『騎士団長殺し』、ようやく下巻に突入したところだ。
それにしても、どのページもすべて「小説を読む悦び」に満ちている、とは、
さすが村上春樹だ、と言うしかない。
物語がどのように収束する(決着がつく)のか、まだ未体験なのだが、極端に言えばそれはどうでもよいのであって、
(BABYMETALのライヴと同様)読書している間ずっと至福を感じられる、というのが単純に凄い。
流行りもの、社会現象だから、読む、のではない。
そういう見方は、「BABYMETALを聴く・観る」のを、「ああ、あの海外で人気の企画ユニットね」と見るのと同じであろう。
もし、(あまりそんな方はいないと思うけれど)村上春樹を、「流行りものだから」と敬遠されたり、「『ノルウェイの森』を読んだけど途中で止めた」なんて方がいらっしゃったら(ちょうどBABYMETALでの「ギミ・チョコ!!→そっ閉じ」に当たるだろう)、そんなことはないです村上春樹は大人の男が読んでも実に面白いですよ、と強くお薦めしておきたい。
おそらく、万人が読んで感動・興奮・納得するのが、長編4作目の『世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド』(BABYMETALで言えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」的なポジションと言える?)だろうし、<読み始めたら止まらない>度で言えば、『海辺のカフカ』(「メギツネ」か?)もお薦め、そのスケールの大きさとヘンさでは『ねじ巻き鳥クロニクル』(「Tales of the Destinies」~「THE ONE」か?)だが、今回の『騎士団長殺し』には、もう少し落ち着いた深みを感じながら堪能している最中だ。BABYMETALの楽曲に喩えることができるのか、は、読了後の楽しみにしておこう。
明日の休日中には読了するであろうが、上下巻あわせて4000円足らずで、こんな濃密な時間が堪能できるのは、贅沢の極みである。
それにしても、たった一人の小説家が、いわゆるそれまでの旧弊的な「文壇」を無効化し、世界的に読者を獲得している、
という姿。
これは、BABYMETALにも重なるのだが、
ともかく、いつでも圧倒的に面白い読書体験をもたらしてくれる、というこの「高品質」が(僕にとっての)村上春樹の凄さだ。
ほとんど全ての彼の小説・エッセイを読んでいるが、
「読者に身体的・感覚的な刺激・充実感を与えること」を第一義に考えていること。
そのための献身的な努力の積み重ね・技術の彫琢。
対談等のメディアへの露出を避け、「作品」で勝負し続けていること。
批評家たちが、常に頓珍漢な批評(とりわけ初期の的外れな批判)を続けてきたこと。
等々、
改めて考えてみると、BABYMETALに通じるところもずいぶん多い。
なかでも、現段階でいちばん感じる共通性が、
敬意
だ。
村上春樹の場合は、「物語」への敬意、すぐれた音楽作品・演奏等への敬意、だ。
暴力・セックス(しばしば、暴力的なセックス)に溢れた彼の小説世界が、
しかし下劣な印象を与えず、むしろ気品に満ちている、とさえ言ってよい(そう感じない方ももちろんいるだろうが)のは、
自らが綴っている「物語」の力への信頼と、
文中にオマージュとして引用される数々の優れた音楽作品・演奏等への敬意、
そのためだろう。
BABYMETALの、パフォーマンスに、その存在のありように、感じられる気品。
その発露は、いちばんに、メタルに対する敬意
からきているのではないだろうか。
誰かが何かに敬意を払い、その何かに懸命に尽くしている姿、
それはどんなジャンルにおいても、ある種の「神々しさ」を感じさせる行為であるはずだ。
BABYMETALという名前、『BABYMETAL』『METAL RESISTANCE』というアルバム名、スタッフおよびファンのMETALネーム・・・
BABYMETALのメタル・オマージュは数々あるが、それは(『Burrn!』誌はなぜかそんな風に扱っているようで、率直に言って吐き気がするのだが)商売上の設定・メタルヘッズたちを取り込むための仕掛け、などでは全くない。
SU-METAL(中元すず香)、YUIMETAL(水野由結)、MOAMETAL(菊地最愛)の3人は、
人生を(少なくともその貴重な青春時代を)本気でメタルに捧げている
のだ。
「BABYMETALを始めたときには、彼女たちはメタルのことなんて全く知らなかった」
「大人にやらされたメタル」
それはその通りだろう。
しかし、そのことと、彼女たちがメタルに対して敬意を払い、真摯に献身的に(人生を・青春を賭けて)取り組んでいることとは、
何の矛盾もない。
よく知らないからこそ敬意を払って真摯に取り組む。
そんなことは、分野を問わずよくあることだろう。
具体的には、例えば、YUIMETALだ。
水野由結は、幼いころからダンスが好きで、才能にも恵まれ、そうした自負も持っていたはずだ。
しかし、まさか自分が、ヘヴィ・メタルのパフォーマー、
