『巨大天下一メタル武道会』の放送を繰り返し見るごとに、どんどん鮮明になってくるBABYMETALの壮絶な進化ぶり。
その、核のひとつが、MOAMETALの凄さ、だ。
何が、凄いのか?
何といっても、その「微笑」「笑顔」だ。
BABYMETALのライヴを、他のどのミュージシャン・バンドのライヴとも異なる唯一無二・至上のものにしているものが、MOAMETALの「笑顔」なのだ、ということを、『巨大天下一メタル武道会』の映像を繰り返し観ながら、僕は痛感している。
微笑の天使、MOAMETAL。
もちろん、そうだ。彼女は初めから”微笑の天使”(という設定)だった。
でも、それが、BABYMETALのライヴ・パフォーマンスをこんなにも超絶的な次元に高めている核心なのだ、ということを、今回の放送(参加したライヴの現場では、きちんと「観る」ことなど全くできなかったので)を通じて、やや大げさに言えば”臓腑まるごと震撼させながら”気づき・納得していのだ。
それにしても、BABYMETALの蔵する(ヘヴィ・メタルとしては「異形」というしかない)数々の属性のうちでも、「いわゆるヘヴィ・メタル」からいちばん遠いものが、これだろう。
微笑の天使、って?
ヘヴィ・メタルの演奏・「演」奏において、いったいそんなものがどんな役割を果たすのか?想像もできない。
SU-METALの歌声は、既存のヘヴィ・メタル界にはなかった独特の(とりわけ、その声質はまるで天上のものであるかのような唯一無二・至極の)ものだが、ナイト・ウィッシュ等をはじめ、いわゆるゴシック・メタルのバンドの中には、SU-METALの歌声に似ていると言えば言えなくもないクラシックのソプラノ風女性ヴォーカルを配したメタルバンドも、それなりの数、いることはいる。
もちろん、SU-METALの”あの”声(とりわけ、スタジオ盤の「紅月」の「過ぎてゆく、時のなか、瞳を閉じたま~ま~」のところ、などは、一年以上中毒症状のように聴き続けている今でも、いまだに必ず涙が滲む、とんでもない魔力を秘めたものだ)は類を見ないものなのだが、BABYMETALにおけるSU-METALという女性ヴォーカルの存在は、決して、その存在が想像もできない、というものではない。(もちろん、こんなことは、すでにBABYMETALが出現してしまった後での、後づけの納得であるのだが)。
舞踊の天使、YUIMETAL。
これも、ヘヴィメタル界においては、未曾有の存在なのだが、”メタル・ダンス・ユニット”というコンセプトのユニットに、超絶テクニックをふんだんに繰り出す可愛いルックスの抜群の踊り手がメンバーのひとりとして存在しているということは、想定できること、というかむしろ、必然の理、とも言えることだ。つまり、その存在の納得性は高いのだ、「居場所」がしっかりとあるのだ。(これも、もちろん、BABYMETALのYUIMETALを知ってからの、後づけの納得ではある。ただ、「微笑の天使、MOAMETAL」と比べてその存在が極めて理にかなってはいる、ということだ)
微笑の天使って、いったい何なのだろうか?
BABYMETALがアイドル畑に源泉をもつことの、消しがたい残滓なのか?
重爆音を奏でるBABYMETALの半身(本体?)にふりかけられた、刺激的な甘いスパイスなのか?
