「カーネーション」 ナデシコ科 ☆5月15日の誕生花☆
花言葉は… 無垢で深い愛(全般)
今朝の最低気温は午前3時の14.7℃。 最高気温は午後3時の25.3℃。
今日は終日青空が広がり、汗ばむ陽気の一日でした。
《朝散歩… ご近所 4.1㎞ 5,844歩 1時間15分》
散歩に出た9時の気温は21.4℃。 今日は広島から妹が母の様子を見に来ます。
いつ迎えに来てくれとの連絡があっても良いように、近場をちょこっと散歩しました。
昼過ぎに車で駅に迎えに行き、その足で母の見舞いに行って来ました。
妹が 「お母さん、私が誰かわかる?」 私が 「お婆ちゃんの娘の和ちゃんよ~」
母少しの間、薄目を開けるのですが、すぐに目を閉じて眠ってしまいます。
結局、自分の娘だとは分らなかったようです(汗。
それでも妹が母の頭をなでたり、手を擦ったりすると、子持ち良さそうにしていました。
夕方、妹が帰る前にもう一度母を見舞いました。 この時は目をしっかり開けていて、
声は出しませんでしたが、妹の呼びかけに小さく頷いていました。
自分の娘だと分ったと思いたい。
妹は義母のお世話も有るので、日帰りで帰って行きました。
5月の第2日曜日、今日は母の日ですね。
母の日… 【1905年5月9日、アメリカのクリスチャンの女性アンナ・ジャービス
という人の母親が亡くなりました。 彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、
1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配ったそうです。
この風習がアメリカのほとんどの州に広まり、1914年ウイルソン大統領によって
「5月の第2日曜日を母の日とする」 という母の日議案が制定されたのです。
日本では昭和24年頃からアメリカにならって、5月第2日曜を母の日とすることになりました】
今日の花は 「カーネーション」 です。
「カーネーション」 は “ナデシコ(撫子)” の仲間です。
「カーネーション」 と “ナデシコ(撫子)” の違い、何度読んでも判りません(汗。
なので、花弁の多いものを 「カーネーション」、 一重の物を “ナデシコ” として
アップしましたが、この中に “ナデシコ” が有るかも知れないです(笑。
原産地は南ヨーロッパ~西アジアの地中海沿岸で、日本には江戸時代に渡来したそうです。
私が小学校の頃、“母の日” が近づくと、学校から紙で作られた胸に付ける
“造花のカーネーション” が配られました。
よく覚えていないのですが、もしかしたら幾らかで買わされていたのかも知れません。
花の下に “お母さんありがとう” と書かれたリボン(短冊)が下がっていて、
裏に安全ピンが付いていました。
お母さんがいる子は赤いカーネーションを、お母さんがいない子は白いカーネーションが
配られました。
胸に付けたカーネーションを見ればお母さんがいる子か、いない子かは一目瞭然、
“あの子にはお母さんがいないんだぁ、可哀そうに…” 今なら差別とか個人情報とかで
大きな問題になるでしょうが、当時はそんな事など深く考えずに付けていました。
小学校で母の日に、造花の花カーネーションを配る(付ける)という習慣というか行事は、
いつまで続いたのでしょうね。
だいぶ大人になってあの “造花のカーネーション” は母子家庭のお母さんの団体が
内職で作っていて、家計を助けていた、と聞いた事が有りますが…。
今日の歩数 5,844歩 (連絡を待つちょこっと朝散歩)
今月の歩数 169,779歩= 118.8km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 1670,729歩=1169.5km
花言葉は… 無垢で深い愛(全般)
今朝の最低気温は午前3時の14.7℃。 最高気温は午後3時の25.3℃。
今日は終日青空が広がり、汗ばむ陽気の一日でした。
《朝散歩… ご近所 4.1㎞ 5,844歩 1時間15分》
散歩に出た9時の気温は21.4℃。 今日は広島から妹が母の様子を見に来ます。
いつ迎えに来てくれとの連絡があっても良いように、近場をちょこっと散歩しました。
昼過ぎに車で駅に迎えに行き、その足で母の見舞いに行って来ました。
妹が 「お母さん、私が誰かわかる?」 私が 「お婆ちゃんの娘の和ちゃんよ~」
母少しの間、薄目を開けるのですが、すぐに目を閉じて眠ってしまいます。
結局、自分の娘だとは分らなかったようです(汗。
それでも妹が母の頭をなでたり、手を擦ったりすると、子持ち良さそうにしていました。
夕方、妹が帰る前にもう一度母を見舞いました。 この時は目をしっかり開けていて、
声は出しませんでしたが、妹の呼びかけに小さく頷いていました。
自分の娘だと分ったと思いたい。
