得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・雪の大晦日です。

2009-12-31 15:20:14 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

やはり、雪の大晦日です、朝から降っていますが路面は濡れているので積雪はありません、家の前の庭には約10センチの新雪が積もりました。先ほど一度きれいに片付けたのですが、もう真っ白になっています、このまま降り続ければ元日の朝までに20cmでしょうか?。

昼過ぎに街へ行ってきました、さすがに本日は車も人も少ないようです。道路の中央から融雪の噴水が出ていますが、場所によっては1mも吹き上げています。
郵便局へ寄ってから、会津北部総鎮守・北宮諏方神社へまわりました。元日を迎える準備が整い、ご覧のように出店もならびました。本日の画像は昼過ぎの神社境内と神社拝殿です。
街のひとびとは「お諏訪さま」と呼んでいます。町の方は最初に北宮諏方神社へ詣でると思います。由緒書きには、永和元年(1375)時の領主葦名氏が信濃国上諏訪より勧請したとあります。喜多方では歴史ある神社です。

祭礼は8月2日と3日ですが、正月の12日初市を司ります。ふれあい通りの小荒井初市は1月12日です。
そして、小田付初市(出雲神社前通り)の初市は1月17日に行なわれます。

大晦日の本日は何時もより早めの投稿です。何時もいつも見ていただき、読んでいただきありがとうございました。

新しい年も、蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等、

これから歳取の準備を整え、母と二人で紅白を見ながら新年を迎えます。
どうそ皆様方、良いお年をお迎えください。


喜多方発・穏やかな年末ですが。

2009-12-30 17:35:30 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

穏やかな年末風景ですが、本日もお天気もよくて助かりました。
昨日もそうでしたが、なんと街なかの観光客の多いことに驚きです。新道観光駐車場は満車に近い状態でした。駐車場の横で偶然にNHK福島局の橋田ディレクターと逢いました、お友達の女性と一緒に年末のお休みを蔵の街散策です。
彼女は、きたかた喜楽里博のオープニングから蔵の街を収録して、小田付の蔵めぐり等を放送していただきました。テレビを見たので蔵の街へと言うお客様が大勢お出でになりました。先日も喜多方ラーメン・朝ラーメンの「一平」を放送してます。テレビのメディアと言うのは大変な宣伝効果があるようです。
今回はプライベートの休暇でしょうか?・・次なる蔵のまちの放送に期待しましょう。

画像は、現在の田園風景といつも見ている秀峰・飯豊連峰です。ご覧のように穏やかな一日でした。
大晦日と元日は荒れたお天気になると放送してます。いくらか雪も片付いたのですがまた雪片付けの毎日になるのでしょうか、

スキー場には積雪が増えるので良いかもしれません。いつも記してる喜多方市・
三ノ倉スキー場は元旦は昼のみの営業ですが、1月10日までは昼夜通しで営業しています。

明日はもしお天気が良かったら市内の寺社などの大晦日風景を観て歩こうとおもいます。
もう一日ありますが、本年も大勢の皆さんにブログ見て読んで頂きました。ありがとうございます。どうぞ良いお年をお迎えください。

喜多方発・近代化産業遺産・若菜家レンガ蔵。

2009-12-29 17:46:41 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

年末を迎えます、この時期にしては穏やかな一日でした。気温はあがりませんが晴天にめぐまれました。なんとこの時期に街なかには観光客の多いこと、ガイドブックやラーメンマップを持ったお客様が大勢散策しています。
帰省客もかなり増えてますが、帰省客の皆さんも取り合えずラーメン店に向うようです。

丸いお月様が上がってます。今夜は星空もきれいに見えます。
そして、喜多方市熱塩加納町、三ノ倉スキー場の夜間照明が我が家から良く見えます。

本日もレンガ蔵です、先週東京のテレビ局のプロデューサーの方を蔵のまち喜多方の蔵めぐりに案内しましたが、その時に大変興味を持って観ていただいたのが、寺町の蔵のお屋敷と、本日の画像に在ります。三津谷地区のレンガ蔵です、画像は若菜家のレンガ蔵で近代化産業遺産に認定されています。