いずれにせよ、これはBABYMETALの本質ではなく、付加価値、トッピングとして位置づけるべきものように(出会いはじめのうちは)思われる。
(それとも、映像の視聴を重ね、ライヴを体験してもなお、そのように感じているファンもいるのだろうか?例えば、神バンドとSU-METALこそが本体で、YUI・MOAは、いわば本体に味を添える、スパイス、トッピング、アクセサリー、フリルなのだ、と)
しかし、確かに、現時点から振り返ると、初期の映像作品におけるMOAMETALの「笑顔」とは、ある種のスパイスとでもいうべき役割を果たしていた(に過ぎない)という気もする。もちろん、そのスパイスは、BABYMETALの魅力をたいへん引き立てる、極めて効果的なものなのだが、しかし、現在のMOAMETALの微笑が、BABYMETALを「唯一無二・至上のものにしている」、BABYMETALの核だ、ということと比べると、存在の意味・必然性は弱かった、といいたくなる。(繰り返すが、あくまでも現時点から振り返れば、である。去年の今頃は、そんなことは全く感じもしなかった。ただただ魅了されていた。)
例えば、まず僕の脳裡に浮かぶのが、『LEGEND Z』のオープニングの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」でのMOAMETALの表情である。
消されてしまったが、「BABYMETALにハマっていく視聴者たち」という動画(以前にもここで語ったこともあるが)を繰り返し観て、そのたびに印象的に感じるMOAMETALの表情だったのだ。
いつ観ても悶絶してしまう「ナウシカ・レクイエム」の崇高な演奏に続いて、十字架から解き放たれたSU-METALが、ダメポーズを決め、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロのリフの疾走がはじまる。激走チューンの中、YUI・MOAの命懸けの駄々っ子ヘドバンなど、観ているこちらの胸が熱くなる・身体が燃えたぎる「演」奏がつぎつぎに繰り広げられる。
そんななか、「傷つけたのは~自分自身だけじゃなく」のところで、腕をX字に組みあげて、手のひらを開いたり閉じたりする振りのMOAMETALの、カメラ目線の顔が映されるのだが、それが、喩えるならば、「おびえた小動物」のような表情なのだ。
僕には、それが、MOAMETAL(いや、MOAMETALになりきれない菊地最愛、とでもいうべきか)の怯え・所在なさの表情であるかに思われてならないのだ。
最近ではさすがに聞かなくなったが、「やらされている」感がする、という声。それも、例えばこんなMOAMETALの表情を目にすると、そう感じる人がいる、ということもうなずけなくもない。
いや、この表情はMOAMETALの「演」技であって、歌詞の内容に合わせて、イジメられている子の苦しみ・悲しさの表情を表現しているのだ、ともいえるだろう。たぶん、そうなのだろう。
しかし、そうした「演」技に、MOAMETAL(菊地最愛)じしんの怯えが透けて見えるように、僕には感じられてならないのだ。
それは、ここ以外の他のパートで見せる「微笑」が今のような絶対的な強さを持っていないことの、反作用の印象なのかもしれない。
例えば、直後の、「もって~!まけないで!」や「いえすたでい~」の合いの手では、くるっと可愛い笑顔に変わるのだが、それは、最近の、例えば『巨大天下一メタル武道会』で出会うことができる、絶対的な肯定性に満ちた強い笑顔ではない。
薄い、というか、淡い、というか、なぞっている、というか、そうした笑顔でしかない。
(とはいえ、今回の探究を書くために、久しぶりに『LEGEND IDZ』を観はじめたのだが、((用事はZの「イジメ」検証のみにあったのだが))、ふと見始めた『I』の冒頭から、もう、止められない。一瞬たりとも、目が離せない。
どの場面も、どの瞬間も素晴らしい!
