得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・異国的な雰囲気の仏像。

2009-08-31 16:44:18 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

弱い雨が一日中降り続いています。気温もあまり上がらず肌寒い一日でした。台風が近づいています。明日は二百十日、この時節には台風がよく上陸して被害を受けていたのを想い出します。村の鎮守様の祭礼が近づくと何時も雨が降っていたのです、それは二百十日の直ぐ後だからです。今年のお祭りはどうでしょうか心配です。

昨日の仏像巡りで、タイトルに記してある異国的は雰囲気の仏像を拝顔してきました。私もはじめて拝顔し、皆さんにもはじめて紹介します。
市内太用寺・真言宗豊山派に在る、木造釈迦如来立像・「清涼寺式釈迦像」です。

本日の画像をご覧下さい。

仏像の画像はどうしても像がくすんで鮮明に写りません、光背がこのように明るく輝いていると仏像が暗くなります。京都嵯峨清涼寺の本尊を模したもので、清涼寺式の名が付きます。鎌倉時代に全国的に流行したが福島県内ではこの仏像だけです。
釈迦が生前中に造られたといわれる像で、身体に密着した衣をまとい、同心円を描くような衣のひだが特徴なそうです。さらに髪が螺髪・ラハツでなく編髪です、ご覧の様に目がつり上がったアーモンド型で面長な顔立ちなど異国的な風情をたたえています。案内書によっては京都清涼寺の本尊と同木・同作・香川の出釈迦寺と三体のうちの一体が太用寺の釈迦像と記してありますが、当時百数十体造られたうちの一像であろうとのことでした。国重要美術品に指定されています。
ご覧のように喜多方市内にもいろんな仏像が祀られています。

喜多方発・中善寺薬師如来坐像を拝顔。

2009-08-30 17:43:35 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

どんよりと曇った一日でした、市内各地で運動会が行われました。街なかは夏休み最後の日曜日を楽しむ多くのお客様が散策していました。帰りに駅へ寄ってきましたが本日も大勢のお客様です。
本日は衆院選の投票日です、私は先日期日前投票をすませました。

私は本日もお客様と共に仏都会津の神社仏閣めぐりです。素晴らしい仏像を拝顔しながらの寺院巡りです。
その一つが本日のタイトルにある、中善寺の「木造・薬師如来坐像」です。国の重要文化財に指定されています。
市内に数ある仏像の中でも平安時代後期の仏師・定朝が完成させた「定朝様」と呼ばれる和様彫刻の穏やかな仏像はこの仏像だけです。京都で造られてこの地にもたらされたものと、各仏像ガイドブックに記してあります。
像高は約90cm・ヒノキ材で割り矧ぎ造り・漆箔を施す本格てきな仕上げです。画像に見えるように漆箔がかなり薄くなってますが、元は金色に輝いていたとおもわれます。光背が輝いてますがこれは後世のものです。
脇侍に日光・月光両菩薩です。さらに十二神将が並びます。そして、寺の再興をした僧、永昶(えいちょう)が書写した大般若経600巻が納められています。
中善寺は真言宗のお寺で会津若松の弥勒寺の末寺です。

本日のお客様は市内慶徳公民館のグループの方々で、蔵めぐり、歴史探索、神社仏閣巡りと、熱心に勉強会を重ねている女性グループです。今回は仏像を主に巡りました。
願成寺・木造阿弥陀如来像(国重文)太用寺・木造釈迦如来立像・これは京都清涼寺の本尊を模した像です。鎌倉時代に全国的に流行した像ですが、県内では太用寺だけなそうです。
ゆっくりと時間をかけて数ヶ所を巡りました。其々に予約が必要です。お問い合わせは喜多方市観光協会へ・・℡ 0241-24-5200・・最後に市内北町の満福寺へ回り、旧会津藩士、日向家の墓へ詣でてきました。

