ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「白キツネ祭り」の後で・・・思うこと)

2017-09-11 01:15:29 | babymetal
ようやく「巨大キツネ祭り」の大阪城ホールのチケットを、セヴンイレブンで発券した。「白キツネ祭り」が終わるまで、楽しみは後にとっておこうと思っていたのである。
スタンド席2枚。
娘と行く、3度めのBABYMETALのライヴ。
運よく、3年連続で秋~冬に二人一緒に参戦できているのだが、もちろん大阪では初めて。

ステージの位置がわからないのでまだシートの席位置の実感はないが、2015年にいくつも落ちた後、ぴあ先行でやっと入手した12月の横アリ公演のスタンド席でも、比較的ステージがよく見えたので、THE ONE先行で当選した今回は、それ以上によく見えるはずだ、と勝手に思っている。

ドキドキである。

8月30日の大阪「白キツネ祭り」。
まったりと楽しんだ。

整理番号から、覚悟していた通り、ステージはほとんど見えない場所になった。
とはいえ、小箱なので、距離的にはそんなに遠くなかったのだけれど、
すぐ前に位置していたでかい人たち数人にステージへ向かう視界がほとんどふさがれていたのだ。

それでも、その隙間から時々は、YUIMETALが、MOAMETALが、とくにお立ち台の上に立ったときには、チラッチラッと見えた。
一瞬、一瞬、ことごとく可愛い。
ほんもののYUI・MOAは可愛さも立体的だ(馬鹿な感想・・・)!
さらに、ラストの「Road of Resistance」の冒頭では、二千人以上の白塗りの群衆に指令をおくる、お立ち台の上のSU-METALの尊顔
これを肉眼でしっかり拝見することができた。
鳥肌が立った。
「生」でみるSU-METALの、凛々しさ、雄々しさ、そのイケメンぶりの神々しさ、カリスマよ!!

家でみるディスプレイやモニター上のSU-METALも、とんでもなく神々しいのだが、そうした二次元の神々しさとは違う、三次元・四次元のカリスマに撃たれた。

以前にも記したが、僕の初めてのBABYMETALライヴ参加は、2015年6月の幕張メッセ「巨大天下一メタル武道会」。
2万5千人のオールスタンディング、そのほとんど最後列、という「最低限」から始まった(それでも超絶に楽しかった!!一生の思い出だ)。
なので、その後のどのライヴも、「あれに比べたらよく見えた・よく聞こえた」となるのだ。
初期設定値が高くなかったことが、その後の僕のBABYMETALライフをいつでも楽しいものにしてくれている。

で、「白キツネ祭り」に参戦して、特に感じたこと、2つ。

① 3rdアルバムが、いっそう楽しみだ!

チラッチラッと見える、YUIMETAL、MOAMETALに、(うまく言い表すのが難しいが)余裕・熟成、といったものを感じたのだ。
つくづくと。ぞんぶんに。

たとえば国内で地上波テレビに出演したり、といった露出度・認知度を高める活動ではなく、英米というロックの本場中心に、ビッグ・バンドの前座をつとめるという2017年度の活動の「成果」の一つとして、<パフォーマーとしての3人の成熟>というものがあったのだな、と、東京ドーム以来約1年ぶりのライヴの現場に身を置き、身をもって体感したのだった。

1stアルバムのワチャワチャしたはじけっぷりから、2ndのより本格的な凄み高みへと、大きく進化したBABYMETALの楽曲群。
だが、その進化は、演者である3人の「成長」があってのものだったんだな。
そのことも、改めて、自らの身体で、体感させられたのだった。

KOBAMETALの差配のもとに、楽曲群が創られる。
3人はそれを与えられて、歌い・踊る。

確かにこれがBABYMETALの楽曲群のプロデュース・ラインなのだが、しかし、その「楽曲群が創られてゆく」際に、(その時点での)3人がそれを歌い・踊ることをゴール・イメージにして、楽曲が練られ、調整され、仕上げられているのだ。

だから、例えば、2014年の春に1stアルバムがリリースされた時点での3人には、2ndアルバムの楽曲群は(まだ)そぐわない。
(どちらかと言えばカワイイ系の)「あわだまフィーバー」や「ヤバッ!」でさえ、あるいは「メタ太郎」でさえ、その後のワールドツアー等の「修行」を経た彼女たちの成長があって、BABYMETAL「らしい」楽曲、BABYMETAL「ならでは」の楽曲としてこの世に披露されるようになった。
 
「巨大キツネ祭り」では待望の「新たな調べ」が披露されるだろう(ワクワク!)が、
それは、
いまのYUIMETALやMOAMETALが歌い踊ることがふさわしい「らしい」「ならでは」の楽曲のはずなのだ。

それは、1st・2ndの楽曲を超えた、
熟成、というか、深み、というか、柔らかさ、というか、
そうしたものをおおいに湛えたものになるはずだ。
もちろん、キャッチーなヘヴィ・メタル楽曲でありつつ。