『LEGEND I』の「BABYMETAL DEATH」での、会場との一体感の「熱さ」からぐいぐい引き込まれる。骨バンドだし、YUI・MOAは口パクだし、容姿はあまりにも幼女然としているし、といったことを含めても、3姫の観客を魅了するプロフェッショナルぶりをまざまざと・たっぷりと堪能できる。
いやあ、凄まじい。
この時代でもすでに、とんでもない魅力を発散する”唯一無二の原石”だったのだ、と改めて痛感した。やっぱり、この3人は凄い…。
・・・それでも、今と比べると、MOAMETALの微笑は、ただ微笑を浮かべながら踊っている、というレベルに留まり、『巨大天下一メタル武道会』に見えるような「凄み」を感じることは、さすがにない。
それだけ、この2年半の成長・進化がどれだけ凄まじいのか、ということを痛感した、という話である。)
それから約2年半後の幕張メッセに降臨した、微笑の天使、MOAMETAL。
その「微笑の天使」が、単なる「設定」を超えて、その本性を剥き出しに顕現させ、BABYMETALのライヴでの「演」奏として凄まじい意味をもって輝きながら、弾け、観客に襲いかかり、観客を笑顔に(時に泣き顔に)している。
それを、『巨大天下一メタル武道会』の映像でまざまざと体感できる。
『巨大天下一メタル武道会』の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」は、全編、力強さにあふれている。自信、というか、確信、というか。「傷だらけになるのさ~」では、”飛びだす絵本”のようなはじける笑顔を見せてくれるが、むしろ、絶えず力強く励ましてくれる、そんな表情を見せ続けてくれている。
しかし、この『巨大天下一メタル武道会』(の映像)で、とりわけ、僕がMOAMETALの凄さを感じたのは、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」ではなく、「Road of Resistance」だった。
初見で、まさに、ノック・アウトされた、のだ。
イントロで、3姫が旗を肩に背負って登場し、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの順に表情が映る。SU-METALも凛々しく、YUIMETALも闘志に満ちたきりっとした表情を見せるのだが、その次に映されるMOAMETALの笑顔よ!
いや~、この表情は、やばい。
微笑は微笑なのだが、それこそ初期の映像作品にはまったく見ることのできない、何とも形容しがたい、充実した、満足感・うれしさ・優しさを湛えた「笑顔」なのだ。
神々しい、ともいえる崇高さ・清らかさをもった、いわば、「愛」に満ちた「笑顔」だ。
今まで見たあらゆるBABYMETALの映像のなかでも、最も美しいもののひとつ。
そう断言したい。
これこそ、ほんものの笑顔だ。
いや、ほんと、この瞬間の絵姿は、至高の名画、である。
で、視線を下に落とし、きりっとした表情に変わるのだが、またふっと柔らかな笑顔が湧きあがる、という機微を確認することができる。
その後も、この曲の「演」奏じゅう、絶えず、といっていいほど笑顔が見える。(YUIMETALの、闘うんだ!という表情と、対照的である。)
曲が進み、SU-METALの「君が信じる~なら」の歌声にかぶさるMOAMETALの笑顔は、感激に焦がれた、とも見える、胸いっぱいの感情をつつみこんだ笑顔だ。
そして、「WOWOWOWOW~」のパートで、ステージからYUI・MOAが降り、リフトで高みに昇っていくときに、腕を振りあげながら、感極まった表情で目を潤ませながら両の笑窪をくっきりと笑むMOAMETALが映る。(ケロケロッと嬉しそうに笑むYUIMETALとは対照的である。)ここでのMOAMETALは、感無量という表情だ。
観客のシンガロングのパートが終わり、リフトがだんだんさがるなかで、MOAMETALが観客を見下ろしながらみせる微笑は、慈愛に(あるいは感謝に)満ちた、聖母のようなそれだ。
そして、そして、その後の、ステージに戻り、腕をくるくるっとしながら見せる笑顔は、何とも愛くるしい、躍動感に満ちた、キュート100%の笑顔だ。
その後も、曲の終わりまで、ず~っと魅力的な笑顔を見せ続け、
3人でステージを降り、下手から「We are ?」「BABYMETAL!」を煽り、「上手~!」と叫んだMOAMETALが腕をぐるぐる回しながらぴょんぴょんと跳ねながら進み、それを真似するSU-METALの全開の笑顔、ひとりマイペースでニコニコを振りまくYUIMETAL。
ここは、まさにOFFモードのBABYMETALらしさが全開で、観ていて思わずこちらもしあわせな笑顔を浮かべてしまう。
(その後の、SU-METALの「もっと声出るよね?」というまさかの「恫喝」にもドキッとしながら半笑いを浮かべてしまう。・・・げげげ、なんて楽しいんだ!)
