」。
その一言でそこを離れることを決断した。
一夜を明かしてみて症状に改善が見られない場合、即救急病院に走るべく日高町まで戻ることにしたのだ。



日高町から往復120kmをただ走った。
日高町の静かなところで車中泊。

 

翌日曜日、疲れていたので目覚めが遅く、7時近くまで寝ていた。
Hiromiはというと、やはりかゆみが治まらず、寝ついたのが明け方のようだった。
しかし、ミミズ腫れになっていた皮膚は、ほんの一部分だけを残して殆どが回復していた。



これには私も驚いた。こんなに回復するものか? と。
とりあえずほとんど回復したとは言っても、またどうなるかわからない状況の中、とりあえず直近の『北日高岳』に登ることにした。



 『北日高岳』は「日高国設スキー場」の山。
この地を通りすがるとき、時間があれば登る山だ。
また、スキー場を登るだけではなく、東の尾根を伝って登山道が施設されている。



 8時スタートで「日高青少年の家」そばにある林道ゲートから入山した。
林道をしばらく歩くと登山道の入口が現れるのだが、この日はその前に古い作業道が目に入り、それを登ってみることにした。
ところがこの刈り分け道は北電が管理する大規模送電線の保守管理用のものであった。



しかし私にとってそれはおあつらえ向き。
一度送電線の下の、整備が行き届いた刈り分け道を歩いてみたいと思っていたものだ。
この日は短い距離であったが、アップダウンの激しい送電線直下歩きを楽しんだ。



そして刈り分け道はやがてスキー場斜面の中腹辺りに合流した。
スキー場を横断後は、また延々と南西に向かって行く。
それにしても、何度も登っているこのスキー場斜面を、送電線が横切っていたとは全く記憶にない。
情けねぇ~っ!



 スキー場に出てからは滑走斜面を登ったが、Hiromiに異常はなし。
頂上のリフト終点には何やらベンチらしきものが!
これはいい。



そうだ、この山に登った登山者は、下山すると必ず麓の「日高高原荘」で入浴する。
そんなベンチサービスがあってもいいと納得。
それに比べ、この日もこの後寄ってきた『冷水山』の何とも商売っけのないことか。



『冷水山』は頂上のベンチどころか、もう数ヶ月前の「ヒグマ出没につき入山禁止」の看板が建てられたままだ。
『冷水山』だって麓には「レースいの湯」があるというのに、あれじゃあ入浴客が増えるはずがない。
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2015.8.29 『ペンケヌーシ岳』(1,750m)



 この週末は金曜の夜出て、穂別の「樹海温泉はくあ」まで走って車中泊。
土曜の朝5時半に起床。
これが自宅発だともっと早くに起床しなければならなくなるので、できる限り金曜の夜に出発してしまいたい。



 石勝樹海ロードの日勝峠手前より『ペンケヌーシ岳』を目指すべく、パンケヌーシ林道に入った。
この林道はかつて、営林署が管轄していた時代に、春先の山菜シーズン以外常時ゲートが閉じられていた。
そしてゲートのカギを日高町の営林支局で借り受けなければならなかった。



しかし、私は全6本の合鍵を全て所有しており、自由に出入りしていた。
ところが、そんな合鍵を使って入山したツアー登山が遭難事故を引き起こし、旧営林署から変わった当該森林管理署が厳重な鍵に付け替えた。
そのカギを借り受け、返納するのに手間がかかったのも3年だったか。
現在は夏期間常時開放されている。



 私がパンケヌーシ林道を利用して登る山は、『チロロ岳』(1,880m)、『ペンケヌーシ岳』(1,750m)、『ルベシベ山』(1,740m)の3山だ。
沢屋さん達は他にも登っているようだが。



 8時、パンケヌーシ林道六の沢の林道終点登山口をスタートした。
登山口には先行者の車が一台だけ。
しかし、先行者の車があること自体珍しいことだ。



昔はけっこう人に出会ったこの山も、ここ数年はほとんど人に出会うことがなかった。
「好きな山に好きなだけ登る」というのが私のスタイルで、この山にももう30回以上は登っているだろう。
そんな私から見て、何故登山者が少ないかと言うと、林道走行の長さにあると思われる。