市内に在住していても、こうゆう機会でないと数ヶ所の仏像を一日で拝顔するのは困難です。市内には素晴らしい仏像が在ることを知り有意義な一日でしたと、皆さんの声です。
本日参加された皆さん大変お疲れ様でした。

喜多方発・盛りを過ぎました。ヒマワリの花。

2009-08-29 19:35:09 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

夏休み最後の土曜日、街なかはかなりの人出で賑わいました。
街なかも、駅構内も、ホームもそしてラーメン店の周りもです。

それでお客様がエッ、何でこんなに込み合っているの?とお互いに言ってました。

私は久しぶりで駅構内の観光案内所へ寄ってきました。
短時間の間に次から次のお客様です。蔵のまち喜多方です、ラーメンのお客様の次に「長床へ行きたいのですが?」と声が掛かりました、本日は2名で対応です。
「ハイ、駅前の次の信号を交差点で左に曲がりそのまま進んでください。約7,5キロです、長床と矢印がありますから、見落とさないでください」と応えていました。

私は新しいパンフレットが並んでないか時々見に行きます。
ありました。新しい小冊子が、それも私がいつも書いているポイントラリー

「喜多方エコなまちあるきガイドブック」です表紙とも全28ページのなかなかの優れものです。是非皆さんに活用していただきたいと思います。私が何時も書いているエコなポイントラリーが詳しく記してあります。お勧めのコースが何ヶ所か簡単なイラスト入りのマップと共に記入してあります。
万歩計を付けてまちあるきコースもあり、案内所で万歩計を貸し出してます、実際に付けて街歩きを楽しみください。観光コンシェルジュが提案してコースが紹介されています。乗り物案内とエコな街歩き参加店舗の紹介など、大変役立つ小冊子だと思いますので、是非皆さん御利用ください。

本日の画像はヒマワリですが、近くで咲いています。ご覧のように盛りは過ぎました。実が大きくなり頭を垂れています。ヒマワリもいろんな種類があるようです。黄色い花が目立つので街なかにもかなり多く咲いています。

私は明日はお客様と仏都会津巡りをしてきます。喜多方周辺の神社仏閣です。皆さんにもお勧めのコースです。明日画像と共に投稿します。ご期待下さい。

喜多方発。一関市、蔵サポーターの皆さんが。

2009-08-28 18:57:27 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

タイトルにあるように、遠く遠く岩手県一関市の蔵サポーターの皆さんが。一関市千厩支所のSさんを伴って蔵のまち、喜多方市へ視察研修にお出でになりました。
朝早く発って途中休憩をいれて、約4時間なそうです。10:30に到着です。

皆さんは一関市に数多くある登録有形文化財の蔵の案内を兼ねてサポーターをしている方々です、女性の方が殆どです。

着いてから早速午前中は研修会です。喜多方市の観光交流課から、
チョット難しい話もはいります。

いつもブログにきていただいている皆さんには理解できる話だとおもいます。
喜多方の観光を取り巻く現状と課題について、
観光コンシェルジュの養成と認定について・蔵の保存と再生、空き蔵の活用について・蔵を活用した観光ルートについて・蔵のまちにふさわしい食及び観光素材・土産販売について・情報発信について、等々です。そしてまもなく始まるきたかた喜楽里博について。

皆さん大変熱心に聴き入ってました、メモを執り、そして質問もありました。

やはりコンシェルジュにたいする質問とそして制度に対する取り組みに皆さん感心してました。

午後からの実際の蔵のまち巡りを私が、案内お手伝いをさせて頂きました。午後から気温もあがり蒸し暑いなかでしたが、蔵のまちを歩いていただき案内の先々で皆さん興味深く感心されながら観ていただきました。途中レトロミュウジアムで休憩をして、写真展と酒蔵と訊いたところ、酒蔵と言う方が多く、大和川酒造を廻り、歴道から38間蔵を観てふれあい通りを戻りラーメン館にもどりました。
暑いなか大変お疲れさまでした。遠い所蔵のまち喜多方へお出で頂きありがとうございました。 皆さんは15:00に発ちましたからまもなく一関市に到着の頃と思います。どうぞごゆっくりお休みください。

