吉野さんの演説が鋭く
吉村さんがやってきたことについて
解説し、
いろんなことが、起きていたことを
大阪の人たちが知る機会を得た
それでも、
やはり新人で知名度が低い吉野さんは
当選することが出来ない
選挙は、シルシでしかないと最近は思っている
なぜなら、アメリカでの不正選挙をみてしまい
システムが体制側にある限りはコントロール可能であることを
まざまざと見せつけられてしまったから
東京都知事が、ブームが起きていない2度目の選挙で
前回の得票数よりも増えていた時、
選挙は出来レースなんだな、と悟った
1度目はブームが起きていたが、2度目はそれほどでもなかった。
そんなに熱心に彼女に投票するファンがいるとも思えない
排除 とかの失言
築地は 結局 どうなった?
豊洲は 結局 どうなった?
選挙システムは 体制側にある。
開票0で、当確が出ることに みんな慣れすぎてしまって
「そういうもんだ」と思っている
それが 洗脳だろうとなんだろうと、
だれもが「いままでの日常を崩すなにか別の理論」は受け入れない
維新が大阪で勝ちましたね、
と
誰かと話題になったとき
「彼らは『よく見えて』しまいますからね」と
言ったら、
怪訝な表情をされた。
驚いたような目で私をみて
それでも思い直すように
「地元に行ってた人が見てきたことだから、・・勉強になります」
と
自分と別の意見を表面上肯定するためのお決まりのセリフを受け取った
維新は良いというイメージ
維新は新しいから大丈夫というイメージを崩されたくない
とくにそこに住んでいるわけでなくても
今までよりも良い政治が行われるかもしれないという
希望に、身を委ねたい
ネガティブなイメージを心に侵入させたくないという
防御反応の方が先にたつ。
具体的な話をしたところで、こうした防御反応は突破できない。
人々は「良い」「悪い」という二局面で、どうしても「良い」を選びたがる
積極的にマイナスな部分を見ようとはしない。
良いか悪いかが 全てになってしまうからだ。
良い、悪い では判断できない。
良いは 悪いを裏にもち
悪いは 良いも結果的に連れてくることもあるのだということを
予め理解していれば、それほど「悪い」に対する防御反応はなくなる。
判断ではなく、
判断しないで 感情を交えず 眺めるということが
なかなか出来ないのだ。
そういう意味では
今回 吉野さんが当選しなかったことは
反面 よかったという面はあるかもしれない。
今回、問題があったと思える対応をしたと言える 首長が各地で
安定的に当選したのを見た。
結局のところ、選挙などは出来レースなので、
むしろ
選挙が成立しないほどに投票に行かないくらいの方がいいかもしれないと最近は思うようになった。しかし それも無理だろう。
吉野さんにはもっとやるべき使命がある
大阪にエネルギーを注ぐよりも
その方が望ましいと 思った。
それよりも、大阪で直に 彼の演説に触れたひと
YouTubeで 彼の演説を聞くことができた人が
大阪についての理解を深めたということの功績が
とても大きいと思った。
この期間中、久しぶりに大阪のテレビの風景をみた。
コロナ や 2020の 大統領選挙の時に気づいてしまったんだけど
本当に マスメディアってのは あるイメージの方向へ人を誘導するための
道具なんだな、と 思う。
大阪の人たちは、大阪という『芝居』に参加する『俳優』に
無意識にさせられている気がする
それは、昔から、そうとう前から。
その『好ましい、大阪らしさ』を演じさせられることに
慣れきってしまっているのではないかと
思った。