石勝樹海ロードから『ペンケヌーシ岳』登山口まで約18kmを走らなければならない。
全て砂利道であり、ちょうど中間点に『チロロ岳』の曲沢登山口がある。



 この日は下山後の移動をみても十分時間があったので、ゆっくり登山だ。
私一人だと1時間20分ほどで頂上に達するが、1時間55分をかけてゆっくり登った。
先行者の二人を頂上手前で追い越し、誰もいない頂上から雲海や360度の展望を楽しんだ。



そして先行者が頂上に到着すると同時に移動して、手前のピークまで戻って食事だ。
頂上より手前ピークの方が見渡す風景に恵まれている。



 下山も作業道を利用(10年ほど前から沢を登らず、途中まで古い作業道を利用して登るルートができた)せず、Hiromiに沢歩きを慣れさせようと、登りと同じ沢を下った。
この沢、普段から水量が少なく、登山靴を濡らすこともないのだが、この日は私が見てきた中で最低の水量だった。
沢を下りきり、最後の渡渉を終えて登山口への林道に入ろうとした時だった。



私が石につまずき転倒。
両方のスネを強打したため、痛みが治まるまで膝に手を着き地面を見つめて耐えた。
やがて痛みは治まり、フッと辺りを見るとHiromiがいない!



私がうずくまるわずかな時間に私の前を急いで渡渉し、登山口に向かったとは思えない。
誤って登山口とは逆方向の作業道を登っていったのではないか?
困った。



急ぎ作業道を追いかけるも姿は見えず。
その間に別の方向から登山口に向かっては大変と、また急いで分岐点に戻る。



結局分岐点から動けなくなった。
一人ではどうしようもない。
携帯も圏外だ。



冷静に、15時までに下山してこなければ他の下山者に頼んで、警察に捜索を依頼しようと決めた。
そう決断し、一旦車に戻って下山していないことを確認。
防寒衣類、水、食料をザックに詰めなおして再び行方不明になった分岐点へ向かった。



そしてその渡渉点についてみると、HiromiがGPSを手にたたずんでいる。
「Hiromi!!」、「ああ~っ!」

やはり登山口とは逆方向の作業道を登って行っていた、ピンクテープに誘われて。



先ほど沢を下ってきてよ、また作業道を沢の上流に向かっていくわけねえべえ!
もちろん叱りつけた。



Hiromiが行方不明になりかけたのは、これで4度目だ。
一生懸命に頑張る姿はめんこいが、ひじょーに手のかかるやつだぁ・・・
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2015.8.23 『喜茂別岳』(1,177m)

 

 今日は久しぶりにつまらない山に登ってきた。
「つまらない」と言ってしまえば、関係方面の方々からお叱りを受けそうだが・・・



 ずいぶん久しぶりにToshiが登場だ。
この週末北日高への山行を予定していたToshiは、身内のアクシデントでそれがかなわず、とりあえず昨夜はHiromiを交えて3人でたらふく飲み食い。
もちろん『サイゼリヤ』で。



そして、そんな夜を過ごした翌日は今日のような中途半端だが、初めての山に限る。
最初からたいして期待はしていないし、前夜たっぷり飲み食いし、酒も多少残っているので外れてもそう気にはならない。



 今朝はゆっくりスタートで中山峠に向かった。
珍しくHiromiの運転だ。
助手席に乗っていると、Hiromiの運転はこわい。



車間距離を十分取らないし、常に右足がブレーキペダルとアクセルペダルの間で泳ぐ。
どちらを踏むか迷っているのだ。



 9時5分、中山峠の駐車場をスタートした。
NTTの管理道路を伝って終点の電波塔まで4km弱を進む。
電波塔までは殆どがアスファルトなので、歩きやすいがつまらない。



しかもNTTの管理道路にしては荒れている。
支笏湖の『紋別岳』や夕張の『真谷地岳』(仮称)のNTT管理道路はもっと管理が行き届いている。



 9時45分、「電波塔」着。
ここからが登山道なのだが、これが予想に反して草ボウボウ!
札幌から近いし、「北海道夏山ガイド」にも載っており、獲得標高差が348mとあっては、人が常に大勢訪れているだろうという予測は覆された。