ここでのMOAMETALの笑顔は、もはやスパイスとかトッピングとかいうレベルなどでは全くない。
で、ふと、頭をよぎったのが、故・成田亨のこんな言葉だ。ウルトラマンの顔をデザインしたときの逸話である。
「ウルトラマン」の顔についてですが、唇はアルカイック・スマイルでいこうと思いました。古式微笑、古代微笑ですね。
アルカイック・スマイルっていうのは、ギリシャの、いわゆるアルカイック時代のスマイルです。ギリシャの彫刻の中の一番古いころの、ただ立っている女たちの像が、みんな、かすかに微笑んでるんです。その微笑みからきています。
アルカイック・スマイルでいこうというのは、デザインの、一番最初の絵の段階から決めていました。
というのは、宮本武蔵が一乗寺下り松で、相手が三十六人もいるところへ一人で斬り込んでいったとき、おそらく武蔵はね、力んだ顔をしてないと思うんですよ。かすかに笑っていたと思うんです。
本当に強い人間はね、戦うときにかすかに笑うと思うんですよ。
その微笑の表現が、立体化の際にいろいろちょっと難しかったけれども、これでいこう、と思いました。
『特撮と怪獣 わが造形美術』成田亨
この、「本当に強い人間は、戦うときにかすかに笑う」とは、まさに今のMOAMETALのことではないか!
天才彫刻家であり、日本の文化史にとんでもない貢献をしていながら、世間的評価・知名度があまりにも低い(小学校で、息子さんが「うちのお父さんがウルトラマンをデザインしたんだ!」と友達に自慢していたら、担任の先生が成田亨宅をわざわざ訪問したという。「お宅のお子さん、こんなとんでもない嘘を友達につくんですよ」と。)、いわば不遇のデザイナー成田亨と、僕は、BABYMETALの国内での(現時点での)評価・知名度の低さ、を重ねているのかもしれない。
それにしても、MOAMETALとウルトラマンとの共通性って、意外なようで実はとても腑に落ちる気もするのだ。
彼女自身(菊地最愛)の言い方で言えば、「スーパーもあちゃん」なのだろうが、僕のようなおっさんには、ウルトラマンのアルカイック・スマイル、というのが何ともしっくりくる。そう、本当にMOAMETALは強い、強くなった、のだ。だからこそ、あんな微笑を僕たちに見せることができるのだ、と。
…と、賛辞はいくら連ねても足りないが、もう少し分析的な「探究」に入りたい。詳しくは次回につづく、として、切口だけをあげておこう(以下、予告です)。
MOAMETALの「笑顔」を、分析すれば、次の4種に区分できるだろうか。
最近のMOAMETALは、この4種の笑顔を、意識的にせよ無意識にせよ、ステージの「演」奏に織り交ぜている。
こうした「微笑」の意味の分厚さ、これは、初期のBABYMETALにはみることができない、格段の進歩、壮絶なる進化、の重要な一側面だ。
a 楽しい微笑
カワイイ ベース→「リン、リン、リン」 …アイドルな笑顔
b 不敵な微笑
挑発 ギミチョコ、ソニスフィアでのニヤリ …メタルな笑顔
(b’ 余裕の微笑 含むヘン顔 )
c 優しい笑顔
観客への思いがあふれる …最愛な笑顔
d 感激の微笑
演者MOAMETALじしんの感激があふれる。
→ O2 「You Make Me So Happy!」 …最愛の笑顔
次回、このへんを詳しく考えてみたい。
以下、余談・私事です。
横アリ参戦は、4度目のチャレンジ中です。
確率的には、どんどん可能性が小さくなっているのは間違いないので、やはり、もはやLV頼みだというのが本音。
一度はLVを体験してみるのもいいなあ、なんて気持ちになってもいます。
…というのは、ウソです。ライヴの現場に絶対行きたい!のです。もちろん。
でも、それはどうにも叶いそうにないので、自分に言い聞かせているのです。
LVをでも、娘と一緒に観にいけるのなら、まあ救われますから・・・。
その、核のひとつが、MOAMETALの凄さ、だ。
何が、凄いのか?