うまく言葉で表現できないが、「白キツネ祭り」でチラッチラッと見える2人には、そうした「柔らかな力強さ」「力強い優しさ」「深さ」が見えたのだ。

SU-METALの進化ぶりは、これまでもよく聴きとれたのだが、YUI・MOAのそうした進化ぶりが、「白キツネ祭り」に参戦することで鮮明に見てとれた、のだった。

ああ、3rdアルバムはこんな感じになるのだな。
そう思ったのである。

もちろん、曲調はさまざまなものだろうし、よりいっそう過激な、ブルータルな、あるいは奇妙キテレツなものかもしれない。しかし、それを今の3人が、とりわけ「深く熟成した」YUI・MOAが演じるとなると、それは、1st・2ndよりも、いっそう聴いて幸せなものになる、そう確信したのである。

ああ、3rdアルバムは、大丈夫だ。

そう理解したのであった。
いわゆる「無敵」を感じたというのとは少し違う、「全幅の信頼による安心感」だ。

それにしても、「演者である3人の成長・成熟に合わせて、楽曲も進化・深化していく」というこのBABYMETALをめぐるプロデュース・ラインは、何とも美しく・すがすがしい。

けっして「3人の美少女を消費する」ことなく、「3人の美少女を(大切に、しかも、厳しく修行・鍛錬させながら)輝かせる」。
これがBABYMETALのプロデュースの方針だ。

ヘヴィ・メタルという荒くれた音楽ジャンルの中にあるこの美しいラインは、僕たちおっさんが胸を熱するのに値する、とあらためて思うのだ。
(アミューズの「大里会長の決意」まで遡って考えてみると、まさに「日本アイドル史」が生み出した珠玉、精華、それがBABYMETALだ。ドキュメンタリー映画「WE ARE Perfume」では、大里会長が涙を流しながらPerfumeの3人に、鼓舞・激励の声(「MSG単独公演を必ず!」と)をかけている姿が映されていたが、BABYMETALもそういう環境にあるのだろう。・・・)

もちろん、そうしたプロデュースを引き出し、その期待に応えて(あるいは期待をはるかに超えて)しまう3人の「実力」が、あってこそのこの動きなのだが。

いや、ほんと、「新たな調べ」がどんなタイプの楽曲であっても、今の3人なら、とんでもなく「深く」歌・踊りで「演」奏できる。
ぜったいに大丈夫! 

 BABYMETAL馬鹿たちに、ジーン・・・

「白キツネ祭り」の当日は、午後3時前まで仕事をし、いそいそと京都から移動。
会場に到着したのは4時15分くらいだったが、すぐに物販に並び、Tシャツとタオルが買えた。
マスクとリストバンドは、(これまでの報告から)100%無理なのは承知のうえだったので、
楽にグッズが買えたのは、望外の喜びだった。

で、会場入りに整列するのにはまだだいぶ時間があるし、まだ白塗りしなくてもいいな(2回目なので余裕!)と、
会場近くの歩道脇の日陰のところに座り、ぼーっと集まったみんなを眺めていた
29日は猛烈に暑かったようだが、30日はこの時間になると風も涼しくなり秋の気配も濃く、
何か不思議に幸せな時間を1時間ほど過ごしたのだった。

すでに白塗りをしていた方も多かったが、2年前の黒ミサⅡ参戦時と違い、あまり皆さんのメイクは気にならなかった。
それよりも、Tシャツを「あ!」「お!」「へ!」なんて思いながら眺めていた。
もちろんおっさん比率は高いのだが、(黒ミサⅡとは違って)若い兄ちゃんたちも、女性陣もたくさんいた。

意外に多かったのが、昨年の白ミサのTシャツ。
横アリの、3人の顔が割とリアルに載っている、「The land of the Rising Sun」Tシャツもちらほら見かけた。
で、「イケメン兄ちゃんが着ると、どのTシャツもかっこよく、微妙なオッサンが着るとどのTシャツも微妙だ」という
道理を改めて確認したのだった。

同じTシャツで、こうも見栄えが違うのね・・・
と。

でも、(微妙なおっさんたち=僕も含めて)みんなそれぞれベビメタTシャツを選んで、
(僕自身は、黒ミサⅡTシャツだった。僕以外に、2人、同じTを見かけた)
ここに馳せ参じているのだ。
こんな大阪のはずれに。
しかも、すでに・これから、白塗りをしてまで。
こんなに大勢が・・・。

なんて、思ってしまい、ふとジーンとしてしまった。
ウルっときた。

東京と違って、京都・大阪・神戸では、まだまだBABYMETALの知名度は低い。
こんな凄い存在なのに、「不当に」知られていない。

でも、平日の夕方に、
みんな楽しそうに・誇らしげに、
奇妙奇天烈なメイクをして、こんなところにわさわさ集まっている。
BABYMETALのライヴを心待ちにしながら、(男性は)一生に数度しかしないだろうメイクをしている。
歓談をしている。

あ、いいなあ!!
と思ってしまったのである。

ライヴは祭り。公演の前も後もすべてひっくるめて、祭り。

それをまったりと楽しんだのであった。

僕自身も、(冷静に考えてみれば)わざわざ貴重な休みを使って「下見」に行き、
「自動販売機が少ない!・・・確認できてよかった!」なんて、祭りの前の興奮を楽しんでいたのだ。

馬鹿である。
それが、こんなに大勢いて、秋の初めの風に吹かれながら、
暮れなずむ港湾地帯の歩道にたたずみながら、何かとても幸せだったのだ。

で、結局、こんな顔になって参戦しました。
馬鹿っ面を、ちょこっとさらしておきます。



ああ、楽しかった!
60分のライヴ、全力疾走で、完全燃焼したぜ!

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