しかし、歩いていてその人気のなさも納得。
このルートは登山口から頂上まで、全く景色を見通せるポイントがない。
標高差が小さく、緩やかで深い笹に覆われた起伏の中を進むせいだ。



とにかくつまらない上、足元に密生した草がうるさい。
我々は暑い時期脚を露出して歩くので、余計にうるさく感ずる。



特にToshiはアレルギー体質で、虫刺されや草の毒に皮膚が激しく反応する。
従って本人は2日後に何らかの反応が現れると予測している。

 

10時40分、『喜茂別岳』頂上着。
頂上に立ってようやく360度の展望が開けた。
ところが周りはガスに包まれ、肝心の山たちが全く見えない。
ここでそんな風景を楽しめたなら、「まあいい山だったな」で終わったのだが・・・



 下山は1時間10分で駐車場に戻った。
登りは何も見えない中を、早く展望が開けたところに出たいと急ぎ、下山はうっとうしい中を早く抜け出したいと急ぐ。
なんとも忙しい山だ。



 今日の山行を総じて言うと、まあ二度と登る気にはならない、数少ない中の一座である。
ただ、積雪期は楽しめそうだ。
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2015.8.22 トレーニング登山



 今日土曜日は午後から所用のため、昼までに帰宅しなければならなかったので、札幌市内の山でのトレーニング登山だ。



 昨日の終業後銭湯に寄り、そのまま『銭函天狗山』の登山口に移動して車中泊。
外気が湿った感じでなまぬるく、まだ蚊が随分多いのには驚いた。



 ラジオから流れてくる日ハム戦がなかなか熱い戦いを繰り広げ、延長戦の末にサヨナラ勝ち!
ただでも長い試合だったのに、延長戦に突入した上こちらも熱くなってしまったものだから、少々飲みすぎてしまった。



 今朝5時に起床し、『銭函天狗山』(537m)に登った。
やはり空気は湿気を帯びており、汗が吹き出す。
頂上に立っても無風。



下山後移動して『手稲山』の最下部、『千尺高地』(492m)に登った。
ここは私のホームグラウンド。
この後ここでMTBのイベントが開催されるようで、下山してみると関係者が準備に取り掛かっていた。



続いて『奥三角山』(354m)へ。
この山の木々はまだ緑が美しく、ついついカメラのシャッターを切ってしまう。



最後に『三角山』(312m)に登ったが、もう暑くて暑くて・・・
もう一座と思っていたが、暑さにやる気が萎え、のんびりと車を走らせて帰ってきた。
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2015.8.16 旅の終わりは『冷水山』(702m)

 

 盆休み4日目(最終日)は夕張の『冷水山』麓で目覚めた。
山旅の最後はここと決めている。
ここだと盆休最終日の渋滞に巻き込まれる心配がないし、朝登って1時間少々で帰宅することができる。
数日に及ぶ山旅では後片付けも大変なのだ。



ちなみに我が家では35歳になる娘が生まれた頃から、家の洗濯は私が担当してきた。
まあ、全自動洗濯機であるから、干すことと朝の取り込みだけだが。
従って、山から帰るとまず洗濯機のスイッチを入れる。



 と、まあいろいろ言ってみても、私は『冷水山』が大好きである。
緑の広いスキー場をもつこの山に着くと、いつもホッとする。
そんな私に感化され、Hiromiもこの山を好むようになった。



 前日の夕方麓に着いたが、我々が車中泊をしたすぐその前にシカの群れが現れ、悠々と草を食んでいた。
そしてその向こうには、私が将来住みたいと思っている公営住宅が・・・

 

そう、この公営住宅に住むと、毎日何度でも『冷水山』に登ることができる。
それが私の最終的な、いたってささやかな夢である。



 さて、山旅の最後を、の~んびりとクールダウン的登行をし、とあるリフト終点で朝食のインスタントラーメンを食べた。
そこで初めて気がついた。
私は沸騰したコッヘルの湯の中に乾麺を入れたあと、少しして箸で麺をほぐす。