何といっても、その「微笑」「笑顔」だ。
BABYMETALのライヴを、他のどのミュージシャン・バンドのライヴとも異なる唯一無二・至上のものにしているものが、MOAMETALの「笑顔」なのだ、ということを、『巨大天下一メタル武道会』の映像を繰り返し観ながら、僕は痛感している。
微笑の天使、MOAMETAL。
もちろん、そうだ。彼女は初めから”微笑の天使”(という設定)だった。
でも、それが、BABYMETALのライヴ・パフォーマンスをこんなにも超絶的な次元に高めている核心なのだ、ということを、今回の放送(参加したライヴの現場では、きちんと「観る」ことなど全くできなかったので)を通じて、やや大げさに言えば”臓腑まるごと震撼させながら”気づき・納得していのだ。
それにしても、BABYMETALの蔵する(ヘヴィ・メタルとしては「異形」というしかない)数々の属性のうちでも、「いわゆるヘヴィ・メタル」からいちばん遠いものが、これだろう。
微笑の天使、って?
ヘヴィ・メタルの演奏・「演」奏において、いったいそんなものがどんな役割を果たすのか?想像もできない。
SU-METALの歌声は、既存のヘヴィ・メタル界にはなかった独特の(とりわけ、その声質はまるで天上のものであるかのような唯一無二・至極の)ものだが、ナイト・ウィッシュ等をはじめ、いわゆるゴシック・メタルのバンドの中には、SU-METALの歌声に似ていると言えば言えなくもないクラシックのソプラノ風女性ヴォーカルを配したメタルバンドも、それなりの数、いることはいる。
もちろん、SU-METALの”あの”声(とりわけ、スタジオ盤の「紅月」の「過ぎてゆく、時のなか、瞳を閉じたま~ま~」のところ、などは、一年以上中毒症状のように聴き続けている今でも、いまだに必ず涙が滲む、とんでもない魔力を秘めたものだ)は類を見ないものなのだが、BABYMETALにおけるSU-METALという女性ヴォーカルの存在は、決して、その存在が想像もできない、というものではない。(もちろん、こんなことは、すでにBABYMETALが出現してしまった後での、後づけの納得であるのだが)。
舞踊の天使、YUIMETAL。
これも、ヘヴィメタル界においては、未曾有の存在なのだが、”メタル・ダンス・ユニット”というコンセプトのユニットに、超絶テクニックをふんだんに繰り出す可愛いルックスの抜群の踊り手がメンバーのひとりとして存在しているということは、想定できること、というかむしろ、必然の理、とも言えることだ。つまり、その存在の納得性は高いのだ、「居場所」がしっかりとあるのだ。(これも、もちろん、BABYMETALのYUIMETALを知ってからの、後づけの納得ではある。ただ、「微笑の天使、MOAMETAL」と比べてその存在が極めて理にかなってはいる、ということだ)
微笑の天使って、いったい何なのだろうか?
BABYMETALがアイドル畑に源泉をもつことの、消しがたい残滓なのか?
重爆音を奏でるBABYMETALの半身(本体?)にふりかけられた、刺激的な甘いスパイスなのか?