喜多方発・蔵のまちの百日紅。

2009-08-27 18:15:16 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

久しぶりに夏が戻ったようなお天気です。日中はかなり暑かったようです。
この暑さのなか花を咲かせているのが、サルスベリです、私も数日前から街なかで数箇所の見事な百日紅が咲いているのを観ていて、気にしていましたが、街なかにかなりの数が在ります。大きな木は画像のように高さが5~6Mを超えています。花の色も微妙に違いピンクの花だけではなく。白も在るようですがあまり目立ちません、今朝の新聞の「あぶくま抄」に書いてあります。

一度散った枝に再び芽をつけて花が咲き継ぐため花の時期が長く約3ヵ月も続くので別名「百日紅」なそうです。

さる・すべりは猿すべりです。ミソハギ科の落葉喬木で中国南部の原産で、古くから我が国では庭木として栽培されていたようです。ヒメシャラの別称があります。
街なかには白い花の大木もあると思いますので気を付けて巡ってみましょう。

先日画像挿入した・のうぜんかずら・もまだまだ街じゅうで咲き続けています。これも開花の期間が長いと思います。
そろそろコスモスですかね、そして秋そばの白い花が今盛りのようです。広い広い畑にそばの白い花が一面に咲いているのは見事なものです。
喜多方も街から出れば周りにはそばの畑が広がります。

昨日記した、小田付の蔵通りでは、プランターに蕎麦の種をまき通りに並べました、昨年も小田付きのフェスティバルの頃に白い花が咲きました。
本年も白いそばの花が皆様をお迎えします。蔵してる通りフェスティバルにご期待下さい。

喜多方発・むずってみんべぇ散歩みち。

2009-08-26 18:00:40 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

爽やかな秋晴れのなか、9月19日~11月30日まで開催される「きたかた喜楽里博」のメニューの一つにある「おたづき蔵めぐりツアー」予定のコースを皆さんより一足早く巡ってきました。
おたづき蔵通りわくわくフェスタ実行委員会の主催です。
ぜひお勧めの蔵めぐりですので皆さん大勢の参加をお待ちしています。

むずってみんべぇ散歩みち・です。数ある方言のなかでもこの言葉はこの頃は余り使われなくなりました。私達年代の者には懐かしい方言の一つであり今でもつい声に出す人がいるかもしれません。
道路を右に・左に・曲がることを「むずる」と言います。

私達は時にはお客様に「方言を使って案内してください」と乞われることがあります。その時に観光バス等に乗っていれば、もし交差点で右折する時は、
「運転手さん、このさきで、ミギサ・ムズッテクナンショ」・・となります、殆どの方が???となります。
でも方言にも親しみのある面白い言葉が沢山あります。私は方言に弱いのですが、話全体に訛りはあり、喜多方人だなーと言うことは判ります。
まちなかで、商店に寄ってみて店の女性の方がお客様を迎える時の言葉がなんともいえない温かみの在る方言です。やはり女性のほうが方言も温かみがありきれいに聞こえます。

本日の画像は、おたづき蔵めぐりツアーの途中にある蔵屋敷「あづまさ」です。
元県内一の米穀商・松崎政吉商店の旧店舗です。座敷蔵や木綿蔵、本格的手打ちそば、喜多方ラーメン、田楽などを楽しめる店として多くのお客様で賑わってます。
画像の右手が「うるし美術博物館」です。こちらも元県内一の大地主風間家の離れ座敷に数多くの美術工芸品が展示してあります。
小田付蔵通りには、今でも多くの老舗の蔵が並び・・・先日のブログの登録有形文化財のまち・・・の画像も小田付蔵通りです。さらに表の通りからムズッテミット裏通りに、歴史を感じる情緒ある風景を楽しむ事が出来ます。

