松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

妙観寺 ~ 時をふりむく ~

2008年11月24日 21時32分25秒 | Impressions(雑感)
11月中旬に 佐世保と松浦に帰る。

福岡→佐世保→松浦→福岡

佐世保から松浦へ、

昔の通勤の時のように、家から車で、妙観寺越えをする。

しかし、いまは、トンネルが出来、時が早くなった。

私の佐々、佐世保の生活では、山を越えて、松浦の職場に向かうのが、

日常であった。

永ちゃんの音楽を、朝はテンポのいいロック、帰りは、癒しのためか、

バラード その毎日だった。

下の道は、国道で街並みをはしるのであるが、時間がかかるので

自然に、短時間を選択する。

佐々の時代は、山越えはひとつ、吉井から福井峠から松浦へ

佐世保時代は、妙観寺越えで吉井町にでて、福井峠、

松浦へ。

山道を走らせるのは、仕事でも多大にあった、

志佐町から、上志佐、世知原、

また、江迎方面、鹿町方面、すべて、山越えである。

海と山々に面したMATURAの宿命であるかのように、

事を成すために、私たちは、山を越えて走った。

それが普通であり、あたりまえであった。

365日を支えた仕事は、仲間たちと交代で、保守のため、

管内保守のため、車を走らせた。

そして、民家へ、高所作業へ

その足跡は、今も残る。

光が来る前に、私たちは設備を守り、維持してきた

そして、光が来て、その設備に光が走る。

道がないと、車が走れないように、

光も道がないと、しっかりと送れない。

こういったことを、考えつつ、

懐かしい山々の風景をみつめていた

2008年11月の私がいる。

永ちゃんも、走り続けている、

私も走り続けたいものた。

少し、懐古的になったが、

私の「山越え」の話である。