いずれにせよ、これはBABYMETALの本質ではなく、付加価値、トッピングとして位置づけるべきものように(出会いはじめのうちは)思われる。
(それとも、映像の視聴を重ね、ライヴを体験してもなお、そのように感じているファンもいるのだろうか?例えば、神バンドとSU-METALこそが本体で、YUI・MOAは、いわば本体に味を添える、スパイス、トッピング、アクセサリー、フリルなのだ、と)
しかし、確かに、現時点から振り返ると、初期の映像作品におけるMOAMETALの「笑顔」とは、ある種のスパイスとでもいうべき役割を果たしていた(に過ぎない)という気もする。もちろん、そのスパイスは、BABYMETALの魅力をたいへん引き立てる、極めて効果的なものなのだが、しかし、現在のMOAMETALの微笑が、BABYMETALを「唯一無二・至上のものにしている」、BABYMETALの核だ、ということと比べると、存在の意味・必然性は弱かった、といいたくなる。(繰り返すが、あくまでも現時点から振り返れば、である。去年の今頃は、そんなことは全く感じもしなかった。ただただ魅了されていた。)
例えば、まず僕の脳裡に浮かぶのが、『LEGEND Z』のオープニングの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」でのMOAMETALの表情である。
消されてしまったが、「BABYMETALにハマっていく視聴者たち」という動画(以前にもここで語ったこともあるが)を繰り返し観て、そのたびに印象的に感じるMOAMETALの表情だったのだ。
いつ観ても悶絶してしまう「ナウシカ・レクイエム」の崇高な演奏に続いて、十字架から解き放たれたSU-METALが、ダメポーズを決め、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロのリフの疾走がはじまる。激走チューンの中、YUI・MOAの命懸けの駄々っ子ヘドバンなど、観ているこちらの胸が熱くなる・身体が燃えたぎる「演」奏がつぎつぎに繰り広げられる。
そんななか、「傷つけたのは~自分自身だけじゃなく」のところで、腕をX字に組みあげて、手のひらを開いたり閉じたりする振りのMOAMETALの、カメラ目線の顔が映されるのだが、それが、喩えるならば、「おびえた小動物」のような表情なのだ。
僕には、それが、MOAMETAL(いや、MOAMETALになりきれない菊地最愛、とでもいうべきか)の怯え・所在なさの表情であるかに思われてならないのだ。
最近ではさすがに聞かなくなったが、「やらされている」感がする、という声。それも、例えばこんなMOAMETALの表情を目にすると、そう感じる人がいる、ということもうなずけなくもない。
いや、この表情はMOAMETALの「演」技であって、歌詞の内容に合わせて、イジメられている子の苦しみ・悲しさの表情を表現しているのだ、ともいえるだろう。たぶん、そうなのだろう。
しかし、そうした「演」技に、MOAMETAL(菊地最愛)じしんの怯えが透けて見えるように、僕には感じられてならないのだ。
それは、ここ以外の他のパートで見せる「微笑」が今のような絶対的な強さを持っていないことの、反作用の印象なのかもしれない。
例えば、直後の、「もって~!まけないで!」や「いえすたでい~」の合いの手では、くるっと可愛い笑顔に変わるのだが、それは、最近の、例えば『巨大天下一メタル武道会』で出会うことができる、絶対的な肯定性に満ちた強い笑顔ではない。
薄い、というか、淡い、というか、なぞっている、というか、そうした笑顔でしかない。
(とはいえ、今回の探究を書くために、久しぶりに『LEGEND IDZ』を観はじめたのだが、((用事はZの「イジメ」検証のみにあったのだが))、ふと見始めた『I』の冒頭から、もう、止められない。一瞬たりとも、目が離せない。
どの場面も、どの瞬間も素晴らしい!