チョット専門的に記すと、釉薬煉瓦による木骨煉瓦造り、3階建て柱型付、煉瓦蛇腹です、若菜家・道具蔵と呼ばれています。
若菜氏が在宅でしたので案内を請い説明をしていただきました。 画像の隣にレンガ造りの座敷蔵があります。更に農作業蔵と味噌蔵などがありそれぞれ趣の違う蔵を見ることが出来ます。
三津谷地区は5戸の集落しかありませんが、各戸一棟以上のレンガ蔵があり、確か8棟の蔵が在ると思います。

樋口家の登り窯のすぐ隣に在る集落です、それで樋口家とも係わり合いが深かったようです。三津谷地区の周りには松林が多かったのと粘土の産出が有ったことで、窯の燃料である松薪と原料である粘土を土地の人々から提供してもらいました。
そして昨日記した煉瓦師の田中又一との出会いにあります。樋口市郎も優秀な煉瓦師でした。自らもレンガを積み研究をしていました。それが喜多方のレンガ造り蔵の礎です。

喜多方発・近代化産業遺産・レンガ蔵。

2009-12-28 17:25:51 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

日中も弱い雨が降っていましたが、夕刻から時折雪が降っています。年末をむかえて予報では曇りや雪の日が多いようです。先日の雪がやっと片付いた所です、

本日の画像は皆さん共数回はご覧になっている、市内の若喜レンガ蔵です。
けさの民報新聞でかなり大きく掲載されました。豊かさへの礎、ふくしまの近代遺産シリーズで28回目・煉瓦・です。

若喜レンガ蔵は、ふれあい通り3丁目に在り、市役所通りの角です、ツアーのお客様は必ず寄る、観光スポットでもあります。

会津地方で最初に造られたレンガ蔵は明治37年の建造です。国登録有形文化財であり、平成19年に近代化産業遺産に認定されました。1階の8畳間が縞柿の間で有名ですが、床柱、天井まで、クジャクの羽を思わせる模様と、本日の新聞にも記してありますが、判りやすく説明をすれば、「上質な木目(もくめ)の鮮やかな柿の木」です。

若喜レンガ蔵に使用されたレンガは三津谷の登り窯で焼成されました。登り窯の創始者は樋口市郎であり、(明治23年)煉瓦師、田中又一らの有能な技術により煉瓦蔵が建造されてゆきます。

田中又一について、あまり紹介していませんが、岩月村の農家に生まれ13歳の時に煉瓦師になるべく東京に修行に出たといいます。煉瓦師の親方を探すことから始まります。そして清水組のお抱え煉瓦師であった深川の西川兼吉に巡りあい4年間の修業そして、数年の礼奉公を勤め喜多方へ戻ってきます。
そして、樋口市郎と出会うわけです。この二者の協力があって喜多方の煉瓦蔵が建造されてゆきます。北方式木骨煉瓦造りもこうして考案されました。
現在、市内には約100棟の煉瓦蔵が在ると言われています。家の近くにはおそらく最後の煉瓦蔵だろうといわる昭和30年頃の蔵が在ります。

先週の東京のテレビ局の方も三津谷の煉瓦蔵を大変興味をもって見学して行きました。若菜家の煉瓦蔵も近代化産業遺産です。喜多方の近代化産業遺産は煉瓦関連です。どうぞ産業遺産めぐりお楽しみください。

喜多方発・近代化産業遺産・レンガ蔵。

2009-12-28 17:25:51 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

日中も弱い雨が降っていましたが、夕刻から時折雪が降っています。年末をむかえて予報では曇りや雪の日が多いようです。先日の雪がやっと片付いた所です、

本日の画像は皆さん共数回はご覧になっている、市内の若喜レンガ蔵です。
けさの民報新聞でかなり大きく掲載されました。豊かさへの礎、ふくしまの近代遺産シリーズで28回目・煉瓦・です。