火が通りやすくするためだ。
ところがHiromiは全く構わない。
麺を四角いまま煮続け、その形のまま粉末のタレをかける。
これには驚いた!
そして、煮加減を確かめることなく火を止め、固かろうがなんだろうがたいらげる。



ある意味「豪傑」・・・
カップ麺なんかは、3分なんかとても待てない。
2分でズルズルっ!
「ちょっと固かったかな・・・?」



 雨に追いかけられた格好にはなったが、久しぶりに良い思いができた盆休みの山旅であった。
この4日間、我々の山旅に付き合ってくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
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2015.8.15 『鋸岳』(約1,980m)



 盆休み三日目の朝は白金温泉近くで目覚めた。
辺りは真っ白で、濃いガスに覆われていた。



そんなときは高所に登るとガスを突き抜け、雲海を楽しめる可能性がある。
そしてその予感は的中した。



 7時20分、望岳台をスタート。
『美瑛岳』~『十勝岳』を回るつもりだった。



ところがこの日も途中で変更。
Amigo登山は常に状況判断から「変更」の連続だ。



この日の変更も、正午を堺にしての豪雨の懸念からだ。
標高が1,000mを超えても空気が温かく、湿気を含んでいる。



そんなときは必ず大気の状態が不安定となり、午後山沿いを中心に土砂降りとなる。
今回は前二日間でそれをはっきりと体験した。



 「雲の平」の長いトラバースを過ぎて「ポンピ沢」へ。
ここで登山道を離れ、ショートカットをするために、上流の「ポンピ渓谷」に向かった。



沢の水量は少なく、登山靴を濡らさずにポンポン進めるところではあるのだが、Hiromiがなかなか手こずる。
まず入渓地点で簡単な藪こぎができず、沢に下りられない。



「登山道まで戻って迂回してこい」と言ってやると、その後音沙汰がない。
どうしたものかと藪を漕いで様子を見に行くと姿がない。



「Hiromi!」の声がけに、遠くから返事が聞こえてくる。
首をかしげながら登山道に出ると、もう帰ってしまうのか? と思えるくらい遠くまで戻っていってしまっていた。



なんとも頼りない限りだ。
入渓してからも簡単な渡渉をリズムよくこなしてはいけず、テンポが上がらない。



根本的な運動神経の問題が絡むので、無理なことは言えないが。



 「ポンピ渓谷」は美しい。
林立する巨岩の奥に緑が広がる。



この風景にはHiromiも感動だ。
そして源頭から広い稜線に向かって一歩一歩高度を稼ぐ。



その最終段階は火山灰地で蟻地獄のようにぬかるみ、一歩一歩がきつく数歩登っては呼吸を整える。
しかしそう長くは続かず『十勝岳』と『美瑛岳』の間の広い稜線に飛び出す。



あとは登山道を『十勝岳』に向かって進む。
そして『鋸岳』に到着し、そのピークに立って『十勝岳』に目をやってまた気持ちが変わった。



大勢目に映る人影。
前日の『白雲岳』でけっこうな人に出会っているので、今日は勘弁、勘弁と言ったところだ。



まあ、「日本100名山」の山なのだから仕方ないが。
『鋸岳』からそのまま火口源を下ることにした。



深い火山灰地は柔らかく、下半身に優しい。
思いっきり走って下りられる。



火口の底まで走ったHiromiが、「これをしてみたかったんです!」
その時になって聞いたのだが、Hiromiは前夜の車中泊で「火山灰地を走って下ってみたい」と言っていたのだそうだ。



他人事のように言ってしまう私だが、私にはそれを聞いた記憶がない。
まあ、楽しめたんだからいいさあ・・・



 下りきったところで昼食とし、その後登山道に戻って下山した。
午後1時、望岳台着。



この日は雨に当たらずに済んだが、車を走らせラジオに耳を傾けると、前日の上川町にまた「土砂災害警戒警報」が発令された。
十勝連峰に移動してよかったぁ・・・



 十勝連峰『鋸岳』と言って即座にその山をイメージできる人は、かなりの熟達者と思われる。
国土地理院の地形図にもこの山の名はない。



従って標高はあくまでも等高線から拾ってこと。
表大雪にも同盟の山がある。



『北鎮岳』』から『比布岳』に向かう際、登山道の北側にはっきりそののこぎり型の形状を見て取れる山がある。
それが『鋸岳』(2,142m)であり、登山道から簡単に登れる。

