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喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・念仏おどり-2

2008-08-31 16:33:59 | Weblog
蔵の街・喜多方から、朝はまだ雨が降っていました。本日市内の4町内で運動会です。各地雨の中はじまりましたが雨が上がり曇り空に、午後からは晴れ間も出るようになり無事に終える事が出来たようです。・・・念仏踊り・2です。本日の画像は男性に替わり今度は女性方が太鼓を打ち念仏を唱えているところです。
辞書で念仏踊りをみると千年以上も前に遡ります。諸説はあるようですが、今に残る念仏踊りとなったのは1200年程前のこと香川県綾川町滝宮の念仏踊りが全国に残る念仏おどりのルーツとして国の重要無形文化財に指定されているそうです。

昨夜の長床・皆さん期待していたようですが夕刻かなりの雨が降ってましたので私は行くことが出来ませんでした。篝火の琵琶演奏会の事です。次回には行ってみます

喜多方・街なかのニュースを一つ・中央通り、ふれあい通りのアーケードの撤去工事がはじまります。本日工事の安全を祈願して式典が行われ、諏方神社の宮司がのりとをあげ町内や各関係者と共に安全の祈願を行いました。数年後にはアーケードも電柱もない明るい町並みができ、蔵の通りが表からよく見えるようになります。

喜多方発・会津大念仏摂取講

2008-08-30 16:26:39 | Weblog
蔵の街・喜多方より、本日正午前に熊倉町小沼の安養寺において表記念仏踊りが行われました。画像がその内の女性方が踊っている方です。この後に女性が太鼓になる項もあります。かなり古い歴史・由来があるそうですが、市史、資料館で調べてこないと詳しいことはわかりません。喜多方近辺では現在、小沼・中の目・そして湯川村の勝常寺と三ヶ所の念仏踊りが継承されており、無形文化財に指定されているそうです。江戸時代の前期か、あるいはそれ以前から有ったそうです。安養寺の境内に大きな石碑があり明治20何年と記してありますが、当時念仏講踊りがあった村々の地名が刻してあります、喜多方周辺の殆どの、村、地名があります。約50ヶ所程で行われていたそうです。念仏踊りの総元締めとも言えるのがこの安養寺です。今回も小沼を元方にして、中の目、勝常寺の方々が一緒に踊って奉納してます。其々に月日が決まっていて本日の熊倉町小沼が8月30日・中の目が8月20日・そして湯川の勝常寺が4月28日なそうです。勝常寺の4月と言うのはちょうど桜の節と同じになるそうです。来年は勝常寺の念仏踊りを見たいと思います。


喜多方発・明日は念仏踊りへ、

2008-08-29 17:21:48 | Weblog
蔵の街・喜多方から、降り続いた雨も上がり午後から晴天です。市内の田付川もかなり増水して濁った水が勢いよく流れています。稲穂がかなり頭を垂れてきました。夏8月終わりの週末です。8月30日(土)は先日書きました、念仏踊りです。熊倉町小沼・安養寺踊りは11項からなり、供養念仏に続き円陣を組み、腰をくねらせ合掌をかたどった手甲、足袋で踊る。・・と書いてあります。どんな踊りでしょう明日行ってきますので、画像いれますからご期待ください。

明日は長床・琵琶演奏会・も開催されます。篝火の灯りのもと琵琶の演奏が行われます。こちらは夕刻からです。毎回大勢のアマチュアカメラマン・プロものカメラマンがみえますが、前回での話しですと、演奏中であろうとなかろうと、しろくじちゅう前後左右を走り回り、

シャッターを押してる方も居た様です、もう少し節度ある行動をと言うことです。なにせ数十名のカメラマンがお出でになります。

本日の画像は松山町の上野邸の蔵です。表通りからの店蔵と座敷蔵です、庭も素晴らしい山水です。数棟の蔵があり蔵群と呼べるお屋敷です。とっておきの蔵めぐりで庭からの見学ができます。9月末までの蔵めぐりですのでお勧めです。蔵めぐりについての問い合わせは・℡0241-24-5200喜多方観光協会へ。