若喜レンガ蔵は、ふれあい通り3丁目に在り、市役所通りの角です、ツアーのお客様は必ず寄る、観光スポットでもあります。

会津地方で最初に造られたレンガ蔵は明治37年の建造です。国登録有形文化財であり、平成19年に近代化産業遺産に認定されました。1階の8畳間が縞柿の間で有名ですが、床柱、天井まで、クジャクの羽を思わせる模様と、本日の新聞にも記してありますが、判りやすく説明をすれば、「上質な木目(もくめ)の鮮やかな柿の木」です。

若喜レンガ蔵に使用されたレンガは三津谷の登り窯で焼成されました。登り窯の創始者は樋口市郎であり、(明治23年)煉瓦師、田中又一らの有能な技術により煉瓦蔵が建造されてゆきます。

田中又一について、あまり紹介していませんが、岩月村の農家に生まれ13歳の時に煉瓦師になるべく東京に修行に出たといいます。煉瓦師の親方を探すことから始まります。そして清水組のお抱え煉瓦師であった深川の西川兼吉に巡りあい4年間の修業そして、数年の礼奉公を勤め喜多方へ戻ってきます。
そして、樋口市郎と出会うわけです。この二者の協力があって喜多方の煉瓦蔵が建造されてゆきます。北方式木骨煉瓦造りもこうして考案されました。
現在、市内には約100棟の煉瓦蔵が在ると言われています。家の近くにはおそらく最後の煉瓦蔵だろうといわる昭和30年頃の蔵が在ります。

先週の東京のテレビ局の方も三津谷の煉瓦蔵を大変興味をもって見学して行きました。若菜家の煉瓦蔵も近代化産業遺産です。喜多方の近代化産業遺産は煉瓦関連です。どうぞ産業遺産めぐりお楽しみください。

喜多方発・まほろば街道、慧日寺。

2009-12-27 18:27:22 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

年末最後の日曜日です晴天に恵まれました。午後から街へ行ってきましたが、何時もより車も人も少ない様でしたが、昼前後には結構人通りも多かったそうです。

家の前の小学校、そして中学校と通学路を何時も通ってますが、雪が消えて校庭のグランドの土が見えてきました。そして高校の横を通ります。冬休みですが中学校には何時も多くの車が駐車してます。体育館でスポーツの大会でもあるのでしょうか。

昨日の会津まほろば街道の続きです。昨日記したとおり会津盆地の西側に南北に通る街道ですが、昨日のモデルコースに出てくるのが慧日寺です。街道筋から一ヶ所だけ離れていますが、磐梯山麗に在ります。平安初期に高僧徳一によって開かれ会津仏教文化発祥の地として1200年の歴史を有し国の史跡に指定されています。
慧日寺跡金堂が復元建立されましたが、本日の画像が復元金堂です。今年の春には金堂の前に中門も完成しました。磐梯山慧日寺資料館も在ります。

仏教は山岳信仰や神道とも結びつきが深かかったようです。それらの資料が展示してあります。慧日寺の周りには広大な遺跡がありますが、寺院の建造物も数多く在ります。現・恵日寺をはじめ仁王門・薬師堂・徳一廟・不動堂・乗丹坊の供養堂なども在ります。いずれも今は深い雪の中でしょうが春になったら訪れて見てください。金堂・資料館とも冬眠中です。4月15日に開館になります。
各寺社、仏閣共冬期間中は雪の為に閉鎖してる所もあるので注意してください。

喜多方発・会津まほろば街道。

2009-12-26 17:55:55 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

日中は、晴れ間もあったのですが、夕方から雨が降っています。雪はかなり沈んできました。年末を迎えて帰省ラッシュを放送しています。

昨日、私たち観光協会ボランティアの集会で、まほろば里人の会より「会津まほろば塾シンポジウム」の事業計画が発表になりました。
もう来年の準備です。 大勢の方が参加することを願い、概要を説明しておきます。