 下山後夕張に向かって車を走らせた。


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2015.8.14 『赤岳』(2,078m)~『小泉岳』(2,158m)~『緑岳』(2,020m)~『白雲岳』(2,230m)

 

盆休み二日目の朝は、表大雪の「銀泉台」で目覚めた。
外を見ると雲海が広がっているものの、上部はガスに覆われている。
今日は景色を望めないかな? と思いつつも、5時30分、「銀泉台」登山口をスタートした。



 スタート当初は『忠別岳』への長い距離を往復する予定だった。
しかし、歩き始めて間もなくそれを変更することにした。
と言うのは、前日と同様の雨を予感してのこと。



このところの空模様は、「晴れ」と予報されても、午後になると大気の状態が不安定となり、ところによって局地的大雨をもたらしている。
それが山においてはてきめんであり、この日も直感的にそれを感じて変更した。
そしてその判断は正しかった。



 ルートは「第二花園」を過ぎるとガスの中に突入だ。
濃くてくらーいガスの中を歩いていると、「今日はもう何も望めないんだろうな」という誠に悲観的な気持ちになる。
『赤岳』を過ぎ『小泉岳』へ。



濃いガスの中でなぁんにも見えない。
この辺りは表大雪のど真ん中で、2000m級の山々が林立する。
従って、2,158mの『小泉岳』からは2,020mの『緑岳』に向かって、どんどなん下って行くことになる。



実に奇妙な感じだ。
『緑岳』は円錐状の美しい頂上を備えた山であり、大雪山の中ではなく、違う山域にそびえていたなら素晴らしい山と称されたことだろう。
そんな『緑岳』頂上も濃いガスの中で何も見えず。



ところが『緑岳』を離れて「白雲岳避難小屋」分岐を過ぎてからだった。
突然視界が開け、『白雲岳』と「高根ヶ原」があらわになった。
「素晴らしい!」



青い空と緑のコントラストが実に美しい。
Hiromiとのアホな記念撮影にも力が入る。

 

「白雲岳避難小屋」に向かって下っていくと、広い雪渓に出くわす。
この辺りの雪渓は万年雪だ。
辺りの遅い雪解けに、アオノツガザクラ、エゾコザクラ他の花たちが、今が盛期とばかりに咲き誇っている。



そんな涼しい光景をあとにすると、「白雲岳避難小屋」にたどり着く。
思えば私がこの小屋に宿泊させていただいたのが42年前、大学1年生の秋であった。
もちろん今の小屋とは違い、建て替えられる前の小屋であった。



その時は公共交通機関を利用し、ひとり『黒岳』から一泊の予定で登ってきたものだ。
小屋で一泊したあと、となりで寝ていたお姉さんの二人パーティーに飴をもらったのを、今でもはっきり覚えている。
そしてそのお姉さんたちは『忠別岳』に向かい、『化雲岳』を経てその日のうちに「天人峡温泉」まで下ると言っていた。



今考えるとたいしたお姉さんたちだ。
そんなたくましいお姉さんたちは、今も登り続けているんだろうか・・・
ちなみにその時の私は大雪山が初めてであり、「白雲岳避難小屋」から『白雲岳』に登り、『北海岳』~『旭岳』を歩いて下山した。
あれからもう42年である・・・



「白雲岳避難小屋」からのきつい登りを終えたあとは、『白雲岳』に向かって楽しい歩行だ。
『白雲岳』頂上付近に広がる一種独特の風景は、初めて目にするHiromiの目を奪う。



 その光景に感動しきりだ。
そんな感動を与え、その感動する姿が楽しみでいつも連れ歩く私がいる。



10時10分、『白雲岳』頂上。
『旭岳』から『北鎮岳』、『凌雲岳』方面の景色が素晴らしいが、どこも頂上部にはガスが張り付いている。

 

