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小村俊美blog~心・街・釣り・そして日々~

臨床心理士の独り言(小村臨床心理士事務所所長)

ほとんど釣りを中心とした趣味の世界のブログです

鏝絵

2016年03月21日 | まち歩き
鳥取県琴浦町へ鏝絵を見に行きました

左官さんが仕事のお礼にしっくい壁に作るアートです



縁起物が多い



元気な鯉



民家の玄関。漆喰にガラスが入れてあります



塀の漆喰も芸術的



宝袋



色付きです



鶴と亀



倉はこんな感じです



この技術がなくなるということで、技術の継承と保存というコンセプトで補助金を付けて修景してありますが、もう少しPRすればいいと思います

小さな光集落の中で17?箇所の土蔵や切妻に作ってあります。


卜蔵家

2015年08月19日 | まち歩き
奥出雲には鈩製鉄で財をなした家があります

今は御三家(田部、糸原、桜井)ですが

その中にもう一家、卜蔵家があり正確には御四家になると思います

その屋敷は全部撤去されています

庭園は300年も前に小堀遠州の弟子によって造作されたと伝えられています


20年ぐらい前に卜蔵邸跡の庭園を見たところ

庭はすごく荒れていて、脇に公民館のような建物が一軒ありました

そこへ今日行ってみたら

その公民館の建物が「椿庵」として食事処になっていました

営業日は金~月で、今日はお休みでした




前の方に新しい集会所が出来ていて、この古い建物を利用しての営業が始まったようです

本物の歴史を継承した場所は、やはり雰囲気が違います



奥出雲は稲田(姫)神社の社務所でそば処を始めたり、古民家のそば処など結構地域おこしを頑張っているように思います。

今は車の時代、どんな田舎でも口こみで当てれば客が付くカフェやレストランが沢山あります。

木綿街道も酒石橋邸を何とか使えるようにすることが活性化につながると改めて感じたところです





鞆の浦

2014年05月27日 | まち歩き

以前から行きたいと思っていた

鞆の浦

港へ橋を架けるのか、景観を守るのか

大論争の末景観を選択しました

もし街の中に道を通すとなれば、この機会に保障を受けてい人など、利害が絡みもっと大変なことになったかもしれません

これで腹が決まって観光を中心とした街づくりが加速すると思います

ここへ橋を架ける計画でした

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街並みです

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交番も街並みに合わせてあります

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こんな看板発見

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潮の干満を意識した荷揚げ場

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ちょうど行きたかった場所が、近くのスーパーの抽選で当たり、行ってきました。

が、

なんと、目的地の鞆の浦は40分ほど、あとはみやげ物屋や、真珠屋など‥

結局ホピーを見たのと合わせて13時間かかってたった1時間強だけ見学。後はバス内と店めぐりだけ

無料ツアーなどは結局行き先の業者が旅費を負担しているような感じでした

もう二度と行かないぞ

収穫は、鞆はもう一度ゆっくり行きたい場所だと判ったことです

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大国主の墓は

2014年04月27日 | まち歩き

延岡で降りて

レンタカーに乗り換え高千穂へ

高千穂神社にお参りし、夜神楽に行きました。

出雲神楽とも石見神楽とも違う調子の神楽でした

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演目はやはり天岩戸です

島根はオロチ退治

それぞれの人気演目もご当地流ですね

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宿からは素晴らしい高千穂の山並みが‥

お決まりのボートで

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その後西都原古墳群へ

この古墳群の中に一つだけ出雲式の方墳があり、原田常治は「古代日本正史」の中でこれが現地妻のもとでなくなった大国主の墓と書いています。残念なことに博物館は休館日のため色々と聞くことができませんでした。(ほんとうにこの方墳なのか)