しかも、メタル・ダンスなどという前代未聞・空前(絶後?)の「演」奏を観客に見せる、
そんな活動をする人間になる、なんて思ってもみなかったはずである
(というか、そんなものはなかったし、ありえないものだから、誰も想像すらできなかったはずだ)。
村上春樹も、30歳を前にしたある日ヤクルト・スワローズの試合を観ながら天啓のように「あ、小説書こう」と思い、ジャズ喫茶をやりながら(結果的にデビュー作になった)『風の歌を聴け』を少しずつ書きため、「群像」新人賞に投稿して、それが予選を通過するまで(予選を通過した後には自分の受賞を確信したらしいが、下読みの方や選考委員の「慧眼」には感嘆する。ここで落選していたら、「世界のムラカミ」はいなかったし巡り合わせが悪ければそうなる可能性も大きかったはずだ)、まさか自分が小説家になるなんて思いもしなかったそうだし、デビュー後も自分は「いわゆる小説家」ではない、という立ち位置・自覚のうえで、現在まで活動を続けながら、「世界レベルのオンリー・ワン」として、(タレントとか、雑文とかではなく)「小説」で勝負し続けている。
YUIMETALの性格とかは、もちろん正確に知る由もないのだが、3人兄妹の真ん中であり、O型である(まったく科学的な根拠はないが)ことから、彼女はそのへんの細かなこと(「メタル・ダンスのパフォマー?って・・・(とか)」はあまり考えていない、のではないか、と推測する。
憧れの中元すず香と一緒のステージでの活動がこれからも続けられる、という動機で、BABYMETALの活動継続にも二もなく首を縦に振ったのだろう。
しかし、それは、自分がメタル・ダンスの「演」者としてプロフェッショナルである覚悟を決めた、ということでもある。
(そんな覚悟を決めた人間は、人類史上、たった2人しかいない。)
そうしたYUIMETAL(水野由結)の、メタルに対する敬意、覚悟、生まれもったダンスの才能、鍛練による錬磨、
その集大成(現段階での最新形態)を、
年末・年始にWOWOWで放映された『RED NIGHIT』『BLACK NIGHT』で、再確認したのだった。
そこにあるのは、「Kawaii」の「極み」が「凄み」となって、
メタル・ダンスのエッジを極めて鋭利なものにしている、
そんな、これまでに目にしたことのない美しさだった。
言い換えれば、とてつもなく「Kawaii」からこそ真にメタルでありうる、
そんな(BABYMETALにしか駆使できない)「方程式」の具現化であった。
(つづく)
それにしても、どのページもすべて「小説を読む悦び」に満ちている、とは、
さすが村上春樹だ、と言うしかない。
物語がどのように収束する(決着がつく)のか、まだ未体験なのだが、極端に言えばそれはどうでもよいのであって、
(BABYMETALのライヴと同様)読書している間ずっと至福を感じられる、というのが単純に凄い。
流行りもの、社会現象だから、読む、のではない。
そういう見方は、「BABYMETALを聴く・観る」のを、「ああ、あの海外で人気の企画ユニットね」と見るのと同じであろう。
もし、(あまりそんな方はいないと思うけれど)村上春樹を、「流行りものだから」と敬遠されたり、「『ノルウェイの森』を読んだけど途中で止めた」なんて方がいらっしゃったら(ちょうどBABYMETALでの「ギミ・チョコ!!→そっ閉じ」に当たるだろう)、そんなことはないです村上春樹は大人の男が読んでも実に面白いですよ、と強くお薦めしておきたい。
おそらく、万人が読んで感動・興奮・納得するのが、長編4作目の『世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド』(BABYMETALで言えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」的なポジションと言える?)だろうし、<読み始めたら止まらない>度で言えば、『海辺のカフカ』(「メギツネ」か?)もお薦め、そのスケールの大きさとヘンさでは『ねじ巻き鳥クロニクル』(「Tales of the Destinies」~「THE ONE」か?)だが、今回の『騎士団長殺し』には、もう少し落ち着いた深みを感じながら堪能している最中だ。BABYMETALの楽曲に喩えることができるのか、は、読了後の楽しみにしておこう。
明日の休日中には読了するであろうが、上下巻あわせて4000円足らずで、こんな濃密な時間が堪能できるのは、贅沢の極みである。
それにしても、たった一人の小説家が、いわゆるそれまでの旧弊的な「文壇」を無効化し、世界的に読者を獲得している、
という姿。
これは、BABYMETALにも重なるのだが、
ともかく、いつでも圧倒的に面白い読書体験をもたらしてくれる、というこの「高品質」が(僕にとっての)村上春樹の凄さだ。
ほとんど全ての彼の小説・エッセイを読んでいるが、
「読者に身体的・感覚的な刺激・充実感を与えること」を第一義に考えていること。
そのための献身的な努力の積み重ね・技術の彫琢。