ただ、ハイマツの緑がシマ模様を描いて美しい。
ゆっくり昼食を摂り、これまたゆっくり下山を開始。



下山はもう殆どがガスの中だ。
しかし、それまでに目にした光景が強く印象に残り、全く苦にならない。
ただ、「第二花園」まで下った頃に雨が降り出した。



私の予想通りだ。
そして雨はその降り方に強弱を繰り返す。
Hiromiを残して足速に下る。
 


車の屋根に前日ずぶぬれになったザックと登山靴を干してきたのだ。
午後1時、登山口着。
干していたものは若干濡れた。



 下山後の片付け、着替えを終えて車に乗り込んだ途端、土砂降りの雨となった。
ラジオからは上川町に「土砂災害警戒情報」が流れてくる。
走る林道は道の端が川となって流れている。
いやあ、『忠別岳』からの変更は自身、実に的確な判断だったと自負する。

 

前日からの土砂降りに嫌気がさした同山域を離れ、美瑛町のいつもの銭湯で汗を流し、十勝連峰へ向かった。
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2015.8.13 『比麻奈山』(1,811m)~『比麻良山』(1,796m)

 

 この湧き上がる積乱雲!
これがこの日の山行の全てを物語っていた。



 私の盆休みは13~14日。
それに土日が続いたので、3泊4日の予定で、13日早朝Hiromiを拾って江別を出た。
盆休みで混雑が予想された高速自動車道も早朝はまだ車が少なく、午前7時には上川町に到着。
そうそう、この盆休の間の天気予報は、上川地方でのみ陽の光をおがめそう。
それで北大雪、表大雪辺りを予定した。



 7時30分、『ニセイカウシュッペ山』登山口に至る林道のゲートに到着。
ゲートが施錠されていることをHiromiに確認させ、メモを取り出してキーナンバーを伝えた。
ところが「開かない!」。



私が車から降りて開錠を試みるも、やはりダメ。何度やってもダメ。
カギが変えられたのだろうか?



当該森林管理署に問い合せたくも、まだ早朝ゆえできぬことであった。
しかしボヤッとしている暇はなく、即『平山』に変更。



 江別から旭川を越えてもどんよりとした曇り空が続いたのに、上川町からは快晴に近い輝ける空が広がる。

 

8時40分、『平山』登山口をスタート。
気温は高く暑い。
10時40分、『平山』と『比麻奈山』を結ぶ稜線に出た。



しかし、登路で先々の空の雲行きを懸念していた通り、高温に湿った空気がどんどん上昇し、積乱雲と化している。
それで急きょ、『比麻奈山』から「アンギラス」を越えることを断念し、『比麻良山』もしくは『文蔵』まで足を伸ばして下山することにした。
ところが積乱雲の足の速さには勝てず、『比麻良山』の手前で捕まってしまった。



バラバラ降りだした大粒の雨がやがてヒョウに。
それが素肌に当たって痛い。
「Hiromi、雨具着用だ!」、「ボスはどうするの?」、「俺はこのまま下山する」、「じゃあ私も着ない」。



人のマネではなく、自分で判断しなさい! 
こまったやつだ。
『比麻奈山』まで戻る頃にはもう土砂降り状態だ。



登山道は沢と化し、滑るのでゆっくりしか下りられない。
そんなときの下山は長く感ずる。

 12時50分、登山口着。
雨は小降りになっていた。
3泊4日の初日からやられた~




 下山後天気予報を確認し、層雲峡で湯に浸かり、表大雪の銀泉台へ向かった。
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2015.8.8~9 家族旅行(登別)

 

 この週末は私にとって非常に珍しいただの旅行。
「ただの旅行」と言ってしまっては、それを企画してくれた息子Ryoの嫁Satomiに申し訳ないが。
私の場合は常に山に向かっており、その道中が旅行のようなことになっている。
そんな行動の中、これまでにずいぶん色々なものを目にしてきた。



 で、今回は私たち夫婦の「還暦祝い」と言う名目で誘ってくれた。
還暦といっても私は先月61歳になったし、女房のNobは62歳になっている。
我々が還暦を迎えた頃はまだ、生活にゆとりがなかったのだろう。



