輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

間違っているよ!狂った日本社会!

2015年02月23日 23時23分55秒 | ことば

世の中一体どうなっているの?誰が主人公?


わかるように説明するのが政治家の責任だろう、西川。



議員辞職だよ、西川。

任命責任だ、安倍。

記憶違いで済まないよ、安倍。

このようなことが「あたりまえ」で通ってしまう。

社会常識、日本の道徳になってしまう。

恐ろしいことだ。


西川農相:「分からない人には分からない」辞表提出後に

http://mainichi.jp/select/news/20150224k0000m010070000c.html 

 政治献金疑惑の責任を取り23日、辞表を提出した西川公也農相は同日夕、記者団に対し「私がいくら説明しても、分からない人には分からない。農林大臣を辞任すると辞表を出してきた。総理からは引き続きやってほしいとのことだったが、自分で決めたので政府から外れる」と述べた。

 

日教組巡る発言、首相が訂正 「補助金、誤解だった」

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11617237.html 

日教組日本教職員組合)は補助金をもらっている」などと20日に発言したことについて、「補助金(をもらっている)ということは私の誤解だった。正確性を欠く発言だった」と訂正した。

 

 

感動した!ぜひ全文を読んでほしい!



皇太子さま55歳、誕生日のお言葉「戦争を知らない世代、歴史を伝えていくことが大切」(全文)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/22/japan-crown-prince-55-years-old_n_6732630.html 

戦後70年にあたっては、「戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と思いを語った。

 

 

 輝ちゃんの2月23日(月) たまげた、なんでこの暑さ

 

 

確定申告の日はいつも天気が悪い。昨日の夜も雨が降っていたので、「今年も雨か」とあきらめていたが春うららの気温。駐車場も運よく空いていてスムースに行くかと思ったら大間違い。9時の一番に行こうとしたが寝坊してしまい10時40分。プレハブでなく本館での申告。やっぱり1時間は並んだ。人間模様が垣間見られる。前にいる年配の女性が汗をタオルで必死で拭いている。腰が痛く我慢の限界らしい。係りの人に一声かけたが流されてしまった。パイプ椅子を探してあげた。国家公務員らしい態度であり仕事っぷりだ。お客様は誰だか理解できていない。危機感を感じた。高齢化社会は現実だ。変化に対応できるよう我々から声を上げなければ解決しない。

てなことを思って食事をしてから市役所に行った。地方公務員も立派な仕事っぷりだ。窓口でガムを噛んでの対応、市民に寄り添う姿勢のない愛想のない態度、駐車券の利用法も印を押すだけ。「馬鹿野郎~」と怒鳴ろうとしたらカミさんに怒られてしまった。

 

   

 

公務員はいい職業だ。これが1日の感想。このあとNHKの地方発ドキュメンタリー番組を見てから寝る。これもいい番組だ。もっと早い時間にやってほしい。



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総理大臣のヤジ なぜ どうして日教組?

2015年02月22日 23時38分41秒 | ことば

民主党の前原氏とのやりとりは

http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/20/shinzo-abe-jeering-mob_n_6725094.html?utm_hp_ref=japan-politics 

 

(安倍)なぜあの時、日教組といったかといえば、日教組は補助金をもらっていて、そして、教育会館というものがあるわけでありますが、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にはおられて、それに対する質問をかつてかつて我が党がした時に、「これは別の団体だから関係ない」というのが、当時の民主党の政府としての大臣が答弁した見解であったわけでありますから、それをどう考えるかという指摘をしたところでございます。

 

武蔵境イトーヨーカドーの屋上駐車場から 日本の先行きは霧の中 

 

本当のことなのだろうか。事実確認がまず第一。

①日教組は補助金をもらっている。だから教育会館がある。

②民主党の議員が教育会館から献金をもらっている。

 

そして全く関係ない場面での野次る精神性。

何を考えていたのだろうか。

自衛隊の派遣のことしか頭にないのだろう。

今さら「日教組」はないだろう。組織力、力量なんかあるもんか。

 

総理大臣としての品性、力量、統率力が問われる。

 

もう一つ品性を欠く議員失格の野次があった。

「さすがテロ政党」共産党へのヤジは山田賢司衆院議員 自民党が謝罪

http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/19/yamada-kenji_n_6711640.html 

謝罪してすむ問題ではない、議員失格だ!