喜多方発・歴史講座・会津の贋金づくり。

2008-08-28 16:19:54 | Weblog
蔵の街・喜多方より、本日市内、松山公民館に於いて公開講座・歴史学習会「会津の贋金づくり」についての講座が開かれました。画像が公民館2階の研修室です。約50名近かったと思います。講師は(会北史談会会長)の川口 芳昭先生。講座は松山公民館の遊学カレッジ(公民館の学習グループ)の8月講座です、本日は一般の方にも公開されました。大勢の方が受講されまして私もその内の一人です。

会津の贋金札について。 以下川口先生の資料より抜粋・引用です。
幕末の会津藩は京都守護職などで出費が嵩み藩財政が苦しくなります。(在京の藩兵1000名)幕府からは月1万両と米2000俵の支給の約束だったのですが、是も守られなかったそうです。当時の会津藩は23万石~後28万石。全国260余藩の中では大藩で加賀120万石や島津藩には遠く及ばずとも上位15位に在ったそうです。さらに親藩ですから、出費も嵩みます蝦夷地警護・三浦半島警護などの任務もありました。藩でも財政対策として年貢の増微や寸志金の強要など、寸志金上納額により、農民町民でも羽織を許す・脇差を許す・などがあり、5両でかみしも・20両で苗字・50両で帯刀御免などがあります。当人一代限りなそうです。

そこで、贋金造りがはじまります。幕府の許しを得てはじまったようです。文久3年(1863)~慶応3年(1867)明治元年(1868)にかけて会津藩では江戸深川下屋敷・若松城内西御丸蝋蔵に鋳造所を設け密造を行いました。その上納額は60万両に達し藩財政におおいに役立ちます。新政府になり、勿論禁止されます、全国で贋金造りは行われていたようで、各藩にたいしてはお咎めはなかったそうです。以後取り締まりが厳しくなり罰せられます。新政府は悪金回収の為、贋金引き換えを行いました。一人一回一度だけ・100両につき金札30両(太政官札)(民部省札)と引き換えを行いました。その時府藩県別・贋金引換え額が最も多かったのが、若松県です。次いで伊那・新潟・柏崎・岩鼻・と続きます。(岩鼻・・聞いたことないので誤字でしょうか?教えてください)全国にまたがります。その時に若松県民から出された贋金総額は18万両近くそれが引換金札額5万3000両と換金されます。

贋金造りはその後も各地、民間でも続きますが簡単に鋳造型が出来たようです。取り締まりも厳しくなり、偽造処罰者(偽造及び行使)が多く出ます。明治3年には若松県だけで、死罪約65名・流罪約60名と多くの処罰者が出ました。4年以降は少なくなります。

喜多方発・造り酒屋のゆず酒

2008-08-27 17:59:06 | Weblog
蔵の街・喜多方から、本日もお酒です。昨日の「飯豊のしずく」大勢の方が見に来てくれましたありがたいことです。 本日は造り酒屋の「ゆず酒」です。本日の画像がその酒、ゆず酒です。純米酒仕込みですが、分類はリキュールです。この頃観光客の方に時々聞かれることがあります。市内ではレンガ蔵で知られる若喜商店で販売してます。市内松山町村松の、ほまれ酒造(株)の醸造です。

先ほど、ほまれ酒造へ行って買い求めてきました。私は何度か行って工場の販売所で試飲をしてます。販売所は市内一大きな庭・雲嶺庵の中に在ります。1300坪の大きな庭です。この頃工場の蔵見学より、庭見学の観光客の方が大勢見えるようです。ほまれ酒造は私の家の直ぐ近くです。

ゆず酒のパッケージに書いてあるゆず酒について抜粋します。ゆず果汁と純米酒との絶妙なコラボレーション。爽やかな香り・酸味・そして純米酒のまろやかさを余すことなく引き出し・ほのかな甘みのある味わい。
そして、体にいい成分を多く含んでます。ビタミンc・p・ペクチン・リモノイド・チヨット聞き慣れない言葉ですが・・シトラール・リモネン等です。このリキュールも他所では手に入らない逸品だと思います。喜多方へお出での折は是非試飲してください。・・・昨日と2日間お酒でした。明日の予告ですが、
話題をガラリ変えて明日はなんと松山公民館・公開講座で歴史学習会「会津の贋金づくり」についてです。9:30~・・・どんなお話が出てくることやら是は楽しみです。どうぞご期待ください。