以下は昨日の資料によりますので参考にしてください。皆様方のシンポジウムへの参加を期待してます。 と記してあります。

会津の歴史探訪には、いろんなコースがありますが、モデルコースとして次のようになります。
慧日寺~勝常寺~中田観音~法用寺~立木観音~上宇内~長床~慶徳寺~願成寺
等ですが、確かにこれだけの由緒ある歴史的な寺社・仏閣が在るのは会津の誇りではないでしょうか。それぞれの寺社についての説明は長くなるので本日は止めておきますが、私のブログ内で殆どは紹介していますが再度皆さんにそれぞれの寺社の案内をしますのでご期待ください。

本日の画像は喜多方市上三宮町の叶山三宝院・願成寺(がんじょうじ)の山門です。ご本尊は阿弥陀如来・国重要文化財です。

1. テーマ「会津まほろば塾」日本人のこころのふるさとをもとめて(仮称)

2. 開催日時  平成22年9月25日(土)~26日(日)
        喜多方市押切川公園体育館メインホール予定

3・主催    喜多方市、会津坂下町、会津美里町
       
4・シンポジウムの概要

        京都・奈良に続き寺社・仏閣の多い会津エリアではありますが、
京都・奈良のように受け入れ体制も整っておらず、観光資源として活かされていません。特に、会津盆地の西側に南北に通る約1500年前に修験者の歩いた「会津まほろば街道」沿線には国宝・重要文化財に指定されている寺社・仏閣も多く、歴史的にも重要な資源を在する集落が点在します。
 今回、街道沿いの寺社・仏閣を中心に、会津の食文化や祭り、農業技術、郷土料理、自然環境など、古来から守り今も残る本来の会津らしさ、会津ならではの生活文化を広く全国に情報発信し、新しい会津のよさ、本当の会津らしさを伝えることで、会津を再認識し地域の活性化を促すと供に、観光客等との更なる交流を図ることで、古来から伝わる地域の誇りを再生し未来へ会津文化を伝承するため、シンポジウムお開催します。

喜多方発・白きくらげ入りの喜多方ラーメン。

2009-12-25 17:27:41 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

お天気が良かったので更に雪が消えました。道路はどこも乾いてます。融雪の水も出てないので、市内どこでも自転車で走れます。

喜多方ラーメンを何時も皆さん食してもらっていますし、このブログでも何回か画像も挿入してます、でも本日のラーメンを食した方は少ないと思います。
昨日お客様と市内を巡った時に言われたのが、蔵座敷の中で食べたいでした、それで、あべ食堂へ案内をしました。さらに市内を巡って2時間後に三津谷のレンガ集落へ寄り、近代化産業遺産に認定されている、若菜家で案内を請いました。集落の一番奥にあるのが、

ラーメン赤れんが食堂です。レンガ造りの蔵を見ていたのですが、店に入ろうと言うことになりました、 そこでお客様がメニューの中から見つけたのが、白きくらげ入り、豆麩いり喜多方ラーメンです。特別メニューなそうです。
私も食べたことがありませんが、お客様が早速注文をして頂いたのがこのラーメンです。真ん中に白きくらげが山盛りです、周りに豆麩が散らしてあります。スープは普通の喜多方ラーメンの味です。私もお付き合いで喜多方ラーメンを頂きました。
一日で二軒のラーメンを食するのは久しぶりでした。
実はお客様は、酒粕入りのラーメンも食したいといってましたが、昨日は木曜日で店の定休日でした。 店によっていろんなメニューがありますが、私はごく普通の喜多方ラーメン、醤油ラーメンが好きです。昨日のお客様が酒粕入りのラーメンと言ってましたので、近いうちに食してみようと思います。ハイそして皆さんにお味のほうも報告します。

