何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

幸いをもたらす12月1日

2017-12-01 12:00:01 | 自然
一瞬で空気が変わり清々しいものとなる時があるが、今日 12月1日というのも、そのような力があると私には思える。

この時期特有の鉛色の空のもと、足元の落ち葉を見ては’’世も末’’だとか’’終焉’’だとか嘆いていた昨日が嘘のように、目に映る光景に、鮮やかで温かな色があると気付かせてくれるのが、師走も一日の この日である。

    
  
うっかり混んだ枝に手をいれると 尖ったトゲにやられる事や、少しケバケバしい色が苦手なため我が家にはないピラカンサだが、数年前から帰宅を急ぐ目を和ませてくれるのが、ご近所さん庭のピラカンサである。
そのような思いを以て、ピラカンサを眺めるようになったのは、おそらく あの漫画の影響である。

「家栽の人」(作・毛利甚八 画・魚戸おさむ)
忙しい現在、「家栽の人」のどこにピラカンサの話があったかを探すことは出来ないので、正確なところは記せないが、たしか・・・・・
両親が亡くなり残された子供たちが、遺産相続の相談のため、主人公・桑田が勤務する家裁に来るという話。
残された子供たちは、実家の家を売却した金額を公平に分けるということで納得しているのだが、桑田判事は「あなた方が売ろうとしている家には、見事なピラカンサがありますね。気持ちよく帰れる家は冬の日のピラカンサみたいなものですよ。家を残すという考えは、ないですか」と訊ね、実家を売ったお金の使い道まで皮算用している子供たちを呆れさせるのだ。
だが、実際に家を売り、更地になった実家を見にいった子供たちは、「家を失くしてしまうのは簡単なんだな、あの判事の言った通りだったな」と、苦い思いを呑み込む。
この「冬の日のピラカンサ」という件も印象的だが、私には印象的な言葉が もう一つある。
それは、子供たちが納得している内容に異議を差し挟んでまで 家を残すという提案をした理由を、担当調査官に質問された時の、桑田判事の言葉だ。
「生まれた家が大切だなんて、平凡なことを言ってしまいました。
 でも、平凡なことを忘れた時に、人は争うんですね」

ピラカンサには、かなりキツイ棘があるが、枝の中に無闇に手を入れなければ刺さることはない。
ピラカンサの棘は、争うためのものではなく、守るためのもの。

ピラカンサの花言葉 防衛


寿ぎの一日はつづく
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