妹は義母のお世話も有るので、日帰りで帰って行きました。
5月の第2日曜日、今日は母の日ですね。
母の日… 【1905年5月9日、アメリカのクリスチャンの女性アンナ・ジャービス
という人の母親が亡くなりました。 彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、
1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配ったそうです。
この風習がアメリカのほとんどの州に広まり、1914年ウイルソン大統領によって
「5月の第2日曜日を母の日とする」 という母の日議案が制定されたのです。
日本では昭和24年頃からアメリカにならって、5月第2日曜を母の日とすることになりました】
今日の花は 「カーネーション」 です。
「カーネーション」 は “ナデシコ(撫子)” の仲間です。
「カーネーション」 と “ナデシコ(撫子)” の違い、何度読んでも判りません(汗。
なので、花弁の多いものを 「カーネーション」、 一重の物を “ナデシコ” として
アップしましたが、この中に “ナデシコ” が有るかも知れないです(笑。
原産地は南ヨーロッパ~西アジアの地中海沿岸で、日本には江戸時代に渡来したそうです。
私が小学校の頃、“母の日” が近づくと、学校から紙で作られた胸に付ける
“造花のカーネーション” が配られました。
よく覚えていないのですが、もしかしたら幾らかで買わされていたのかも知れません。
花の下に “お母さんありがとう” と書かれたリボン(短冊)が下がっていて、
裏に安全ピンが付いていました。
お母さんがいる子は赤いカーネーションを、お母さんがいない子は白いカーネーションが
配られました。
胸に付けたカーネーションを見ればお母さんがいる子か、いない子かは一目瞭然、
“あの子にはお母さんがいないんだぁ、可哀そうに…” 今なら差別とか個人情報とかで
大きな問題になるでしょうが、当時はそんな事など深く考えずに付けていました。
小学校で母の日に、造花の花カーネーションを配る(付ける)という習慣というか行事は、
いつまで続いたのでしょうね。
だいぶ大人になってあの “造花のカーネーション” は母子家庭のお母さんの団体が
内職で作っていて、家計を助けていた、と聞いた事が有りますが…。
今日の歩数 5,844歩 (連絡を待つちょこっと朝散歩)
今月の歩数 169,779歩= 118.8km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 1670,729歩=1169.5km
『胸カーネーション』同じ経験があります
ただ 白いカーネーションの記憶はなく
なぜなら 母ちゃんを無くしたN君も
赤いカーネーションを胸につけていたからです
N君のお母さんが天国に旅立った事を知っていたので
子供心に胸が痛くなり とても居心地の悪い気持ちでいたのを思い出します
私の子供は 31歳と29歳になりますが
彼らが低学年の頃も
同じ赤いカーネーションは存在しました
ただ 胸につけることはなく
「ハイ母ちゃん」と 子供達から手渡され
子の責任は果たしたとばかりに
彼らは横着していました
私の心の痛みなど知らずにね・・・
もって、母の見舞いに行ってきました。
相変わらず、私を兄弟と間違えて・・・
息子だと言っても・・なんとも信じられない
様子でした。
でも病気ですから・・仕方ありませんね
食欲もあり、健康上も問題も無く・・おかげさまです
ひげ爺さんさまのお母さまも早く元気を
回復されますように・・祈って居ります。
ふきさんも造花のカーネーションを付けておられましたか。
そして息子さんの時代にもまだ有った?
>白いカーネーションの記憶はなく
今回調べてみると…
【母の日の普及にはこの造花カーネーションが貢献している。
全国未亡人団体協議会が未亡人会や母子寮の授産所(職業訓練所みたいな所)で
赤(母のある子)、白(母のない子)のカーネーションを作り、
全国に売りさばいて資金を作りはじめたからだ。
だが色で区別を付けることは「童心を傷つける」という声があがった。
特に義母に育てられた子はどちらか迷う場合があり、
昭和三十五年からは赤に統一された】 そうです。
>「ハイ母ちゃん」と 子供達から手渡され、子の責任は果たしたとばかりに…
はjっはっは、カーネーションを母に渡せば、子供の勤めを果たした?(笑。
そうでしたねぇ、ひげも何か花でも持って行けばよかった(汗。
>食欲もあり、健康上も問題も無く・・
それは良いですねぇ。
ひげの母も食べる事には人一倍執着していたのですが…
食欲が亡くなった途端に弱ってしまいました(汗。
元気な時 「お婆ちゃんが食べれんようになったらおしまいよ」
と言っていたのですが、その通りになってしまいました。
ご心配、ありがとうございます。