蔵めぐりの実施日は「喜楽里博」の期間中の土曜・日曜・祝祭日に午前と午後の二回を予定してます。蔵のまちガイドが案内いたします。所要時間は約1時間・参加料金はお一人様1000円ですが500円相当の金券を付けます。(小田付の参加店で使用できます)
詳細については後日改めまして記します。 どうぞご期待下さい。

喜多方発・二学期始まる。

2009-08-25 18:24:28 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

二学期が始まりました。本日の画像は元気に隊列を組み登校する近所の生徒さんです。毎朝、我が家の隣りに決まった時刻に集合します。そして年長のお姉さんの後に続きます小学生が6名います。学校の正門まで90M・学校に一番近い生徒さんたちです。今朝はご覧の様にランドセルのほかに両手にいっぱいの荷物でした。
今テレビでも言ってますが、新型インフルの対策で手洗いと、うがいの励行を忘れずに実行してくださいとのことです。

街へ出ると、この頃の挨拶が「朝、晩は涼しくなったね、今朝は寒いくらいだったよ」となってきました。県内でも本日は30度を越えたところは無いようです。

まちなかですが、県内の小中学校は二学期がはじまったので、人の出も少ないかな、と思ってましたが、なんとかなりの賑わいでした。平日なのにラーメン屋さんに行列です。それで皆さん共にエッなんで?と首を傾げていました。
蔵のまち案内所、レトロミュージアム、38間蔵フォトギャラリー・其々にお客様が見えてました。都会の方はまだ子どもさんも夏休みなのでまだまだ賑わいそうです。込み合う時期をずらして旅行を楽しんでいる家族も多いようです。

先ほどのテレビで「会津木綿」を放送してます。喜多方の縫製工場で外国人向けにSAMUE(作務衣)を縫製しているのです。サイズは5L~6Lなそうですが、かなり人気があるそうです。それを会津名産の桐箱に入れて販売するのです。ホームページで、ネットショップでも購入できるそうですから、検索してみてください。
私は木綿のジャケットを季節によって着用してます。
蔵のまち案内所にいますと、「会津木綿」を購入できるお店は?と聞かれることがあります。あづまさ・さんや、若喜商店を紹介してますが、市内の洋品店でもかなりの店が置いて在るようです、店でご覧になってみてください。

喜多方発・正に巨木、高瀬のケヤキ。

2009-08-24 18:04:11 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

本日の気候は爽やかな一日でした。お盆が過ぎて何日も経たないのに暑さを感じません。じつに爽やかな一日です。

本日のブログは昨日の直江兼続の続きです。

お天気も良いので「神指城」・コウザシジョウ跡へ行ってきました。会津若松市神指町大字高瀬です。近くに温泉があるので近くまで行ってるのですが、初めてです。高瀬の国道沿いに公民館がありました。チョット寄って尋ねました。場所をしるした印刷物が準備してあります。丁寧に教えていただきました。すぐそばでした。あとは大木が目当てです。
本日の画像が昨日記した跡地に在る高瀬の大木です。国指定天然記念物・昭和16年の指定です。ご覧の様に正に巨木です。根元の周囲12,5M・幹周り10.5M・樹高25Mです。慶長5年(1600)に上杉景勝が直江兼続に築城を命じた時に既にこのケヤキは在ったそうです。昨日樹齢600年と記しましたが、本日の新しい資料には推定900年以上と記してあります。・・大枝の折損が相次ぎ、幹部に亀裂が生じてきたが樹姿はなお堂々としてすぐれ、ケヤキの巨樹として有数のものである、と説明板に記してあります。このケヤキの場所が神指城の東北隅の土塁上です。小高い土塁から会津若松市街が良く見渡せます。

