左官さんが仕事のお礼にしっくい壁に作るアートです

縁起物が多い

元気な鯉

民家の玄関。漆喰にガラスが入れてあります

塀の漆喰も芸術的

宝袋

色付きです

鶴と亀

倉はこんな感じです

この技術がなくなるということで、技術の継承と保存というコンセプトで補助金を付けて修景してありますが、もう少しPRすればいいと思います
小さな光集落の中で17?箇所の土蔵や切妻に作ってあります。
以前から行きたいと思っていた
鞆の浦
港へ橋を架けるのか、景観を守るのか
大論争の末景観を選択しました
もし街の中に道を通すとなれば、この機会に保障を受けてい人など、利害が絡みもっと大変なことになったかもしれません
これで腹が決まって観光を中心とした街づくりが加速すると思います
ここへ橋を架ける計画でした
街並みです
交番も街並みに合わせてあります
こんな看板発見
潮の干満を意識した荷揚げ場
ちょうど行きたかった場所が、近くのスーパーの抽選で当たり、行ってきました。
が、
なんと、目的地の鞆の浦は40分ほど、あとはみやげ物屋や、真珠屋など‥
結局ホピーを見たのと合わせて13時間かかってたった1時間強だけ見学。後はバス内と店めぐりだけ
無料ツアーなどは結局行き先の業者が旅費を負担しているような感じでした
もう二度と行かないぞ
収穫は、鞆はもう一度ゆっくり行きたい場所だと判ったことです
延岡で降りて
レンタカーに乗り換え高千穂へ
高千穂神社にお参りし、夜神楽に行きました。
出雲神楽とも石見神楽とも違う調子の神楽でした
演目はやはり天岩戸です
島根はオロチ退治
それぞれの人気演目もご当地流ですね
宿からは素晴らしい高千穂の山並みが‥
お決まりのボートで
その後西都原古墳群へ
この古墳群の中に一つだけ出雲式の方墳があり、原田常治は「古代日本正史」の中でこれが現地妻のもとでなくなった大国主の墓と書いています。残念なことに博物館は休館日のため色々と聞くことができませんでした。(ほんとうにこの方墳なのか)
畑を囲むようにすごい数の古墳があり、もし畑が無ければ何倍もの古墳があったと想像できます。周りの民家の森の中にも明らかにそうだと判る盛り上がりが見えています
やはりここが邪馬台国でしょうか
卑弥呼は素戔嗚の現地妻という彼の論評を思い出しながら回りました
すごい数の円墳です
そして最近調査が終わった前方後円墳
これが問題の方墳です(原田氏のいう方墳かはわかりません)
大国主にしては規模が小さいような気がします
説明には隣の大きな前方後円墳に仕えた人だろうと書いてありました
チョット変わった古墳も
そして翌日は飫肥へ
以前から街並みを観たいと思っていました
飫肥の武家屋敷は敷地が広~い
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。指定が早かったのが幸いし、ほぼ家屋や石垣が修景を終えていました。
中には広いお屋敷(服部家)を利用した食事処がありました。素晴らしい建物と庭園です
でも私が一番魅かれたのは城主と家臣のお墓でした
初代の石塔の周りには追い腹をした家臣の墓が並んでいて、中には27歳家臣も‥
「安部一族」の世界が本当にあったという事を感じました。
帰りには鹿児島まで行き、新幹線に乗ったが、山は完全に初夏でした
いや~疲れました
まずは前夜祭
宇美神社でのワンナイトバー
学生の弾き語りを聞きながら日本酒カクテルが進みます
この神社布都御魂命ですが、最近スサノオの父フツの宮という説があります。「古代日本正史」の著書以来注目が集まっています。
我が家の前にも
あくる26日は本番
我が家は略懐石と茶席
精一杯の茶席を作りましたが、点前席の写真忘れました
結界は葉菖蒲で作り、花が無いのでお菓子は菖蒲の花にしました
玄関の待合は、知り合いの方に花を飾ってもらい、うんと豪華にし
反対に茶席をシンプルにしました
でも‥思ったよりお客様が少なく、用意の手間を思うと少し でした
暑い中着物と袴で正装し、熱中症になりそうでした。
出雲ではお茶会はどこでも盛況ですが、なぜこうなったか実行委員会で総括しないといけません
やはりイベントでは野点席ぐらいかな~と感じました。
いや~~~疲れた
次の茶会は6月、4,5日。出雲大社社務所で行います。1000人位の茶会になりそうです。