『LEGEND I』の「BABYMETAL DEATH」での、会場との一体感の「熱さ」からぐいぐい引き込まれる。骨バンドだし、YUI・MOAは口パクだし、容姿はあまりにも幼女然としているし、といったことを含めても、3姫の観客を魅了するプロフェッショナルぶりをまざまざと・たっぷりと堪能できる。
いやあ、凄まじい。
この時代でもすでに、とんでもない魅力を発散する”唯一無二の原石”だったのだ、と改めて痛感した。やっぱり、この3人は凄い…。
・・・それでも、今と比べると、MOAMETALの微笑は、ただ微笑を浮かべながら踊っている、というレベルに留まり、『巨大天下一メタル武道会』に見えるような「凄み」を感じることは、さすがにない。
それだけ、この2年半の成長・進化がどれだけ凄まじいのか、ということを痛感した、という話である。)
それから約2年半後の幕張メッセに降臨した、微笑の天使、MOAMETAL。
その「微笑の天使」が、単なる「設定」を超えて、その本性を剥き出しに顕現させ、BABYMETALのライヴでの「演」奏として凄まじい意味をもって輝きながら、弾け、観客に襲いかかり、観客を笑顔に(時に泣き顔に)している。
それを、『巨大天下一メタル武道会』の映像でまざまざと体感できる。
『巨大天下一メタル武道会』の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」は、全編、力強さにあふれている。自信、というか、確信、というか。「傷だらけになるのさ~」では、”飛びだす絵本”のようなはじける笑顔を見せてくれるが、むしろ、絶えず力強く励ましてくれる、そんな表情を見せ続けてくれている。
しかし、この『巨大天下一メタル武道会』(の映像)で、とりわけ、僕がMOAMETALの凄さを感じたのは、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」ではなく、「Road of Resistance」だった。
初見で、まさに、ノック・アウトされた、のだ。
イントロで、3姫が旗を肩に背負って登場し、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの順に表情が映る。SU-METALも凛々しく、YUIMETALも闘志に満ちたきりっとした表情を見せるのだが、その次に映されるMOAMETALの笑顔よ!
いや~、この表情は、やばい。
微笑は微笑なのだが、それこそ初期の映像作品にはまったく見ることのできない、何とも形容しがたい、充実した、満足感・うれしさ・優しさを湛えた「笑顔」なのだ。
神々しい、ともいえる崇高さ・清らかさをもった、いわば、「愛」に満ちた「笑顔」だ。
今まで見たあらゆるBABYMETALの映像のなかでも、最も美しいもののひとつ。
そう断言したい。
これこそ、ほんものの笑顔だ。
いや、ほんと、この瞬間の絵姿は、至高の名画、である。
で、視線を下に落とし、きりっとした表情に変わるのだが、またふっと柔らかな笑顔が湧きあがる、という機微を確認することができる。
その後も、この曲の「演」奏じゅう、絶えず、といっていいほど笑顔が見える。(YUIMETALの、闘うんだ!という表情と、対照的である。)
曲が進み、SU-METALの「君が信じる~なら」の歌声にかぶさるMOAMETALの笑顔は、感激に焦がれた、とも見える、胸いっぱいの感情をつつみこんだ笑顔だ。
そして、「WOWOWOWOW~」のパートで、ステージからYUI・MOAが降り、リフトで高みに昇っていくときに、腕を振りあげながら、感極まった表情で目を潤ませながら両の笑窪をくっきりと笑むMOAMETALが映る。(ケロケロッと嬉しそうに笑むYUIMETALとは対照的である。)ここでのMOAMETALは、感無量という表情だ。
観客のシンガロングのパートが終わり、リフトがだんだんさがるなかで、MOAMETALが観客を見下ろしながらみせる微笑は、慈愛に(あるいは感謝に)満ちた、聖母のようなそれだ。
そして、そして、その後の、ステージに戻り、腕をくるくるっとしながら見せる笑顔は、何とも愛くるしい、躍動感に満ちた、キュート100%の笑顔だ。
その後も、曲の終わりまで、ず~っと魅力的な笑顔を見せ続け、
3人でステージを降り、下手から「We are ?」「BABYMETAL!」を煽り、「上手~!」と叫んだMOAMETALが腕をぐるぐる回しながらぴょんぴょんと跳ねながら進み、それを真似するSU-METALの全開の笑顔、ひとりマイペースでニコニコを振りまくYUIMETAL。
ここは、まさにOFFモードのBABYMETALらしさが全開で、観ていて思わずこちらもしあわせな笑顔を浮かべてしまう。
(その後の、SU-METALの「もっと声出るよね?」というまさかの「恫喝」にもドキッとしながら半笑いを浮かべてしまう。・・・げげげ、なんて楽しいんだ!)