畑を囲むようにすごい数の古墳があり、もし畑が無ければ何倍もの古墳があったと想像できます。周りの民家の森の中にも明らかにそうだと判る盛り上がりが見えています

やはりここが邪馬台国でしょうか

卑弥呼は素戔嗚の現地妻という彼の論評を思い出しながら回りました

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すごい数の円墳です

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そして最近調査が終わった前方後円墳

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これが問題の方墳です(原田氏のいう方墳かはわかりません)

大国主にしては規模が小さいような気がします

説明には隣の大きな前方後円墳に仕えた人だろうと書いてありました

チョット変わった古墳も

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そして翌日は飫肥へ

以前から街並みを観たいと思っていました

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飫肥の武家屋敷は敷地が広~い

重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。指定が早かったのが幸いし、ほぼ家屋や石垣が修景を終えていました。

中には広いお屋敷(服部家)を利用した食事処がありました。素晴らしい建物と庭園です

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でも私が一番魅かれたのは城主と家臣のお墓でした

初代の石塔の周りには追い腹をした家臣の墓が並んでいて、中には27歳家臣も‥

「安部一族」の世界が本当にあったという事を感じました。

帰りには鹿児島まで行き、新幹線に乗ったが、山は完全に初夏でした


材木屋

2013年11月11日 | まち歩き

昨日

木綿街道の古民家カフェ開店に向けて

作業をしました

まずは土間の砂利敷き

そのあと

得意の渋塗り

杉板に一回目の柿渋を塗って乾かしています

まるで時代劇の材木屋のようになりました

午後はスクールカウンセラーの研修会

今日は

これから授業に行きます

今月は私にとって仕事以外の多彩な行事が続きます

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紅葉の勝山

2013年11月09日 | まち歩き

3年ぶりにに出雲街道勝山(岡山県)へ

街並みは確実に整備が進んでいます

観光客はひところより減っているそうです

街並みはリピーターを呼ぶのは難しいという事でしょうか?

リピーターを呼べるのはなんといっても花だと思います

勝山は春の雛祭りと、紅葉の頃にピークがあるようですが

我が木綿街道は?‥‥イベント以外の仕掛けは‥

紅葉が映える勝山です

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平田七夕まつり

2013年08月12日 | まち歩き

幕末頃から始まったと言われる

平田七夕

昭和30年代後半にすたれてしまいました

というのは川が浅くなったり、船がなくなり等々

50年代に船を陸にあげて復活しました

ただ残念なのは名称が「平田まつり」となって「七夕」が薄れたこと

「平田まつり」は金太郎飴のようにどこでもある名称で、「平田七夕まつり」と比べ、発信力はうんと落ちてしまう感じがします

それはさておいて

今年の架装船の一部をUPします

まずは我が町内 

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島根のゆるきゃら「しまねっこ」登場

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ちょとかぶちゃいました

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最後は小学校へ全船集合

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これで熱い夏祭りもすべて終わりました(以前はこの後盆踊りがあったが‥)

閑散とした街に戻りました


木綿街道イベント

2013年05月27日 | まち歩き

いや~疲れました

まずは前夜祭

宇美神社でのワンナイトバー

学生の弾き語りを聞きながら日本酒カクテルが進みます

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この神社布都御魂命ですが、最近スサノオの父フツの宮という説があります。「古代日本正史」の著書以来注目が集まっています。

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我が家の前にも

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あくる26日は本番

我が家は略懐石と茶席

精一杯の茶席を作りましたが、点前席の写真忘れました

結界は葉菖蒲で作り、花が無いのでお菓子は菖蒲の花にしました

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玄関の待合は、知り合いの方に花を飾ってもらい、うんと豪華にし

反対に茶席をシンプルにしました

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でも‥思ったよりお客様が少なく、用意の手間を思うと少し でした

暑い中着物と袴で正装し、熱中症になりそうでした。

出雲ではお茶会はどこでも盛況ですが、なぜこうなったか実行委員会で総括しないといけません

やはりイベントでは野点席ぐらいかな~と感じました。

いや~~~疲れた

次の茶会は6月、4,5日。出雲大社社務所で行います。1000人位の茶会になりそうです。