喜多方発・幻の酒、飯豊のしずく(生原酒)

2008-08-26 17:22:09 | Weblog
蔵の街・喜多方は日本酒の街です、酒蔵が現在でも市内に9軒あります。観光客の方に時々聞かれるのが、表記幻の名酒・「飯豊のしずく」(しぼりたて生原酒)喜多方の地酒です。市内の販売所には殆ど無いので実は私も何処で手に入るのか知らなかったのですが、本日帰りに寄ってきました。本日の画像がその酒、飯豊のしずくです。市内の上町・通称、身頃街道と言ってます。三橋酒店オリジナルの酒です。地酒は殆ど並んでました。今流行の焼酎の並びに、「篤姫」鹿児島焼酎があります。三橋酒店は℡・0241-22-1603です。住所は市内字・蝦膜淵・・・皆さん是読めますか?ガマブチと読むそうです。

蔵の街・喜多方です、蔵と言えば酒蔵とゆうぐらいに酒蔵が多いのでまず、お客さまに勧めます。殆どの酒蔵が見学できます。(一部不可もあり)蔵のまち案内所に近い所から、清川商店・大和川酒造店・喜多の華・吉の川酒造店・峰の雪酒造場・・・小田付蔵通りにモーツアルトの小原酒造店・夢心酒造・松山町に醸造石高県内一のほまれ酒造・そして上三宮町の笹正宗酒造です。造り酒屋の蔵を観るだけでいろんな蔵の種類があります。店蔵・座敷蔵、仕込み蔵。保存の蔵・豊穣の蔵・麹蔵、作業蔵・米蔵・・まだまだ有ると思います。壁も屋根もいろいろです。酒蔵を見学して試飲を楽しむのもよいかとおもいます。ぜひ一度は酒蔵を見学して下さい。本日は・飯豊のしずく・でした明日もう一度お酒を書きます、ご期待を。

喜多方発・満福寺、山門

2008-08-25 18:13:53 | Weblog
蔵の街・喜多方から、昨日の文化・歴史探訪ウォークの続編です。本日の画像は途中立ち寄った龍寶山・満福寺の山門です。市内では歴史ある寺院です。真言宗豊山派の寺、永享元年(1429)開基といいますが後に現在の地に移されたそうです。明治18年に小田付村の大火で焼失し大正7年に現在の本堂・山門・庫裏等が落成しています。

昨日・まわった日向内記墓碑が境内墓地に在ります。昨年も聞いたのですが、仙台のある小学校の修学旅行コースに入っていて子供達が墓参りをしていたそうです。日向内記は会津藩士ですが、境内には戊辰戦争(会津戦争)時の西軍戦死者の墓もあります。

まだ先のことですが、今度の週末は(30日・土)お勧めの催が二つあります。琵琶の演奏会です。これも恒例になりました。新宮熊野神社「長床」で篝火の灯りのもと、琵琶の演奏会が行われます。入場無料です。
同じ日に会津大念仏摂取講が熊倉町小沼・安養寺で行われます。私は欲張って両方をまわりたいと思ってます。

喜多方発・雨天決行ウォーキング。

2008-08-24 16:54:04 | Weblog
蔵の街・喜多方より、文化と歴史探訪ウォーキング。行って来ました。雨天決行です。昨夜より降ってる雨は本日も一日中降り続いています、喜多方駅起点・歴史探訪ウォーキング雨の中を約50名の参加者と共に5キロ程の行程を90分での歩行です。本日の画像が瓜生岩子が裁縫所を設け子女の教育を行った長福寺境内です。同じ境内に佐川官兵衛夫妻の墓石が在ります。普段は無住のお寺ですが、本日は特別に飯島氏が明けて私達を迎えてくれました。彼は8/20記の私のブログの佐川官兵衛の墓石の稿で書いた岩月町下岩崎の方です。熊本まで行って官兵衛の墓の土をもらい受け妻、勝の墓の側に埋め新しい官兵衛の墓を建立した人です。

