何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

この’’道’’が未来を照らす

2017-02-23 01:01:01 | ひとりごと
2月23日 富士山の日は、皇太子様の誕生日でもあるので、山を愛する者のなかには2月23日を「日本一の日」という人もいるという。

富士山の申し子であられる皇太子様は登山を趣味とされるが、その皇太子様らしい素晴らしい御歌がある。
平成17年お題「歩み」で詠われた皇太子様お歌
頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり

山を歩くことは人生に例えられることも多いが、この御歌はまさに頂きへの一本道を御自身の人生の歩みに重ねられたものである。
皇太子様の’’山’’は、海抜0から登る登山では、ない。
頂きから頂きを結ぶ、真っ直ぐではあるが上り下りの激しい尾根道、積雪期には雪庇を踏み抜く危険もある尾根道、その真っ直ぐな一本’’道’’をお一人で歩いておられる。
皇太子様の’’道’’は、有史以来125人だけが歩くことを許された’’道’’である。

それ故にか、凡人の私には 『まっすぐな道で さみしい』(種田山頭火)の句が思い浮んでしまうのだが、
皇太子様は孤独とも云える一本’’道’’を歩まれながらも、「道」を肯定的に受け留め研究対象にしておられる。

学習院大学の卒論が「中世瀬戸内海水運の一考察」であり、オックスフォード大学留学中には「テムズ川の水運」について研究され「18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について」を著されるなど、皇太子様は「水の道」の研究者だが、「道」に関心を持たれたのは、初等科時代 赤坂御用地内に鎌倉時代の鎌倉~奥州を結ぶ古道が残されているのを御覧になったことが切っ掛けだったという。
(『 』平成29年1月19日 学習院大学での講義について、新聞各紙から引用)
『当時、御用地の外に出たいと思っても、そう自由にでられなかった私は、道を通ることにより、いままで全く知らなかった世界に旅立つことができることを知ったわけです。私にとって道というものは、未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえると思います』

道を見つけたとしても、そこから自由に出かけられぬ厳しい制約のなかで、その道を、歴史への’’道’’、学問への’’道’’、未知の世界へと結ぶ’’道’’へと昇華させ、王道を歩む力へと変えていかれる皇太子様。

その御姿勢は、今年29年の「歌会始の儀」の御歌にも表れている。
岩かげにしたたり落つる山の水 大河となりて野を流れゆく

皇太子様の御歌に、私の写真を付けるのは烏滸がましいが、これは槍ケ岳に登った時に撮ったもので、梓川の最初の一滴となる場所である。


山を歩かれる皇太子様は、山頂近くの水源地の最初の一滴を御存知であろうし、岩陰から滴り落ちる最初の一滴が、いかに急峻な斜面を転がり落ちながら少しずつ川幅を広げていくかも御存知だと思う。


最初の一滴は孤独で、厳しい道を歩まなければならないが、やがて川幅を広げるごとに流れは緩やかで雄大になり、周辺の土地を潤しながら、大海原へと注ぎ込んでいく。
水の道も、皇太子様の歩まれる’’道’’に重なっているように、拝察される。

この’’道’’が、敬宮様へと続くことを、私は祈るような思いで、願っている。

女児しか産まなかったと責められ心を病み、病んで尚バッシングに遭い苦しむ母をもつ娘は、女児であったために軽んじられ、バッシングの餌食にされている。
女という性ゆえに苦しむ娘に、更に女性であるが故に閉ざされた’’道’’を願うことの酷さは、千も万も承知しているが、誰かが最初の一歩を歩まねばならぬとしたら、それは皇太子様の一粒種のお姫様である敬宮様であって頂きたい。

それでなくとも孤独で厳しい一本’’道’’を、悪意に満ちた理不尽な暴風雨に晒されながら、しかし穏やかな佇まいを崩すことなく黙々と歩まれる皇太子様の’’道’’が敬宮様へと繋がる時、この国に希望ある新たな’’道’’が広がるのだと思っている。

山頭火には、もう一句「道」を詠ったものがある。
この道しかない 春の雪ふる

「この道しかない」道を父と娘が歩むとき、頭上に雪は舞い散るかもしれないが、水温む春の雪には明るさがあると思うのだ。
そして、その明るさのもと歩まれる皇太子御一家の道程こそが、この国の行く手を照らすものとなると信じている。

だからこそ我々は、天を仰ぎ淡雪のほの明るさを頼んでいるだけではなく、心をこめて応援し続けなければならないと思っている。

日本一の日  皇太子御一家の御多幸と御健康を、心よりお祈り申し上げます


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