喜多方発・雪・・今杉山の蔵は。

2009-12-24 18:02:28 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

久しぶりの晴天でした。周りの山々の雪化粧がきれいに見えます。特に標高2000mを超える飯豊連峰の雪は一際目立って、光り輝いています。

昨日の雨で雪がだいぶ沈んだようです。喜多方まち中を一日中かけて巡ってきました。ハイ、本日もお客様の案内です。

TV東京土曜スペシャル「冬列島 旬をもとめて」(2月放送予定)の収録のための、下調べ、下見の取材協力です。
最初に市内、寺町の蔵のお屋敷へ伺いました。5棟の蔵が在る元、商店ですが、今は店は閉めました、母屋につながる素晴らしい蔵座敷が在り、家の中に大きな観音開きの扉があります。明治13年築の蔵ですが素晴らしい蔵です。
私も何時もこれからの新しい蔵の使い道について話すのですが、ここのお宅では蔵を一棟アパートに改造してます。そして母屋の前にある蔵を、車庫に改造してます。2台の車が入庫してました。蔵の車庫と言うのはチョット贅沢な車庫です。
蔵のこれからの新しい使い道です。蔵もいろんな活用方法がありそうです。

雪の安勝寺~ふれあい通り散策~山中煎餅(手焼きの体験)炭火で5枚300円ですが、私達のために特別に大きな火鉢で焼きました。~甲斐本家~豆菓子の鳴海屋
嶋新・島三・の蔵の前を通り、レトロミュウジアムで一休み、冠木薬店の厠蔵を見学と言うことですが、本日は木曜日でお休みです。厠蔵は雪囲いですっぽり囲われています。喜多方ラーメン・あべ食堂の蔵座敷で昼食です。

小田付き蔵通りへ向い、味噌醤油の金忠商店の二階の蔵座敷で一休み、レンガ蔵集落の三津谷へ行って、若菜家で案内を請いました、雪の杉山集落へ向ったのですが、本日の画像が杉山でも代表的なアナザワ家の堂々たる蔵です。もっともっと雪が深いのかと心配したのですが、積雪は30センチくらいでした、何処へ行っても道路はきれいに除雪してあり本日は全部乾いています。
それからまだまだ続きます。市内を見渡せる場所と言うことで、熊倉町へ行って「恋人坂」から街をみてもらいました。一日中フルタイムの行程です。まだまだ記入してない場所がたくさん有ります。

これだけ巡るのにはたっぷり一日かかりますので、ご参考まで。

喜多方発・SLを迎えて、ミニコンサート。

2009-12-23 17:26:59 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

磐越西線のSL、ばんえつ物語号が本日は運行されました。メリークリスマス号です。そして年末最後のSLです。
駅でお客様の歓迎レセプションを行なってきました。駅前商店街の皆さんや観光協会の皆さんと一緒です。大勢のお客様が乗車していまして。喜多方駅で下車したお客様もかなりの数です。大きな横断幕を数人で持ってホームでお迎えします。
「ようこそ 蔵とラーメンのまち喜多方へ」到着前からそして、出発までホームで持っています。 本日はSLを写す暇がありませんでした。大勢のカメラマンが並んでいましたが。

そして、ホームで、待合室で、市内の合唱団によりクリスマスソングを歌いお客様を歓迎しました。乗客の子供さんたちにはお菓子の詰め合わせのプレゼントをし、一般の方には何時も地酒が振舞われます。

駅から街なかへ戻るといつもの駐車場で大型の観光バスが市内の見学とラーメンを終えて出発をするところでした。本日のガイドのSさんと二人で大きく手を振って見送りををしました。

午後から雨が降り出して少し濡れながら帰りましたが。
FCT・福島中央テレビのスタッフが喜多方の元気人を写してますと、声を掛けられて、Sさんと二人で少し取材の協力をして、レトロミュウジアムで元気の秘訣は何でしょうか?と聞かれましたので、喜多方は水が良い、だからラーメンも美味い、そしてやはりお酒が美味いと答えました。元気の秘訣の一つにお酒も入ります。 雨が降ったので積雪量が少なくなりつつあります。横道はシャーベット状です。