本丸跡を二之丸跡が囲むのですが、このケヤキは二之丸の東北部の角です。周囲をぐるりと廻ると3KM近くもありそうです。ケヤキのある場所から本丸跡を周遊する遊歩道が整備されています。本丸が300M四方ですから、1,2キロ更に南へ進み幕末に新撰組殉難の地が在ります。ここは幕末の会津戦争の地でもあったわけです。
どちらにしても距離があるので、本日は遊歩道は止めにしました。感心なことは、案内板が数多く在ることです。
外堀の更に外側でも内側でも数箇所で遺跡の発掘調査をしている最中でした。かなりの広範囲で調査をしているようです。本丸跡地の遊歩道より内側は立ち入りできません。

大川(阿賀川)の堤防と接しているので内堀の水を引き、西口門濠から高瀬舟で大川を喜多方の塩川まで下り、さらに阿賀野川を日本海に出る。諸国との貿易を考えていたと本日の資料に記して在ります。もしもですが、完成していたら確かに東北の拠点としての120万石の経済都市が誕生していたかもしれません。

しかし、現実は幻の神指城です。

寛永16年に(1643)に石垣は総て鶴ヶ城に運び去られ北出丸・西出丸などの拡張に使われたそうです。神指城は廃城となりました。

喜多方発・公民館で直江兼続を学ぶ。

2009-08-23 17:49:40 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

夏休みも終わりに近づいた日曜日街なかは晴天に恵まれて、大勢の家族連れでにぎわいました。エコなまちあるき喜多方を楽しんでいる子どもさん達に、本日も声を掛けられました。パパやママよりも子どもさんの方が先に私を見つけてくれます。
私は喜多方エコチャレンジャーです。札をさげて街にいます。
お陰で本日もボーナスポイントを十数名の方に差し上げました。

本日午前中は松山公民館の公開講座、遊学カレッジ8月講座として、
講話“直江兼続とふくしま”です。 講師は石田 昭夫先生(会津古城研究会会長)です。日本考古学協会員であり、会津若松市職員です。
公民館の遊学カレッジの皆さんにまざり講話を受講してきました。画像に観るように大勢の皆さんです。

石田先生は現NHK大河ドラマ「天地人」福島県部門の時代考察や原作にも関っておられます。福島民報新聞に毎週月曜日に、戦国を駆け抜けた知将・直江兼続とふくしま・・を執筆中です。私も大変興味深く毎週楽しみに読んでいます。
本日の講話は限られた時間に多くの話が有り、次から次とスクリーンを使い説明をしていただきましたが、そのなかでも新聞に執筆中の「幻の白河決戦」とやはり、「幻の神指城」(こうざしじょう)にかなりの時間を費やしました。

以下は本日の石田先生の講話や資料を利用させていただきます。時代は関が原の戦い前後1600年頃です。
当時の会津は上杉家120万石です、遠く酒田まで領有し佐渡も上杉領です。若松城に替わり東日本の拠点都市を目指したのが神指城です。

神指城は現会津若松市内の北西部阿賀川沿いに慶長5年(1600)に築城。翌年に破城されてます。未完成の大城でした。
氏の説によりますと、秀吉の大経済都市構想の一つとして、中央の京・大阪・西の広島・そして東の会津という東の拠点都市として会津若松に替わり当時の神指村に13村を強制撤去させて、築城がはじまります。その総指揮を執ったのが直江兼続です。石垣は会津若松東山の慶山から運ばれ、領民,延べ12万人を動員し三ヶ月で本丸の石垣と門、二の丸の土塁と堀が完成したが、家康の上杉征伐で築城は中断、翌年破城されます。
強制的に撤去された農民達はその後村に戻るそうです。
現在樹齢600年と言われる。高瀬の大木(国の天然記念物)が跡地に在ります。