ここでのMOAMETALの笑顔は、もはやスパイスとかトッピングとかいうレベルなどでは全くない。
で、ふと、頭をよぎったのが、故・成田亨のこんな言葉だ。ウルトラマンの顔をデザインしたときの逸話である。
「ウルトラマン」の顔についてですが、唇はアルカイック・スマイルでいこうと思いました。古式微笑、古代微笑ですね。
アルカイック・スマイルっていうのは、ギリシャの、いわゆるアルカイック時代のスマイルです。ギリシャの彫刻の中の一番古いころの、ただ立っている女たちの像が、みんな、かすかに微笑んでるんです。その微笑みからきています。
アルカイック・スマイルでいこうというのは、デザインの、一番最初の絵の段階から決めていました。
というのは、宮本武蔵が一乗寺下り松で、相手が三十六人もいるところへ一人で斬り込んでいったとき、おそらく武蔵はね、力んだ顔をしてないと思うんですよ。かすかに笑っていたと思うんです。
本当に強い人間はね、戦うときにかすかに笑うと思うんですよ。
その微笑の表現が、立体化の際にいろいろちょっと難しかったけれども、これでいこう、と思いました。
『特撮と怪獣 わが造形美術』成田亨
この、「本当に強い人間は、戦うときにかすかに笑う」とは、まさに今のMOAMETALのことではないか!
天才彫刻家であり、日本の文化史にとんでもない貢献をしていながら、世間的評価・知名度があまりにも低い(小学校で、息子さんが「うちのお父さんがウルトラマンをデザインしたんだ!」と友達に自慢していたら、担任の先生が成田亨宅をわざわざ訪問したという。「お宅のお子さん、こんなとんでもない嘘を友達につくんですよ」と。)、いわば不遇のデザイナー成田亨と、僕は、BABYMETALの国内での(現時点での)評価・知名度の低さ、を重ねているのかもしれない。
それにしても、MOAMETALとウルトラマンとの共通性って、意外なようで実はとても腑に落ちる気もするのだ。
彼女自身(菊地最愛)の言い方で言えば、「スーパーもあちゃん」なのだろうが、僕のようなおっさんには、ウルトラマンのアルカイック・スマイル、というのが何ともしっくりくる。そう、本当にMOAMETALは強い、強くなった、のだ。だからこそ、あんな微笑を僕たちに見せることができるのだ、と。
…と、賛辞はいくら連ねても足りないが、もう少し分析的な「探究」に入りたい。詳しくは次回につづく、として、切口だけをあげておこう(以下、予告です)。
MOAMETALの「笑顔」を、分析すれば、次の4種に区分できるだろうか。
最近のMOAMETALは、この4種の笑顔を、意識的にせよ無意識にせよ、ステージの「演」奏に織り交ぜている。
こうした「微笑」の意味の分厚さ、これは、初期のBABYMETALにはみることができない、格段の進歩、壮絶なる進化、の重要な一側面だ。
a 楽しい微笑
カワイイ ベース→「リン、リン、リン」 …アイドルな笑顔
b 不敵な微笑
挑発 ギミチョコ、ソニスフィアでのニヤリ …メタルな笑顔
(b’ 余裕の微笑 含むヘン顔 )
c 優しい笑顔
観客への思いがあふれる …最愛な笑顔
d 感激の微笑
演者MOAMETALじしんの感激があふれる。
→ O2 「You Make Me So Happy!」 …最愛の笑顔
次回、このへんを詳しく考えてみたい。
以下、余談・私事です。
横アリ参戦は、4度目のチャレンジ中です。
確率的には、どんどん可能性が小さくなっているのは間違いないので、やはり、もはやLV頼みだというのが本音。
一度はLVを体験してみるのもいいなあ、なんて気持ちになってもいます。
…というのは、ウソです。ライヴの現場に絶対行きたい!のです。もちろん。
でも、それはどうにも叶いそうにないので、自分に言い聞かせているのです。
LVをでも、娘と一緒に観にいけるのなら、まあ救われますから・・・。