対談等のメディアへの露出を避け、「作品」で勝負し続けていること。
批評家たちが、常に頓珍漢な批評(とりわけ初期の的外れな批判)を続けてきたこと。
等々、
改めて考えてみると、BABYMETALに通じるところもずいぶん多い。
なかでも、現段階でいちばん感じる共通性が、
敬意
だ。
村上春樹の場合は、「物語」への敬意、すぐれた音楽作品・演奏等への敬意、だ。
暴力・セックス(しばしば、暴力的なセックス)に溢れた彼の小説世界が、
しかし下劣な印象を与えず、むしろ気品に満ちている、とさえ言ってよい(そう感じない方ももちろんいるだろうが)のは、
自らが綴っている「物語」の力への信頼と、
文中にオマージュとして引用される数々の優れた音楽作品・演奏等への敬意、
そのためだろう。
BABYMETALの、パフォーマンスに、その存在のありように、感じられる気品。
その発露は、いちばんに、メタルに対する敬意
からきているのではないだろうか。
誰かが何かに敬意を払い、その何かに懸命に尽くしている姿、
それはどんなジャンルにおいても、ある種の「神々しさ」を感じさせる行為であるはずだ。
BABYMETALという名前、『BABYMETAL』『METAL RESISTANCE』というアルバム名、スタッフおよびファンのMETALネーム・・・
BABYMETALのメタル・オマージュは数々あるが、それは(『Burrn!』誌はなぜかそんな風に扱っているようで、率直に言って吐き気がするのだが)商売上の設定・メタルヘッズたちを取り込むための仕掛け、などでは全くない。
SU-METAL(中元すず香)、YUIMETAL(水野由結)、MOAMETAL(菊地最愛)の3人は、
人生を(少なくともその貴重な青春時代を)本気でメタルに捧げている
のだ。
「BABYMETALを始めたときには、彼女たちはメタルのことなんて全く知らなかった」
「大人にやらされたメタル」
それはその通りだろう。
しかし、そのことと、彼女たちがメタルに対して敬意を払い、真摯に献身的に(人生を・青春を賭けて)取り組んでいることとは、
何の矛盾もない。
よく知らないからこそ敬意を払って真摯に取り組む。
そんなことは、分野を問わずよくあることだろう。
具体的には、例えば、YUIMETALだ。
水野由結は、幼いころからダンスが好きで、才能にも恵まれ、そうした自負も持っていたはずだ。
しかし、まさか自分が、ヘヴィ・メタルのパフォーマー、
しかも、メタル・ダンスなどという前代未聞・空前(絶後?)の「演」奏を観客に見せる、
そんな活動をする人間になる、なんて思ってもみなかったはずである
(というか、そんなものはなかったし、ありえないものだから、誰も想像すらできなかったはずだ)。
村上春樹も、30歳を前にしたある日ヤクルト・スワローズの試合を観ながら天啓のように「あ、小説書こう」と思い、ジャズ喫茶をやりながら(結果的にデビュー作になった)『風の歌を聴け』を少しずつ書きため、「群像」新人賞に投稿して、それが予選を通過するまで(予選を通過した後には自分の受賞を確信したらしいが、下読みの方や選考委員の「慧眼」には感嘆する。ここで落選していたら、「世界のムラカミ」はいなかったし巡り合わせが悪ければそうなる可能性も大きかったはずだ)、まさか自分が小説家になるなんて思いもしなかったそうだし、デビュー後も自分は「いわゆる小説家」ではない、という立ち位置・自覚のうえで、現在まで活動を続けながら、「世界レベルのオンリー・ワン」として、(タレントとか、雑文とかではなく)「小説」で勝負し続けている。
YUIMETALの性格とかは、もちろん正確に知る由もないのだが、3人兄妹の真ん中であり、O型である(まったく科学的な根拠はないが)ことから、彼女はそのへんの細かなこと(「メタル・ダンスのパフォマー?って・・・(とか)」はあまり考えていない、のではないか、と推測する。
憧れの中元すず香と一緒のステージでの活動がこれからも続けられる、という動機で、BABYMETALの活動継続にも二もなく首を縦に振ったのだろう。
しかし、それは、自分がメタル・ダンスの「演」者としてプロフェッショナルである覚悟を決めた、ということでもある。
(そんな覚悟を決めた人間は、人類史上、たった2人しかいない。)
そうしたYUIMETAL(水野由結)の、メタルに対する敬意、覚悟、生まれもったダンスの才能、鍛練による錬磨、
その集大成(現段階での最新形態)を、
年末・年始にWOWOWで放映された『RED NIGHIT』『BLACK NIGHT』で、再確認したのだった。
そこにあるのは、「Kawaii」の「極み」が「凄み」となって、
メタル・ダンスのエッジを極めて鋭利なものにしている、
そんな、これまでに目にしたことのない美しさだった。
言い換えれば、とてつもなく「Kawaii」からこそ真にメタルでありうる、
そんな(BABYMETALにしか駆使できない)「方程式」の具現化であった。
(つづく)
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