それがここに来て少々のゆとりを得、招待してくれたものだ。
そして息子がそれを企画してくれたのではなく、その嫁のSatomiが全てを手配してくれたことがうれしい。



 金曜の終業後、私は『手稲山』の麓にて車中泊。
土曜の早朝『千尺高地』に登って即帰宅。
8時過ぎに家を出て、札幌の中心部に住む息子家族を迎えに行った。



目的地は登別。
支笏湖から美笛峠、オロフレ峠と走り抜け、登別に入ると雨だ。



この日は「伊達時代村」で遊ぶ予定でいたが、「登別マリンパーク」にスイッチ。
ところが、この変更がなかなか難しい。
乃々の頭の中が「伊達時代村」一色に染まっているため、ガンとして変更を認めないのだ。



それでも降りしきる雨にあきらめ、マリンパークへ。
それぞれのテーマ館を歩いて楽しみ、宿泊予定の登別「万世閣」へ。



 ホテルに着いてからも、乃々のテンションが下がることはなく、ガンガンはしゃぎ回る。
部屋は息子家族と隣りだったのだが、翌朝我々がまだ寝ている時に声が聞こえる、乃々・・・
「ジジ、聞こえる!? 乃々だよーっ!」。



壁越しにそんな声が聞こえてくるのだ。
そしてドアをたたいてやってきた。
朝からテンション全開で!



 日曜こそは晴れると予測し、「伊達時代村」へ。
ところが霧雨だ。



それが止むことなく、午後そこを出るまで延々と降り続いた。
しかし、乃々はそんなこと関係なし。



あくまでもエンジン全開で突っ走る。
そんな乃々に振り回され、帰りの車中ではパパがイビキ。



ママも口をあんぐりと開けて寝ていた。
そんなママの脚を枕にぐっすり眠る乃々であった。

 Satomi、今回は色々ありがとね~っ!!

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2015.8.2 乃々と過ごす日曜日

 

 この日曜日は、月に一度の乃々と過ごす日だった。
いつものように朝迎えに行き、連れてきたあとは、これがいつもとは違い、少々のイベントが待っていた。



来春小学校に入学する乃々のランドセルを買いに行く。
先日昨今の事情を耳にしてきたババ。
「最近は予約しないと好きな色のランドセルが手に入らないんですってよ」。



それでこれはジジ、ババの義務と使命と感じ、乃々に「ランドセルは何色がいい?」と打診したところ、7月28日の私の誕生日に合わせ、乃々から直筆の手紙が届いた。
もうひらがなを全て書けるその手紙には、「あかいらんどせるがほしいです」とあった。



しかし、赤いランドセルと言っても、実際に背負うのは来春であり、色についての心変わりがしては大変と、この日実際にイオンの店頭に連れて行き、好きなものを選ばせた。
すると「赤」は即候補から消え、「ピンクがいい」。



それでピンクを試しに背負わせ、鏡の前に立たせた。
「これで決まりか?」と思った瞬間乃々の目が泳ぎ、「水色がいい!」。
ひぇ~っ!



>めまぐるしく変わるその様子に、逆に心配になった。
ホントに水色でいいの~っ!?



しかしそれからはガンとして水色一点張り。
それで水色のランドセルを色々見せてみたが、最後の決め手はランドセルサイドの装飾であった。



何やらダイヤモンドっぽいガラスの玉が埋め込まれている。
そんなのを見たら、トーゼン光り物が大好きな乃々は、それに決めてしまうわなあ・・・



幸い在庫がひとつあり、持ち帰ることができた。
一旦我が家に戻ったものの、「早くおうちに帰りたい!」。
まだ正午前なのに「ええ~っ!?」と思ったら、早く帰って箱詰めされたランドセルを出したいというのだ。



ああ、買ってやったかいがあったというものだ。
しかし、そんなことで帰すわけには行かず、いつものように夕方まで遊んでから連れて行った。
そして乃々も車に乗るときしっかりと、「ジジ、ランドセル忘れないでよ」だと。
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