 

 

NNNドキュメント「“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー」

 

 

94才の“じいちゃん”と孫が訪れたのは、南太平洋の激戦地ペリリュー島。ジャングルの奥に残る戦争の爪痕、そして仲間の墓の前で涙する“じいちゃん”を見詰める孫。そこには伝え残したい「思い」がありました。

戦争をしてはいけないと! いろんな言葉を言ったが。後世に伝えよう。                   

 

 

輝ちゃんの2月22日(日) すっきりしない1日だった

 

みんな中途半端

妹からお墓参りのメッセージが入った。てっきり3月1日(故伊藤幸男さんの一周忌)のことだと思っていた。期日がないメッセージだから。電話が入り、お寺さんに来ているがどうしたの?という。下の妹が酒田から出てきた。焦って東小金井の長昌寺に行ってあってきた。食事を一緒にしたかったが午後からは美容室の予約が入っていたので・・・。

午後からは成城学園の美容室まで送迎。昨日も書いたが「成城」という昔の高級住宅のイメージがなくなった。相続でもめていることろは駐車場。そのあとは建売住宅がそこそこに。アッシー君は辛い。サントリーとパナソニックのラグビー全日本選手権接戦の準決勝を観られなかった。

 

 

明日は武蔵野税務署に行き確定申告をする。書類の整理をする。領収書をまとめ一覧を作る。女房が通知書が見つからないという。まだ混んでいるのかな?年に一度はやらなくてはいけないこと。E-TAXは以外と難しい。行ったほうが早い。

leoくんが元気を取り戻してきた。今日はアッシー君で疲れたみたいだ。寝姿がすごい。私は寝るときは、「leoくん、一緒に寝かせて!」とお願いする始末。いやいや半分を開けてくれる。いないと心底寂しい。

 

 

 


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懐かしいは禁語?東宝撮影所が新聞に やっぱり懐かしい!

2015年02月21日 22時48分11秒 | 日記

東宝スタジオ83年の足跡展示 世田谷美術館

 

東宝スタジオは1932(昭和7)年、世田谷・砧にできた「写真化学研究所」が前身。東宝砧撮影所などを経て、今に至る。最盛期の50~60年代には、俳優800人、スタッフ1200人が働いた。周辺の砧、祖師谷、成城には俳優や監督が多く住み、「日本のハリウッドでもあった」(同館)。

 

懐かしい写真 向かって右側のブルーのカローラフィルダーが B−2

 

私は昭和46年(1971年)4月に世田谷成城にある学校に勤めた。初めから日産ブルーバードで勤務した。当時は職場に車を置けたが、時代の流れの中で外の駐車場に置くことになった。東宝撮影所の駐車場を借りた。成城という土地柄から駐車料金は高かった。が、三鷹の北野から成城までは車で行くと一直線。他の交通機関だと吉祥寺、明大前、下北沢、成城と結構不便だった。昔は成城学園前駅は急行が止まらなかった。

 

 

 

昔の撮影所は実にのんびりしていた。本館の事務所に契約に行くと散歩ができた。映画の匂いは特別なんだな。ゴジラの特撮用のプールがあった。たまにファンの人がいっぱいいるときは吉永小百合さんとか有名俳優が来る時だった。

平成18年7月で東宝撮影所の駐車場の契約が切れた。撮影所を大幅に変えるためだった。道路も新しく出来たし全く変わってしまった。

成城という街は死んだようだ。あの良き時代は戻ってこない。

世田谷美術館もしばらく行っていないので感傷に浸ってこよう。

 

 

輝ちゃんの2月21日(土) 考え事していたらあっという間の1日

 

時間があったので懸案だったホームページのアップを考えていた。Jimdoの無料版を使っている。本を見ているうち時間が過ぎてしまった。余計なことを考えてしまう。 無心になって作成しないと。欲は出さない。

 

 

武蔵境の駅前でふと感じたこと。自分が年寄りのくせに、日常空間が年寄り臭くなったなと感じ一枚の写真を撮った。バスを待っている人がみんな疲れているんだ。生活に追われているというのかな。一方、ちょっと先の武蔵野プレイス前の広場には夢が溢れているように見える。ゆったりとした街づくりが本当に必要だと思った。

 

 

明日は天気が悪くなるという。春一番がふくという天気予報。東京マラソンが開催される。今、メンテナス中なのか東京マラソン公式サイトにアップできない。(21日午後11時44分ごろ) 応援しようと考えたが明日は成城までのアッシー君が。都心だったら無理だな。雨風の中での応援なんてとんでもない。勝手に走って。勝手にお祭りして。

こんなお祭りがあるんだ。

東京マラソンは春一番型で荒天のおそれも

雨や強風、花粉にも注意。



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たっぷり汗をかいた テニスはいいな!

