11月11日(月)、湘南台で30年ぶりに再会。
いすゞ自動車㈱川崎工場 いすゞ川崎工業専修学校のこと。
18年の連携が終わるので、その記念の文集を作った。
とにかく歴史をほじくった。
その時の先生(指導員)。浜元輝喜さん、新田国雄さん。
「もう一歩」という手作りの文集。
私は引っ越しの際紛失してしまった。浜元さんが持っていてくれた。
まだワープロがない時代。手書きだ。
飯田吉郎校長からは、「継続は力なり」ということばをもらった。
私67歳、新田さん62歳、浜元さん59歳。
新田さんは教育支援で海外を飛び回っているという。
浜元さんは藤沢市の市議会議員。
負けてはいられない。あんまり力まずぼちぼちやっていこう。
企業内教育の一断面。
(続き)
今日はその「はじめのことば」と、「あとがき」を紹介します。
はじめのことば
いすゞ自動車川崎工場と科学技術学園高等学校の技能連携が終わり、そこの一つの歴史を閉じた。
でも、たんなる区切りにすぎないだろう。
この18年という時代の流れは、ゆるい流れもあったが、急流もあった、689名が入学したが、厳しい現実として約半数しか卒業できていない。
「ものをつくる」という日々の努力の中での科技高の4年間は、全日制の高等学校では得られない別の生き方を学んではないかと思う。
これからの社会・技術の発展は、よりめまぐるしいと思う。
基礎的な学習はもちろんのとこ、一歩先んじたユニークな発想・思考を持つことも大切だろう。そのために、ぜひこつこつと努力してください。
この文集を発行したいという気持ちを持ったのは5年前だった。とにかく、いすゞ高工の浜元輝喜、新田国雄指導員の力によることが大きい。ここに心からお礼を申し上げたいと存じます。
昭和58年7月1日
あとがき
告白すれば、いすゞという会社にこだわりすぎなのだろうか。
いすゞ川崎工場で働く人を見ると、たくましさ、荒々しさ、それは私にはないものであり、ほんとうに労働者なんだなあと痛感したからであった。
卒業生の皆さん、科技高とのつながりも大切にしてください。
ともかく、これを発行することがでホッとした。
健康に留意して、がんばりましょう。
ある広告から・・・
どう生きるか。
多くの人が、
一度きりの人生を、
地図を持たずに歩いている。
どのような人生を送りたいのか。
自らを見つめなおすことで、
今を知り、これからを描く。
小田急線の登戸を前にして
あっという間に真冬 柿も寒そう
強風でLEOと飛ばされるところだった