幻に終わりましたが、・・もしも・・神指城が完成し一大都市が出来ていたら、そこは東北を代表する文化的都市でもあり、戦の為の城ではなく、水運・交通・勿論政治・経済・文化の拠点になったであろうと言う事です。そこで話は飛躍しますが、現在の東北新幹線は会津地方を通過して会津には「こうざし」と言う駅があったかも知れません。

次は幻の白河決戦です。これも、・・もしも・・家康が関が原にかわり、白河で戦っていたら家康軍は完全に負けていたとする説です。主戦場に白河南部を想定、選定して準備万端整えますが、白河決戦も有りませんでした。

本日も長くなりそうなのでそろそろ終わりにします、まもなく天地人の時間になります。続きは近いうちに投稿しますご期待下さい。
一般市民である私達を公開講座として解放していただいた松山公民館に感謝しお礼を申し上げます。

今朝の民報新聞に天下分け目の戦いの元となったのが直江状だと言われているが、
家康は関が原の戦いが行われる直前に上杉に上洛するよう要請する。これに対する上杉家の家老兼続の返書が直江状といわれています。家康は読んだ途中で激怒し上杉攻めを決心したといい、関が原の合戦の要因の一と言われています。
村川友彦 氏(県史学会長)の寄稿文が掲載されています。「直江状」と往来物についてです。
直江状そのものは、後の創作とする説が多い半面何らかの書状がだされたのではないかとも推察されていると記されています。

喜多方発・蔵・・登録有形文化財のまち。

2009-08-22 18:22:29 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

土曜日の蔵のまちは、曇りがちでしたが、陽も差し日中の暑さもやはり峠を越した感じです。過ごしやすい秋がもう直ぐそこまで来てます。
私は本日はふれあい通りの中ほどレトロミュージアム2号館に居ました。

本日のまちなかは、やはり家族連れの皆さんが大勢散策していました。三世代揃ってという家族もかなりみえました。そして私が昨日記した、エコな喜多方ポイントラリーを楽しんでいる家族が多かったようです。お陰さまで本日はかなりのポイントを皆さんに差し上げました。そしてポイントらりーの参加店を案内します。

私が対応した家族で札幌からお出でになった方が居ました。「喜多方ラーメン美味かったよ」と応えてくれました。「札幌ラーメンにも毎年冬、2月に行われるラーメンフェスタにきていただいてますよ」と応えたら「エッ本当ですか?」とびっくりしてました。

お客様にはいろんな方が見えますが、東京からと言う中年のご夫婦がレンタサイクルで巡ってきたそうです。駅前から街なかをひと回りして、「何もなかったよ、何を見ればいいの、どこを廻ればいいの」と寄っていかれました。是非案内所を御利用下さい。一声掛けていただければお客様の要望に沿うようコースを案内しています。私は御夫婦に駅までもどるコースで巡れる近いエリアから選んで三ヶ所ほど案内、説明して印を付けてあげましたが。
せっかく蔵のまちへお出でになって、何処も巡らずに帰ってしまうのは残念です。
何かの書に「何も観ずして何も食せず帰るお客様は一番怖い」と書いてありました。

本日のタイトルは蔵・・登録有形文化財のまち。 です。本日の画像もまたまた蔵の街並みです。小田付きの蔵通りの一画ですが、現在市内には数棟の登録有形文化財が在りますが、

実は喜多方市内には現在登録有形文化財に匹敵する蔵が(建造物)が50棟以上在ると言われています。登録建造物は住宅・事務所・寺社・工場・土蔵・倉庫・公共建築・橋・水門・トンネル・煙突・堤防・ダム・塀・等々数多くの文化財を対象としてますが、登録基準の一つに建設後50年を経過していることです。そして次の各号に該当するものとなっています。

1 国土の歴史的景観に寄与しているもの。
2 造形の規範になっているもの。
3 再現することが容易でないもの。

近い将来に喜多方市内には登録有形文化財が数十件認定されて、蔵のまち喜多方は登録有形文化財の街になることでしょう。どうぞご期待下さい。