2015年02月20日 23時45分19秒 | ことば

元気な今に感謝を

 

総武線水道橋駅から南北線後楽園駅に向かう 途中のキラキラ光る梅が大好き

 

昼間は風が強く嫌な感じだったが、夜になったら風がやんでくれた。

例年より暖かいのかな?マンツーマンのテニスレッスン。以前は疲れてバテバテだったが、最近は体調がいいせいかテニスが楽しくなってきた。

一週間に一度だから初めの30分ぐらいがきつい。体と頭が追いつかない。この歳になっても1時間半以上動けることに感謝したい。握力がなくなった。

 

 

解決策を見いだせないときは、定説や慣習を捨てて

コペルニクス的な転回を

 

日本サッカー協会最高顧問 川淵三郎

バスケ改革に川淵氏 全権チームのトップ

スポーツは、人々が誰でも気軽に楽しめる環境があってこそ、優秀な選手が排出され、発展していくもの。日本バスケットボール協会・JBAもPlayer’s First(選手第一主義)の下、いかに夢のあるリーグにするかを第一主義に考えれば、突破口は開けるはずだ。

 

不易流行

 

危機や様々な環境変化に対応するには、不易流行(ふえきりゅうこう)に尽きると思います。「不易」とは決して揺らがないもの。Jリーグ開幕直後は我々の予想を超える反響でしたが、3年を過ぎる頃から観客動員が減り始め、経営危機に瀕したクラブの合併問題なども起こりました。チーム数を減らしてはどうか。そんな話も出ましたが、私は断固反対しました。それは、不易、つまり「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」という理念に反するからです。Jリーグはただ存続すればいいというものではない。理念を忘れるなと繰り返しました。そしてその一方、サポーターや時代のニーズ、つまり「流行」をとらえて改善する視点もなくてはいけない。

 

 

輝ちゃんの2月20日 コート予約の確認をしっかりと

 

15日から18日までが2ヶ月前のテニスコートの抽選申し込み。19日が抽選。「抽選結果の確認」と「当選分の利用の確認」期間が20日から23日まで。私の担当だが、年に何回かは忘れてしまう。4月分は第二週が外れ。キャンセル待ちをしないと。スムースにいかないもんだ。

 

leoくんがだいぶ元気になってきた。そういえば写真を撮っていないな。私が最高な至極のときはleoくんと川の字になって昼寝をするとき。この一枚がその瞬間。

 

 


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雨水 そうなんだよな 梅が綺麗

2015年02月19日 21時26分18秒 | マツンのおもい

雨水


空から降るものがからに変わり、雪が溶け始めるころ。『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできる。




自分が精一杯気持ちを写した。改めて梅って逞しいのだ。




輝ちゃんの2月19日(木) おにぎり一個でお昼は散歩三昧


今日は小石川、いい天気なのでちょっと歩いてみた。善光寺の門前に貼ってある壁紙の存在を知りたく訪問した。インターフォンを押したら住職が出てきてくれた。電話が鳴り忙しいらしく数秒の対話だったが住職が月一回書いているという。ご本人に会え話も聞けたので今日のところはいことにしよう。



その足で梅祭りをやっている北野神社に行ってきた。結構賑やかだ。おにぎり一個で歩いている。梅の香りに癒された。階段の右手の看板に次のような言葉が。

最近いろいろあり悩んでもいた。この言葉だ。自分を自分のキャパの中で。


 

菜根譚前集113より

 

意を曲げて人をして喜ばしむるは、躬(み)を直(なお)くして人をして忌(い)ましむるに若(しか)ず。

 

信念を曲げて他人を喜ばすのは、身を正して他人に嫌われようなものだ。

つまり、人生で否な思いをしたくないなら、信念を貫き、善行を積み、媚を売ったり売られたりするな、ということ。

言い換えれば、活人は決して“媚びない”を信条とすべきなのだ。

慧智(030617

菜根譚(さいこんたん)は、洪 応明(字は自誠)が明の時代に書いた随筆集です。


夕方はもしかしたら富士山が見えるのではないかと思い文京シビックセンター25階の展望ラウンジに行った。真っ赤に燃えていた。カメラを構えた人がびっしり。まにあった。富士山と副都心の夕陽を見ることができた。




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