この催は恒例になり来年も行われると思います。皆さんも一度参加して見てください。JR東日本さんの「駅からのハイキング」のパンフレットに載ってますのでご覧ください。今回も首都圏や仙台そして県内各地からの参加者で賑わいました。本日は三班に分かれウォーキングの会とボランティアガイドが前後に付いて一行の安全を第一に誘導し各所で案内をしながら長福寺へ行き、帰りは南町の「あづまさ」のバスが迎えにきてもらい南町からは自由行動になります。昼食後14時頃の列車に乗車された方が多く見られました。16時前のSLに乗って新津へ向うと言うお客様数名居たようです。本日の行程内容は8/20から3日間書いてますのでどうぞご覧ください。

秋のウォーキングがあります。新宮熊野神社の長床へ大銀杏が黄葉する、11月20日過ぎです、これも駅から出ますのでJRのパンフで確認ください。こちらは距離が少し長くなります。秋の田んぼ道を歩くのも気持ち良いものです。それでは次は秋にお逢いしましょう。・・・本日は雨の中、ほんとうにお疲れさまでした。どうか風邪などひきませんように。

喜多方発・蔦の絡まる煉瓦蔵。

2008-08-23 18:10:54 | Weblog
蔵の街・喜多方より、本日8/23はどんよりと曇った一日で気温もあまり上がらず時折雨が少し降る一日でした。夜にかけて降り出しそうな気配です。今夜は街なか駅前や、道の駅喜多の郷でお祭りです。先ほど駅前のお祭りを見て帰ってきました。本日の画像は駅前の煉瓦の蔵です。ご覧の様に蔦が完全に絡まり真っ青です。元煉瓦の米蔵で産業遺産に認定の蔵です。前に画像挿入してあるので、比べて見てください2008・2/7の画像です。

昼前の駅は、上野発の特急あいづ本日はおおぜいのお客様が乗車してました。恒例になったお出迎えを観光課・観光協会・物産協会・そして駅前商店会の皆さんが行っています。市内循環のバスもおおぜいの乗客でした。ラーメンの人気店には本日も100余名の行列です。そして蔵ではやはり51畳の蔵座敷・甲斐本家へ・酒蔵と言うお客様も多かったです。

さて明日8/24(日)は、JR東日本さんの「喜多方の文化と歴史探訪ウォーク」です。駅前受付が10:00~です。昨年は首都圏や仙台方面から100余名の方が参加されました。天候が心配ですが、弱い雨の予報で毎時1ミリ~2ミリと予報がでてます。明日はウォーキングの画像挿入します。ご期待ください。

喜多方発・逃亡者??日向内記。

2008-08-22 18:17:26 | Weblog
蔵の街・喜多方より、歴史探訪のパート3です。24日(日)のコースに日向内記の墓碑を訪ねてとあります。日向家の墓碑は喜多方市内北町の龍宝山・満福寺の墓地に在ります。本日午後から行って来ました。簡単に草刈をして掃除をしてきました。

日向内記・ひなたないき(1826~1885)旧会津藩士・700石取です。戊辰戦争時、白虎隊(びやっこたい)士中二番隊隊長を務めていました。1868年8月22日会津戦争時二番隊を指揮し、滝沢本陣へむかうが、戦況思わしくなく、先発・後発隊と分かれ戸の口原へと出陣します。夜・ある任を持って隊を離れますが、その時「食料調達」と言ったとかで、後々まで、非を招きます。彼は隊へ戻る事が出来なかったのです。食料調達を理由に逃れたとする逃亡者説です。彼は藩主容保の護衛の任も有ったとする説もあり、あるいは本陣に在ったのかもしれません。それが白虎隊士19名の自刃と言う悲劇を招いたと言われています。現在では逃れた説は否定されつつあり特命をおびていたとする説が有力視されつつあります。

会津藩は朝敵とされ、戊辰戦争(会津戦争)に敗北し降伏します。会津藩領は松平氏から没収されます。下北半島に斗南藩3万石を与えられますが、当時は不毛な土地で飢えと寒さで命を落とすものも少なくなかったと言われてます。後斗南県~青森県に編入されます。

歴史探訪ウォークは24日(日)喜多方駅前10:30~約5キロ。1時間30分の予定で行われます。では明後日喜多方駅で、お逢いしましょう。・・この稿おわります。